74. ボクがキミを好きになったワケ
WIZM企画・旧事務所。狭い事務所に帰るなり、僕……木田俊二は深いため息をついた。またやってしまった……。
「俊二。おまえ、またやらかしたんだって?」
会社に帰るなり、企画部長の彰良さんがそう言った。
「すみません……」
「災難なのは鷹緒だろ。おまえ、このままじゃヤバイぞ」
クビを連想して、僕は泣きそうになった。
助手だというのに、鷹緒さんの仕事道具を忘れたのはこれで二度目だ。出かける前、リスト表まで作って中身を何度も確認したのに、そのバッグごと忘れてしまうなんて……僕はもう終わりだ。
入口付近のベンチに座り、これ以上ないまでに落とす僕の肩が、急にポンと叩かれた。
「私が届けて間に合ったんだもん。それ以上、気にしないの」
そう言ったのは牧ちゃんだ。事務仕事全般を担っている、年上のしっかり者。もちろんまだ恋愛感情なんていうものもなくて、事務所に入ったばかりの僕にも優しくしてくれるけど、完璧なまでにこなす彼女を見ていると自分が情けなくて、もはや少し苦手なタイプでもある。
「そうだ。牧さんにもご迷惑かけて……すみません!」
そう言った僕の肩を更に叩くと、牧ちゃんは更に僕の肩を叩いて、今度は軽く揉んでくれた。
「もっと肩の力抜いて。力んでるから回りが見えなくなっちゃうのよ」
「は、はい……」
「中身は完璧に用意されてたけど、それで安心しちゃったのね……二度あることは三度あるにならないように、次回からはしっかり気をつけること。ごめんね、私も早く気付いてあげられればよかったんだけど……」
逆に謝られてしまい、僕はくるりと振り向くと、受付の椅子に牧ちゃんを座らせて、今度は僕が肩を揉んだ。
「ありがとうございます。今度は僕の番です」
そうしていると鷹緒さんが帰ってきた。咥え煙草をしながら、受付カウンターに郵便物を置く。
「ただいま……なに俺の助手を肩揉みに使ってんだよ、牧。ポストに郵便物来てたぞ」
ニヤリと笑いながら、鷹緒さんはその場で自分宛の郵便物の封を切っている。
「おかえりなさい。ありがとうございます……肩揉みは自主的にですよ。ね? 俊二君」
「はい。迷惑をかけてしまったんで……」
牧ちゃんに続いて僕が言っている間に、鷹緒さんは受付の脇にあるミニキッチンスペースから灰皿を取ってくると、煙草をねじ消して新しい煙草に火を点けた。この人は本当にチェーンスモーカーだ。
「じゃあ俺の肩もあとで揉めよ、俊二」
「はい、もちろんです。あの……今日は本当にすみませんでした!」
もう一度、僕は深々と頭を下げた。今日は近場だったから良かったものの、あのまま牧ちゃんが届けてくれなければ、今日の仕事は確実に押していた。
鷹緒さんは大きく煙草を吸うと、それを消して封筒の束を揃える。
「……確かにこういうこと、これ以上あっちゃ困る。肝に銘じといて」
「はい……」
「でも俺、おまえも事務所のやつらも信用してるから。今日は間に合うってわかってたよ。近場だったしな……これ以上やらかさなければ、お咎めなし」
「は、はい!」
たぶん泣きそうな顔をしていた僕の頭を、鷹緒さんがくしゃりと撫でてくれた。僕はそれで子供のように嬉しくなった。
「牧も悪かったな」
「今日は彰良さんもいたんで、事務所空けられましたけど。次は高くつきますよ」
「わかった。彰良さんにもお礼言って来ようっと」
そう言って、鷹緒さんは奥のスペースへと消えていく。
「ほら、俊二君もしゃきっとして。もう仕事終わりなら帰りなさいな」
牧ちゃんの言葉を受けながらも、僕はその場から動けなくなっている。
「あの……今日、時間ありますか? 奢らせてください」
やっと出た言葉に、牧ちゃんは驚きながらも首を振った。
「気にしないでって言ったでしょ?」
「で、でも、それじゃあ僕の気が収まらないっていうか、その……一緒にごはん食べたいだけなんですけど……駄目ですか?」
それは僕の本音だったけれど、だからこそ僕は自分で何を言っているのかわからなくなっていた。
くすりと笑われて「はい」とだけ返事をもらい、僕はその夜、牧ちゃんとの初デートに成功する。罪滅ぼしの念が強かったけど、一度サシで飲みたかったのもまた事実だ。
「す、すみません。こんな居酒屋で……」
仕事終わり、よくよく見てみたら空っ穴な財布を見て、牧ちゃんを誘ってはみたものの、僕は安い居酒屋に連れて行くことしか出来なかった。
「だから気にしないでって言ったのに……私だって給料日前で辛い時期だもん」
「……なんか全部が全部、情けない」
更に落ち込んでしまう僕の背中を、思いっきり牧ちゃんが叩いた。それは大きな音がするほどきつかった。
「いって……!」
「しょげないの。安いお酒が更にまずくなるわ」
「す、すみません……」
「それ。すみませんが口癖になっちゃうわよ。仕事で見返しなさいよ」
強く出てきた牧ちゃんに対抗するために、僕はチューハイを一気飲みした。
「はい! 頑張ります!」
そんな僕を見て、牧ちゃんはふっと笑う。
「まだ働き始めて間もないんだもん。そりゃあ失敗だってするし、緊張も落ち込みもあるよ。私も昔はヘマばっかりしてたもん」
「牧さんが……?」
「うん。いまもチョイチョイ忘れちゃうこともあるよ。何処にファックスしといて、手紙出しといてって……みんな言うだけ言って押しつけてくるんだもん」
グチでもあったけど、そう言った牧ちゃんの横顔はなんだか晴れ晴れしているように見えた。
「そうですよね……牧さんの仕事は大変だと思います」
「仕事の大変さなんて、みんな一緒だよ。でも昔は言われたことをこなすだけが精一杯……ううん、それすら出来なかった。でもそんなの悔しいじゃない? なんで私はこんなに出来ないのか、辛いのか……そう考えてたら、もっとこうすればいいんだって思うようになったの」
「え……?」
「たとえば、すぐにメモを取れるように筆記用具は常に持ち歩くようになったし、社員のみんなにも協力してもらえるようなことは言ってみるようになったし、それが採用されると嬉しいし、そうしてくれる事務所のみんなが好き。だから俊二君にも働きやすくしてあげたい。最初から完璧な人はいないんだし、一人前になるまでは、私も極力サポートするよ」
初めて牧ちゃんを好きかもしれない……と思ったのは、たぶんこの時。この人はこの事務所が好きで、そう出来る社長や社員の行いも好きで……そう考えると、僕もこの事務所が好きだということに気付かされ、更には僕が頑張れば牧ちゃんが好きになってもらえるかもしれない。そんな望みさえ生まれた。
「僕もこの会社が好きです」
「私も」
そこで初めて打ち解けたように、僕も肩の力が抜けた。同じ会社に勤める良い先輩であり仲間だと思った。
「僕……これからもいっぱいヘマすると思います。でもしないように気をつけます。だから牧さんも、これからも僕のことよろしくお願いします!」
「ふふっ。下手な売り込み」
「あ……」
「頑張って。そして早く一人前のカメラマンになってね」
「はい!」
その夜の飲み代は結局割り勘にさせてしまったけれど、いつか格好良い男になって安心させてあげたい、そう思った新人の夜――。