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61. 広樹の誕生日

「社長。お誕生日おめでとうございます」

 十二月十日。朝から行く先々でそんな言葉をかけてもらいながら、広樹の手にプレゼントが渡されていく。今日は広樹の誕生日だ。

「ありがとう」

 照れ笑いしながら社長室へと入っていく広樹は、すぐに目の前の書類と向き合った。誕生日とはいえ社会人、ましてや社長である広樹にとって、イベント行事など関係ないはずなのだが、今日はひっきりなしに人がやって来る。

「誕生日おめでとうございます」

「ああ、うん……ありがとう」

 昼になる頃には、その言葉さえ鬱陶しく思えてしまい、遂に広樹は目の前の仕事から視線を逸らすと、少し伸びて落ち着いた自分の髪をかき上げた。

「嬉しいけど、めでたくもなくなってきた……」

「そりゃそうだ」

 うなだれる広樹の前に、いつの間にか鷹緒がいる。

「鷹緒……」

「食う?」

 箱に入ったワッフルケーキを差し出す鷹緒。それを見て、広樹が口を曲げた。

「おまえも誕生日祝ってくれるの?」

「まさか。この年になって、男が男を祝うかっての。さっき行った打ち合わせ先でもらったんだ」

「だよな……いただきます」

「あとまあ一応……おめでとうございます」

 そんな鷹緒に、広樹は苦笑する。

「ありがとうございます……」

「今日、飲みに行く? 適当なやつ誘おうか」

 広樹はそう言われて、目の前の書類の束を差し出した。

「適当なやつ誘って、手伝ってくれる?」

 他にも積み上げられた書類の束を見つけて、鷹緒は口を曲げる。

「誕生日どころじゃないってか」

「年末だしね。いつものことだよ」

「去年は飲みくらい行ったぞ」

「今年はそれどころじゃないな」

 そんな会話を続けながら、鷹緒は笑って頷いた。

「いいよ。誕生日くらい手伝ってやる」

「ええ? いいよ、言ってみただけだから。冗談だよ」

「いや、その嘆かわしい姿は見てられない」

「え?」

「いい年した男が恋人も作らず、誕生日にすら仕事漬けって……」

「おまえに言われたくないわい!」

「俺は彼女いるもん」

 すかさず突っ込んだ広樹に、鷹緒は怯む様子もなく笑う。

「勝ってるところはそこだけだろ。僕だって、作ろうと思えばすぐにだな……」

「ああ、ハイハイ。じゃあ俺、そろそろ撮影行かなくちゃいけないから。夕方には帰るから、そこから手伝うよ。じゃあな」


 その夜、鷹緒と理恵、彰良と俊二が残り、手分けして広樹の仕事を手伝っていた。とはいえ社長業を担える部分は少なく、数時間後には社長室でささやかな食事会なるパーティーが始まっている。

「あのね……結局、僕だけ仕事かよ!」

 社長机の前で叫ぶ広樹を尻目に、応接部分では四人が惣菜をつまんでいた。

「出来るところまではやっただろ。あとはおまえにしか出来ない部分だ」

「だったら邪魔だから出ていってくれないかな……」

 笑いながらもそう零す広樹に、四人が一斉に立ち上がった。

「よし、出来た。社長、誕生日おめでとうございます!」

 四人が立ったことにより、応接部分のローテーブルに、ホールケーキや豪華な惣菜などが置かれているのが見える。ケーキには蠟燭の灯が点っており、プレートには広樹の文字がある。

「みんな……」

「ほら、社長。ほんの少しでいいですから、一緒に食事しましょうよ」

 俊二が広樹をテーブルの前へと座らせた。やがてハッピーバースデイの歌が歌われ、クラッカーの音とともに広樹が蠟燭の火を消す。

「おめでとう!」

 もう一度言われた広樹は、顔を真っ赤にさせながらも嬉しそうに笑った。

「やだなあ……何歳だと思ってるのさ。これじゃあ幼稚園児と一緒じゃない」

「その割には嬉しそうだけど?」

「仕事も先がちょっと見えてきたからだよ……よし、せっかくだし仕事はこのくらいにしておいて、今日はもう食べよう!」

 すっかり仕事から解放された気になっている広樹を、四人もまた突っ込まずに、並べた惣菜に口をつける。

「いただきまーす」

 結局その夜、広樹はそのまま仕事を置いて、独り身である鷹緒と俊二と三人でカラオケボックスへと向かっていくのだった。


 そして夜もすっかり更けた頃、自宅に帰宅した広樹は、部屋に入るなりベッドに寝そべり目を閉じる。しかし尻の部分に違和感を覚えて、その原因であるジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。

 すっかり存在が忘れられていた携帯電話には、不在着信を知らせるランプが点滅している。

「メールか……」

 そこには何通かメールが届いているようで、古い順から見ていく。仕事の件が多いが、中には綾也香からのメールも来ていた。

“誕生日おめでとうございます”

 たったそれだけの綾也香のメールだが、きっと悩んで出してくれたのだろう。そう思うと、過去に抱いた愛しい気持ちも出てきそうになるが、それを押し込めるためにも返事をする気にはなれない。

 何通かのメールを見ていくと、広樹はガバッと起き上がった。

“お誕生日おめでとうございます。もしよろしければ、今度私に何か奢らせてください”

 他にもささやかな近況が書かれた品のあるメールは、今度こそ広樹の心に忘れかけていた熱が込み上げる。

「聡子さん……」

 初恋の人の名を呼んで、広樹は乙女のように携帯電話を胸に抱きしめた。

 その人は年も違う大人の女性で、自分が大人になった今も弟のようにしか見られていないことはわかっている。また自分も、彼女の人生を支えられる自信などなく、今となっては彼女とどうなりたいという感情すらないのだが、彼女のことを考えると、十代のがむしゃらな自分に会えるようで、嫌なことも一瞬で吹き飛ぶ気がした。

“夜分遅くにすみません。メール頂けたのがとても嬉しかったので、朝まで待てませんでした……”

 そう打ったところで、広樹はバックスペースで削除していく。まるで十代の自分が暴走しているようで、自分でも可笑しく思える。

“夜分遅くにすみません。バースデイメールありがとうございました。是非お食事ご一緒させてください。でも花は僕に持たせて欲しいです。ご馳走しますよ。僕は夜なら比較的いつでも空いています”

 そのまま送信すると、返事は思いの外すぐに返ってきた。

“お返事ありがとう。私も夜なら空いています。私がお祝いにご馳走したいと思ったのだけれど……美味しいお店を期待しています”

 何度かのやり取りをして日取りの約束までこぎつけた広樹は、そのまま笑顔で目を閉じた。

「最高のプレゼントだよ……」

 脳裏に浮かぶのは、聡子の顔だけではない。綾也香はもちろん、鷹緒や理恵の顔も浮かんだ。両手一杯になるほど社員や関係者からプレゼントまでもらい、自分がいかに恵まれている環境にいるのだと噛み締める。

「本当にそろそろ……僕も前に進まなきゃ」

 目を開けた広樹は、真剣な顔をしてそう呟いた。

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