クラウディオさんの秘密?
ガデルフォーン女帝ディアーネスのお招きで、皇宮に訪れた幸希。
しかし、彼女と皇宮を歩いている途中、ある一室から声が聞こえてきて……。
ガデルフォーン魔術師団所属のクラウディオに纏わる、意外な秘密に関するお話。
久しぶりにガデルフォーン皇国を訪れた、ある日の事。
ディアーネスさんと一緒に皇宮内を散策していた私は、とある一室から奇妙な会話を捉えた。
この声は、……宰相のシュディエーラさんと、魔術師団のクラウディオさん?
色合いがどうのと話しているみたいだけど、一体何を。
「ふむ。またやっておるのか」
「ディアーネスさん?」
訳知り顔の女帝陛下ことディアーネスさんは、トコトコと声の聞こえてくる部屋の前まで近づき、開いている扉の隙間から中を覗き見ている。
う~ん、物事に一切の迷いがない女帝陛下様なのに、何故盗み見を?
私も彼女の背後へと歩み寄り、こっそりと中を覗いてみた。
まず、視界に広がったのは美しい色彩。まるで舞踏会の準備でもしているかのように、沢山のドレスや装飾品が室内を満たしていたのだ。
何着かのドレスを手にしているこの国の宰相こと、シュディエーラさんと、それから……。
大きな鏡の前には、背を向けた深紅のドレス姿の女性が一人。
「ディアーネスさん、あれは……」
「ユキよ、暫し黙ってみているが良い」
「はぁ……」
何やら少し楽しそうなディアーネスさんの表情に、首を縦に振って返す。
どうやらこのまま中に声をかけず、観察しているしかないようだ。
あ、シュディエーラさんが今度は若草色のドレスを女性に勧めて……、んん!?
「シュディエーラ殿……、まだ、続けるんですか?」
「大丈夫ですよ。もう少ししたら休憩をいれますから」
「続くんだな……、まだまだ。はぁ……、そろそろ仕事に戻らせて頂きたいんですが」
「そう仰らずに。魔術師団の方には私の仕事を手伝って貰っていたとお伝えしておきますので」
シュディエーラさんの方に向いた、とても綺麗な顔の……、女性。
いや、違う。受け答えをしている低い声と、こめかみにピキリと浮いている青筋と、あの顔立ち、がっしりとした身体つきのあの人は。
「く、クラウディオ……さん?」
「美しいであろう? 男にしておくにはなかなかに勿体ない素材だ」
「いえ、あの、そうじゃなくて……、何で男性のクラウディオさんが、じょ、女装をっ?」
とてもよくお似合いなのに申し訳ありませんが、性別が! 性別が!!
ドレスだけでなく、お化粧までバッチリと決めてしまっている男性……、この国の魔術師団員であるクラウディオさんの意外な姿に、彼を指さしている私の手はぷるぷると震えてしまっている。
人それぞれに趣味があるとわかってはいるけれど、クラウディオさんに女装癖があるなんて、意外過ぎてどう反応していいかわからない!!
そんな私の姿と声はバッチリとご本人に聞こえてしまっていたらしく、一瞬で青ざめた美しい傾国の美女、じゃなくて、クラウディオさんがこちらを向いた。
「こ、小娘……!? な、なななななな、何故ここにいるぅううううううう!?」
「こ、こんにちは。クラウディオ、さん……」
「我と茶の約束があるのだ」
「ようこそ、陛下、ユキ姫殿」
今にも窒息して昇天してしまいそうなクラウディオさんとは違い、シュディエーラさんの方は全く動じずに私達を笑顔で出迎えてくれた。
相変わらず、女性顔負けの綺麗な男性だ。と、一瞬でも思ったりすると。
「ユキ姫殿、何度も申し上げさせて頂きますが、私は男ですからね」
「は、はいっ。すみません」
ソファーとテーブルまわりを素早く片付けて寛ぐ場所を作ってくれたシュディエーラさんは、やっぱり相変わらず、自分に対する脳内印象の察知に厳しかった。
女装しているクラウディオさんの方は身体つきが男性のそれだし、綺麗の中にも男らしさがある。
せめてその系統の美しさであってくれれば、失礼な事を思わずに済むのだけど。
ソファーに腰を下ろしたディアーネスさんの方から視線を外すと、私は青ざめたまま固まっているクラウディオさんの方に寄ってみる事にした。
「クラウディオさん、こんにちは。その、……とてもお綺麗ですね!」
「忘れろ……」
「へ?」
瞬間、がしりと乱暴に鷲掴まれた私の両肩。
すぐ至近距離に近づけられたのは、美しいけれど、とっても恐ろしい鬼の形相になっているクラウディオさん!! お、怒ってる!! 心の底から激怒状態になってる!!
「今、ここで見た事は、記憶から抹消しろ!!」
「あ、あのっ、あのっ、それはいくらなんでも無理ですからぁああっ!!」
「そうか。ならば今ここでお前を消し飛ばせばいい話だな? よし、そうしよう!!」
「何言ってるんですかああああ!! 全力で抵抗しますからね!!」
駄目だ~。完全に自分の黒歴史を見られたような人の顔になってしまっている!!
そりゃあ、このクラウディオさんに女装癖があったなんて驚きだけど、それで軽蔑したり、言いふらしたりなんて、絶対にないのに!!
ぶんぶんと揺さぶられながら脅されている私を、シュディエーラさんがおやおやと助け船を出しに寄って来てくれた。
「クラウディオ、貴方の気持ちはよくわかりますが、ユキ姫様に当たってはいけませんよ」
「諸悪の元凶が正論を述べないで下さい!!」
「クラウディオよ、別に減るものでもないだろう? 諦めよ」
「うぐっ、陛下まで……っ。何故男の俺がこんな物を着て羞恥に耐えなくてはならないのですか!! 毎回毎回、俺が逆らえないからと言って……」
クラウディオさんとしては、弱味を握られたように感じてるんだろうなぁ……。
でも、見れば見るほど……。
「なんでこんなに綺麗なんですか……」
「小娘……っ、まだ俺に喧嘩を売る気かっ!!」
「ずるいと思います。男性なのに、女性よりも綺麗になれるなんて……。お肌もスベスベですね。以前に、ルイヴェルさんにも聞いた事があるんですけど、やっぱり手入れなしでこの美しさなんですか? ずるすぎて、ずるすぎて……、うぅっ」
「こ、小娘……、目が怖いぞっ。お、おいっ、現実に戻って来い!! 勝手に一人で絶望するな!!」
これで、シュディエーラさんと同じ細身だったなら、さらに羨ましいという感情が止まらなかった事だろう。クラウディオさんのドレスの袖をがっしりと掴んだ私は、望んでも得られない美しさの世界に、ははっ……と、空笑いを零す。
「ふふ、大丈夫です。五体満足で過ごせる事に感謝して、自分なりに頑張りますからっ」
「だから勝手に落ち込んで、勝手に浮上するな!! はぁ……、意味がわからん」
「ユキ姫殿は、意外に逞しい心根の持ち主という事ですよ。さて、お茶の準備でもしましょうかね。クラウディオ、もう脱いでもよろしいですよ」
じーっと羨ましそうに見つめてしまう私から逃げるように、クラウディオさんが着替え用の別室へと移ってしまった。
気高い大輪の薔薇のように美しかったのに……、勿体ない。
記録で撮影しておけば良かったなぁ。
クスクスと笑うシュディエーラさんに招かれ、私は名残惜しさを感じながらソファーへと座った。
「実はですね、私は副業で洋服やドレスのオーダーメイドも受け付けておりまして。クラウディオには少々イメージを固める為に手伝って貰っていたのですよ」
「そうだったんですか。ははっ、てっきりクラウディオさんに女装の趣味があるのかと」
「ふふ、大丈夫ですよ。今はありませんから」
「……今は?」
あれ、ニッコリと微笑んでいる宰相様の言葉に妙な違和感が。
それを裏付けするように、ディアーネスさんがクラウディオさんの消えた扉の方へと視線を投げる。
「趣味、ではなく、それを日常として慣らされていた頃があった、というべきだな」
「え……」
慣らされていた? その言い方ではまるで、強制されていたという意味合いにとれるのだけど……。首を傾げていると、荒々しい音を立てて別室の扉が開いた。
ドレスを手に、いつも通りの男性仕様に戻ったクラウディオさんが、またまた恐ろしい鬼神降臨のような顔つきで、ドシドシと近づいてくる。
「陛下、シュディエーラ殿、お願いしますから余計な事を小娘に教えないでください!!」
「ふむ。別に知らぬ仲ではないのだから良いと思うのだがな? 微笑ましい幼少時代を話したところで、ユキがお前を厭うわけでもない」
「こ、小娘に嫌われようが、俺にとってはどうでもいい事です!!」
「あの、無理に聞き出そうとは思ってないんですよ? さっきの綺麗な姿も、忘れろと言うなら、頑張って忘れる努力をしますから」
「信用出来るか!!」
じゃあどうしろって言うんですか、もう……。
ドレスをシュディエーラさんに返すと、クラウディオさんはふんっと鼻を鳴らして、不機嫌全開でソファーに腰を下ろした。
恥ずかしい所を見られて居た堪れない気持ちはわかるけれど、そんな睨んで来なくても……。
居た堪れない気持ちでその視線を受け止めていると、シュディエーラさんが甘い香りの漂うお茶とお菓子を運んで来てくれた。
と、とりあえず、何か別の話題を探して、クラウディオさんの不機嫌を和らげないと……っ。
「あ、え~と……、そうだ! ゆ、ユリウスさんは?」
「魔術師団で職務遂行中に決まっているだろうが……」
「そ、そうですか……。じゃ、じゃあ、え~と、あ、こ、この部屋のドレスって、全部、シュディエーラさんの手作りだったりするんでしょうか?」
「一応、そうですね。普通の女性用だけでなく、男性でも気軽に試せるサイズも用意してあるのですよ」
女性に見られる事が嫌で堪らないはずのシュディエーラさん……。
何故、わざわざ男性用まで用意してしまっているのか、……聞きたいけれど、怖くてちょっと。
気まずげに俯いてしまった私に、シュディエーラさんは紅茶を飲みながら一言。
「自分の仕事に、妥協はしたくないのですよ」
宰相の、じゃなくて、多分、ドレスを作る職人として、って意味かなぁ……。
切なげに、長い睫毛と共に薄く瞼を伏せながら語ってくれたシュディエーラさんのお話によると、自分が作ったドレスを着る事は絶対になく、大抵は……、クラウディオさんが犠牲、じゃなくて、試着係になっているのだとか。彼が一番適任なのだと。
(女性よりも適任なクラウディオさんって、一体……)
あぁ、クラウディオさんが今すぐに消えたいと言いたげに両手で顔を覆ってしまった。
ドレスのデザインも全て美貌の宰相様の自作。作るのもシュディエーラさん。
それを、誰かが来て幸せになってくれる事が、彼の幸せ。
そう語ってくれるシュディエーラさんはとても輝いていて、思わず見惚れかけてしまう。
けれど、その隣で怒りに全身を震わせて始めたクラウディオさんが、両手を外した瞬間に、案の定般若の形相になりながら怒鳴り始めた。
「陛下!! いい加減にシュディエーラ殿の横暴を止めてください!! 俺の仕事は女装係ではなく、魔術師団の業務なんですから!!」
「我は、シュディエーラの作る服や装飾品を好んでおる。問題はない。これからも力を、いや、体を貸してやれ」
「陛下ぁあああああああっ!!」
「く、クラウディオさんっ、お、落ち着いてください!! 血管切れますよ!!」
うがー!! と、荒れ狂う鬼神バージョンアップモードに入った犠牲者、じゃなくて、クラウディオさんを宥めていると、開け放たれている窓の方から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
この声は……。確認するまでもなく、やっぱり。
「嫌なら本気で逃げればいいのに、律儀に付き合ってあげるから重宝されるんじゃないかなー? ねぇ、クラウディオ」
「サージェスティン!?」
窓枠を軽々と乗り越えて入って来たのは、青い髪とアイスブルーの瞳が印象的な男性。
ガデルフォーン騎士団長、サージェスティンさんだ。
またややこしい人が合流してしまった……。クラウディオさんの血管が、大爆発を起こしてしまうかもしれない。クラウディオさんの隣へと座り、その肩を抱いた鬼が嗤う。
「シュディエーラに利用されまくるのも、ユキちゃんに女装姿を見られたのも、全部君が優柔不断なせいだよねー? 『クラウディア』ちゃん」
「クラウディア?」
言い間違えだろうか。でも、普通そういう間違いはしないような……。
クラウディア、って……、女性の名前、のはず。
それを耳元で囁かれた犠牲者のクラウディオさんが、顔をタコさんみたいに真っ赤なものへと変えると、室内であるにも関わらず、特大の炎術攻撃を繰り出し始めてしまった!
「サージェスぅうううううううううううう!!」
「クラウディオー、ここ、部屋の中だよー。行儀の悪い事しちゃ、めっ! だよー」
「やかましいわぁあああああ!! この毒塗れ悪魔がああああああああ!!」
あ~あぁ……。やっぱりこうなった。
他の人にはもう少し気遣いがあるのに、どうしてサージェスさんはクラウディオさんばかりにこうも意地悪なんだろう。毎回わざと怒らせるような事ばっかり言っている。
何でそんな事をするんですか、と、以前に聞いた事があるけれど……。
『さぁ? 俺もよくわかんないんだよねー。クラウディオを見てると、こう……、いじりたくなる何かがある、というか。ほら、あの子って毎回反応素直だし、からかうと面白いんだよー』
まさに、悪魔の所業。ルイヴェルさんとどこかよく似た愛情表現の一種、なのかもしれない。
放たれてくる術を見事に無効化しながら対処しているサージェスさんに、私は呆れの目を、ディアーネスさんは普段通りだと言いたげに、静かな表情でそれを眺めている。
でも、確かに嫌なら逃げればいいのに、どうして律儀に試着係を受け入れてしまっているのだろうか。シュディエーラさんが上司だから? 皇宮仕え=絶対命令的な事、なのかな。
「別に隠さなくてもいいと思うんだけどねー。似合うんだから良いじゃない? ユキちゃんも綺麗だって褒めてくれたんだし」
「うるさい!! うるさいうるさい!! 貴様に俺の何がわかる!!」
「お母さんに大切にされてきた幸せ者、かなー」
暢気にそう返事をクラウディオさんに返したサージェスさんだったけど、何だかその音には、どこか寂しさに似た気配があったような気がする。
クラウディオさんも、多分それを感じ取ったのだろう。
術を放つ手が止まり、彼は気持ちを持て余すように、ぷいっと横を向いてしまった。
「女のように育てられて、どこが幸せだというんだ……」
「わかってるくせに、わからないふりをしてる所が、本当お子様だよね、君は」
「もういい……。お前の掌の上で転がされるのはもう沢山だ」
意外。クラウディオさんが、自分から引き下がった。
諦めた、でも、怒っている、でもなく、……多分、感情の昂りが消えてしまったかのような。
再びソファーへと戻ると、クラウディオさんはすっかり冷めてしまった紅茶を一息に飲み干してしまった。
「何だ、小娘……」
「い、いえ、何でもありません」
その静かになったお疲れ気味の表情を窺っていた私は、慌てて両手を胸の前で振った。
多分、さっきのでわかったかもしれない。
クラウディオさんはきっと、幼い頃にお母さんから女の子のように着飾られて育ったのだろう。
立派な男の子に育つようにと、あえて女の子のように育てる家の話。
こちらの世界では意味合いが違うかもしれないけれど、クラウディオさんは多分、そういう環境で育ったのだろう。だから、ドレスもきちんと着こなせるし、お化粧もこなせる。
ただ、大人になってからだと、やっぱりそれをやるのは気恥ずかしいもので……。
男の人なら誰しもが、抵抗感と羞恥を持って当然の事。
特に、同性に知られた時よりも、異性に見られた時の方が、過剰に反応してしまうかもしれない。
私は席を立ち上がると、少し外の空気を吸ってくると告げて部屋を出る事にした。
クラウディオさんの中の恥ずかしさや複雑な思いが落ち着くまでは、私はいない方がいいだろう。
――そう思って出て来たのに。
「小娘の分際で、変な気を遣うんじゃない」
はい、中庭の方にまでやって来たというのに、偉そうな物言いのガデルフォーン魔術師団の魔術師様は、律儀にも私の後を追って来てしまいました、と。
何だか、この人をからかってしまうサージェスさんの気持ちがちょっとだけわかったかもしれない。ぞんざいな態度で偉そうなのに、変な所で律儀というか、優しいというか。
どこか脆い印象のあるこの人は、放っておけない何かで人を惹きつける要素があると思う。
「クラウディオさんが忘れろって言ったので、その努力をし始めてみようかと思いまして」
「嫌味か? 別にもういい……。お前のような小娘に見られたところで、俺の存在が減るわけでもないからな」
「でも、恥ずかしかったんですよね……?」
「ぐっ……。ふんっ、美しさの欠片もない小娘に目の保養をさせてやったと思えば、あのくらい」
よし、足を踏んで差し上げよう。ちょっとだけ本気でそう考えてしまう。
どう考えても私に気を遣ってくれている事はわかるけれど、余計な言葉がそれを台無しにしてしまっている。また遠い目になりかけた私にぎょっとしたクラウディオさんが、部屋に戻るぞと促してくれた。
「少し休んだら戻りますから、気にしないでください」
「陛下の客人であるお前を出て行かせたままでいられるか。さっさと行くぞ!」
薄っすらと顔を赤くしながらも、クラウディオさんは強引に私の手を掴んで歩き出してしまう。
本当にこの人は……、偉そうなのか、気遣い屋さんなのか、よくわからない人だ。
でも、やっぱり嫌いになれないのは、根は優しい人だと、知っているから、かな。
中庭から回廊に入り、元きた道を戻りかけたその時。
「クラウディア~!」
「え?」
「げっ!!」
薄水色と白の織り成す上品なドレスを着た……、二十代半ば程の女性が、右手を親しげに振りながら近づいてくる。……クラウディア~、クラウディア~と、連呼しながら。
私から手を離したクラウディオさんが、逃げ場を探すように視線を彷徨わせている。
「あの、クラウディオ、さん……?」
「な、なななななんでっ、母上がここにっ」
「母上?」
「ク~ラ~ウ~ディ~ア~! 差し入れを持って来たわよ~」
物凄く人の好さそうな顔をした女性だ。そして、彼女が一心に見つめているのは、逃げ場を見つけられずに震えているクラウディオさん……。
一応、あの部屋での会話から予想はしていたけど、やっぱり『クラウディア』、って……。
バスケットを左手下げた貴族風の女性が私達の許まで辿り着くと、その視線が興味深そうに私を見つめてきた。
「あの、クラウディオさんのお母さんですか?」
「はい~、クラウディオ・ファンゼルの母です~。初めまして、お嬢さん」
「初めまして、ユキと言います。え~と、……どうぞ、息子さんを」
その場に蹲り頭を抱えているクラウディオさんの前に立っていた私は、すっと横に避けた。
愛しい息子さんの前に、ドレスが汚れるのも構わずにしゃがみ込むお母さん。
「クラウディア~? どうしたの~?」
「な、何でも、ありませんっ。それよりも、何故皇宮にっ」
「美味しいマフィンが焼けたのよ~。だ・か・ら、クラウディアや皆さんに食べて貰おうと思って」
「そ、そういう余計な気遣いはいらないと、何度も言っているでしょうが!!」
優しい無邪気な笑顔でバスケットの中身を見せながら話すお母さんに、クラウディオさんの反応は……、まるで思春期に入り始めた照れ屋な中学生のようだった。
本当はお母さんの気遣いが嬉しいのに、素直になれない不器用な息子さん。
怒鳴られたお母さんが、うるっと目に涙を浮かべて落ち込み始めてしまう。
「で、でも、貴方の大好きなマフィンが上手く出来たから、食べさせてあげたくて……っ。うぅっ、ごめんなさいねっ、クラウディア~っ。空気の読めない母親で~っ」
「クラウディアさん、何自分のお母さんを泣かせてるんですか。謝ってください」
無意識に、母親泣かせの冷たい息子さんに向かう冷たい視線。
「う、うるさい!! この人はいつもこうなんだ!! 俺がやめてくれと頼んでも、息子に対する過保護さが抜けずに毎回毎回っ」
「で、でもっ、差し入れぐらいは」
過保護な親の愛情は良くないと思うけれど、クラウディオさんのお母さんは悲しそうに涙を零しながら両手で顔を覆ってしまっている。
せめて、差し入れのマフィンだけでも、受け取ってあげた方が……。
――と、説得の言葉を続けようとした直後、お母さんに対する愚痴を連呼していたクラウディオさんのお口に、むぎゅりと美味しそうなマフィンが捻じ込まれた。
「んぐううううううううううっ!!」
「なっ!! 何やってるんですか!?」
「ふふ、美味しい~? クラウディア~」
「ん~!! もごっ、もごっ、ぐぅううううっ!!」
あれ、今の今まで頬を伝っていたお母さんの涙はどこに!?
手作りのマフィンを笑顔で無理矢理に食べさせるその姿は、とてもシュール……。
クラウディオさんは涙目になりながらお母さんの愛情を何とか咀嚼し、喉の奥に流し込む。
「くっ……、はぁ、はぁ、し、死ぬかと思った!!」
「わ~い! クラウディアが全部食べてくれた~!! ママ、嬉しいわ~!!」
食べてくれたじゃなくて、捻じ込んだ結果なんじゃ……。
柔らかな物言いのお母さんを目の前にしながら頬を引き攣らせた私は、彼女の手からマフィンをひとつ頂く事になった。
得意げに微笑んだお母さんが用は済んだとばかりに立ち上がり、また手を振って去っていく。――高速で。
「す、凄いお母さん……、ですね」
「いつもあれだからな……。多忙な立場だというのに、必ず俺に構いにくる」
「多忙?」
「ファンゼル伯爵家の夫人であると共に、あの人は色々な商売に手を出しているんだ……。忙しさの度合いで言えば、俺以上だ」
だというのに、それでも通って来る……。クラウディオさんの声音には、なかなかに複雑な感情が入り混じっている。
ファンゼル伯爵家の領地には美しい宝石の採れる鉱山があり、腕の良い職人を筆頭に宝石産業に一役も二役も買っているらしい。そして、クラウディオさんもお母さんはその事業の要。つまり、伯爵夫人兼、女社長ポジション、と。
それでも、少しでもいいから息子さんに会いに来るなんて……。
「素敵なお母さんですね」
「さっきのを見てもまだ言うか!!」
いえ、見ましたけども……。まぁ、多少? は、強引というか、力技なお母さんだとは思ったけれど、それでも、息子さんの為にマフィンを焼いて差し入れをしてくれる、優しいお母さんだ。
でも、大して会話もせずに帰って行くというのは、何だか寂しい、というか……。
クラウディオさんの側に残されたバスケットの中には、大量のマフィンが残されている。
ひとつだけ食べさせて、満足、だったのかな。もう少しゆっくりと出来れば良かったのに。
「クラウディオさんが怒ったりするから、すぐに帰られたんじゃないですか?」
「ふんっ、いい加減に子離れをしろと言って何が悪い? 大体……」
俺に構っている暇があるなら、自分の身体を休めろ。
そう小さく呟いたクラウディオさんは、うん、やっぱり素直じゃないけど、優しい人だ。
バスケットを拾い上げて中を再度確認すると、耳の裏を赤くしながらクラウディオさんは試着用の部屋へと歩き出す。
その少し気恥ずかしそうな背中に微笑ましさを感じながら、後ろを振り返ってみた。
(あ……、ふふ、柱の蔭にまだクラウディオさんのお母さんがいる)
凄い勢いで走り去って行ったから、てっきりもう皇宮内にはいないと思っていたのに。
ひょこっと可愛らしい顔を柱から覗かせているクラウディオさんのお母さんの視線は、大切な息子さんに一直線だ。
「おい、小娘! さっさと戻るぞ!!」
「すみません!! ちょっと用事があるので、先に戻っていてください!!」
「用事? ふん……、陛下をお待たせするとは、無礼な奴だ。すぐに来いよ」
「はい!!」
訝しげな視線で見られたものの、とりあえずは先に行って貰える事に成功した。
私はクラウディオさんとは逆方向に走り出し、くるりと柱の蔭に飛び込んだ。
「クラウディオさんのお母さん、少し時間をおいたら、一緒に行きましょう」
「え? え? 行くって、どこに……っ」
私より年上のはずの伯爵夫人であるクラウディオさんのお母さん。
彼女は自分に改めて声をかけてきた私に小さく驚くと、少女のように見えるその面差しに困惑の気配を浮かべながら首を傾げた。可愛いなぁ……。
真っ白で小さな花が咲くように、素直で優しそうな感じのするクラウディオさんのお母さんの手を引いて、私は一緒に試着用の部屋に戻ろうと声をかけてみる。
すると、ブンブンッと困ったように首を振って、クラウディオさんのお母さんは悲しそうに瞼を伏せてしまう。
「息子に差し入れを渡せただけで、満足だから。私がまた顔を出したら、クラウディア……、クラウディオは、きっとまた怒っちゃう」
「大丈夫ですよ。あの部屋には宰相のシュディエーラさんや女帝のディアーネスさんもいますし、今度は追い返せないはずですから」
「シュディちゃんとディアちゃんも?」
親しげに表情を綻ばせた可愛らしいその姿に頷いてみせると、何やら小声で言い訳めいた呟きが聞こえ始めた。
「そう、そうよね~。クラウディオに会いに行くんじゃなくて、お友達とお茶をしに来たって言えば、私がいてもあの子は怒ったり、しないわよね? よね? うん、きっとそうっ」
息子さんとは正反対の、素直で可愛らしい面が際立つ人。
その姿にうんうんと同意しながら頷いた後、私とクラウディオさんのお母さんは一緒に部屋へと戻る事になった。
道の途中で、改めて教えて貰った彼女の名前は、ティアリーシュ・ファンゼルさん。
皇都に近い場所に領地を構えており、普段はファンゼル伯爵である旦那様と一緒に暮らしているのだそうだ。ちなみに、クラウディオさんはガデルフォーン皇宮の魔術師団寮に入っており、滅多に里帰りをしないとの事。
便りも時々しか寄越さない息子さんと距離を感じ、時間が空くとこうして様子を見に来るのだとか。
けれど、反応はいつも通り……。顔を合わせた途端に怒られてしまって、さっきの結果、と。
気恥ずかしいのは仕方ないけれど、もう少し、ティアリーシュさんの気持ちを汲み取ってあげてもいいんじゃないかなぁ……。
「昔はね、母上母上って、可愛いドレス姿で懐いてくれていたのよ~……。それなのに、表側の世界で嫌な思いをしたからって、その頃から反抗期みたいになっちゃって」
「表側の世界で、ですか?」
「そうなのよ~。まぁ、反抗期モードのあの子も可愛いんだけど、それ以来……、滅多に、滅多に……、うぅっ、一緒に遊んでくれなくなっちゃって、ね」
ティアリーシュさんのお話によると、エリュセードの表側で定期的に催されている、魔術師の皆さんが集まる会合の場にて、クラウディオさんを反抗期状態に変えてしまうような事態が起こったのだとか……。
幼馴染であり、ガデルフォーン魔術師団での同僚であるユリウスさんと、幼い頃に訪れたその場所で、クラウディオさんはある少年と出会った。
好奇心と、同じ年頃の少年を発見したクラウディオさんは、女の子の姿をしたその状態で、友達になろうと声をかけた、その時に。
「ユリちゃん、あぁ、クラウディオの親友のユリウスの話だと、最初は無視をされてしまった、とかで……。あの子は怒ってその子を追いかけたらしいのよ。で、ようやく相手をして貰えたと思ったら」
――『うるさい。女の恰好をした男に興味はない』
バッサリ、と、少年は愛らしい姿をしていたクラウディオさんを一刀両断してしまった、と。
無感情にも思える声音でそう一蹴され、幼かったクラウディオさんはすぐに反論に出た。
大好きなお母さん、ティアリーシュさんに着せて貰ったドレスや髪を馬鹿にするのか!?
そう怒鳴り声をあげ、周囲の大人達がざわつく程の大喧嘩へと雪崩れ込んだ。
そして……、大暴れをしながら叫ぶクラウディオさんを彼のお父さんが引き取り、一時的に騒動は収まったらしい。
けれど、魔術師の子供達の交流の場として用意された大会の場で、再び二人は顔を合わせ……。
「その子に、ね……。簡単にやられちゃって……、そこでまた嫌味みたいな事を幾つか言われたらしいの。そのせいで、家に帰って来た途端に、もう二度と女の子の恰好はしない! って……、うぅっ、クラウディア~っ」
出会い運の悪さに同情はするけれど、何故よりにもよって大勢の人達が集まる場所に、女装した我が子を送り出してしまったのか……。
ハンカチで涙を拭うティアリーシュさんの背中を撫でながら、若干、私は遠い目になってしまった。本心で言えば、その頃の可愛いクラウディアちゃん、こほんっ、じゃなくて、クラウディオさんを見てみたかった気もするけれど……。
とりあえず、その運命の日だけは普通に男の子の恰好で行かせるべきだったんじゃないかと、心から思う。
でも……、彼女が話してくれたその内容は、全体的にみると……、どこかで似たような話を耳にしたような気が。
疑問符を頭に浮かべながら回廊を右に曲がろうとしたその時。
――クラウディオさんの凄まじい怒鳴り声が鼓膜を突き破るかのように響いた。
「何故また貴様がここにいる!? この極悪冷酷非道魔術師がぁああああああああっ!!」
「用があるからだが? そんな当たり前の事も予想出来ないのか? 無駄に声のでかい騒音ヘタレ魔術師殿」
「きぃさぁ、まぁあああああああっ!! その口を閉じろ!! 激しく不愉快だ!!」
……あ、これだ。
回廊を曲がった先で、互いに向き合い、相変わらずの大喧嘩……、あくまで一方的なそれを繰り広げている二人を発見してしまった私は、頭の中の疑問符に答えを得る事が出来た。
ガデルフォーンの魔術師であるクラウディオさんと、私が住んでいるウォルヴァンシア王国の王宮医師兼、魔術師団長のルイヴェルさんの間に根深く居座っている因縁。
それは、幼い頃の、初めての出会いによって生じた大きな亀裂。
多分、ユリウスさんがティアリーシュさんに聞かせた当時の話は、この二人の出会いに関する詳しい説明だった可能性が高い。
主に……、人に平然と喧嘩を売ったり、意地悪を言ったりする、ドSな王宮医師様の子供時代だと考えれば、物凄く納得出来るから。
今もニヤリと薄く微笑し、クラウディオさんの素直な反応を観察しながら、その怒りを煽る為にポンポンと嫌味を。どうやら、今日はご機嫌が良いらしい。
というのも、ルイヴェルさんの場合……。あのクラウディオさんに対しては、気乗りがしなかったり、不機嫌になっていると、大抵は相手を無視したり、適当にあしらうのがいつもの事。
それなのに、……あんなに活き活きと愉しそうにしているところをみると、上機嫌の様子で皇宮を訪れたところ、クラウディオさんとバッタリ、と。
ご愁傷さまです、クラウディオさん。その調子だと、さらに玩具にされますよ……っ。
「ふふ、今日も仲良しさんね~」
「は?」
「さっき私が話した、クラウディオと喧嘩になった子。それが、あのルイヴェル君なのよ~。今じゃあんなに仲良くなって~、ふふ、良いものを見たわ~」
「えぇ……、そ、そう、見えるんですか?」
どう見ても、お宅の息子さんが掌の上でゴロゴロと転がされていますがっ!?
その上、息子さんが反抗期モードに入ったのは、間違いなく、あの王宮医師様のせいですよね!?
それなのに、何故、目の前の光景が『仲良し』に見えるのか……。
戸惑いながら言葉を重ねようとしていると、ティアリーシュさんの唇が、小さく優しい音を零した。
「感情を素直に見せられる相手は、仲良しさんよ」
少女めいた印象が、その一瞬だけ……、母親らしい大人の表情に変化したのを、私は言葉もなく目を瞬く事も出来ずに見ていた。
(どう見ても仲が悪いとしか思えないのに……、仲良し?)
ティアリーシュさんの零したその言葉の意味に困惑しながら、視線を前に戻す。
「勝負だ!! 今から鍛錬場に来い!! 貴様を冥界に叩き込んでやる!!」
「別に構わないが。そうだな、丁度完成したばかりの攻撃用の大魔術をぶつける相手にしてやろう。歓喜してあの世に雪崩れ込め」
「そう簡単に喰らってやるとは思うなよ!! 冥界に落ちるのは貴様の方だ!!」
本気で怒り大爆発のクラウディオさんと、小馬鹿にしている事が丸わかりのルイヴェルさん。
ガルルっ!! と、敵意を剥き出しにしたクラウディオさんが駆け出すのと同時に、余裕を崩さないウォルヴァンシアの王宮医師様も、あくまで走る気はないと言わんばかりに、早足でそれに続く。
……私とティアリーシュさんの存在は、最後まで気付かれなかった。
「凄い……、全速力で走ってるのに、早足のルイヴェルさん、全然負けてないっ」
「ふふ、クラウディオったら、楽しそう~」
「まぁ、確かに……、活き活き、とは、してます、ね」
二人の姿が見えなくなると、皇宮内のどこかで爆発音らしき破壊の衝撃が起こり、クラウディオさんの怒声のようなものが聞こえてきた。
(私には、どう見ても仲が悪いとしか思えないけど……)
クラウディオさんのお母さんがあまりにも楽しそうに微笑むから、私のその隣で、思わず空を見上げながら表情を和ませてしまう。
会えば口喧嘩ばかりの二人だけど、本当は嫌い合ってないのかな?
クラウディオさんはともかく、ルイヴェルさんの場合は……、本当に嫌悪しているのなら、確かに存在ごと無視して、何を言われても相手にしない、か。
仲良しさんには程遠く見えるけれど、もしかしたら、遥か遠い未来で、二人は本当の仲良しさんになれるのかもしれないな。
そんな事を思いながら、賑やかな午後を過ごした私だったけど……。
ウォルヴァンシアに戻ってからルイヴェルさんにティアリーシュさんとお話した事を口にしてみると、――思いっきり強く頬を引っ張られた上、気が済むまで意地悪をされました。(涙)