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52-1. 広樹の覚悟 (前編)

 ある日、撮影のために沙織が楽屋へ行くと、綾也香が洗顔をしていた。

「綾也香ちゃん、おはよう。この間は会えなくて残念だったけど、誕生日プレゼントありがとう」

 沙織はそう声をかけた。それは沙織の誕生日当日、綾也香は急用で来られなくなっていたものの、みんなと一緒にプレゼントを買ってくれたことにある。

「ああ、うん……おめでと」

 そんな言葉を返す綾也香は、いつもの元気が微塵も感じられない。

「どうかしたの? 具合でも悪い?」

 沙織の問いかけに首を振るだけで、綾也香は足早に楽屋を出ていった。

 あまり話しかけて欲しくないのだと感じたものの、その後の綾也香はいつも通りに人と話をしたりしているのを見て、不安な気持ちが広がっていく。

「おはよう、沙織」

 そこに声をかけたのは、男性モデルの玲央れおだ。二人は同じWIZM企画プロダクション所属のモデルで、かち合うことも増えてきたため、最近は更に話すようになっている。

「おはよう……」

「あれ? 元気ないね」

「ううん。私じゃなくて、綾也香ちゃんが元気なさそうに見えたから……」

 そう言われて、玲央は首を傾げる。

「そう? いつも通りに見えたけど。今も廊下で馬鹿笑いしてたくらいだし」

 玲央の言葉に、沙織は小さく頷いた。

「そっか。じゃあ私の思い過ごしだね……そうだ。お礼が遅くなっちゃったけど、この間はありがとう。ごめんね、途中で帰らなきゃいけなくなって……」

 みんなで一緒に花火を見に行った仲だったが、沙織はその日、急遽鷹緒に会うために途中で抜けていたのである。

「いんや。急用なら仕方ない。それよりまたどっか行こうよ。みんなでさ」

「うん」

「今度はドタキャンしないでよ?」

「あはは。うん、ごめんね」

「じゃ、俺も支度してくる」

 楽屋に消えていく玲央を見送って、沙織はスタジオの隅で水を口にした。今日は麻衣子がいないこともあって、先輩モデルばかりで居場所がない。

 その時、鷹緒がやってきて、沙織はほっとした顔を見せた。今日のカメラマンである。

「おはようございます」

 そう言いながら入ってきた鷹緒にも、沙織が映った。

「おはよう」

 笑いかける鷹緒に、沙織は大きく頷く。

「うん。おはようございます」

 それ以上の会話はなく、鷹緒はスタッフに合流して打ち合わせを始めた。時に笑い声も溢れる現場は、鷹緒がいるだけで明るくなった気がする。

 やがて撮影が始まる中で、先輩モデルたちに気後れし、沙織は一人で鷹緒のことを見つめていた。

「沙織ちゃん」

 その時、声をかけてきたのは、社長の広樹である。

「ヒロさん……」

「どうしたの? こんなところに独りぼっちで……スタッフかと思っちゃったよ」

 苦笑する広樹に、沙織は俯いた。

「今日は先輩ばかりだから……」

「アハハ。それは沙織ちゃんが出世した証拠じゃない」

「はあ……ヒロさんはどうしたんですか? 現場に来るなんて珍しいですね」

「今日は暇なもんでね。様子を見に来ただけ。鷹緒も病み上がりだしね」

 それを聞いて、沙織はくすりと笑った。

「ヒロさん、本当にいい人ですね」

「それは男にとって、あんまりいい褒め言葉じゃないよ……でも鷹緒は本当、放っておくと無茶するから、たまにはこうしてプレッシャーをね」

「十分間の休憩です――」

 スタッフの声が響いて、場は突然ざわつき始める。

「あれ? 社長じゃないッスか」

 声をかけたのは、玲央をはじめとする男性モデルたちだ。

「おつかれさま。撮影は順調?」

「ええ。予定通り……視察ですか?」

「まあね」

「案外、彼女に会うためだったりして――」

 突然そんな声が響き、モデルたちは振り向いた。そこには満面の笑みで微笑む綾也香がいる。

「え、社長って彼女いるんですか?」

「まさか……沙織ちゃんが? 確かにこの間も、手を引いて連れ出したって女性陣が騒いでたけど」

「それは諸星さんが入院したからだって聞いたじゃん」

「でもさ……」

 純情な男性モデルたちがそう尋ねるので、広樹は大きく首を振って苦笑した。

「嫌だなあ。いるわけないでしょ……君らに言われたら惨めなんだけど」

 広樹はそう言いながら、最後は真顔で綾也香を見つめて牽制した。先ほどの綾也香の言葉は、明らかに攻撃である。

「ハハ。やっぱり違うのか」

「社長って、そういう噂聞かないですもんね」

「いや、男性好みなんですよね?」

 そんな男性陣に、広樹は溜め息をついた。

「君たちね……」

「そろそろ休憩終わります――」

 その時、そんな声が響いて、一同は振り返った。

「ヤベ。トイレ行っとこう」

「俺、メイクさんに話があったんだ」

 各々が去っていく中で、そこには沙織のほかに広樹と綾也香だけが残っている。

「……沙織ちゃんも、メイク直してきなよ」

 断れない雰囲気で広樹が言ったので、沙織は察して頷き、その場から去っていった。

「……なに? あれ」

 やがて口を開いた広樹に、綾也香は広樹を見つめる。

「べつに……思ったことを口にしただけですけど」

 対峙した広樹と綾也香だが、互いに目を逸らさない。

「……まだ子供のままなんだね」

 そんな広樹の言葉に、綾也香はカッとなって顔色を変えた。

「そんなこと、社長に言われる筋合いないです」

「どうして? 僕は社長だよ。僕のことはいいけど、沙織ちゃんみたいな他の人まで陥れるような真似は見過ごせない。みんなだって戸惑ってたじゃないか」

「みんな沙織のことばっかり……」

 綾也香の言葉に、広樹は眉を顰めた。

「……話にならないな」

 そう言って溜め息をつき、広樹は綾也香に背を向ける。

「言いふらしますよ?」

 それを聞いて、広樹は振り返った。

「なにを?」

「なんでも……昔うちらが付き合ってたことも、沙織のことだって……鷹緒さんと付き合ってるとか、社長と付き合ってるとか、あることないこと全部……」

 綾也香にとって自分が嫌になるくらい勝手に出てくる言葉を前に、広樹は真剣な顔で綾也香を見つめる。

「じゃあ付き合おう……って言ったら、それで君は満足するの?」

「え……」

「いいよ。そこまで言うなら付き合っても。僕はべつに誰でもいいから……」

 広樹の顔に感情などない。ただ怒っていることは雰囲気でわかる。

 その時、綾也香の平手が飛んだ。

「馬鹿にしないでよ!」

 あまりの大きな声と音に、その場は静まり返った。しかし、すぐにそれぞれが会話を始める。

「え、社長と島谷さん、何かあったの?」

「叩いたみたい……でも、どうして?」

「まさか二人、付き合ってるとか?」

「ええ? そんな馬鹿な」

 混乱する場の中で、鷹緒は顔を顰めた。

「おい! 仕事や契約内容が気に入らないなら、ここじゃなくて他でやってくれ。邪魔するなら他のモデル呼ぶから帰っていい。社長も、タレントの愚痴は会社で聞いてやってくれ」

 フロア中に響いた鷹緒の声に、その場にいた全員が仕事上のトラブルだと勘違いした。

「ああ、ごめん。うちの所属になったとはいえ、まだまだ詰めてる段階だから……綾也香ちゃんも、ごめんね。話なら後で聞くから」

 広樹もそう言ってごまかしたので、綾也香は広樹を睨みつける。

「もういいです。社長なんて嫌い」

 そう言い残して、綾也香は楽屋へと駆けていった。


 その後すぐに広樹がスタジオから出て行き、撮影は続行された。

 撮影が終わってから、沙織は楽屋でメイクを落としている綾也香の隣に座り、自分もメイクを落とし始めた。だが綾也香は、不機嫌そうに無視を決め込んでいる。

「あの……綾也香ちゃん」

「……なに?」

 そう返事をしたものの、綾也香は話しかけるなオーラを出していた。それでも怯まずに、沙織は口を開く。

「あの……あんまり気にしないでね」

「……沙織に何がわかるの?」

「それは、私もすぐ思い詰めることあるから……」

 何を言っても神経が逆なでされるかのように、綾也香は持っていたメイク道具を思い切り置いて音を出した。

「いいよね、沙織は……優しい親戚と社長がついててさ」

「……鷹緒さんもヒロさんも、みんなに優しいよ?」

「ふうん。じゃあ、私だけに優しくないんだ」

「綾也香ちゃん……」

 メイクもそこそこに、綾也香は勢いよく立ち上がる。

「ごめん……あんまり話しかけないで」

 そう言い残して、綾也香は楽屋の奥へと消えていく。

 沙織は小さく溜め息をつくと、軽くメイクをしてフロアへと出ていった。


 フロアでは、スタッフたちが片付けを始めている。それももう終わりかけで、そろそろ解散になりそうだ。いつもは撮影後すぐに奥のアトリエにこもる鷹緒も、今日は珍しくその場にいて、スタッフたちと楽しそうに話していた。

「ああ、沙織。事務所行くけど、おまえも行く?」

 行く予定などなかったが、大っぴらな鷹緒の態度は何か思惑があるように思えて、沙織はこくりと頷く。

「ちょうどいいから一緒に行くか。じゃあみんな、お先に」

「はい、おつかれさまでした」

 なんの不信感もなく、鷹緒と沙織は見送られてスタジオを出る。

「どういうこと?」

 外に出るなり沙織が尋ねると、鷹緒は苦笑した。

「おまえを待ってたんだろ」

「え、そうなの? だって、いつもなら仕事やってから帰るのに……」

「放っておくと、綾也香のことに首突っ込みかねないと思って」

 そう言われて、沙織は眉を顰めた。

「どうして綾也香ちゃんに冷たくするの? 首突っ込むなんて言い方……同じモデルだし先輩だし、落ち込んでるなら慰めたいよ」

 正直にそう言った沙織の頭を、鷹緒は撫でるように叩いた。

「あいつの場合は、放っておいたほうがいいんだよ」

「そんな……冷たいよ」

 鷹緒は立ち止まると、真っ直ぐに沙織を見つめる。

「沙織……真っ向勝負じゃいかない人間だっているんだ。綾也香の場合は、今手を差し伸べる段階じゃない」

「そんなの人の勝手じゃない。鷹緒さんはいつでも正しいの?」

 言うことを聞かない沙織に、鷹緒は溜め息をついた。

「俺が正しいとか正しくないとかじゃなくて、これは過去の経験と俺の勘に過ぎないけど、わかってておまえに傷付いてほしくないんだよ……おまえにだってあるだろ。何言われても腹が立つ時くらい……綾也香に優しくする人間がいてもいいけど、あいつは一人になって、一度自分を見直さないと駄目だ。それは、あんな仕事現場の人前でやらかしたことからわかるだろ」

 半分は納得して、沙織は黙り込む。

「心配なのはヒロのほうだよ……この忙しい時期に大丈夫かな」

 続けて言った鷹緒の言葉に、沙織は顔を上げた。

「ヒロさん?」

「あんまり表に出さないからな」

「そうなんだ……」

「……ところで、メシでも食う?」

 そう言われて、沙織は目を輝かせた。

「いいの?」

「ああ。でも食ったら仕事あるから、今日はゆっくり出来ないけど」

「それでもいいよ」

「じゃあ、今日はおまえの好きなもの食べよう」

「ええ? 何にしようかな……」

 他人の心配事はとりあえず置いておいて、二人は食事へと出かけていった。


 食事を終えた鷹緒は、沙織と分かれて会社へと戻っていった。定時過ぎだというのに、まだ社員たちがバタバタしている。ふと社長室を見たが、電気は点っているものの広樹の表情まではわからない。

 鷹緒は自分のデスクへ向かうと、パソコンを起ち上げた。

「何かあったのか?」

 横から彰良がそう尋ねてきて、鷹緒は首を傾げる。

「え?」

「ヒロだよ。戻ってくるなり何も言わず、社長室にこもりきり。さっき打ち合わせに行ったけど、とてもじゃないけど仕事にならないって感じだったな」

 彰良の言葉に、鷹緒は溜め息をついた。

「やっぱり……さっき綾也香と、ちょっと……」

「またかよ。やっぱりあの子を入れるべきじゃなかったのかね。まあタレントとしては欲しいけど、男女のイザコザはシャレにならん」

 彰良もまた顔を顰めながら、わかったというように仕事に戻る。鷹緒もまた仕事を始めようとするが、ふと気になって立ち上がり、社長室へと入っていった。

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