おいでませ!!エリュセード旅館①
皆で和の雰囲気が漂う国の温泉街に旅行に来ました。
ある日、レイフィード叔父さんの提案で、北東にある国に旅行に行く事になりました。
馬車で行くのは時間がかかるので、王宮医師のお二人の力を借りて転移術でパパッと大移動。
向かう途中の景色を楽しむ時間とか、まだ見ぬ旅行先に関する談笑とか、
そういうもの、全部丸無視であっという間に到着してしまったのです……。
着いた先は、異世界に馴染んでいた私には思ってもみなかった場所でした。
西洋的な雰囲気が主流のエリュセードにおいて、私の視界に映っている建物や人々の服装はなんだか懐かしく感じるもので……。
日本の旅館を思わせる建築物や、宿の浴衣に身を包んで町を歩く人々……。
土産物屋と思われる店の前では、お店の人が声高に客寄せを行っているし、
あっちで売っているのは、多分温泉卵。 色は桃色とか黄色とかカラフルだけど……。
それに、どこかに温泉が湧いているのか、もくもくと湯煙があちこちから立ち昇っている。
全体的に……『和』で構成されている町のようだ。
「宿は予約済みだからね~!!
迷子にならないように付いてくるんだよ~!!」
何故か中くらいの旗を持ったレイフィード叔父さんが、引率係の如く私達を誘導している。
ぞろぞろと皆で連れ立って町の奥へと向かうと、一番大きな豪華仕様の旅館が現れた。
屋根の部分に……金色の鯱が付けられている。
クワッと大口を開けた迫力ある鯱だ……。
それを見上げていると、カインさんが横から覗き込んできて、訝しげな顔をされてしまった。
「何見てんだよ?」
「えっと……あの屋根にくっついてる……鯱を」
「シャチホコ? なんだ、それ」
そうだった。異世界の人には鯱なんて言っても見当もつかないよね。
私は「あの金色のお魚のことです」と言い直した。
すると、カインさんもそれを見上げ、……ぽかんと口を呆けるように開けてしまう。
多分、初めて見るんじゃないかなぁ。
「魚の置物とかならわかるが、……あれ、なんだ?
派手派手しいっつーか、すげぇ顔した魚だな」
「旅館の人の……趣味、なんですかね?」
「だとしたら……、ぜってぇ会いたくねぇな……」
二人で鯱についての感想を言い合った後、私達は暖簾をくぐって中へと入った。
出迎えてくれたのは、愛想の良い着物姿の女性二人。
仲居さん的な立場の人達なんだろうな。私達の荷物を受け取って階段へと案内してくれた。
「お客さん方のお部屋は奥になりますえ~」
「美味しい夕飯用意しときますさかい、楽しみにしといてください」
「ありがとうございます」
階段を上り終えると、すでに他の皆は奥の部屋に入ったらしく、
私達もその部屋へと案内されていく。
案の定、外の景観とブレる事なく、用意されている部屋は全て和室仕様だった。
襖で隔たれた部屋の前のとおりを歩いて行くと、
ふと、とある一室の前で「陛下、次はマッサージをお願いいたしますわね」という、
品の良い女性の声が聞こえた。
どこかの王族の人でも来ているのだろか……。
半分だけ開いている襖の向こうに視線を向けてみると、……凄い物を見てしまった。
「うわっ!! ユキ、お前、何急に立ち止まって……、どうした?」
とある一室の前で立ち止まった私の背中にぶつかったカインさんが、
私の視線の先を追って、その部屋の中に意識を向けた。
――……。
『その光景』を見て、カインさんも私と同じように動きを止めて固まってしまう。
お互いに……、これは夢か何かだろうかと、遠い目をして中の光景を直視している。
「陛下、次はこちらですわ。ちゃんと揉み解してくださいね」
「わ、わかった……」
「陛下、ミシェナ様のマッサージが終わられましたら、
今度は私達の方をお願いいたしますわね」
「……わかった」
浴衣を着た金色の髪の美女に献身的にマッサージ活動を行っている漆黒の長い髪の男性……。
顔だけ見れば、女性を虜にするかのような妖しい色香と美貌を纏っているというのに、
やっている事が……、マッサージ。
しかも、順番待ちらしく、奥の窓辺では、美女二人組が座って寛いでいる。
さらに、その手前の漆塗りのテーブル(足短)には、
容姿端麗な美青年二人が並んで座っており、美味しそうな料理を静かに食べ続けていた。
「カインさん……、あれって」
――バシン!
カインさんが、まるで現実逃避に入ったかのように襖を閉めた!!
私の右手を掴んで、ドシドシと足音荒く奥の部屋へと進んでいく。
「か、カインさんっ、今のって、――イリューヴェル皇帝さんですよね!?」
「ユキ……」
くるりと振り返ったカインさんは、それはそれは爽やかな笑顔でこう言いました。
「人違いだ」
駄目だ。完全に現実逃避している……。
綺麗な女性達に、あきらかに使われていたとしか思えないイリューヴェル皇帝さん。
多分、見た目の年齢からして、イリューヴェル皇帝さんの奥さんと、側室のお二人だと思う。
となると、手前の方でお料理を黙々と食べていたのは……、カインさんのお兄さん達?
「せ、せっかく同じ場所で会えたんですから、
少し顔を見せてくるとか……っ」
「あの微妙な空気の中に割って入って行けってか?
冗談じゃねぇぞ、迂闊に顔出したら、……絶対巻き込まれるっ」
あぁ、それは確かに可能性がありそうな予感も……。
でも、会って行かないのは勿体ないと思うんだけどな。
だって、カインさんはずっとウォルヴァンシアで暮らしているわけだから、
ご家族とだって疎遠になっているわけで……。
出来れば、元気な顔を見せた方が、皆さん喜ぶんじゃないかな。
「陛下、お茶のお代りを貰って来てくださいな」
「わかった……」
――スッ……。
カインさんが閉めた襖が、再び静かに横に開いた。
浴衣を纏った三十代前半ほどの圧倒的な美を誇る男性が、背中の向こうで襖を閉めて疲労の滲んだ息を吐きだす。
そして、その真紅の瞳が私達の存在に気付いたかのようにこちらに向いた。
徐々に大きく見開かれていく瞳……。
床を蹴り、こちらへと凄い勢いで駆け寄って来るイリューヴェル皇帝さん。
「カイン!! お前もここに来ていたのか!!
なんという親子の縁!! まさかと思うが、ユキさんと二人きりの旅行なのか!?
レイフィードが許したのか!?」
「うげっ、く、苦しっ、は、離しやがれ!! クソ親父!!」
意外な所で久しぶりに息子に会えた感激故か、
イリューヴェル皇帝さんはカインさんを窒息させるんじゃないかというぐらいに抱き締めている。
しかも、一部多大な誤解をされているような……。
――ゴン!!
「ぐっ……!!」
私の背後から飛んできた湯呑が、イリューヴェル皇帝さんの顔面にクリティカルヒットした。
後ろを振り向くと、黒い笑みを浮かべたレイフィード叔父さんの姿が……。
ドスドスと床を歩いてイリューヴェル皇帝さんの浴衣の襟元を掴むと、
「グラヴァード、今、すごぉ~く聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど?
僕がカインとユキちゃんを、二人きりで旅行になんて行かせるわけがないよね?
まだ自分の息子の嫁にしようとか、妄想してるのかい?」
「れ、レイフィードっ、ぎぶっ、ぎぶぅっ」
「レイフィード叔父さんっ、イリューヴェル皇帝さんが死んじゃいますって!!」
「いっそ沈めてくれて構わねぇけどな」
「カインさんっ」
解放されたカインさんが、これ以上は付き合っていられないとばかりに、
再び私の手を掴んで、今度こそ奥の部屋へと足を踏み入れた。
多人数が泊まっても余裕のある広々とした和室には、懐かしい畳の匂いが香っている。
「遅かったな~、姫ちゃん達」
「ユキ姫様、こちらへどうぞ。今お茶をお淹れしますので」
畳の上で胡坐を掻いていたルディーさんが、湯呑に入ったお茶を飲みながら、片手を振ってくれている。
その横では、アレクさんとロゼリアさんが座っており、おしぼりで手を拭いているところのようだった。
「すみません、遅くなってしまって」
「何かあったのかと、探しに行こうと思っていたところだった」
おしぼりを手渡してくれたアレクさんに、私は「ご心配おかけしました」と笑みを向ける。
入り口の所で鯱に気をとられて、その次はまさかのイリューヴェル皇帝さん一家に遭遇。
序盤からインパクトがありすぎたというか……。カインさんの方は着いたばかりだというのに、気疲れをしている様子だ。
「大丈夫ですか、カインさん」
「ユキ、そいつは放っておいても平気だ。
それより、茶菓子もあるようだ、食べるといい」
「あ、アレクさん……」
丸い器の中に入っていた、これまた日本の和菓子を思わせる茶菓子を手に取って、
アレクさんが私に差し出してくれる。
これは……、透明な袋に入った……ミニ羊羹、かな?
湯呑に入っているのも緑茶だし、うん、完全に和の仕様だ。
袋をピリリと破って中身を口に含むと、懐かしい羊羹の味そのものが舌の上に広がった。
これ、抹茶だよね? 美味しい……。
「ウォルヴァンシアでは見かけない菓子だな。
だが、個人的に好きな味だ」
アレクさんもぱくっとミニ羊羹を頬張って表情に笑みの形を作っている。
すると、気疲れしていたカインさんもお茶菓子に手を伸ばして、ひとつ……ぱくり。
「……おい、これ……、なんか酸っぱいっつーか……」
「あ、カインさん。それ、きっと梅味ですよ」
「梅? なんだそれ……」
カインさんが口の中にミニ羊羹を放り込む時に見えた色、ピンクだったから。
酸っぱいとなると、梅味の可能性が高いだろう。
だけど、梅を知らないカインさんは、口の中をもごもごさせながら不満そうだ。
「ん……。俺、もういいわ。隅の方で寝とくから、飯になったら起こしてくれ」
「おいおい皇子さん、旅行に来てまで寝るのかよ~。
ちょっと勿体ないんじゃね~か?」
「疲れてんだよ……、はぁ、……何でこんなとこで親父達に会っちまうかなぁ」
よろりと立ち上がったカインさんは、奥にある窓辺の近くに向かい、畳の上に寝そべって本当に眠り始めてしまった。
私は辺りを見回して、押し入れがある場所を視界に入れると、そこへと歩いて行く。
多分、この中に……。
――ガラッ……。
予想通り、押し入れの中には大量の毛布や布団が収納されていた。
そこから一枚毛布を取り出して、私は窓辺近くの畳の上で寝ているカインさんの許に向かう。
――ふぁさっ……。
「……ん?」
「毛布ぐらい、ちゃんと掛けてから寝てください」
「……サンキュ」
まだ眠りのレベルが浅かったのか、カインさんが毛布の感触に気付き私を見上げていた。
カインさんはどこででも寝てしまうけれど、やっぱり風邪を引かないように毛布ぐらい掛けないとね。
肩まで毛布を掛けて、私はアレクさん達の許に戻った。
「姫ちゃんは優しいな~!
アレク~、今の見て、絶対焼いたろ~」
「……」
「正確には、ユキ姫様とカイン皇子が一緒にこの部屋に入られた時からのような気もしますが」
「ルディー、ロゼ……」
私が三人の所に戻ってみると、ルディーさんに何かからかわれているらしいアレクさんの姿があった。
「どうしたんですか?」
「いや、何でもない。ユキは気にしなくていいんだ」
「姫ちゃんが皇子さんに優しいから、アレクの奴が不満なんだってさ」
「え……」
「ルディー……、余計な事を言うな」
仄かに赤く染まったアレクさんの頬に、私はぱちくりと目を瞬いた。
不満って……、えーと……。
私は窓辺の方を一度見遣った。
「カインさんじゃなくても、あそこで寝ているのがアレクさんだったとしても、
私は毛布を届けに行きましたよ?」
「……」
「この場合、どうフォローしてやりゃいいんだろうなぁ、ロゼ」
「ユキ姫様は、天然なところがありますからね」
自分としては当たり前の事を言ったはずだったのに、一瞬複雑そうな顔をしたアレクさんが、
ふっと小さく笑って、私の頭を撫で始めた。
「ユキには敵わないな……」と苦笑交じりに呟かれたのだけど、どうして?
「さ~てと、皆~!!
最初に温泉に入って、美味しいご飯はその後にしようね~!!」
いつの間にか戻って来ていたレイフィード叔父さんが、浴衣を持って移動するように指示を飛ばしている。
私達とは反対の方にいたセレスフィーナさんとルイヴェルさん、
それから、レイル君と三つ子ちゃん、お父さんやお母さんも立ち上がり移動を始めていく。
カインさんは寝てしまっているのだけど……、このままここに置いて行っていいのかな。
「カインさん、温泉どうしますか?」
「……後で一人で行く」
片手を上げてひらひらと振ってきたカインさんを見届けて、私はアレクさん達と共に和室を後にする事になった。
和室を出た先にある廊下では……、部屋に戻ったらしいイリューヴェル皇帝さんが、
奥さん達に色々な用事を投げられては返事をしている声が聞こえてくる。
「イリューヴェル皇帝さん……、大変そうですね」
「ユキちゃんは気にしなくていいんだよ~。
どうせ長年家族サービスして来なかったんだから、自業自得なんだよ。
さ、僕達は温泉温泉~っと」
私の肩を抱いて、温泉へと向かうレイフィード叔父さんの足取りはとても軽い。
昔の学友であるイリューヴェル皇帝さんが奥さん達に使われていようと、助ける気は……ないんですね。
イリューヴェル皇帝さん達の部屋を素通りして、鼻歌交じりに階段を下りて行くレイフィード叔父さん。
「(早く解放されるといいですね、イリューヴェル皇帝さん)」
温泉に来たというのに、あんなに用事を言い付けられて駆け回っているようでは、
ゆっくり休める時間もないだろう。
どうか少しでもイリューヴェル皇帝さんに休息を……。
私はこっそりと、エリュセードの神様達に祈りを捧げておいた。
さて、幸希達が次に出会うのは……?