68-2. 祖父母の家 (後編)
二階にある部屋は物置と化しているが、勉強机の上には沙織が載っている雑誌が並べられており、脇に置かれた封のされていない段ボールにも、沙織の出た雑誌などが詰められているようだ。
「どれだろう……」
パッと見て並べられている雑誌は沙織の物ばかりのため、ダンボールの箱を覗きながら、沙織が言う。
「こっちよ」
そこへ祖母がやってきて、棚の奥にしまわれた古い雑誌を取り出した。
「ありがとう。わあ、鷹緒さんだ!」
以前、鷹緒の部屋で見たものとはまた違い、表紙を飾る鷹緒の姿がある。鷹緒に言ったら嫌がるとは思うが、沙織は嬉しさでいっぱいになってそれを受け取った。
「あの子に隠れて集めるの大変だったのよ。毎号、三崎さんのところにもらいに行っていたんだから」
苦労話に苦笑しながら祖母が言ったので、それもまた新鮮な話に、沙織は聞き入る。
「へえ。そうなんだ……」
「昔の鷹緒が気になったりするの?」
祖母の言葉に、沙織は考えるように俯いた。
「うーん。そうだね。いっぱい知りたいと思ってるよ。だからおばあちゃんが知ってる鷹緒さんとの思い出話とかも聞きたいな」
「そうねえ。思い出はたくさんあるけれど、あの子が本当に何を考えているのかまでは、今も当時もわからなかったから……だから会話はしてても、今もどこか冷めてる気がしてしまってね」
まるで祖母からの相談のような話に、沙織は目を泳がせる。
「なんとなくわかるな……」
「まあ、あの子はあまのじゃくだから、私もあまり気にはしないようにしてるんだけれどね……そうだ。面白い物あるわよ。こんなのも見る?」
祖母は言いながら、棚の中に入った菓子の箱を取り出す。祖母のセンスなのか、箱には着物の端切れなどが貼られ、鷹緒の名前が手書きで書かれている。そして中から“諸星鷹緒”と書かれた高校の成績表やらテストの答案用紙やらが出てきた。
「わあ。すごい、すごい!」
案の定、嬉しそうに飛び上がる沙織に、祖母は微笑む。
「聞いたら怒るだろうから、言わないほうがいいかもしれないけどね」
「これ、高校の時のテスト全部?」
「ほとんどあると思うわよ。言わないとやる気出さないから、点数は可もなく不可もなくですけどね」
テストの点数は、確かに六十から八十点代が多いが、中には百点が続いているものもある。
きちんとした性格の祖母は、その答案用紙を順番に並べてファイルに入れていたため、点数の変動は一目瞭然だった。
「見て。一年の一学期はそれなりに頑張って、二学期以降はそれなりに手を抜いて……っていうのがわかるでしょう?」
くすりと笑う祖母は、成績表を指さして言う。
「じゃあ、この百点の束は?」
「それは鷹緒の父親が何か言った時かしら。時々、発破かけに連絡よこしたから……まったく、あの子もこれ見よがしでしょう? 満点取れるならいつも取ってくれればいいのにねえ」
「へえ。鷹緒さんって、やっぱり頭良かったんだ……」
「反撃の手段がこういう目に見える形というのは、昔から多かったんじゃないかしら。中学時代は出席日数が足りなかったみたいだけど、点数でねじ伏せた感じですからね」
「そうなんだ……あ、写真はないの?」
ここならば写真もあると思い言ってみた沙織だったが、祖母は苦笑する。
「ほとんどないと思うわよ。写真なんて撮る暇もなかったから。鷹緒が生まれた頃とかならあると思うけど」
「へえ。そっか……」
「……うまくいってる?」
ようやく切り出した様子の祖母の言葉にも、沙織は少し驚いて祖母の顔を見つめた。
「う、うん……」
「そう。うまくいってるならいいのよ」
「おばあちゃん……やっぱり反対してる?」
「二人が決めたことなら、もともと反対なんてしてないわよ。でも鷹緒はもう十分大人だけど、変に真面目で不器用なところがあるから……果たして沙織ちゃんとうまくいくのかっていう不安はあるわね。前の結婚だって、結局うまくいかなかったんだし……」
「それは理恵さんが……」
そう言いかけて、沙織はやめた。
「そう。沙織ちゃんも、理恵さんとお付き合いがあるのね」
「うん。モデルの先輩だし、事務所の副社長だし……そっか、おばあちゃんも理恵さんと面識が……」
「鷹緒のことは今でもわからないことだらけだけれど、あの頃は早く大人になりたがってたから……だから卒業してすぐに結婚したんじゃないのかしらって思う時があるわ。だから沙織ちゃんと結婚するって言い出した時も、何か裏があるのかって勘ぐってしまって……」
まったくそんなことを考えていなかった沙織は、驚いて目を見開く。
「裏って……」
「ううん。ただの独り言よ。さっきも言った通り、鷹緒はもう大人だし、一度挫折を味わってるし……でも結婚という形じゃなくて、もっと長くお付き合いしてから考えても良いと思ってるわ。恋愛結婚ってそういうものでしょう?」
祖母の心配が伝わってきて、沙織は少し俯き加減に口を開いた。
「……うん。でも鷹緒さん、ちゃんと考えてくれてると思うよ。私ももっとたくさん鷹緒さんのこと知って、それでも一緒にいたいってお互いが思えるようになったらでいいと思ってるの。だからおばあちゃんも安心してほしいな」
「ええ。ありがとう……」
沙織はそのまま祖母と鷹緒の話だけでなく、いろいろな思い出話をしていた。
その夜。仕事を終えた沙織が携帯電話を見ると、鷹緒からのメールがあった。
“こっちは仕事終わった。事務所にいるから、そっちも終わったら連絡して”
そんな内容に、沙織は温かな気持ちで鷹緒に電話をかける。しかし連絡が取れなかったので、沙織は事務所へと向かっていった。
鷹緒は社内中央にある打ち合わせスペースに座り、書類を並べていた。
そこに、理恵が事務所に帰ってきた。それを見て、鷹緒は並べた書類を軽く片付ける。普段はモデル部が主に使うスペースなので、いざとなれば退こうと思ったのだ。
「おかえり。ここ使う?」
「ううん。もう私も帰るし」
「そう……あ、おまえ、いつの間に伯母さんと手紙のやり取りしてたの?」
それを聞いて、理恵は苦笑する。
「いつの間にって……結婚前からだけど」
「そんな前?」
「だって伯母さん、いつも鷹緒のこと心配してたんだもん。私も両親とうまくいってなかったから、鷹緒の伯母さんのことはこっちのお母さんみたいな感じにもなってたし……そっか、鷹緒は知らなかったよね」
「なんか俺、馬鹿みたいなんだけど」
口を曲げる鷹緒が可愛らしく思えて、理恵は笑った。
「いいじゃない。別に結婚という結びつきだけじゃないってことよ。私も離婚後は控えようと思ったし、前より機会もなくなってるけど、あちらから鷹緒はどうしてるかなんて手紙もらうこともあるし、ついつい伯母さんが好きそうな小物とか見つけると、あげたくなっちゃって……」
そんな理恵の言葉に、鷹緒はネクタイを緩める。
「あっそ……まあいいよ。伯母さんからも、おまえに礼言っといてってさ。饅頭もおまえからだろって気付いてたし。あの人には本当に敵わない」
「そうなんだ? 前に渡したことあるからかな……気にしないでって言っておいて」
その時、出入口から沙織が顔を覗かせて、鷹緒は手を上げた。
「おう」
「おかえりなさい、沙織ちゃん。じゃあ私はこれで」
理恵は後ろ手に手を振って、社長室へと入っていった。そんな二人の姿は相変わらず絵になってしまうと思いながらも、沙織はポジティブにいこうと鷹緒に近付く。
「鷹緒さん……電話したのに」
「え、嘘?」
そう言われて、鷹緒は胸元の携帯電話を見つめる。電源が落ちているようだ。
「おかしいな……もうバッテリー切れか。スマホにしてから本当多い」
「もういいよ。帰れる?」
「ああ。資料読んでただけだから」
言いながら書類を片付けて、鷹緒はコートを羽織り、沙織に振り返る。
「行こうか」
「うん」
「お先に失礼しまーす」
社内全体に聞こえるようにそう言って、鷹緒は沙織とともに事務所を出ていった。
「伯母さんと何話した?」
そう切り出した鷹緒に、沙織は嬉しそうに笑う。
「いろいろ!」
「あっそ……」
半ば諦めているのか、鷹緒は溜息交じりにそう言って辺りを見回す。
「何食おうか?」
「あ、じゃあ、うちでお鍋にしない? さっきおばあちゃんに、お野菜いっぱいもらっちゃったんだ」
「いいけど……田舎暮らしじゃあるまいし、あげる野菜なんてあるんだ?」
「最近、野菜が高騰してるから、沙織ちゃんも持って行きなさいなんて言ってくれて」
「甘やかされてんなあ。お年玉もらったんじゃねえの?」
「渡されそうにはなったけど、断ったよ」
「ったく、孫に甘いんだから……」
二人はそのまま歩き出すと、スーパーで足りない食材を買いつつ、沙織のマンションへと向かっていった。
「鷹緒さん来るってわかってたら、ちょっとは綺麗にしてたんだけどなあ」
そう言ってキッチンに向かう沙織を尻目に、鷹緒は予備バッテリーに繋いだ携帯電話を見つめた。仕事のメールがいくつか入っているが、急ぎのものはないらしい。鷹緒は狭いキッチンで野菜を切り出した沙織の後姿を見つめながら、こたつに頬杖をついた。
「なんか……手伝おうか?」
手持無沙汰で鷹緒が言ったので、沙織はくすりと笑う。
「本当に? やってくれるの?」
「やっぱやめた」
「なによ。やってよ」
沙織はそう言って、大根とおろし器をこたつに持って行く。
「すればいいの?」
「うん」
「これなら俺にも出来そうだな」
素直に言うことを聞く鷹緒が可愛く思えて、沙織は思わず鷹緒の髪を撫でた。そんな沙織に、鷹緒は口を曲げた。
「てめえ……なにすんだよ」
まるで子供のように反論する鷹緒がまた可愛くて、沙織はにんまりと笑ってキッチンへと逃げていった。
「えへへ……だって鷹緒さん、素直で可愛いんだもん」
「子供が子供扱いすんじゃねえ」
「ああ。そんなこと言う人には、ごはん作ってあげないよ」
「……すみません」
そんなやり取りが心地よくて、沙織は温めた鍋をこたつに持って行く。
「電気鍋でも買えばよかったな……」
愚痴を零しながら、沙織は煮え立った鍋の脇に小鉢を並べる。
「鍋だ……」
相変わらず簡単な料理でも感動しているような鷹緒に、沙織は呆れるようにして大根おろしを受け取った。
「どっからどう見ても鍋ですよ。手伝ってくれてありがとう。さ、食べよ」
「おう。いただきます」
「いただきます」
やがて食べ始めた二人は、鍋をつつきながらテレビを見つめる。
「そういえば、理恵さんにお饅頭のお金払った?」
おもむろに沙織にそう言われ、鷹緒は口を開けた。
「あ……忘れてた。でもいいだろ、もらってやったんだから……あいつだって受け取らねえよ」
「でも……」
「それより、伯母さんに余計な事吹き込まれなかっただろうな?」
鷹緒の言葉に、沙織は目を細めて笑う。
「いろいろ聞いちゃったよ。昔の雑誌も見せてもらったし、高校の時のテストも……あっ」
祖母には鷹緒が嫌がるだろうから秘密にしておいたほうがいいと言われていたのをすっかり忘れて、沙織は思わずそう言っていた。横にいる鷹緒の顔を見ると、不機嫌そうに俯いている。
「まあ……一人で行くって言った時点で、いろいろ見せられるかなとは思ってたけど」
とっくに腹を括っていたのか、鷹緒は不機嫌ながらも怒った様子はない。
「……怒ってない?」
「怒ったって、おまえは聞くし見るんだろ。ったく……おまえ、人の携帯勝手に見るタイプだな?」
そう言われて、沙織はむっとして口を開く。
「見ないもん」
「べつにここまでさらけ出してんだから、今更隠すものなんてないけど……しかしテストまで見られるとはな。っていうか伯母さん、まだそんなもんとってたんだ……」
ぶつぶつと言いながら、鷹緒は鍋をつつく。そうそう怒ることのない鷹緒に安心して、沙織は微笑んだ。
「お母さん代わりだもんね。それにテストの点も悪いの一個もなかったし、恥じることないじゃない」
「恥じてはねえけど、後々おまえに見られるってわかってたら、もっと頑張ってたよ」
「ふふ。でも百点続きの期末テストもあったよ?」
「それは親父が茶々入れてきたりしたからだろ」
過去を思い出しているのか、口を曲げる鷹緒を横目に見ながら、沙織は首を傾げる。
「鷹緒さん、どうして大学に行かなかったの?」
「……高校にも行きたくなかった人間が、大学に行くと思う? おかげで早くプロになれたし、一度も後悔してないけど」
潔いまでの鷹緒の生き方に感心するように、沙織は俯く。
「私はまだ、なんにもないんだな……」
「ああ? おまえにも出来ることはたくさんあるだろ。焦らなくていいから、これから見つけていけばいいんだよ」
「うん……」
鷹緒の言葉に癒されるように、沙織は頷いた。そして見つめる先の鷹緒は、先程見た雑誌の鷹緒とは違うくらい大人になっており、その人生の重みが感じられる。
ふと鷹緒が手を伸ばした。その手は沙織の手を掴み、温かさが伝わる。お互いに目が合うと、鷹緒は笑った。
まるで沙織の不安や寂しさを拭うような行為に癒されつつ、逆に鷹緒も自分の寂しさを解消するように、何度も互いの手を握った。
「鷹緒さんは嫌がるかもしれないけど、知れば知るほど好きになってるよ」
そんな沙織の言葉を聞いて、鷹緒は軽く目を泳がせると、照れ隠しのように顔を掻く。
「それはたぶん俺もだけど……俺はおまえの過去まで知りたいとは思わないよ」
「私は知りたいよ? 鷹緒さんが生まれた瞬間から、もっとずっと先の未来まで」
「だからそれだと、俺はただの聞かれ損で……」
言いながら沙織の顔を見つめると、ただの冗談めかした言い合いさえ馬鹿らしく思えて、鷹緒は沙織の手を離して、もう一度鍋をつついた。
「……おまえが望むなら、もうなんでもしてやるよ」
続けて言った鷹緒の言葉に感動して、沙織は噛みしめるように微笑んだ。
「私も……」
「……本当に?」
聞き直されたので、沙織は口を曲げた。
「本当だよ」
「じゃあ俺の仕事、手伝ってくれる?」
拍子抜けしてしまう言葉に、沙織は顔を顰めて鷹緒を見た。
「ええ? まだ仕事あるの?」
「ちょっとだけね」
「まあ、出来ることならいいけど……」
口を尖らせる沙織に笑って、鷹緒は顔を近付けた。
「その前にキスして」
鷹緒に強請られて、沙織はその頬にキスをする。
「ほっぺたかよ」
「えへへ……」
そんな沙織の頬に、鷹緒はキスを返す。まるで熱を帯びたような鷹緒のキスは、いつでも沙織の心を満たしてくれていた。