36. 七夕の二人
ある日、鷹緒は人でごった返した街の中を歩いていた。もともと人ごみが苦手なだけあって、その表情は硬い。
ふと腕時計を見ると、遅くもなく早くもないいい頃合いになっていることに気付き、鷹緒はそのまま歩を進めていった。
「鷹緒さん! こっちだよ」
視線の先で明るい声が聞こえ、鷹緒は静かに微笑んだ。
「おう。おつかれ」
鷹緒の言葉を受けて満面の笑みを零したのは、沙織である。
「すごい人だね……」
次に沙織がそう言ったのは、ここが七夕祭りの地として大いに盛り上がっているせいである。
今日、鷹緒は七夕祭りの写真を撮るため、湘南の地へやってきていた。本来は俊二の仕事だったのだが、俊二が抱える仕事の締切が差し迫っているために代わってやったものである。
仕事自体は簡単なものだが、おかげで沙織をわざわざ都内から呼ばなければならないというデートスタイルになってしまった。
「悪かったな。わざわざこんな遠くまで……」
すまなそうに言う鷹緒だが、それに反して沙織は嬉しそうである。
「ううん。私、七夕祭り来たかったんだ。子供の頃に来た以来だもん」
「ならいいけど……」
「仕事は順調だった?」
「そうだな。あんまり難しい仕事じゃなかったし、わりとすぐに終わったよ」
「なんだ。じゃあもう少し早く来れば良かった」
そんな会話をしながら、二人はどんどん祭りの中心部へと向かっていく。
「わあ。美味しそう!」
沙織の言葉に、鷹緒は辺りを見回す。そこら中に屋台やら出店やらが出ていて、いい匂いが漂っている。
「そうだな……軽くなんか食って出ようか」
「うん。せっかくここまで来たんだしね」
そうは言うものの、行くも戻るもなかなか進まない。
「痛っ……」
その時、鷹緒の後ろで沙織が言った。
「どうした?」
「足踏まれちゃって……大丈夫。あ、バッグが……」
手を取られたように、バッグを持っていた沙織の手が引っ張られそうになり、鷹緒はその手を優しく戻した。
「この人ごみじゃ、気をつけようもねえよな。持っててやろうか?」
「うん……」
沙織のバッグを持ってやり、鷹緒は沙織を気遣うようにして前を歩く。ふらふらしていれば、人波に押し戻されてしまう勢いだ。
「沙織。はぐれるなよ」
ふと振り向くと、すでに沙織の姿がない。
「沙織?」
鷹緒の身長でも、人の多さにその姿を見つけられなかった。
「沙織」
呼んでも声すら聞こえずに、鷹緒は大通りから外れる。
「携帯がある時代でよかったけど……」
一昔前を思い出しながら、鷹緒は沙織に電話をかけた。すると、手に持っていた沙織のバッグの中から、着信音が聞こえる。つまり沙織は金も携帯電話も持っていないことなる。
「ったく……」
途端に冷静さを失い、鷹緒は辺りを見回した。二人にとっては見知らぬ地。もう接点となる場所はひとつしかない。
「鷹緒さん!」
駅に行くと、不安げな表情を浮かべた沙織が、そう言って駆け寄ってきた。鷹緒も安堵の表情を漏らす。
「心配させんなよ……」
「ごめんなさい。すごい押されて……」
先程待ち合わせしていた場所で、二人は再会を果たした。
するとすかさず、鷹緒が沙織のバッグを差し出す。
「やっぱりおまえが持ってろ」
「う、うん。普段から、携帯は手放さないようにするね」
苦笑する沙織を人波から守るように、鷹緒が一瞬抱きしめた。
すると沙織が、くすりと笑う。
「なに笑ってんだよ」
「ううん。ちょっと不安だったけど、なんだか織姫と彦星みたいだと思って……」
離ればなれになった二人がようやく再会出来たというお伽話を重ねて、鷹緒は苦笑した。
「短時間だったからよかったけど……そんなのたとえ話でも考えたくねえよ」
「私だって……」
俯きかけた沙織の頭を撫でるように軽く叩き、鷹緒は優しく微笑んだ。
「せっかく出てきたんだ。ドライブして帰ろう」
それを聞いて、沙織は嬉しそうに笑顔で応える。
「うん!」
二人はそっと寄り添うように歩き出した。