43. 夏花火
九月初旬のある午後。鷹緒は久々に伯母夫婦の家へと向かっていった。
「ちーっす」
軽いノリで家に上がると、沙織が伯母と一緒に浴衣を並べている。
「あ、鷹緒さん」
「なんだよ、まだ着てなかったのか?」
「だって、いっぱいあるから迷っちゃって……鷹緒さんに選んでもらおうと思って」
それを聞いて、鷹緒は照れたように口を曲げる。
今日は沙織と二人、地方で行われる花火大会へ行くことになっている。それはこの夏、二人できちんと見ることがなかったからだ。
どうせなら浴衣で行きたいという沙織だったが、唯一持っていた浴衣をすでに先日着てしまっていたため、着物や浴衣をたくさん持っている祖母に借りることにしたのである。
沙織の祖母は、鷹緒の育ての親ともいうべき伯母であるため、鷹緒にとってはいろいろ気まずい部分もある。
「おまえ、伯母さんの前で何言ってんだよ……」
軽く照れている鷹緒に、伯母は苦笑した。
「身体の具合はどうなの? まったく、いつでも事後報告なんだから……」
先日、鷹緒が入院したことも、伯母には退院してから告げている。
「大したことなかったからだよ。それより何……俺が選べばいいの?」
照れを隠すようにうんざりとした態度を取りながら、鷹緒は並べられた浴衣を見つめる。
「じゃあこれ。早くしないと遅れるぞ」
あっさり決めた鷹緒は、部屋から出ていった。
「なに、あの態度……」
口を尖らせる沙織に、伯母はにっこりと笑った。
「やっぱりあの子、変わったわね」
「え?」
「照れたり拗ねたり怒ったり、沙織ちゃんがいなかったら、あの子が何を考えてるかなんて全然わからないわよ」
沙織にとっては祖母の言葉に、沙織はきょとんとした顔をする。
「鷹緒さんが何考えてるかなんて、私にもわからないよ?」
「ふふ。私たちにはわかりやすくなったってことよ。じゃあまあ、早く着替えましょうか」
その時、家の呼び鈴が鳴って、伯母は玄関へと出ていった。
少しして、玄関から伯母の声が聞こえる。
「鷹緒! ちょっと出るから」
その声に、鷹緒は玄関へ向かった。それを聞いて、沙織も廊下に顔を出す。
「どうしたの?」
「高橋さんの家の子に、浴衣着せてあげに行くから」
「え、だって沙織は?」
「浴衣くらい、あんたも着せられるでしょ。こっちはご近所付き合いなんだから断れないし、ちゃちゃっとやって帰ってくるから」
そう言い残して、伯母は足早に出ていってしまった。
「ったく……」
鷹緒は仕方なさそうに沙織のいる部屋に入ると、沙織を見つめる。
「……時間ねえし、俺がやるぞ」
その言葉に、沙織は驚いた。
「え、鷹緒さん、着付け出来るの?」
「簡単で良ければな」
口を曲げながら、鷹緒は沙織の帯を結ぶ。妙に手慣れている様子に、沙織もまた口を曲げた。
「今までそうして女の子にやってあげたの?」
それを聞いて、鷹緒は膨れた沙織の頬を指でつついた。
「おまえ、自分の祖母の職業知らねえの?」
「え? 確か、和裁とかやってるって……」
「他にも着付け教室とかやってんだよ、あの人……俺がここにいた数年間、散々手伝わされたからな」
「そうなの?」
驚く沙織に、鷹緒は苦笑する。
「今も着物が多いけど、あの頃の伯母さんは毎日着物だったから、毎日着るの手伝わされてたよ。まあ今思えば、自分一人でも着られるんだから、俺に手伝わせてたのは交流手段の一つだったんだろうけど……おかげでこっちも変な特技出来ちゃった」
遠い日を思い出して微笑みながら、鷹緒は沙織の帯を結んでやった。
「こんなんでいい?」
「わあ。可愛い」
姿見で綺麗に結ばれた帯を見ながら、沙織が微笑む。
「じゃあ行くか」
「うん。でも鷹緒さんが出来るなら、今までもわざわざ実家やおばあちゃんのところに行くことなかったんだね」
「俺のは即席だから、そんなにもたないかもよ」
鷹緒の言葉に、沙織は首を傾げる。
「え?」
「あんまり強く締めるの得意じゃないんだよな。まあ途中で脱げても、また結んでやるよ」
不敵な笑みで見つめる鷹緒に、沙織は自分がからかわれていることに気付き、顔を赤らめた。
「も、もう……」
その時、玄関の戸が開く音がして、伯母が顔を出した。
「出来た?」
「一応。早かったね」
「浴衣着せるだけで、そんなに時間かからないわよ。あら、結構綺麗に出来てるじゃない。でも、ちょっと直させて」
そこはプロの目なのか、伯母は着たばかりの沙織の浴衣を軽く直している。
「これでよし。じゃあ、鷹緒も浴衣着ちゃいなさい」
そう言われて、鷹緒は目を見開いた。
「はあ? 俺はいいよ」
「せっかく二人で花火に行くんだから、あなたも着ればいいでしょう。ほら、さっさと脱いで」
沙織の浴衣を貸りること自体が急なことだったので、とても断れる雰囲気ではない。
鷹緒は仕方なくシャツを脱ぐと、手早く用意された浴衣に袖を通す。
「わあ。鷹緒さんの浴衣姿、なんだか新鮮」
そんな沙織の言葉に、伯母が口を開く。
「浴衣も似合うでしょう? 見てくれだけはいいからね」
「あのね、伯母さん……」
「ほら出来た。じゃあ早く行きなさい。そろそろ行かないと間に合わないんでしょ」
「おばあちゃんも、本当に来ない?」
沙織の言葉に、祖母は嬉しそうに笑った。
「地方まで行くんでしょう? この年になると、車で出かけてまで花火を見たいとも思わないのよね。二人でゆっくり見ていらっしゃいな」
「そう……じゃあ近々、浴衣返しに来るからね。今日はありがとう。突然お願いしてごめんね」
「そんなこといいのよ。いつでもいらっしゃい」
「はーい」
玄関へと向かう沙織の後ろで、伯母がこっそりと鷹緒に一万円札を差し出した。
「いらないよ。いくつだと思ってんの?」
顔を顰める鷹緒に、伯母もまた顔を顰める。
「あなたにじゃなくて、沙織ちゃんによ。何か美味しい物でも食べなさい」
「孫甘やかして……」
「あなたの快気祝いとしてでもいいわよ。それから、沙織ちゃんダシにしないで、たまにはちゃんと顔出しなさい」
「べつにそういうつもりはなかったんだけど……」
「じゃあ、どうしてちっとも顔出さないの」
伯母の言葉に苦笑して、鷹緒は一万円札を手にした。
「わかったよ。ありがとう。近々また顔出すから……伯母さんも元気で」
「ありがとう。気をつけて行ってらっしゃい」
「行ってきます」
伯母に送り出され、鷹緒と沙織は伯母の家を後にし、車で地方へと向かっていく。
「おばあちゃんって、鷹緒さんがいると、本当に嬉しそうだよね」
「そう? 俺にとっては小言言われるだけなんだけど」
そう言いながらも、鷹緒も嬉しそうに微笑んだ。
「なんか嬉しいな。鷹緒さんとおばあちゃんが話してるとこ見るの」
「へえ……そんなことより、せっかく地方まで行くんだ。どっか行きたいところとかリサーチしてる?」
「あ、ううん。でも、いつでも携帯で調べられるし」
「じゃあ、今日は俺に任せて」
鷹緒の言葉に、沙織は驚きながらも首を傾げる。
「え?」
「誕生日のやり直しさせてよ。当日ちゃんと出来なかったから……」
入院していたことで沙織の誕生日をきちんと祝えなかったことを、思ったより鷹緒は気にしているらしい。そんなことはいいと思いながらも、そう気遣ってくれる鷹緒に、沙織は嬉しくなった。
「うん。楽しみ!」
素直に笑顔を零す沙織に微笑みながら、鷹緒は車を地方へと走らせる。地方といっても車で小一時間ほどの距離だ。
やがて着いた花火会場は、すでに場所取りの人でごった返していた。
「場所取りすごいね……どの辺で見ようか?」
「俺たちはあっちだよ」
鷹緒が指差したのは、少し先にあるテントブースに囲まれたビアガーデンのような場所である。そこには指定席と書かれており、金を払って入るところである。いつも行き当たりばったりなところでしか花火を見たことがない沙織は驚いた。
「指定席取ってくれたの?」
「座ってゆっくり見られるところのほうがいいだろ? 一応、芸能人なんだし」
どこで手に入れたのか、すでに鷹緒はチケットを持っており、あっさりとブース内へと入り込む。そこはもう一般席とはまるで違い、テントでは様々な物が売られている。
「とりあえず、なんか食い物買おう」
そこで二人は食べ物や飲み物を調達し、空いているテーブルへと向かう。中は自由席のようだが、有料ブースということもあってか、そんなに混み合ってもいない。
「あ、料理の写真撮りたい」
沙織はそう言って、持っていたバッグの中からデジタルカメラを取り出した。それは去年の誕生日に、鷹緒からもらったプレゼントである。
「持ち歩いてるんだ?」
「うん。結構撮ってるよ。ブログにも載せてるし」
「じゃあ撮ってやるよ。せっかくの浴衣姿だしな」
鷹緒は沙織からデジカメを受け取ると、すぐにそれを構えた。液晶画面に映る沙織は、浴衣のせいかいつもより色っぽく見え、料理を見せようとポーズを取る姿も愛しく思える。
「はい」
素早く目を逸らして、鷹緒は撮ったばかりのカメラを返した。すると沙織の表情が曇る。
「……駄目?」
「え?」
「料理の見せ方とか、ポーズの取り方とか……」
「なんでだよ。今は仕事じゃないだろ」
「そうだけど……いつも撮ったら何かしら声かけてくれるじゃん。良くても駄目でも、感想とか……」
そう言われて、鷹緒はノンアルコールビールに口をつけると、オープニングセレモニーのステージを見つめた。そこでは今にもお囃子などが始まりそうである。
「じゃあ……今の写真見てみろよ」
鷹緒の言葉に、沙織はカメラを操作して、撮ったばかりの写真を再生する。さすが鷹緒というべきか、こんな何の変哲もない場所でも、明るく綺麗に撮れていた。
「さすが鷹緒さん。良く撮れてる」
「被写体がいいからだ……って言ったら、伝わる?」
「……社交辞令っぽい」
「なんでだよ……」
その時、沙織が持っていたカメラで鷹緒を撮った。
「撮っちゃった」
「てめえ……俺が写真嫌いなの知ってるくせに」
「今日は私の誕生日祝いでしょ。このくらい許してよ」
そう言う沙織も、また愛らしい。
鷹緒は吹っ切ったように微笑みながら、沙織を見つめた。
「ずるいくらい可愛いよ」
あまりに自然に言われたので、沙織は爆発するかもしれないというほど真っ赤になって驚いた。
「な、な、何言って……」
「可愛くて仕方がない」
「た、鷹緒さん……」
もはや目も見れず、沙織は顔を隠して俯く。
そんな沙織に微笑んで、鷹緒は沙織の片手を取った。
「おいで」
「え?」
「こっちにおいで」
大きなテーブルを挟んで座っていたため、鷹緒が隣の席を指して言った。
沙織は赤くなりながらも、小さく頷いて立ち上がる。そして鷹緒の隣に座ると、照れて身を竦めた。
「なんでそんなに身体こわばってんだよ」
「だって……私にとって鷹緒さんは、未だに憧れの人なんだもん」
そう言われて、鷹緒は驚いたかと思うと、やがて苦笑した。
「その色眼鏡が、あとどのくらい通用するのかな」
「私の目を疑ってる?」
「まあ、俺も沙織の期待を裏切らないように、努力しないとな」
沙織が頷いて微笑むと、オープニング行事らしいステージが始まった。
「なんかお祭りっぽいね」
「ああ。地方に来て正解だったかもな。花火以外にこうしてゆっくり見るの初めてかも」
「鷹緒さん、今年は花火見た?」
「何回かね。でも仕事だから、ほとんどファインダー越しにしか見れてないよ」
「そっか。今日は撮らなくていいの?」
「撮りたくなるから、わざわざカメラ車に置いて来たんだろ。今日はおまえ優先だからな」
「……嬉しいな」
噛みしめるように微笑む沙織に、鷹緒もまた微笑む。
その時、オープニング行事が終わると同時に、一発目の花火が上がった。
「わあ!」
思ったより間近に上がった花火は、火の粉が被りそうなくらいの距離で上がる。
「すごいすごい! ド迫力!」
はしゃぐ沙織は、見上げるために傾けた身体を、隣にいる鷹緒に当たらせてしまった。
「あ、ごめんね」
「いいよ。寄りかかってろ」
まるで命令でもするように、鷹緒は沙織の身体を軽く抱いた。もう逃げられないこともあって、沙織はその胸に身体を預ける。
「うん……」
「しかし、もう少し向こうに座ればよかったかな。近すぎ」
「ううん。こんなに近くで見たの、初めてだから嬉しい」
そう話している間にも花火が上がり、話し声がかき消されていく。
そんな中で、鷹緒が沙織の耳元に口を寄せた。
何か言われるのかと自らも差し出す沙織の耳たぶを、鷹緒が甘噛みする。
「ひゃっ……」
沙織が思わず振り向くと、不敵な笑みの鷹緒がいた。
「も、もう!」
「ほら、花火に集中しろよ」
「そうだけど……」
すると、鷹緒の顔がもう一度沙織の耳元に向かった。
「もう駄目だよ」
そう言う沙織に、鷹緒が笑う。
「また来よう。おまえがいると、花火に集中出来ない」
鷹緒の言葉に照れ笑いし、沙織は花火を見上げながら大声で叫ぶ。
「そんなの、私も同じだよ!」
花火の音にかき消されながらも、その声は確実に鷹緒まで届いた。
そこはまるで二人だけの世界のように、その日の思い出は二人の心に深く刻まれていた。