59. 刺激
その日の鷹緒は早めに家へと帰っていて、音楽を聴きながら雑誌を眺めている。
そこに、居候中の広樹が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり。会議どうだった?」
「特に何も。仕事中?」
リラックスしているように見える鷹緒も、広樹には仕事中にしか見えない。
「ああ」
「よく同時に仕事出来るなあ」
苦笑しながら一人がけのソファに座る広樹に、鷹緒はテーブルの上を少し片付ける。
「音楽は聞き流し。雑誌も読み流し」
「ハハ。それでも全部、事前準備なんだろ」
仕事前の準備として、鷹緒は出来る限りの勉強をするのが日課である。流れている音楽は近日中に写真集撮りをするアーティストの音楽だし、読んでいる雑誌は明日行われる雑誌である。
「まあ、臆病者なんで」
「そう見えないところがいいんじゃないの?」
何の気なしに目の前の雑誌を取った広樹は、途端に目の色を変えた。
「豪?!」
雑誌には豪が載っている。それは三十代男性向けのファッション雑誌だ。
「ああ……その雑誌だけだけど、モデル業も復帰したらしいよ」
「へえ……え、おまえ明日、撮影で豪とかち合うってこと?」
明日、鷹緒が初めて呼ばれるその雑誌。豪がモデルならば、会ってしまうことになる。
「まあ、仕事だし」
「……仕事で豪のこと撮るの初めてだろ? 大丈夫かよ」
「向こうも仕事なんだから問題ないだろ。まあ、知り合い面されるのは嫌だけどな」
苦笑する鷹緒は、テーブルの上に置いていた資料を手に取る。何も気にしていないふうに見える態度は、広樹にとっては不安そのものだ。
「おまえ、あまのじゃくだからなあ……」
呟いた広樹に、鷹緒は目線を上げた。
「は?」
「心配だよ」
「……そう言ってくれるのは有り難いけど、だからって仕事受けちゃったからには逃げ出すわけにはいかないし、心配しなくても大丈夫だよ」
「まあ、仕事としては心配してないんだけど……おまえ、反動がさ」
「そんなにやわじゃねえっての。過保護な社長だな」
もう何も言うまいと、広樹は苦笑して頷き、立ち上がる。
「風呂入ってくる」
「ああ」
部屋に残された鷹緒は、雑誌に載る豪の顔を見て、溜め息をついた。
次の日。鷹緒は早めに撮影スタジオに行き、当日の打ち合わせを始めた。
打ち合わせを終え、休憩所で煙草を吸う鷹緒に近付いてきたのは、豪である。
「おはようございます、先輩」
相変わらず満面の笑みで話しかける豪に、鷹緒は苦笑した。
「おはよう。今日はよろしくお願いします」
「……社交辞令でも、僕にそんなこと言ってくれるんですね」
「仕事ですから」
敬語が妙に距離を感じて、豪は口を尖らせる。
「なんですか。その敬語……めちゃくちゃバリア張ってるじゃないですか。先輩に撮ってもらうなんて、緊張しますけど嬉しいです。すごく楽しみにしてました」
「……こちらこそ、お手柔らかに」
「アハハ。べつに先輩後輩の仲っていうのは、言いふらしてもいいでしょ?」
「出来ることなら避けてほしいね……」
煙草を揉み消して、鷹緒はペットボトルの水に口をつける。目の前の豪は、口を尖らせたまま鷹緒を見つめていた。
「そんなに僕と知り合いなことが嫌ですか?」
「……べつに」
「嘘つきだなあ」
「じゃあ察してくれ」
苦笑する鷹緒に、豪は目を伏せる。
「……もう先輩と仲良くなるのは無理なんですかね?」
そう言った豪に、鷹緒は怪訝な顔をした。
「は?」
「僕、先輩のこと、まだ憧れてますよ」
「……自分のことちゃんと出来ないおまえに、言うことは何もないよ」
「僕の何を知ってるんですか!」
声を荒げた豪を、鷹緒は静かに見つめている。
「まあ確かに……でも俺がおまえにちゃんとしてほしいことを、やってくれているとは思えないけど?」
お互いの脳裏に理恵と恵美が浮かんで、豪は息を吐いた。
「……恋愛に対して、先輩と意見が合うとは思えません。結婚がすべてじゃないって言ってるでしょ」
「そうだな……うまくいってるなら、俺が口出すべきじゃないし。だからって今更、おまえと何すればいいって? 飲みでも付き合えば満足なら、付き合っても構わないよ」
豪自身にも答えがわからず、鷹緒の譲歩にも乗る気になれない。
「……仕事面では充実してますよ? 記者としても認められてきてますし、僕の企画が通ることも多々あります。モデルの仕事とか、やりたいこともやってます。そういう先輩はどうなんです?」
「あ?」
「こんな仕事、本当は嫌いなんじゃないんですか?」
ぴくりと眉を顰めて、鷹緒は豪を見つめる。
「何が言いたい?」
「先輩。あんた、こんなとこにいる人じゃないでしょ。ファッション雑誌や写真集撮り……そんなものより、もっと他に撮りたいものがあるんじゃないですか? 海外まで呼ばれる腕なのに、今まで獲った賞が泣きますよ」
そう言われて、鷹緒はくすりと笑った。
「それこそおまえに言われる筋合いないな。仕事に関しては、誰にも口出しさせねえよ」
「……僕も。今日は先輩に、僕の仕事ぶりをたっぷり見てもらいますから」
気合い十分の豪は、そう言い残して去っていった。
鷹緒は眉を顰めて溜め息をつく。
「痛いとこ突きやがって……」
数十分後。挨拶とともに撮影が開始された。最近になって創刊された雑誌ということもあり、鷹緒にとっても初めて関わる雑誌である。当然そこには緊張感もあった。
構成プラン表を傍らに、鷹緒はカメラを構える。
「内山さん、スタンバイお願いします」
スタッフのそんな声が聞こえると、豪が背景スクリーンの前に立った。豪はリラックスした表情で、鷹緒に会釈する。
「よろしくお願いします」
堂々たる出で立ちで、豪は慣れた様子でポーズを取り始めた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
鷹緒の顔も真剣な表情に変わる。
二人の視線の先で火花が散るほど、プロ根性がぶつかっているかのようだった。