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3. 未知数のカノジョ

 とある日の鷹緒の部屋――。外食を済ませてやってきた鷹緒と沙織は、リビングのソファに座り、テレビを眺めている。

 すると突然、思い立ったように、沙織が鷹緒を見つめた。

「鷹緒さんのアルバムが見たいな」

 なんの脈絡もないそんな言葉に、鷹緒は大きくまばたきをする。

 鷹緒が言葉を発する間に、沙織はすぐに後悔した。単純に見たいという気持ちだけで軽く言ってしまったが、嫌でも過去に触れることになるであろうことに、鷹緒を傷付けるかと思う。だが、後悔してももう遅い。

「アルバム……?」

 きょとんとしている鷹緒の横で、沙織は首を振った。

「あ、ウソウソ。なんでもない……」

 慌てた様子の沙織を見て、鷹緒は首を傾げ、その心情を探るように考える。

「なんで? なんでもないのにそんなこと言わないだろ」

「……でも本当、どうしても見たいってわけじゃないから……」

「もしかして……気ぃ使ってるのか?」

 口をつぐんだ沙織に、鷹緒は吹き出すように笑った。

「そうか。おまえ、案外いろいろ考えてんだな」

「だって……ごめんなさい」

「いや、そこまでナーバスな問題じゃないから。でもアルバムね……残念ながら持ってないよ」

 鷹緒の言葉に、沙織は目を見開いた。

「ひとつも?」

「うん。高校以前は実家に置きっぱなしだし、それ以降は恵美のとか人のならあると思うけど……俺、基本的に撮られるの嫌いだもん」

「カメラマンなのに?」

 それを聞いて、鷹緒は苦笑する。

「だから撮る側にいるんだろ」

「じゃあ、高校の卒業アルバムも?」

「卒アルかあ……どっかにはあると思うけど、簡単に見つかるところにないのは確かだな……」

「じゃあ、モデル時代の雑誌とか」

「なんでそんなに昔の俺が見たいんだよ。ろくなもんじゃないんだから、やめとけ」

 笑う鷹緒に、沙織は口を尖らせる。

「何度も言わせないでよ。全部知りたいんだってば」

「なんでだよ。自分だって昔の写真見せろって言ったら、嫌なこともあるだろ?」

「……わかった。そんなに嫌ならいいもん」

 口を尖らせたまま俯く沙織に、鷹緒は優しく微笑むと、静かに立ち上がり、無言のままリビングを出ていった。

 数分後。戻ってきた鷹緒の手には、ファッション雑誌が数冊握られていた。

「とりあえず、これくらいしかなかったけど……」

 少し照れながら差し出した雑誌の表紙には、若き日の鷹緒の姿がある。

「すごい、表紙!」

「すごくないよ。これ三崎さんの雑誌だから、身内も同然……」

「私、この雑誌(BOYS&GIRLS)見てみたかったの! だってモデル業界じゃ伝説の雑誌だもん」

「それは三崎晴男みさきはるおっていう有名写真家が監修だからだろ」

 あまり触れられたくないのか、鷹緒は目の前のテレビに見入る。その横で、沙織は雑誌をまじまじと見つめた。じっと見続けていても飽きない新鮮さがある。

 雑誌の中の鷹緒はまだ十代で、今の沙織よりも年下だ。まだあどけなさが残る反面、今と変わらないくらい大人びた表情も見せている。

「鷹緒さん、髪長いね」

「ああ……それ、雑誌最後の頃だろ。長髪が流行ってる時期で、三崎さんにも伸ばせって言われて……もう、俺の横で見るなよ。恥ずかしい」

「……そんなに嫌?」

 心配そうに見上げる沙織に、鷹緒は苦笑した。嫌だと思っても、その顔を見ればなんでもしてあげたくなってしまう。しかしそんな心情まで沙織に告げる気にはなれず、鷹緒はただただ苦笑し、テレビを見つめ直した。

「どうぞ。今更隠すことなんてねえよ」

「でも嫌そう……」

「もう、なんなんだよ。見たきゃ見ればいいだろ。本当に嫌だったら、こんな物持ってこないっての」

 沙織の鼻をつまんで鷹緒が笑った。それがなんだか嬉しくて、沙織も笑う。

「ありがとう、鷹緒さん」

 そう言って、沙織はまたも雑誌をめくり始める。鷹緒はそのまま立ち上がった。

「俺、風呂入ってくる」

 沙織の返事も聞かず浴室へ入っていった鷹緒を尻目に、沙織は雑誌の鷹緒に触れてみた。そこにいる鷹緒は間違いなく鷹緒なのだが、今の沙織が知らない鷹緒であり、同じモデルということもあって、そのポーズや雰囲気が勉強にもなると思う。

 数冊ある雑誌をなめるように見続ける沙織は、最後の雑誌を開いた瞬間に息を呑んだ。そこにいたのは鷹緒だけでなく、若き日の理恵も載っている。それを見て、沙織は一瞬、心臓が止まる思いがした。

「びっくり……でも知ってたことだもん。なにを驚くことが……」

 思わず独り言を言った沙織だが、見ると聞くとは大違いであり、明らかにショックな部分がある。

「いいな、理恵さん……同じ時代に生まれてたら、私も鷹緒さんと一緒に……」

 無理なことだとわかってはいても、嫉妬の渦が巻き起こる。

 そこに鷹緒が戻ってきた。そして沙織の複雑な表情を見て、驚いた顔を見せる。

「……どうかした?」

 聞くのと同時に、鷹緒は沙織が持つ雑誌に目をやった。そこには、鷹緒と理恵のツーショットのカットがある。

 沙織がショックを受けているのを悟りながらも、鷹緒は苦笑した。

「……だからやめとけって言ったんだ」

 続けて言った鷹緒の言葉に、沙織は更にショックを受ける。

「え……」

「俺の人生、どうしたってあいつが出てくるんだから……そんなことでショック受けるくらいなら、最初から見ないほうがいい」

 久しぶりに冷たい言葉を聞いて、沙織は雑誌を閉じて俯いた。

「……ごめんなさい」

 謝ることしか出来ない沙織に、鷹緒は溜息をつき、煙草に火をつける。

「いや……ごめん、言い過ぎた」

「ううん。私がいけないってわかってる……全部知りたいって言ったのに、確かにショックな部分もあるから……駄目だね、私……」

 やるせなさに苛まれる沙織の横に座り、鷹緒は目の前の灰皿に煙草を置くと、沙織を見つめる。そして静かに頬を撫でると、そのまま沙織を抱きしめた。

「……過去は捨てられないからどうしようもない。記憶喪失にでもなりたい気分だよ」

 そんな鷹緒の言葉に、沙織は笑った。

「記憶喪失?」

「そう。そしたら一から始められるじゃん?」

「……不思議だなあ。鷹緒さんに触れてると、不安なんか吹っ飛んじゃうの」

 それを聞いて、今度は鷹緒が笑う。

「じゃあ触れてるから、一緒に見る?」

「いいの?」

「まあ、おまえの頼みならって……弱いな、俺」

「ううん、嬉しい。じゃあ気が変わらないうちに、もう一回見る……」

 沙織はそう言って、ショックを受けて閉じた雑誌をもう一度めくる。鷹緒の目にも、久々にモデル時代の自分の姿が映った。

「……羞恥プレイだな。おまえだって自分が出てる雑誌、人前でまじまじ見られるの嫌じゃない?」

「恥ずかしいけど、最近はそれほどでもないし、モデル仲間とはよく一緒に見るよ?」

「ああ、そう……」

 半ば諦めてそう言いながらも、鷹緒は約束通り沙織の肩に触れ、一緒に雑誌を見つめる。時折その手が沙織の髪を撫でるのが、沙織にとってはとても嬉しくて度々頬を染めた。

「やっぱりカッコイイね、鷹緒さん」

「そんなこと言われても、返す言葉が見つからない」

「理恵さんもすごく綺麗……」

「……この頃、モデル全盛期だろ。俺なんかでも使われたくらいだから、いい時代だっただけじゃん?」

 鷹緒の言葉に、沙織は苦笑する。

「もう、鷹緒さん。それだけモテるのに、どうしてカッコイイからモデルになったとか思わないの?」

「だから俺は、おまえが思うよりモテないっての」

「罪だなあ。まあそれでナルシストだったら嫌味なだけだけど」

「ハハ。それに昔の自分褒められてもなあ……」

「もちろん今もカッコイイよ?」

「そりゃあどうも……」

 しばらく見ていると、沙織は何かに気がついた。

「気のせいかもしれないけど……鷹緒さん、目線合ってる写真、上から撮られてるか下から撮られてるかのどっちかだね? あとは横向いてたり……真正面のがないみたい」

 思わぬ沙織の言葉に、鷹緒は笑った。

「おお、すげえ。気付いた?」

「え? じゃあ、わざとなの?」

 過去を振り返り、鷹緒は笑いを堪えきれずにいる。

「いや……俺、モデルなんてやりたくなかったから、カメラの前でも無表情だったし、正面だとどうしてもやる気ないのが伝わるっていうんで、三崎さんの苦肉の策」

「ええ? そうなんだ」

「だから上目使いとか上から見下ろす形が多くて、笑顔もないから挑戦的だとか、散々叩かれたけどね」

「やりたくないのに、よくやったねえ」

「うんまあ……十代の頃は人生投げてたから。死ぬほど嫌なわけじゃなかったし、あの職場は居心地よかったから離れたくはなかったし、やれと言われればなんでもやってたよ。おかげで俺もカメラマンになれたって感じ? 俺よりやる気なくて扱いづらいモデルはいないからな」

「あははは。そういうこと?」

「そういうこと」

 また鷹緒の思わぬ過去を知って、沙織は嬉しさに顔を綻ばせた。

「同じ時代に生まれたかったな……そしたら、鷹緒さんと同じ雑誌に出られたかもしれないのに」

 叶わぬ夢を呟く沙織に、鷹緒は静かに微笑み、自らも考えてみる。沙織と同じくらいの年代ならば、今と違う人生になっていただろうか。それともやっぱり一度は理恵と結ばれでもして、もっと複雑な関係になっていたかもしれない。そう思うとぞっとした。

「……俺は今のままでよかったと思えるよ。同じ年くらいでタイミング良ければいいけど、やっぱり結婚しちゃって、その後におまえと再会でもしてたら、どうしようもないじゃん。泥沼だよ」

 思うまま素直に言った鷹緒に、沙織は目を見開いた。

「そっか……それもそうだね……」

 しんみりした様子の沙織を見て、鷹緒は俯いた。いつも素直で純粋な沙織は、真っ直ぐに自分へとぶつかってくる。正直、それが鬱陶しいこともあり、逆に可愛らしいと思うこともあるのだが、鷹緒自身も素直に話す癖がついていることに気付かされる。だがそれは結果的に、沙織にとってはよくないこともあるだろう。そう考えると穏やかではない。

「……他に望むことは?」

 そう思うせめてもの罪滅ぼしで、鷹緒はそう尋ねた。

「うーん……べつにないよ。こうして見せてくれただけで十分」

 いつものように明るく笑う沙織に、鷹緒は安心するように頷く。

「少ししかなくてごめん。そういうのとっておくタイプじゃないから……」

「じゃあこれとっておいたの、もしかして理恵さん?」

 またも理恵の名前が出て、二人の間に沈黙が走る。だがもう、鷹緒には素直に言うことしか残されていない。それは沙織が望んでいるからである。

「うん……」

「もう、やだなあ。そんな深刻な顔しなくても、素直に言ってくれて嬉しいよ?」

 バツが悪そうにそう言った鷹緒に、沙織は明るく笑った。そんな沙織につられるように、鷹緒もそっと微笑む。

「俺は……今はおまえ以外の誰のことも思い出したくないけど」

 鷹緒の言葉に、沙織は顔を赤らめて立ち上がる。

「わ、私もお風呂入ってきていい?」

「いいけど……今日は帰るんじゃないの?」

「帰るけど、お風呂入ってから帰る」

 もはや鷹緒の顔も見られず、沙織は逃げるように風呂場へと入っていった。

 そんな沙織に苦笑し、鷹緒は目の前に置かれた雑誌をめくる。今思えばよくやったなというモデル時代の自分がそこにおり、何の疑いもなく理恵と幸せに付き合っていた頃がある。またその頃の理恵を見れば、不謹慎にもやはり理恵のことが好きだったのだという感情も、未だ心の奥底にあることが容易に理解出来てしまう。

 その時、鷹緒の携帯電話が鳴った。液晶画面には、石川理恵の文字がある。数年前までは互いに避けている部分があったので音沙汰もなかったはずだが、同じ職場になって以来、理恵は完全に過去を捨てたかのように、鷹緒へ自然に接してくる。それがなんとも切なくも感じた。

「……」

 鷹緒は携帯電話を握るものの、思い出に浸っていたため、タイミングが良すぎて出る気にはなれずやり過ごした。急用ならば留守録にでもメッセージが入るだろう。

 そうこう考えているうちに電話が切れたが、理恵がくだらないことで電話してくるはずがないと思い直し、鷹緒はすぐに折り返しの電話をかけた。

『もしもし』

 理恵の声が聞こえ、鷹緒は目の前の雑誌を閉じた。これ以上、過去に思いを馳せたくはない。無理やり現実に戻るように、鷹緒は頭を切り替えようと息を吐く。

「あ……ごめん、電話くれた?」

『うん。忙しいのにごめんね。あの……恵美、そっちに行ってないわよね?』

 思わぬ言葉に、鷹緒は目を見開いた。

「え……来てないけど。どうした?」

『今日あの子、雑誌の撮影だったんだけど、迎えに来たらもう帰ったって言われて……』

 それを聞いて、鷹緒は顔色を変える。

「豪は?」

 一番に豪の名前が浮かんだ。それもまた、鷹緒にとっては苦痛の名前である。だが恵美は理恵と豪の娘であり、豪が海外から帰ってきた今、自分の父親としての役目は終わっている。

『豪のところには行ってないって……ごめん、じゃあたぶん家に帰ったんだわ。この間も勝手に帰ろうとしてたから……』

「大丈夫か? 俺もそっち行こうか?」

 沙織が嫌だと思うだろうことは想像出来たが、恵美が心配なほうが大きく、鷹緒は思わずそう言ってしまった。

『ううん。とりあえず帰ってみる……ごめんね。あの子、反抗期入ってきたみたいで……』

「もう?」

『べつに早くもないし……それにたぶん、豪が帰ってきたことでナーバスになってる部分もあるんだと思う……悪いけど、何かあったらすぐに連絡してくれる?』

「わかった。おまえも何かあったら、遠慮せずに連絡しろよ」

『うん、わかった。心配かけてごめんね……』

「いや……」

 鷹緒は電話を切ると溜息をついた。恵美とは血は繋がらなくとも戸籍上では娘であり、どういうわけか今でも可愛くて仕方がない。もう関係がないとはいっても、放ってはおけずに頭を悩ませる。

「恵美ちゃん、なにかあったの……?」

 ふと気が付くと、鷹緒の後ろに沙織が立っていてそう言った。

「ああ……ちょっとね」

 言い方は悪いが部外者の沙織に心配はかけたくないと思い、鷹緒は言葉を濁した。また自分自身も不確かな情報では何も言えないと思う。

 だが沙織は、すでに心配そうな顔をしている。それは鷹緒自身が顔を顰めているからだ。

「……大丈夫? 理恵さんのとこに行ってもいいんだよ?」

 そんな沙織の言葉に心が救われる気がして、鷹緒は思わず沙織を抱きしめる。

「なんで……そんな強くいられるんだ? さっきまで昔の俺とあいつ見て、ショック受けてたくせに……」

 それを聞いて、沙織は鷹緒を抱き返す。

「私は……私がいることで、鷹緒さんが無理したりするのが一番嫌だから。本当は、理恵さんの名前を口にする度に嫌だなって思う。でも仕事上の理恵さんは私も尊敬してるし、これからだって過去も理恵さんも、鷹緒さんから消すことなんて出来ないでしょう? だから……私は鷹緒さんに、正直でいてもらいたいの。それで私が傷つくことがあっても、ちゃんと正直に話して理解し合えて、最後にはここに戻ってきてくれれば満足」

 鷹緒にとって年下の沙織が、年上にさえ見えた。さっきまで小さい子供のように泣きそうになっていたくせに、今では大人の女性のように大きな器を持って鷹緒を包み込んでくれる。恋人として未だまったくもって未知数の沙織に、鷹緒はどんどん惹かれていくのを感じ、沙織をぎゅっと抱きしめた。

「ありがとう……今の俺は理恵がどうこうというより、恵美のことが心配……」

 正直な鷹緒の言葉に、沙織は優しく微笑む。

「鷹緒さん、恵美ちゃんのこと、本当に大事にしてるんだね」

「……どうかな。でもそれはやっぱり、他人の子だからだと思うけど……」

 思わぬ鷹緒の言葉で、沙織は驚いた。

「え?」

「語弊があるかな。自分の子供なら、愛しいとか憎らしいとかあるだろうけど……身内であって他人だからな。いい位置関係にいるから、素直に可愛いとだけ思えるんだと思うよ」

 その真意までは沙織にはわからなかったが、頑なだった鷹緒が自分に見せる素直な部分に、沙織は嬉しくなる。

「うん……じゃあもう行こう。送ってくれるんでしょ? 帰りに理恵さんのとこに寄りなよ……」

 それを聞いて、鷹緒は沙織の唇にキスをする。

「……じゃあ先に寄るから、一緒に行こう?」

「え? いいよ、そんな……お邪魔しちゃ悪いし」

「家には上がらない。車で待っててくれてもいい。おまえだって恵美のこと心配なんだろ?」

「そうだけど……」

「とりあえず出よう」

 二人はそのままマンションを出ていった。


「私、理恵さんがどこらへんに住んでるのかも知らないや……」

 沙織がそう言ったので、鷹緒は軽く頭を掻く。

「それは……なんで俺が知ってるのかって聞いてる?」

「やだなあ。思っててもそんなこと聞かないよ」

「思ってんだ……」

 鷹緒は苦笑しながらも、車を走らせる。

 その時、鷹緒の携帯電話が鳴ったので、車は路肩に止まった。

「はい」

『理恵です。今、大丈夫?』

「ああ。恵美は?」

『うん。やっぱり家に帰ってた……一人で帰れるっていう自立心も出てきたんだと思う』

「そうか。無事ならとりあえずよかったよ。そっち向かおうと思ってたんだけど、大丈夫だな?」

『ありがとう、大丈夫。心配かけてごめんね』

「いいよ……じゃあな。おつかれ」

 鷹緒は電話を切ると、助手席の沙織を見つめる。沙織もまた心配そうな顔で鷹緒を見つめていた。

「恵美ちゃん、無事だって?」

「うん。一人で家に帰ったって。ちょっと反抗期みたいだから気を付けないと……でも大丈夫そうだよ」

「よかったあ」

 喜ぶ沙織に微笑むと、鷹緒は再び車を走らせる。

「こんなことなら、もう少しゆっくりすればよかったな……」

 思わずそう漏らした鷹緒に、沙織は笑う。

「でも無事だったんだからよかったじゃない。恵美ちゃん、本当に可愛いから、そんなことあったら心配だよね」

「それ言ったらおまえもだよ。あんま夜出歩くなよ」

「出歩かないよ。それに私は大人だから」

「大人ねえ……」

 互いに嬉しくなって笑いながら、車は沙織のマンション前に着いた。明日は沙織が早朝から仕事だというので、今日は帰ることになっていたからだ。

「今日はありがとう」

 そう言って、沙織は鷹緒を見つめる。今日は食事をして一緒にいただけだが、それだけでも幸せと思える。

「いや……変な心配かけてごめんな。明日は早く終わるんだっけ?」

「心配のうちに入らないから大丈夫。うん、明日は早く始まる分、早く終わる予定だよ。鷹緒さんは明日、久々の一日休みなんでしょう? ちゃんと休んでね。終わったら連絡していい?」

「していいんじゃなくて、しろよ」

 命令口調なものの、そう言う鷹緒の顔は可愛らしい。そんな鷹緒に、沙織は満面の笑みで応えた。

「わかった。じゃあ、また明日……」

 沙織がマンションに入るのを見届けて、鷹緒は車を走らせる。他愛もない日常が愛おしく、「また明日」と言える関係が、これほどまでに温かいものなのかと、その優しさは鷹緒の心を温かく包む。

 小さな不安も悩み事も、二人にとってはもう簡単に解決出来る問題であり、互いが歩み寄ろうとしていることに、その未来も二人にとって明るいものであると信じられる気がした。

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