60. 帰宅
「じゃあ、お世話になりました」
ある日の鷹緒の家で、約一ヶ月の居候をしていた広樹がそう言った。姉の家のリフォームが終わり、今日から広樹はやっと実家に戻れることになる。
「ここで言われても……俺も行くんだろ?」
鷹緒は苦笑しながら、自分の車の助手席に乗っている。運転席には広樹。後部座席には広樹の荷物が詰め込まれている。
「おまえに言ったんじゃない。マンションに言ったの」
「あっそ。しかし、すごい荷物だな……いつの間にこんなに持って来たんだよ」
後部座席に山積みとなった荷物を見て、呆れるように鷹緒が言った。
「ちょこちょこ帰っては持ってきてたからね……おまえんちにこっそり置いてた荷物も持って帰る羽目になったし」
広樹がそう言ったのは、次の事情がある。
鷹緒の部屋にある物置には、会社で使わなくなった機材やら、なぜか広樹の私物やらまで押し込まれていた。最近やったバーベキューのために整理したことでそれが発覚したおかげで、広樹は持ってきた荷物より多く持ち帰ることとなっていたのである。
「羽目とはなんだ。うちの納戸を占領しやがって」
「バーベキューやらなきゃ気付かなかったのにね」
「おまえな……」
二人は苦笑しながらも、夜の街を気分良く走らせていった。
やがて商店街のど真ん中に車を停めた広樹は、一階が居酒屋となっている店の引き戸を開ける。
「あれ、広樹。おかえり」
「ただいまー。鷹緒、鷹緒」
見せびらかすように鷹緒を店内に引き込むと、鷹緒もまた嬉しそうに笑った。
「こんばんは。お久しぶりです」
店内にいる客はお構いなしに、厨房からは広樹の両親と末の弟が顔を出す。
「あ、鷹兄だ」
「友樹か。デッカくなったなあ」
「そんな子供じゃなかったよ」
「ハハハ。そっか」
「相変わらずいい男だね。帰国後に顔出した以来じゃない? ちっとも顔出してくれないんだから」
広樹の母親の言葉に、鷹緒はすまなそうに頷いた。
「すみません。今日はヒロの荷物運びに来ただけだから、あとでゆっくり飲ませていただきます」
「ごめんね、鷹君に迷惑かけて……ご馳走作るから、早く部屋に放り込んで来て」
「はい」
一通りの挨拶を済ませると、鷹緒と広樹は車から荷物を取り出す。住居の出入口は奥まっているところにあり、ちょうど店の二階が広樹の部屋だ。
もちろん鷹緒はここに何度も来ているが、帰国後は挨拶に寄った程度で、ここしばらく広樹の家族には会っていない。それでもいつも鷹緒を温かく迎えてくれる広樹の家族に、鷹緒も心を許している。
「まったく、挨拶なら後でいいのに」
鷹緒の言葉に、広樹が笑う。
「だって母さんたち、鷹緒に会いたがってたからさ。早く喜ばせたかったんだよ」
「客そっちのけで?」
「みんな常連さんだから大丈夫」
二人は広樹の部屋に荷物を詰め込むと、外へと出ていく。
「コインパーキングに車停めてくるから、鷹緒は先に店入ってて」
広樹にそう言われ、鷹緒は一足先に一階の店へと入っていく。
一階は居酒屋となっており、広樹の両親が切り盛りしている。最近は三男の友樹が手伝っているらしく、今日も忙しそうに動いている。
店内はテーブル席が三つとカウンター席があるのみだが、テーブル席は満席で、カウンターには帰ったばかりの客の皿を、広樹の母親が片付けているところだった。
「おかえり。広樹のことありがとう」
カウンター向こうにいる広樹の父親に言われ、鷹緒は首を振りながらカウンター席に座った。
「いえ。ヒロにはいろいろ家事やってもらっちゃったから、俺のが迷惑かけたと思うし。この間、藍ちゃんにも会って、しばらくここにも寄ってなかったから来たいと思ってたんです」
「そうよ。ちっとも顔出さないから、おばさん寂しくて寂しくて」
今度は広樹の母親がそう言うので、鷹緒は笑った。
「ハハハ。やっぱりここは落ち着くなあ」
「あら。嬉しいこと言ってくれちゃって。何飲む? ビールでいい?」
「ああ……車で帰らなきゃならないから、ウーロン茶で」
「そんなの広樹に送らせればいいのよ。なんなら今日はここに泊まればいいし。たまにはゆっくり飲んでいって」
「うーん……じゃあ、ビールで」
先のことなど考えてはいなかったかが、どうとでもなると思い、鷹緒は勧められるがままにビールに口をつける。
やがて広樹が店へと入ってきた。
「勝手にやってるよ」
そう言う鷹緒の横に座り、広樹はカウンターに置かれたビール瓶に手をかける。
「おまえも飲むのかよ」
「そっか。僕が運転するってことだね……でも泊まってけば?」
「まあ、それでもいいけど……」
「じゃあ決定。思いの外、引っ越し大変だったからな。今日はこのまま飲んで寝たいよ」
広樹はビールをグラスに注いで、鷹緒のグラスを鳴らす。
「乾杯。一ヶ月ちょい、お世話になりました」
「こちらこそ」
乾杯を済ませた二人の前に、次々と頼みもしない料理が並べられていく。そのもてなしを断る理由もなく、また美味しいので、鷹緒と広樹はがっつくように食べた。
「美味しい。そういえば、夕飯食べてなかったんだった」
「僕も……友樹。おまえのイチオシ出してよ」
そんな広樹の言葉に、友樹が厨房から手を伸ばす。
「今出来たところ。鷹兄、試食してよ。僕が作ったんだ」
創作料理が何品か出てきて、鷹緒は感心するように友樹に微笑んだ。
「すごいな、友樹。美味しいよ」
「よかった。試行錯誤して、そこまできたって感じ」
「試行錯誤中は、僕も大変だったんだよ」
鷹緒に耳打ちする広樹に、友樹が口を尖らせる。
「広兄、聞こえてるんだけど」
「ハハッ。おまえらやっぱ仲いいな」
清々しいまでの兄弟のやり取りを鷹緒が笑うので、広樹と友樹も苦笑する。
「まあ、この年になれば、あんまり喧嘩はないけどね……」
「違うよ、学習したんだよ。広兄怒らせると、母さんより恐いから……」
「うるさいわ」
いつもと違う広樹の顔に、鷹緒もまた嬉しそうな顔を見せる。この家族は本当に、鷹緒の心をいつも穏やかにしてくれるようだ。
「タカ。広樹はちゃんと社長やってる? 社員の皆さんに迷惑かけてんじゃないの?」
その時、カウンターの目の前で調理している広樹の父親がそう言ったので、鷹緒は横目で広樹を見て笑う。
「うーん。迷惑はかけられてるけど、いい社長ですよ。慕う社員も多いですから」
「おいおい。おまえにはこっちのほうが迷惑かけられてるんですけど」
口を尖らせながら、広樹は追加のビールに口をつけた。そんな広樹から目線を逸らし、鷹緒は微笑む。
「でも本当おまえ、すごいよな。一人きりの力だとは言わないけど、よくあれだけのやつらを束ねてるよ」
普段は褒めない鷹緒に、広樹は照れくさそうにしながらも、口を結んだ。
「親の前だから褒めてくれてるのか?」
「ハハ。本心だよ。俺には絶対出来ないことだから」
「おまえ……独立するとか言わないだろうな」
「話聞いてる? 俺には出来ないって言ってんだろ」
二人は笑いながら酒を交わし、その日は二人して広樹の部屋で眠ったのだった。