56. 秘密の関係
私の彼氏の鷹緒さんは、付き合って一年経った今も、私にとって憧れの人だ。ううん、それは日増しに強くなっているのかもしれない。
仕事の姿勢も、仲間と笑い合う姿も、モデルたちを気遣う姿も、何もかも――。
「沙織」
遠巻きに鷹緒さんの仕事を見つめていた私は、突然そう呼ばれて我に返った。
「は、はい」
「おまえも入れよ」
指された場所は背景スクリーンの前。今は事務所で出してる機関誌の撮影だけど、私は参加する予定もなくただ眺めていただけなのだ。
「え、でも……」
「おまえの宣伝にもなるだろ。まあ、ギャラは夕飯ってことで……」
「うん、いいよ」
こうして特別扱い……いや、いいように使われているのも私は好き。もっとそばにいたいって思う。
カメラを覗く鷹緒さんを見つめながら、私は湧き上がる欲求を抑えきれずにいる。このところお互いに忙しくて、抱き合うこともキスもしてないからかな。どうしちゃったんだろう……仕事モードの鷹緒さんを前にしても、触れたいと思ってしまう。
「沙織」
ぴしゃりと一喝するように、鷹緒さんの声が響いた。
いけない。ついでとはいえ撮影中だったのに……。
数人だけの撮影。他の人は次に行われるらしい物撮りの整理をしたり、パソコンに向かっている人もいる。
そんな中、撮影中の私と鷹緒さんだけが、二人きりの世界にいた。
「ご、ごめんなさい。集中します」
怒られる前にそう言った私に、鷹緒さんが近付いてくる。そして私の顔を覗き込むと、ふっと笑った。
「目が潤んでる」
「あ……」
そう言われても、私はなんだか不純なことを考えるように、鷹緒さんの唇を見つめた。
すると、鷹緒さんが私の鼻をつまむ。
「んっ」
「……今日は久々に時間合ったんだろ。さっさと終わらせて帰ろうぜ」
「う、うん」
かっこいいなあ……後ろ姿を見ても思ってしまう。これは色眼鏡とか恋してるからとかじゃなくて、鷹緒さんだからだよね?
その後、撮影を終えた私たちは、近くのレストランで食事を始めた。
「本当、久々だね」
嬉しさを抑えきれずにそう言うと、目の前の鷹緒さんが静かに微笑んだ。
「おまえ、呆けすぎでしょ。そんなに俺に会いたかったの?」
意地悪く言う鷹緒さんに、私は口を尖らせる。
「わかってるくせに……鷹緒さんは違うんだ」
「同じでも、そこまで集中出来ないわけじゃない」
たまに鷹緒さんは、そうして突き放した言い方をする。確かに私はまだ、未熟な人間ではあるけど……。
「世の中、みんな鷹緒さんみたいに完璧じゃないんだよ」
思わず言ってしまったその言葉に、鷹緒さんは怪訝な顔を見せた。
「は?」
「鷹緒さんって、どこかの主人公みたい。漫画とかドラマとか……でも、みんなはそうじゃないんだよ」
怒らせてしまうのがわかっても、なぜだか言葉が止まらない。
でも鷹緒さんは気にしてないとでも言うように、目を伏せてスープに口をつけている。
「……俺が完璧なら、おまえにそんなこと言わせないだろ」
ああ、いつもそうだ――たまにしっくりくることを言われて、その度に私は言いくるめられちゃうんだ。でもその言葉は、私を納得させてしまう。
「……完璧だよ」
反抗して言ったみたけど、鷹緒さんは苦笑を続けている。
「プレッシャーがハンパないんだけど」
「違うよ。鷹緒さんはそのままでいいの。頑張らなくちゃいけないのは私のほうだよ……」
「あれ、小澤沙織じゃない?」
その時、遠くの後ろからそんな声が聞こえて、私は鷹緒さんを見つめた。鷹緒さんは横目でそちらを見つめている。
「バレちゃった?」
私が尋ねると、鷹緒さんは微笑みながら食事を続けていた。
「そりゃあバレるだろ」
「どうしよう。二人きりなのに」
すると鷹緒さんは小さく溜め息をついて、水を飲む。
「……おまえ、ブログとかやってんだろ。今日は親戚と食事しました――で、いいんじゃない?」
「あ、そっか……」
「それでも言うやつは放っとけ。事務所がなんとかするだろ」
頼もしい鷹緒さんの言葉に、私はにっこりと微笑んだ。
すると、眉を顰めた鷹緒さんの顔が映る。
「え……?」
「問題はそれだな。おまえ、顔に出すぎ」
「顔に出すぎって……」
「まあ、そこがいいんだけど」
その時、社長のヒロさんと事務の牧さんが入ってきて、当然のように私たちのテーブル席に座った。
「お邪魔します」
「おう、早かったな」
「会社の近くだからね」
そんな会話をする鷹緒さんとヒロさんに、私は牧さんを見つめる。
「もしかして、わざわざ来てくださったんですか?」
「鷹緒さんがおごってくれるって言うから」
微笑む牧さんの前で、鷹緒さんが笑いながら口を開く。
「ま、保険かな」
「保険……」
あまりに早い手回しに驚いていると、ヒロさんが全員に書類を渡した。
「じゃあ、はい。カモフラージュの企画書」
渡されたのはまったく関係のない書類だけど、私たちは一気に仕事関係のグループだという見た目になったと思う。こういうところ、ヒロさんたちはすごい。
「しかし沙織ちゃんも、テレビに出始めてから大変よね」
牧さんの言葉に、私は苦笑する。
「すみません。ご迷惑をおかけして……」
「ううん。そうじゃないってば。でもたとえ鷹緒さんと何もなくても、食事するのも大変でしょ。ちょっと同情しちゃう」
「そうですね……でもこうして守ってくださってるので、恐縮しつつも嬉しいです」
「うん。時間が合えば、いつでも呼んで」
こうして私は、少しだけ普通の人ではなくなった不便さを抱えながらも、愛しい人と優しい皆さんに支えられて、今日も無事に過ごしている――。