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6-1. 父の影 (前編)

「解散総選挙かあ」

 ある日の早朝、仕事前に新聞を広げた広樹がそう呟いた。目の前のソファには鷹緒がおり、コーヒーを飲みながら今日の撮影のプラン表を見つめている。

「そうらしいな」

「急だよな。みんなにも投票する時間あげないと……ああ、年末の忙しい時期なのに」

 そう言った広樹に、鷹緒は苦笑した。

「おまえ、そういう行事はちゃんと社員にやらせるよな」

「当たり前だろ。忙しいって言っても、会社のせいで投票出来ないとか言われる企業にはなりたくない」

「へえ」

「……おまえはちゃんと行ってるんだろうな」

「投票? 行ってるし行くよ」

 そう言いながら、鷹緒は資料を揃えて広樹を見つめる。広樹が何か物言いたげな様子なので、鷹緒は眉をひそめて微笑んだ。

「何か言いたげだな」

「……べつにそんなことはないけど」

「そう? じゃあそろそろ行くよ」

「ああ……今日は撮影だっけ?」

「それと打ち合わせ。途中の移動時間ないから、電車で行く」

「了解」

「行ってきます」

 立ち上がる鷹緒の顔が、一瞬曇っているのが広樹にも見えた。

 鷹緒はそのまま会社を出て行くと、駅前が騒がしいのが分かり、派手なのぼり旗を見て露骨に嫌な顔をする。

「諸星政司でございます」

 そんな声が聞こえ、鷹緒は思わず顔を上げた。まさか本人がいるとは思わなかったのだが、聞こえてくるのは紛れもなく自分の父親の声である。

「サイアク……」

 軽く舌打ちをしながらも、駅へ向かわないわけにもいかず、信号待ちの横断歩道から、ぼんやりと少し離れた場所にいる街宣車を見つめた。車の上には父親がマイクを握って立っているのが見える。

 長い間連絡も取っていない父親は、顔を見るのも声を聞くのも久しぶりで、実の親という実感さえ湧かなくなっている。それでも久々に見たその姿は、自分の知る父親でないほど年老い、痩せてしまっていることに、自分もまた年を取ったのだと感じた。

「鷹緒!」

 その時、そんな声で現実に引き戻され、鷹緒は横を見た。するとそこには広樹がいる。

「ヒロ……?」

 目の前の広樹は少し必死な表情を見せ、まるで引き留めるかのように鷹緒の腕を掴んだ。

「あ……僕も出るから、車で送るよ」

 出だしの様子が、まるでとっさの言い訳に聞こえ、鷹緒は苦笑した。

「そうか……このシーズン、毎回おまえにそんな気遣いさせてたのか」

「違うよ。ただ、駅前でこれやってるのは知ってたから……」

 一瞬の沈黙にも、鷹緒の父親の声が響いており、鷹緒は軽く溜息をつきながら笑う。

「悪かったな。でももう子供じゃねえし、余計な気遣い無用」

 苦笑する鷹緒に、広樹は軽く顔を顰めた。

「じゃあそんな顔すんなよ」

 そう言われて、鷹緒は目を見開いた。

「……どんな顔?」

「全然変わってないよ、おまえ。あの時と同じ……無表情を装って、なんか内に秘めてるって感じ」

 広樹の言葉に、鷹緒は力なく笑った。

「そうか。自分ではわかんねえや……俺もまだガキってことだな」

「鷹緒……」

「でも大丈夫だよ。そろそろ行かないと遅れるし、駅に行かないわけにもいかない……心配してくれてありがとう。でも本当に大丈夫だから、これからは変な気遣いすんなよ。じゃあな!」

 そう言い残して、鷹緒は人でごった返した駅へと向かっていった。この人ごみの中では、父親に見つけられる心配も、自分がわざわざ父親を捜す必要もない。

 残された広樹は、人ごみに紛れた鷹緒の背中を見て、顔を顰めた。


 その夜。仕事を終えて事務所に戻ってきた鷹緒の携帯電話に、沙織から連絡が入った。

「おう。タイミングいいじゃん」

『ホント? こっちは今、撮影終わって……』

「俺は事務所にいて、そろそろ帰ろうと思ってたところ。会う?」

『うん! もうすぐ駅だから、すぐ行けるよ』

「じゃあ直接、駐車場に向かって。すぐ行く」

『わかった』

 鷹緒は電話を切ると、目の前にあるパソコンの電源を切り、帰り支度をして会社を出ていった。

 会社近くに契約している駐車場に行くと、すでに沙織の姿があった。沙織は駐車場の壁を見つめ、難しい顔をしている。

「沙織」

 鷹緒が呼ぶと、沙織が笑顔で振り向いた。

「鷹緒さん」

「早いな。待ったか?」

「ううん。今来たところ」

 そう言う沙織を見ながら、鷹緒の目にも駐車場の壁が映った。そこには選挙用の掲示板があり、鷹緒の父親の顔もある。

「……行こうか」

 何も触れずにそう言った鷹緒に、沙織もまた微笑みながら無言で頷き、二人は車へと乗り込んだ。

「……私、鷹緒さんのお父さんに投票しようかな」

 無言のままの車内で、沙織が思い切ってそう言ってみた。

「は? なんでおまえが……って、そうか。おまえの住んでる選挙区だったな」

「私、選挙って初めてなんだ。会ってないって言っても鷹緒さんのお父さんなんだし、私の親戚でもあるんだし」

「やめとけ。おまえが投票しなくても、あの人は当選するから。大体、あの人の政策がおまえの考えに同調するとは思えないけど? あの人、バリバリのタカ派だぞ」

「よくわかんない……」

「わかんないなら尚更、あの人はやめとけ」

 不機嫌なまでに微笑みもしない鷹緒の横顔を見つめ、沙織は委縮するように俯いた。

「鷹緒さんは……お父さんに投票したことないの?」

「……選挙区違うし」

「あ、そっか」

「でも……俺も一番初めに投票する時は、あの人に入れたよ」

「そうなんだ?」

 それを聞いて、沙織は少し安心した。鷹緒にも、父親への情というものがあるのだとわかったからだ。しかし鷹緒の顔は険しいままである。

「でもあの人いつも圧勝だし、俺も同調出来ないからそれ以来やめたし、人に勧められもしない」

「そう、なんだ……」

「おまえも成人なんだから、ちゃんと見極めて自分がいいと思う人に投票すればいいんだよ。これに関しては、恋人も夫婦もないだろ」

「……そんなもの?」

「少なくとも俺はそう」

「……うん。わかった」

 終始重苦しい雰囲気に、沙織は別の話題を探す。その間に鷹緒が口を開いた。

「おまえ、夕飯は?」

「あ、まだだよ。変な時間にお昼食べちゃったから、あんまり空いてないけど……」

「俺もあんまり空いてないから、なんか軽く食べられるとこでも行こうか」

「うん、任せる」

 いつもの様子に戻った鷹緒に安心し、沙織は微笑む。しかし鷹緒の顔はまだ晴れていないようだった。


 次の日。休みだった沙織は、鷹緒に事務所で待っているように言われ、定時を過ぎて人が少なくなった事務所へと顔を出した。

「お、沙織ちゃん。いらっしゃい」

 出迎えたのは広樹である。広樹は社内の真ん中にある大きなテーブルの前に座り、たくさんの資料を並べている。

「こんばんは……ヒロさんだけですか?」

「みんな出払ってるんだよ。年末に向けてちょっと忙しい時期だしね。まあ、もうすぐピークは越えるはずなんだけど、こうして社長自ら事務所番と資料整理」

「大変ですね。何かお手伝い出来ることがあればやりますよ」

「ありがとう。じゃあコーヒー入れてくれる?」

「そんなんでいいんですか? すぐに入れますね」

 沙織は微笑んで給湯室へ向かい、コーヒーを入れて広樹に渡した。

「ありがとう。鷹緒待ち?」

「はい。もうすぐ帰るから事務所で待っててって……いいですか?」

「もちろん。お構いは出来ませんが」

「あはは。どうぞお構いなく」

 そう言って、沙織は鷹緒の席に座った。鷹緒のデスクには、今日もたくさんの伝言が並べられている。

「あの……ヒロさん。ちょっと聞いてもいいですか?」

 沙織は重い口を開くように、広樹の背中にそう言った。

「うん、なに?」

「鷹緒さんに家族の話とかって、やっぱりタブーですか?」

 仕事を続けながら聞いていた広樹は、その手を止めて沙織に振り向く。

「……何かあったの?」

「え?」

「いや、何もないならいいんだけど……選挙の時期だし、僕も少し心配してたんだけど……」

「じゃあ、やっぱりタブーなんですか? 私、怒らせちゃったかもしれなくて……わかってはいたんですけど、お父さんの話してしまって……」

 お互いに心配事が一致したように、二人は顔を曇らせる。

「タブーっていうほどじゃないと思うけど……選挙となると、嫌でも父親のこと思い出すらしくて、その度に僕はビクビクしてるよ。ここはお父さんの選挙区だしね」

「そんなに言うほどですか?」

「うん……もうかなり前の話なんだけどね。昔、鷹緒のお父さんがうちの事務所に来たんだよ。あの後あいつ、大変だったからさ……」

 苦笑する広樹を見つめながら、その大変な事態を知ろうと、沙織は首を傾げる。

「大変って……」

「あいつはもう大丈夫って言ってるけどさ……今だって、鷹緒のお父さんが政治家って知ってる社員も少ないから、話に出てくることも多いんだ。親戚なのかとか、鷹緒と同じ名字の人だから投票しようかなんて。そういうの嫌がるやつだけど、わざわざ伏せてることだから、何も言いようがないし……」

 その時、事務所のドアが開き、鷹緒の顔が見えた。

「ただいまー」

「おかえり」

「ああ、みんな出払ってんのか……ごめん、沙織。待たせたよな」

「ううん、大丈夫」

 疲れた顔の鷹緒は、自分のデスクの上にある伝言を見つめ、一瞬で顔色を変える。

「鷹緒?」

 険しい顔の鷹緒に、広樹が声を掛けた。しかし鷹緒はそれに反応することなく、自分の携帯電話のアドレス帳を見つめ、伝言メモに記された電話番号と照らし合わせる。

「……あの人……」

 軽く舌打ちをして、鷹緒は沙織が立った自分の椅子に座り、前髪をかき上げた。

 沙織の目に、放り出された鷹緒の携帯電話の液晶画面が映る。そこには「諸星政司事務所」という名前のメモリーが映し出されており、伝言メモに書かれた電話番号と同じ番号があった。メモには、真壁という人から折り返し電話を希望する旨の伝言が書かれていた。

 同じく顔をこわばらせた沙織を見て、広樹も立ち上がり、鷹緒への伝言に目を通す。真壁という名前は、広樹にも心当たりがあった。鷹緒の父親の秘書である。

「……僕が連絡するよ」

 すかさず言った広樹を、鷹緒が見上げる。

「なんで?」

「なんでって……嫌なんだろ?」

「べつに仕事の依頼なら断ればいいだけだろ。あいつが電話に出るわけでもないしな」

「前回は断れなかっただろ。もう僕だっておまえのあんな姿見たくないし」

 それを聞いて、鷹緒は横目で沙織を見た。あまり知られたくない話らしく、これ以上話が続く前に、鷹緒は携帯電話の通話ボタンを押した。

「鷹緒」

 広樹が止める前に、電話はすぐに繋がる。

『諸星政司事務所でございます』

「WIZM企画の諸星と申します。真壁さんからお電話頂いたようなのですが……」

『少々お待ちください』

 若い男性の声が遠のいた間に、鷹緒は会社を出て、廊下にある喫煙室へと入っていった。電話の向こうで、やがて中年男性の声に変わった。

『お電話代わりました、真壁です』

 鷹緒にとって、聞き覚えのある声である。

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