37. 星に願いを
七夕の夕暮れ。二人はドライブと称して七夕祭りの地から北上していた。
「今日は星空見えるかなあ」
助手席から空を見上げて呟く沙織に、鷹緒もまた空を見上げる。
「うーん、微妙だなあ。まあどっちにしても、天の川は見えないけどな」
「もう。どうしてそんな夢のないことを……」
「本当のことだろ。それに毎年七夕ってのは、曇りや雨が多いからな。今年は晴れ間も見えたからよかったけど……星はそうそう見えないだろ」
そう言って軽く息を吐く鷹緒の横顔を、沙織はそっと見つめた。
「そうだ。じゃあ、前に連れて行ってくれた、星が見えるところに行きたいな」
突然の沙織の言葉に、鷹緒は記憶をたぐり寄せる。それはすぐに思い出されたものの、あいにくまったく別方向である。
「真逆の方向なんですけど……」
鷹緒が苦笑して言うので、沙織は残念そうに俯いた。
「そっか……天の川は見えなくても、七夕の日くらいは星空見たかったな……」
呟く沙織に、鷹緒は流れる景色を横目で見つめた。あまり土地勘のない場所まで来ており、このまま高速道路で都内に帰ろうと思っていたが、ふと脳裏に描く地図で、直感的に行き先の変更を考える。
「んーじゃあ、山の方でも行こうか。星空はともかくとして、最悪でも夜景なら見られるだろ」
方向転換をさせる鷹緒に、沙織は複雑な表情を見せた。
「いいの?」
「せっかく遠出してんだから、いいんじゃない?」
「でも……どうして知ってるの? 夜景が見えるところとか、星が見えるところとか……」
やきもちでも妬いているような沙織に、鷹緒は吹き出すように笑った。
「悪いけど、俺のが人生経験長いからな。そんなこと言われても困るけど……べつにデートコースじゃねえよ。有名な夜景スポットはカメラマンとしての知識であるし、星空見えそうなところなんて、だいたいわかるだろ」
「……そういうもの?」
「ったく、心配性なんだかやきもち妬きなんだか知らねえけど、あんまくだらないことで悩むなっての」
「うん。そうだね」
半分納得したように、沙織は静かに笑う。
やがて車は町の中から逸れ、山道へと入っていった。
「なんか、あんまり車もいなくて怖いね……」
そう言った沙織に、鷹緒は軽く振り向く。
「大丈夫か?」
「あ、うん。鷹緒さんがいるから……」
「もうすぐ着くよ」
「通ったことある道?」
「一度くらいはあったと思うけど、さっき標識出てたからな。カーナビもあるし、順調」
と、言っているそばから急に広い道に差し掛かり、湖が見えた。
「湖だ!」
子供のようにはしゃぐ沙織に、鷹緒はそっと微笑むと、湖に隣接した駐車場に車を停める。
「ちょっと出ようか」
「うん」
二人きりの夜のデート。少し遠出していつもと違う場所に、沙織は胸の高鳴りを隠せずに微笑む。手を繋ぎたい……と思っていると、鷹緒から沙織の手を握ってきたので、沙織は驚いたように顔を上げた。
「テレパシー?」
「ハハ。なんだよ、それ」
「だって私も、手を繋ぎたいって思ってたから……」
「こんなところなら、誰に見られてるわけじゃないからな」
辺りに人影はなく、二人は湖の畔にあるベンチに座ると、空を見上げた。
「月が出てるから、あんまり満天の星空ってわけじゃなかったな」
「でも綺麗。嬉しい……」
月明かりで空が明るいものの、都会では見られない星空が広がっている。また湖の揺れる水面が月に照らされ、最高のムードだ。
「……おまえ、明日も仕事だよな?」
しばらくして鷹緒からそう尋ねられ、沙織は寂しそうに頷く。
「うん……それに夏休み入ったら、またお互い忙しくなっちゃうよね」
「ああ、海外ロケもあるんだっけ?」
「うん。地方とかも行ったり来たりで……」
「売れっ子になってきた証拠じゃん。頑張れよ」
応援してくれる鷹緒だが、沙織は素直に喜べない。
「頑張れなんて、言ってほしくないよ……どんどん会えなくなっちゃう……」
口を尖らせる沙織の頭を撫でるようにして、鷹緒は沙織を抱き寄せた。
「おまえが頑張ってたら、雑誌やテレビでおまえのこと見ていられるからな……そういう意味で、俺は寂しくないよ」
「そんなのずるい。私は鷹緒さんのこと見られないのに……」
「電話も出来るし、全然会えないわけじゃないだろ」
諭す鷹緒を遠く感じて、沙織は拗ねるように、鷹緒の腕から逃れようと体勢を崩した。しかし、鷹緒は離してくれない。
「鷹緒さん?」
「……とまあ、大人を装ってはみるけど……俺だって寂しい気持ちはあるし、我慢してるよ」
「鷹緒さん……」
「で、明日の仕事は何時から?」
改めてそう聞かれて、沙織は首を傾げる。
「昼からだけど……」
「じゃあ、朝までに都内戻ればいいな」
「え? それって……」
「どっか入ってゆっくりしよ」
気がつけば背後にはラブホテルが並んでおり、沙織は顔を赤らめた。
「な、なに言って……外でこういうことはしないって……」
「見たところ同時期に来た車はいないし、人影があってもカップルばっかりだし、マスコミ関係者がいるとは思わないけど?」
「そ、そうかもしれないけど……」
明らかに動揺している沙織が可愛くて、鷹緒はからかうのをやめられないらしい。
「じゃあ、お好きなところをどうぞ」
「いや、あの……またからかってるだけなんでしょ?」
そんな沙織の額を軽く叩いて、鷹緒は立ち上がり振り向く。
「からかってないとは言い切れないけど、俺だって我慢してんだからな。今日はゆっくりするって決めたんだよ」
暗がりでわからないものの、鷹緒は明らかに照れた様子で顔を背けている。そんな鷹緒が愛しくて、沙織も立ち上がり、鷹緒の腕に抱きついた。
「うふふ。なんか変な鷹緒さん。まるで余裕のない人みたい」
「うるせえ。俺をからかうなら、後でたっぷりお仕置きするからな」
「お、お仕置きって……」
沙織の前には、いつもの余裕な表情の鷹緒がいる。からかうような不敵な笑みで見据えられ、いつも振り回されている自分が情けなくなった沙織は、鷹緒の頬に自分からキスをした。
やがて離れると、少し放心状態になった鷹緒がいる。だがすぐに照れたように口を曲げて、沙織の柔らかな頬を軽くつまんだ。
「てめえ……お仕置き決定」
「ええ? だって鷹緒さんのほうが、いつも余裕があるくせに……」
「たまには主導権が欲しいって?」
「うん。欲しい!」
真面目に答える沙織がおかしくて、鷹緒は吹き出すように笑った。
「ハハッ。おまえな……いつも主導権握ってるのはそっちだろ」
「え?」
そんなことを思ったこともない沙織は、驚きに目を見開く。
「俺はいつでもおまえのことで一喜一憂してて、おまえに振り回されてるよ」
まるで同じことを思っていた沙織は、それを聞いて嬉しくなった。
「そんなの……私のほうが感じてるよ」
「じゃあ、お互いさまってことだな」
鷹緒は苦笑しながら沙織の手を握ると、車へと戻っていく。
(このままずっと一緒にいたい……)
二人がそれぞれ心の中で呟くと、頭上で星が流れていった。