55. 汗とスポーツの青春時代
歓声が上がる体育館内は、熱気に包まれている。
二面あるバスケットコートには、中学生の男子バスケットボール部の学校別トーナメントが組まれ、勝ち上がれば全国大会という地区予選の試合が行われている。
「ナイスシュート!」
仲間に頭を撫でられたのは、さらさらで柔らかな髪をなびかせた、中学二年生の木村広樹である。
「サンキュ。よし、続けて行くぞ!」
「オー!」
広樹の声に仲間が反応をする。広樹が部長になって初めての試合。もともとバスケットボールの強豪校だけあって、その試合は圧勝した。
「ふう……暑い、暑い」
試合が終わり、開けっ放しだった体育館の出入口で、広樹はスポーツドリンクを飲みながら、近くにいる副部長を見つめた。
「みんなバテてる?」
広樹の問いかけに、副部長は首を振る。
「そうでもない」
「よかった。みんなコンディションいいみたいだし、この調子で行こう」
「おう」
その時、隣のコートで黄色い歓声が上がった。それは中学生の試合にはあまりにも多すぎる数である。
「なんだ?」
「ああ……蒼学だろ。うちの女子共も騒いでた。なんでも一人、めちゃくちゃ格好いいやつがいるらしい」
「へえ。僕より?」
にやりと笑う広樹に、副部長は笑った。
「おまえも相当モテるけどな」
「モテ期だから。自分で言うのもなんだけど」
副部長の後ろでは、同じ学校の女子たちが、広樹にタオルや差し入れを渡そうと様子を窺っている。
「さーて、今日は誰から声かけてくるかな?」
「嬉しいけど、そこから動くなよ。試合中は集中したい」
その年、広樹はモテ期到来とでもいうように、学校で一、二を争う人気ぶりだった。もともと目立つ存在ではあったのだが、中学二年生という成長期の中で、背も伸びて声変わりもし、得体の知れない色気や男らしさが突如表れたせいだろう。
部活中や試合日には、広樹が副部長といる時は話しかけてはいけないという暗黙のルールが女子の中で出来上がっており、女子嫌いではない広樹も、今日ばかりは話しかけるなオーラを発している。
「キャー!」
その時、またも黄色い声援が聞こえ、広樹は目を凝らした。
「どいつ? あの目が切れ長の背高いやつかな?」
「いや……あ、あれだろ、四番。今シュート決めてた」
「四番? 僕と同じかよ……しかし、よくこんなうるさい中でやってられるな……」
遠目ではっきりとは見えなかったが、確かに他の人間に比べたら別人種のように見える。
「結構な接戦じゃん。蒼学みたいな頭の良いぼっちゃん校が、よくここまで来たな……ほとんどノーマークだったから、データなんてないんじゃない?」
副部長の言葉に、広樹は肩を回す。
「まあ、どっちが勝っても、今生き残ってる限り強豪ってことは変わらない。気を抜かないでいこうぜ」
「おうよ」
隣コートの試合は、接戦ながらも黄色い歓声の中で終了した。
「諸星!」
試合が終わったばかりのコートで、一際背の高い少年が呼び止めたのは、無造作に伸びた前髪をかき上げる美しいまでの少年だった。
「五城?」
「これ、冷却スプレー。さっきマークされた時に思いっきり手首やられたろ。審判もなんで止めないんだ……」
心配そうに言った少年は、五城梓。スプレーを浴びせられたのは、若き日の諸星鷹緒である。
「どうってことないよ。それより次は本命校の一つだぞ」
「わかってる。向こうはさっきの試合、圧勝だったみたいだし、こっちは試合終わったばっかり。早いとこ休んで体力回復させないと」
「みんなもバテてきてるしな……」
鷹緒はそう言うと、長い前髪の奥から見える、対角線上にいる広樹を見つめていた。
やがて次の試合が始まる。広樹は目の前にいる鷹緒を見て、目を丸くした。
(前髪長くてよく見えないけど……確かに女子たちが騒ぐのわかるな)
そう思いながら、二人は試合前の握手を交わす。互いに名前も知らない。
試合が始まると、強豪チーム部長の広樹は、いつも通りの試合をこなすだけだ。
「木村!」
そのかけ声で広樹にパスが回ってくる。しかし次の瞬間、近くにいた鷹緒がボールを奪っていた。気付いた時には相手チームに点が入っている。
「ドンマイ」
副部長の声に、広樹は口を曲げた。
「強いじゃん……」
「たまたまだよ」
「あいつ……前髪長いせいで目線が見えないな。四番のマーク強めて。あの速さは恐い」
「了解」
「でも、あとは五番に注意すれば、他は大丈夫」
冷静な分析をして、広樹は指示をする。それに従って、鷹緒へのマーク人数が増えた。
「これじゃあ動けるかよ」
広樹の相手チームでは、五城の言葉を聞きながら、鷹緒が長いまつげを伏せた。ブロックしている人をかき分けるのは至難の業で、相手がいかに強豪かが窺える。
「……五城。こっち引きつけるから、あとはおまえやれ」
「でも、おまえがいないと……」
「おまえの長身は一番の武器だし、みんなも力つけてきてる。これ以上バテる前に終わらせられれば大丈夫だよ」
鷹緒の学校は、いつもなら地区予選さえ上がってこないほどノーマークのチーム。しかし今年はノリに乗っているようで、ここまで上がってきた。
何とも言い難い説得力を出して、鷹緒は数人のマークを引き連れてコートの脇へ逸れる。
だが次の瞬間、高く上がったボールを、一瞬の隙をついた鷹緒が受け取った。
「五城!」
「させるか!」
先ほどのお返しとでも言わんばかりに、鷹緒のパスは広樹に奪われた。その都度、黄色い歓声が敵と味方で入り交じる。
「結局おまえが出てくるんじゃん」
マークをかわした鷹緒に、五城が苦笑して言った。
「チャンスとあらばね。でもキツイな……さすが強豪校」
「ホームグラウンドだしな。その分こっちが不利なのは仕方がない」
今日の試合は広樹が通う学校の体育館そのもので、広樹たちにとっては日頃から使い慣れている体育館だ。
鷹緒は軽く髪をかき上げると、自分の部員たちを見つめた。あまり強くはないチームだが、勝ち進める希望で連日の試合に全力を投じすぎて、さすがにバテてきている。
「一点、一点! 諦めるな!」
そんな鷹緒の声に、部員たちも頷いた。
「オオー!」
しかし、その後の試合は散々なもので、一番の戦力となっていた鷹緒と五城には数人のマークがつき、他の部員たちは開いた点差に諦めムードを漂わせている。
そんな中で、試合終了が告げられた。
「ありがとうございました!」
相手チームと向き合い、お互いにお辞儀する。広樹の前には鷹緒がいた。
広樹がすっと手を差し出すと、鷹緒は疑問も持たずに握手を交わす。だが、お互いに何も言わずに背を向けた。
「あ……あいつの名前、聞くの忘れた」
お互いにそう思ったが、それぞれのチームメイトのもとへと歩いていく。
「まあ、またどっかで会えるだろ」
それから一年半後に、二人は三崎企画のバイト先で出会うことになるのだが……この話は、まだここでは終わらない。
◇ ◇ ◇ ◇
それから約二十年後のある夜――。
姉のリフォーム話で鷹緒の部屋に居候している広樹。そこに五城がやってきて、それぞれ酒が入り、昔話に花が咲く。
「そういや中学のバスケ部の時さあ……」
五城が言いかけて、広樹は口を開く。
「え、五城君もバスケ部? 僕も」
「木村君の中学なら強豪じゃん……あれ、じゃあうちら会ってるかもなあ。何度か試合に出向いたし。なあ、諸星」
五城の言葉に、鷹緒は首を傾げた。
「そうだっけ?」
「そうだよ。地区大会といえばそこだったし。絶対会ってるって」
「ええ? 二人、進学校のおぼっちゃんってイメージだけど……覚えてないなあ」
広樹も首を傾げる。三人の中に互いの記憶はまったくない。
「まあ確かに、うちはぽっと出のバスケ部だったしなあ。俺たちの代くらいから少し強くなったけど……そうだ、今度バスケやろうよ」
すっかり若返ったかのように、五城がそう誘う。
「おまえ、サッカーじゃなかったっけ?」
すかさず鷹緒が言うものの、五城は大きく首を振った。
「俺はスポーツならなんでもオールマイティー。遊び程度ならいいだろ」
「いいね。僕はバスケか野球なら得意」
広樹の言葉に、五城は目を輝かせる。
「おお。気が合うね、木村君。野球もいいよね。ほら、おまえも乗れよ、諸星」
そう言われて、鷹緒は苦笑しながら煙草をふかす。
「今更スポーツなんて、自信ないなあ」
「おまえは完璧主義だからだろ。遊び程度だっての」
「そんなことないけど……まあ、暇が出来たらな」
社交辞令のように答える鷹緒と、すっかり意気投合した様子の広樹と五城。三人はその日、朝方になるまで飲み続けていた。
この物語は、49話「さらに妖しい三人?!」の物語とリンクしています。