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33. 嵐が来る

 地下スタジオのアトリエで、鷹緒はデスクワークをしていた。とはいえ今日は急ぎの仕事でもないのだが、この後行われる撮影の合間にやってしまおうと思っている。

「すみませーん」

 ぴたりと閉めた仕切りとなるアコーディオンカーテンの向こうから、高めの男性の声が聞こえ、鷹緒は振り向いた。

「はい?」

 まだ次の撮影までは時間があり、鷹緒は首を傾げてカーテンを開ける。するとそこには、ベリーショートの金髪をしながらも、顔にメイクを施した男性がいる。

あらし……」

 知っている顔だったが、鷹緒は驚いてそう言った。

「やーん。鷹緒さーん!」

 抱きつきながらそう言った男性は、見た目にもオネエ系と言われるニューハーフの男性である。

「久しぶりだな……どうしたんだよ」

 過剰なスキンシップに驚くこともなく、鷹緒は男性をまじまじと見つめて尋ねる。

 男性の名は、五十嵐健二いがらしけんじ。通称・あらしと呼ばれており、職業はメイクアップアーティストである。お互いに駆け出しの頃から知っており、以前はよく仕事でかち合っていたのだが、ここ数年はとある女優の専属メイクとして契約を結んでいたため、会うこともなかった。

「やっと契約切れてさあ。もう超寂しかったんだから!」

「ああ……そういえば、沙織の卒業メイクもやってくれたんだったよな」

 思い出したように言った鷹緒に乗って、嵐も大きく頷いた。

「ああ、小澤沙織ちゃん! あの子いいわね」

「そう? 悪かったな。頼んでおいて会えなくて……」

「本当よ。でもこっちこそ、あの日は忙しかったからバタバタしちゃって……いいの。こうして二人っきりで会えたんだもん」

 満面の笑みを浮かべる嵐に、鷹緒は苦笑する。

「なに、今日の撮影のメイク、おまえなの?」

「そうよ。やっとこっちの世界に戻れたって感じ。再契約は希望されてたんだけど、やっぱりあたし、いろんな人のメイクやりたくて」

「そうか。まあ入れよ」

 鷹緒は嵐にソファへ座るよう勧めると、コーヒーを入れて差し出した。

「もう。相変わらずいい男」

「はあ、どうも」

「相変わらず、つれないんだから」

「……ごうは?」

 突然、鷹緒から発せられた名前に、嵐はにっこりと微笑む。

「気になる?」

「まあ……おまえとの接点は、そのくらいしかねえからな」

「仕事だってあるじゃないの」

「ここ数年はかち合ってねえだろ」

 顔色も変えず、鷹緒は煙草に火を点ける。

「豪ちゃんも元気よ。あたしが紹介した出版社に就職もして順調みたいだし、最近はまた、ちょこちょこモデルの仕事も始めたみたい」

「へえ……」

 豪というのは、内山豪うちやまごうのことである。今は理恵と付き合っているはずの、恵美の本当の父親だ。鷹緒とは確執があり、ほとんど会うことはなく、しかし気に留めている人物の一人でもあった。

 そして豪と嵐は気の合う友人同士で、何度かルームシェアも経験しており、現在も同じマンションで暮らしている。

 蒸発した豪が戻ってきた時、鷹緒が真っ先に電話をかけたのが、この嵐だったというほど、豪と嵐は近しい関係だ。

「でもさあ……実際、鷹緒さんと理恵ってどうなの?」

 そんな質問に眉を顰めながら、鷹緒は煙草の火を揉み消し、間髪入れずに二本目に火を点ける。

「はあ?」

「どうして同じ会社で働くことになったのよ。ちらっとでも元サヤに戻ったりしたんじゃないの?」

「あいつのスパイかよ」

「もう、人聞きの悪い。単純に好奇心よ」

「だったら余計な口出すなっての。大体、おまえは理恵のがよく話すだろ。あいつから聞けよ」

 鷹緒がそう言うのは、嵐は理恵とも仲が良いからである。いくら嵐が忙しくなろうとも、二人の友人としての縁は切れていないはずだ。

「そりゃあたまに会ってショッピングとか行くけど、理恵は理恵で肝心なことは言ってくれないもの」

「へえ。それで俺に?」

「だって……だからあの二人、うまく収まらないんじゃないの?」

 嵐の言葉に、鷹緒はぴくりと顔を上げた。

「……なんで俺が出てくるの?」

「もう。本当わからずやねえ。別れた夫婦が同じ職場なのよ。豪ちゃんにとっては面白くないでしょ」

 それを聞いて、鷹緒は深い溜め息とともに煙草の煙を吐く。

「んなもん、あいつに言えた義理かよ。帰ってくるかこないかもわからなかったのに……それに別れた夫婦が同じ職場ってことは、もう完全に関係が切れてるからとも取れないか?」

 完全に事情を知っている嵐とは、早い段階で深い話になっている。それが嫌だという気持ちすらなく、鷹緒はただ淡々と返事を返していた。

「じゃあどうして豪ちゃん、理恵と一緒にならないんだろう……」

「……大方おまえが引き留めてるんじゃねえの?」

「失礼ね。言ってるでしょ。豪ちゃんはあたしにとって唯一、男としての魅力を感じない男なの。だから一緒にいられるの。それにあたしなんてほとんど家にいないから、豪ちゃんの一人天下でしょ? そろそろ出ていってくれないと、彼氏も呼べなくて困るわよ」

「強がっちゃって……誰だよ、あいつに俺らの情報ペラペラ流してたの」

 痛いところを突かれたように、嵐はグッと肩に力を込める。

「そ、そんなじゃないわよ。あたしが知ってる情報なんて、たかが知れてるでしょ。噂程度の話だもの」

 鷹緒がそう言っているのは、豪が日本を離れてからも、鷹緒と理恵が同じ職場に勤めだしたなどという情報が、すでに豪に知れ渡っていたことにある。情報源が嵐だということはわかっていたが、もちろんそれを咎めるまでには至らない。

「ったく……で? そんなこと言いに、わざわざ早めに来たわけ?」

「つれないわねえ。こんなのついでよ、ついで。あたしにだって準備があるんです」

 そう言って、嵐は引きずっていた大きなスーツケースから、メイク道具を並べ始める。大女優の専属メイクになってからというもの、その噂はよく聞いていた。

 嵐はブランド物のメイク道具を順番に並べながら、今日のプラン表を見つめる。

「……さすが。抜かりないな」

「せっかく売れた名を廃れさせたくないもの。さあ、これからアシスタントの子も来るし、それまでメイクプランを練ってるわ。なんなら鷹緒さんもメイクしてあげましょうか?」

「なんで俺が……でも俺は、貧乏時代のおまえのメイクも好きだったよ」

 そう言いながら、鷹緒はククッと笑う。

「え?」

「風呂なし三畳アパートでさ、おまえの家財道具なんてメイク道具しかなくて……でもあの頃から定評があったからな。そういう姿勢を崩さないで偉いよ」

 懐かしい目をしながら、嵐も笑った。

「思えば上京当時からの知り合いだもんね。あの頃は今みたいにブランド物のメイク道具なんてとてもじゃないけど買えなかったら、工夫するしかなかったのよ。でもおかげで、いろんなこと学べたけどね」

「俺も見習わなきゃな」

「あら。鷹緒さんがプロ意識高いのは、昔からじゃない」

「あの頃も今も、俺はいつでも必死ですよ」

 それ以上嵐に構わず、鷹緒も仕事を続行させる。

「……ねえ、鷹緒さん」

 しばらくして、嵐が重い口を開いた。

「うん?」

 鷹緒が振り向くと、嵐は真剣な顔をしている。

「今度飲まない? 豪ちゃんと三人で」

 うつろな表情になった鷹緒は、ふうと溜め息をついた。

「それが本題?」

「だって……せっかくあたしもこっちに復帰するんだし、鷹緒さんとは豪ちゃんとも仲良くしてほしいのよ」

「出来るわけないだろ。大体そんなこと、あいつだって望んでないよ」

 即答で否定されて怯みながらも、嵐はもう一度口を開く。

「じゃあ仲良くしなくても、話したいことはいっぱいあるんじゃないの?」

「嫌だよ、俺……犯罪者になりたくないもん」

 本音を漏らすように軽く頭を掻きながら、鷹緒は何本目かの煙草に火を点ける。

「……また殴っちゃう?」

「殴るだけならいいけどな……」

「もどかしいのよ……理恵だって、本気で悩んでるみたい」

 その言葉に、鷹緒は眉を顰める。

「それは……豪のため? 理恵のため?」

「もちろん理恵よ。女友達としてね」

「女友達ね……」

「どっちにしたって、ちゃんと話してないんでしょ? 大人なんだから、わだかまりくらい取ってよ。じゃないと、あたしがやりにくいじゃない」

「……もう取り合うもんもないのに、今更あいつと仲良しごっこするつもりもねえよ」

 不機嫌そうに言い放つと、鷹緒は仕事を続行させる。嵐ももう何も言わなかった。

第25話の「沙織をプロデュース!」に、名前だけ出てきた「嵐」の初登場回でした。

まだなんのこっちゃわからないと思いますが(汗)、今後の導入部分になる予定です。

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