39. 散歩道
「うーん。どれにしようかなあ」
とある宝石店の片隅で、沙織はきらめく宝石を見つめていた。隣には鷹緒がいるが、特に興味がある様子でもなければ、嫌そうに付き合っているわけでもなく、沙織の様子を窺っている。
今日はもうすぐ迎える沙織の誕生日プレゼントを探しに、二人して珍しくデートである。早く仕事が終わったため、まだ午後になったばかりだ。
「ネックレスでいいのか? 前もやったろ」
「前は前だよ。今でさえ迷うほど、どれも可愛いんだもん」
女性の買い物は時間がかかると思いながらも、特に嫌だと思うこともなく、鷹緒もまたケースの中を見つめる。
「今日は下見だろ。この間も決められなかったんだし、まだ悩んでおけば?」
鷹緒がそう言ったのは、先日も仕事の合間に沙織の欲しい物を探していたのだが、結局決まらなかったことにある。おかげで今日もデートコースは沙織の誕生日プレゼント探しとなったのだが、この時間もまた愛しいと思えていた。
「そうだけど、この調子だと当日も決められないよ?」
「それは困るな」
「じゃあ、これとこれとこれ、どれがいい?」
そう聞かれて、鷹緒は口を曲げた。どれも同じに見えるほど繊細なデザインである。
「……どれもいいんじゃない?」
「もう。そうでしょ? そうなっちゃうんだよ」
「じゃあいいよ。全部買ってやるよ」
鷹緒の言葉に、沙織は顔を顰める。嬉しい気持ちもあれば、それでは特別という感じがしないという気持ちになった。
「そ、そんなの駄目。せっかくの誕生日プレゼントなんだから、これというものを選びたいじゃん」
「ふうん……まあ今日は時間あるんだし、当日まで日数もあるんだから、いっぱい悩め」
鷹緒は苦笑しながらも、迷う沙織を見つめていた。
それからしばらくして、二人は宝石店を出ていく。
「今のところ、ハートのやつが一番かな。でもやっぱり決められなかった……」
しゅんとする沙織を尻目に、鷹緒は笑う。
「誕生日の日に買いに来よう。それまでには決めておけよ」
笑顔の鷹緒につられて、沙織も微笑んだ。
「今日はゆっくり出来るんだよね。この後どうする?」
「うーん。まだ夕飯には早いしなあ。何処か行きたいとこないの?」
「じゃあ、ちょっとお散歩しようよ」
穏やかな午後のひとときのように、二人は何をするでもなくただ歩き続ける。鷹緒にとっては散歩自体が久しぶりのことで、こうして誰かと並んで歩いて景色や町並みでも見るという行為はしたことがないに等しい。
「綺麗な花咲いてる。なんていう花だろう」
道の脇に咲く花を見てそう言った沙織に、鷹緒は微笑んだ。
「なに笑ってるの?」
口を尖らせる沙織だが、鷹緒は笑顔のまま首を振った。
「いや、こういうの慣れてなくて……気恥ずかしい」
「え?」
「あんまり計画なく外で散歩とか、俺の人生にないから。特に女の子とね」
それを聞いて、沙織も笑った。
「私はよくお散歩するよ。結構楽しいでしょ? 知らない発見とかいっぱいあるんだから」
「そうだな」
「あ、あそこに新しいお店が出来てるよ」
沙織は嬉しそうに笑い、様々な店を覗いていく。散歩に慣れていない鷹緒も、久しぶりに穏やかな時間に癒やされていた。
数十分ほど歩いて、二人は大きな公園へと辿り着いた。スポーツ公園ともいうべきそこは、野球場やテニスコートなどもある。
「懐かしいなあ」
ふと呟いた鷹緒の言葉に、沙織は顔を上げた。
「そうなの?」
「学生時代はよく来てたよ。バスケもサッカーも、ここに来れば出来るから。それより、のど渇かない? 少し休もうぜ」
そう言って、鷹緒はサッカーコート脇にある自動販売機へと向かう。
そこらじゅうからトレーニング中や試合中の選手の声が聞こえる。そんな中で、一際大きな声が響いた。
「諸星――!」
驚いて振り向くと、サッカーコートの中で手を振る男性が見えた。鷹緒は怪訝な顔をして目を凝らすと、ふと記憶が結びつく。
「五城?」
「よお、やっぱり諸星か! おまえ、相変わらず目立つな」
走り寄ってきた男性は、鷹緒と同世代くらいの爽やかな男性だ。男性の言葉に、鷹緒は驚いたかと思うと苦笑した。
「俺は奇怪な動きでもしてたか?」
「アハハハ。褒めてやってんだろ。可愛い女の子連れちゃって、相変わらずモテてるようだな」
沙織を見て言う男性に、鷹緒は苦笑を続けている。
「親戚の子だよ。モデルやってる小澤沙織」
恋人とは紹介してくれない鷹緒に傷つきながらも、沙織は会釈する。
「沙織。こいつは五城っていって、俺の幼なじみ」
「幼なじみ?」
「はじめまして、五城梓です。学校は違うんだけど、小学生の頃にサッカーチームで一緒だったんだ。その後、中学高校と学校も一緒でね」
「で、おまえ未だにサッカーやってんの?」
鷹緒の言葉に、五城は首を振る。
「夏休みの間だけコーチ頼まれただけ。でもフットサルはやってるよ。おまえもやらないか?」
「そんな暇ねえよ」
「相変わらずだなあ。この間、ミヤジの祝賀会も来なかっただろ。幹事の奈々子が激怒してたぞ。来ないなら来ないって連絡しろって」
五城がそう言ったのは、鷹緒にも電話や葉書で来た知らせのことである。同級生が都内に飲食店を出すということで、同窓会を兼ねて祝賀会をやるという話だったようだが、鷹緒は仕事で行けなかったため、連絡するのも遅くなっていた。
なんにしても、ここは沙織のわからない話であるが、鷹緒も五城も明るく話を続けている。
「したよ。ギリギリだったけど」
「ギリギリでもお怒りでしたよ。まあ、今度ゆっくり会おうや」
「ああ。ミヤジの店も行ってないしな」
「そうか。じゃあ近いうち飲もう。絶対だぞ」
「ハハ。了解」
その時、五城がサッカーチームの子供たちに呼ばれ、一同はサッカーコートを見つめた。
「戻らなきゃ。会えてよかったよ。おまえと飲みたいと思ってたんだ」
「俺も。連絡するから」
「気長に待ってるよ。じゃあな」
去っていく五城を見送って、鷹緒は買ったばかりのペットボトルを沙織に差し出す。
「びっくりしたな……」
「爽やかな人だね」
沙織の言葉に、鷹緒は驚いたように沙織を見つめる。
「おまえ……」
「え、なに?」
「いや……気をつけろよ。あいつ、タラシだから」
「タラシ?」
「学生時代、あいつのがモテてたからな。まあ、今は結婚してるからいいけど」
鷹緒はペットボトルに口をつけて、静かに歩き出す。それについて行きながら、沙織は微笑んだ。
「なんか嬉しいな。学生時代の鷹緒さんのこと知ってる人に会えるなんて」
「んなもん、ヒロだってそうだろ」
「あ、そっか。でもヒロさんは学校違ったんでしょ? それに昔の話なんてする機会ないしさ」
「昔の話ねえ……」
「鷹緒さんがサッカーやってた話も、ちょこっとした聞いたことなかったし」
「べつに今モノになってないんだから、どうでもよくない?」
ドライに聞こえる鷹緒の顔は、単純に面倒臭そうである。
「もう。そういうのやってたから、今の鷹緒さんがあるんでしょ? もっと教えてよ」
「……サッカーは小学校の一時期だよ。中学入ってからはバスケに転向したし」
「へえ、バスケか。私もバスケはハマったなあ……ねえ、今日はもっとちゃんと聞かせて」
「そんなに語るほど、面白い話なんてねえよ……」
困ったように眉を顰める鷹緒の目に、公園の側にある店が映った。
「……じゃあ、とりあえずそこの店でも入ろう。甘い物食いたい」
いつの間に公園から出ていた二人。話題を変えたい様子の鷹緒にまんまと流されながら、沙織もまた一つの店を見つめた。そこはイートインも出来るケーキ屋で、すっかり気でも変わったように、沙織の目が輝く。
「ケーキ!」
「どうせまた、何食うかでも迷うんじゃねえの?」
「きっとね……でも決めるもん」
「ハハ。迷ったら全部食っちまえよ」
「もう。そんなの彼氏失格。私が太ってもいいの?」
口を尖らせる沙織。細身のモデルに囲まれているせいか、自分の体型にコンプレックスを感じているのを鷹緒もわかっていたが、本人が気にするほど太っているわけではなく、むしろ痩せ型である。
「ちょっとくらい太っても、どうってことないだろ」
「ダメダメ。そんな誘惑には負けないもん」
「じゃあ食べないんだ?」
「一個は食べるよ!」
「ハハハ。そんな無理することねえのに」
久しぶりの穏やかな午後。笑顔が尽きないまま、二人は店へと入っていった。