28. 恵美の誕生日
三月下旬。鷹緒は会社の席で自分のスケジュール表を見つめながら、一人の社員の帰りを待っていた。
「ただいま」
目当ての人物の声が聞こえ、鷹緒は人差し指を曲げて手招きをする。
「なによ。副社長を指一本で呼び寄せるなんて」
苦笑しながら近付いてきたのは理恵である。社内は残業組しか残っておらず、鷹緒のいる企画部は出払っていて誰もいない。
「恵美のスケジュール教えて」
前置きもせずに鷹緒が言ったものの、理恵は静かに微笑んだ。
「誕生日デート?」
「うん……駄目かな? 当日じゃなくていいんだけど」
自分が出る幕ではないとはわかっている鷹緒だが、かつての父親役としても、出来れば今後も誕生日くらいは祝いたいと思う。
「駄目じゃないわよ。恵美も会いたがってるし」
「ついでに何か欲しがってなかった?」
「特に聞いてないなあ」
「そう……いつも行き当たりばったりで買ってやること多いから、たまには事前に用意した物でもあげたいんだけど」
それを聞いて、理恵は鷹緒の隣にある俊二の席へと、静かに腰を下ろした。
「子離れしてなんて言わないわよ。あなたの場合は子離れじゃなくてただの思いやりなんでしょ……でも悪いけど、こっちはまだ豪との関係築いてる最中なの。恵美はもともと鷹緒が好きだし、なんていうかその……」
「迷惑?」
鷹緒の言葉に、理恵は辛そうに俯く。
「そこまではっきり言うつもりはないけど……」
「……いや。俺もわかってはいる。そっちが未だに微妙な時期なら、俺が出る幕はないし、恵美にも余計に辛い思いさせるんじゃないかって……そういうことなら、今後は恵美に会わないよ」
無表情の顔の鷹緒だが、その目の奥には寂しさが見える。それは理恵の心をもかき乱すほど、切なさを滲ませていた。
「まだそんな顔するのね……」
「え?」
理恵の言葉に、鷹緒は首を傾げる。
「まあ、露骨に寂しそうな顔されてもどうしようもないけど……ごめんね。こっちの都合ばっかりで……でも恵美は鷹緒に会いたがってるし、誕生日くらいは会ってあげて」
「……いいのか?」
「うん、ぜひ。でも……難しいこと言うようだけど、あんまり鷹緒に未練残さないようにしてあげて。女の子ふるのは得意でしょ」
「なんだよ、それ……」
「お願い。恵美はまだ小学生だし、冷たくして傷付けろなんて言わないけど、必要以上に優しくしないで。まあ、誕生日くらいはしょうがないと思うけど……」
胸の内で葛藤しているような切実な目で見る理恵に、鷹緒は目を伏せる。
「わかった……」
その夜。鷹緒は沙織とレストランで食事をしていた。
「なにかあったの?」
沙織の言葉に、鷹緒は首を傾げる。
「え?」
「上の空って感じ」
「ああ、悪い……ちょっと考え事してた」
「仕事のこと?」
「うん……」
歯切れの悪い鷹緒を見て、沙織は苦笑した。
「わかった。恵美ちゃんのことだ」
それを聞いて、鷹緒は思わず驚くように沙織を見つめた。
「なんで?」
「わかるよ。鷹緒さんの頭の中は、九十九パーセント仕事で、残りの一パーセントは恵美ちゃんだもん」
そう言われ、鷹緒は口を曲げる。
「おまえは仕事のうちかよ……」
「今日もこうして、仕事絡みだしね」
食事中も、二人はスケジュール調整や今後の仕事のやり方などに話し合っている最中だった。
「……ごめん。でもおまえのこと一パーセントすら考えてないわけないだろ」
「わかってるよ。冗談」
「冗談きついし……」
いつになく落ち込んでいる鷹緒は、テーブルに出していたスケジュール帳をしまい、グラスビールに口をつける。
「それで、恵美ちゃんがどうかしたの?」
「いや、べつに……そろそろ誕生日だから、何してやろうと考えてただけ」
「そっか、四月なんだ?」
「うん、二十五日。まあ……今年は会うのはやめようかとも思ってるけど」
「え、どうして? 私に遠慮してるなら気にしなくていいよ?」
そう言った沙織に、鷹緒は苦笑する。
「ありがとう……でもおまえのせいじゃないよ。俺もずるずる恵美と付き合っちゃってたけど、あいつらまだ再婚もしてないし、未だに俺がしゃしゃり出る話でもないと思って」
今まで溺愛とも見られる鷹緒の恵美への態度とはまるで違うため、沙織は顔を顰める。
「そんなの……ひどいよ。私が恵美ちゃんだったら、鷹緒さんに会えないの嫌だと思う。大人の都合で振り回されてるんだから、誕生日くらい会ってあげてよ!」
思わぬ沙織の言葉に、鷹緒は目を丸くした。
「なんでおまえが怒るんだよ……」
「怒ってないけど……だっておかしいじゃん。鷹緒さん、今まで恵美ちゃんのことすごく大事にしてたのに、なんで急に……もしかして、理恵さんになにか言われたの?」
「……目ざといな、おまえ」
鷹緒は苦笑しながら煙草の箱に手をかけるものの、禁煙のレストランだということを思い出し、その手を止めて水を取る。
「じゃあ本当に、理恵さんが?」
「いや……わからないでもないしな。恵美が俺に懐いてるのは、ある種の理恵への反抗もあるんだろうし……俺にはおまえもいるし、ここらが潮時なんじゃないの」
軽くそう言う鷹緒にも、沙織の心は締めつけられた。鷹緒は沙織をないがしろにすることはないため、鷹緒と恵美がこれからも仲良くするのはいいと思う。たまに恵美に嫉妬することはあるものの、今後も仲の良い父娘でいてほしいと願っているのは沙織の本心だ。
「なんて言ったらいいのかわからないけど……」
「いいって。おまえがそんな顔するな」
言葉にならないがもやもやした様子の沙織を、鷹緒が遮るように止めた。そして続けて口を開く。
「でも……恵美への誕生日プレゼント、一緒に選んでくれる?」
その言葉が嬉しくて、沙織は笑顔で頷いた。
「うん、もちろん! 何がいいかなあ」
すでにいろいろなプレゼントを思い浮かべている様子の沙織を見て、鷹緒は救われるように微笑んだ。
それからしばらくたったある日。鷹緒は恵美の誕生日を祝うため、WIZM企画の事務所へと向かっていった。
今日は休みを取っている鷹緒だが、広樹もまた恵美へ誕生日プレゼントを渡したいということで、恵美は理恵と一緒に会社へ行き、そこで鷹緒と落ち合うことになっている。
「ごめん、遅くなった……」
ほんの少し寝坊した鷹緒に、社長室で一人待っていた恵美は口を尖らせている。
「バカァ」
「……すみません」
謝りながらも、可愛く拗ねる恵美が愛しくて、鷹緒は苦笑しながらその頭を撫でた。
「これで許してくれる?」
続けて言った鷹緒は、恵美に車の鍵を見せる。
「ドライブ?!」
目を輝かせて言った恵美の反応に、鷹緒は微笑みを零した。
「おまえ、ドライブ好きなのに全然してやれなかったしな。新しい車も見てないだろ。晴れの日にオープンカーで、今日は好きなところに行こう」
「うん!」
「じゃあロビーで待ってて。後から行く」
「はーい」
社員の前でおおっぴらに二人で出かけることなど出来ないため、鷹緒は仕事も兼ねて自分の席へと向かう。今日は休みのはずだが、すでに伝言メモが重なるように貼られていた。
「あれ、鷹緒さん。今日はおやすみのはずじゃ……」
机に向かっていた万里が尋ねるが、休みの日でもよく顔を出す鷹緒の行動に、それほど不審には思っていないようだ。
「ああ、ちょっとな……」
メモを見つめながら生返事をして、鷹緒は優先順にメモを並び替えると、そのまま会社を出ていった。
すると、ロビーと呼ばれるエレベーターホールでは、恵美が沙織と話をしていた。
「沙織? そっか、打ち合わせだっけ」
今日は会う予定ではなかったが、午前中は一度事務所に来るとは聞いていたため、鷹緒は思わぬ顔を見れて少し嬉しそうに笑う。
「うん。すぐ終わっちゃったけど。これからドライブなんだって?」
「ああ……」
鷹緒は軽く息を吐くと、エレベーターのボタンを押す。恵美の誕生日ということもあり、沙織を誘うことなど出来ずに、早くここから立ち去ることしか考えつかなかった。それを沙織もわかっていて、恵美に軽く手を振る。
「じゃあ、恵美ちゃん。楽しんできてね」
そんな二人を見て、恵美は不思議そうに首を傾げた。
「沙織ちゃんは来ないの?」
恵美の言葉に、沙織は大きく瞬きをする。
「え? うん、行かないよ」
「どうして? お仕事?」
「そうじゃないけど……ここで会ったのは偶然だし、私に気遣いはいらないから、鷹緒さんと二人で楽しんでおいでよ」
沙織にそう言われ、恵美は鷹緒を見つめる。
「恵美。行くぞ」
「沙織ちゃんも行こうよ……駄目?」
話が長くなりそうな恵美に、鷹緒は止めていたエレベーターから手を離して、恵美に近付く。
「……おまえ、俺たちに気を遣ってんの? それとも俺と二人きりが嫌なの?」
鷹緒がそう言うと、恵美は首を傾げる。
「どっちでもないけど……せっかくの誕生日だから、沙織ちゃんにも祝ってほしいなって」
つい先日、鷹緒と沙織が付き合っているという事実にショックを受けていたはずの恵美だが、少し落ち着きを取り戻したのか、はたまた誕生日で大らかな気持ちにでもなっているというのか、まるで気兼ねしないリラックスした様子で、恵美はそう言った。
そんな様子の恵美の頭を撫でると、鷹緒は沙織を見つめる。
「じゃあ、良ければ来いよ」
「うん……本当にいいの? 恵美ちゃん」
尋ねる沙織に、恵美は大きく頷く。
「うん!」
それを見届けると、鷹緒もまた頷いて、もう一度エレベーターのドアを開ける。
「じゃあ行くぞ」
「はーい」
こうして、ひょんなことから三人での一日が始まり、車で遠出のドライブをしながら、行く先々で買い物を楽しんでいた。
その日の恵美ははしゃぎっぱなしで、帰りの車の中では、後部座席に並んで座った沙織にもたれるようにして眠っていた。
「恵美ちゃん、楽しんでくれたみたいでよかったね」
静かに言った沙織に、鷹緒は運転しながら、ちらりとルームミラーで後部座席の二人を見つめる。
「ああ。おまえがいてくれてよかったよ」
「でも……本当によかったのかな。恵美ちゃん、鷹緒さんと二人でいたかったんじゃないのかな……」
以前、「パパをとらないで」と恵美に言われたことを思い出し、沙織は恵美が気を遣っているのではないかと心配になって俯く。
そんな沙織に、鷹緒は静かに口を開いた。
「心配ないよ」
「え……?」
「子供ってのは日々成長してるからな。過去のこと気にするよりは、今日で挽回するほうが効率がいい」
「なんか……どっかの格言みたい」
「そう? さっき泣いたカラスがなんとやらってな……おまえだって子供の時、泣いたと思ったら笑ってて、怒ったと思ったら機嫌直っててって感じだったよ」
それを聞いて、沙織は顔を真っ赤にした。
「鷹緒さん、私が子供の頃のこと覚えてるの?」
「そりゃあ、俺はもう子供って年でもなかったし」
「もう。そういうのがずるいんだよね。私ばっかり知らないんだもん」
鷹緒は笑いながら、もう一度ルームミラーで二人を見つめた。
「恵美だってませてても同じだよ。気は遣うやつだけど、嫌なことは嫌だって言うから大丈夫。今日は本当に楽しそうだったし……おまえのことも慣れてきたみたいだからな」
「本当? だったらいいなあ」
「ああ」
「でも本当、恵美ちゃん可愛いね。これじゃあ鷹緒さんが子離れ出来ないのもしょうがないって思っちゃう」
「……おまえもそう変わらないよ」
ぼそっと呟く鷹緒だが、その声は確実に沙織の耳に届き、さっき赤くなった顔が更に熱を増す。
やがて沈黙を取り戻した車内で、恵美が目を覚ました。
「寝ちゃってた……」
そう言いながら、恵美は車の外を見つめる。今日は遠出してアウトレットモールなどで買い物を楽しんでいたが、もう都内に入っているようで、ビルが建ち並んでいるのが見える。
「ここどこ?」
「もう都内入ったよ。食事して帰ろう。おまえの好きなハンバーグでいいだろ?」
「うん……」
鷹緒の話を聞きながら、恵美はまだ眠そうな目をこすっている。
車は通りがかったステーキハウスに止まり、三人は店内へと入っていく。四人がけの席に鷹緒が座り、その前に恵美が座ったので、最後に着いた沙織は何処へ座るべきか迷っていた。
そんな沙織の腕をぐいと掴んだのは、鷹緒である。
「鷹緒さん……」
恵美の気持ちも考えろと言いたかったが、恵美はすでに大きなメニューに顔を埋めていて、こちらのほうなど見向きもしてないようだ。
物言いたげな沙織に鷹緒は不敵に微笑むと、もう一つのメニューを広げた。
「何食う?」
「わあ……がっつり系だねえ」
「そりゃあステーキハウスだからな。なに、ダイエット中?」
「そうでもないけど、気にはしてるよ」
鷹緒と沙織のやりとりに、恵美はニコリと微笑んだ。
「モデルでもちゃんと食べなきゃ駄目だよ、沙織ちゃん。恵美は大食いってよくママに言われるけど太らないよ。大きいハンバーグも一人で食べれるし」
「そんなに食べられるんだ? そりゃあ理恵さんも細いし、恵美ちゃんは太らない体質かもしれないけど……」
「決まった?」
二人の会話を遮るように鷹緒が尋ねるので、沙織は慌ててメニューにかじりつく。
「恵美は決まったよ」
「お子様セットだろ?」
「違うもん。デミグラスハンバーグ。サラダバー付き」
「ほお。大人になったな」
「パパは?」
「俺はハンバーグとステーキのダブルセット。沙織は?」
仲の良い父娘の間で、沙織は眉をしかめながらメニューを見つめる。
「うーん……おろしハンバーグ。ごはん抜き」
「あ、恵美も迷ったの! 半分こにしようよ」
「うん、いいね」
「じゃあ決定な」
鷹緒は店員を呼ぶと、注文をした。
やがて席に落ち着いた三人だが、頃合いを見計らって、鷹緒が恵美にプレゼントを差し出した。
「え? だってさっきも、バッグとか買ってくれたのに……」
驚いている恵美に、鷹緒と沙織は一瞬見つめ合って、恵美に微笑んだ。
「それはそれ、これはこれ……二人で事前に買ってたんだ。今日は不意に三人で回ることになったから、最後にと思ってな」
「ありがとう! 開けていい?」
「どうぞ」
嬉しそうに笑いながら、恵美は小さめの包みを開ける。中にはマニキュアが数本入っている。
「マニキュアだ! このブランドの欲しかったんだ。可愛い!」
素直に喜んでくれた恵美にほっとして、鷹緒は横目で沙織を見つめる。沙織もまた嬉しそうに微笑んだ。
「喜んでくれたみたいでよかった……」
「沙織ちゃんが選んでくれたの? パパ、こういうの選ぶの苦手だもんね」
「うるせえな……でもまあ、沙織のおかげは確かだけど」
「ありがとう、沙織ちゃん」
「ううん。私は選んだだけで……」
謙遜する沙織を尻目に、恵美は目の前にいる鷹緒を見て口を尖らせる。
「パパもちゃんと沙織ちゃんから勉強しなくちゃ駄目だよ。恵美、コスメとかジュエリーとか欲しいのに全然買ってくれないんだから」
「だからそれは理恵に止められてるから……おまえに高価なもん買うとうるさいんだよ。もう少し大人になったら買ってやるから」
「絶対だよ?」
「ああ」
目の前で指切りをする二人は微笑ましく、また過去の温かな家庭の様子が見えるようである。
少し寂しく俯く沙織の手を、テーブルの下で鷹緒がそっと握った。
驚いて鷹緒を見る沙織だが、鷹緒は平然としたまま恵美と話を続けている。しかし握られた手はきつく、それだけで心が温かくなる。
やがて料理が運ばれてきて、三人は食事を始めた。
「じゃあ帰るか」
「うん……」
今度は助手席に乗り込んだ恵美は、寂しそうに俯いた。そんな恵美の頭を、鷹緒が軽く叩く。
「またいつでも会えるよ」
「うん。またドライブ行きたいな」
「おまえ、本当にドライブ好きだなあ」
「だってあんまり東京から出たことないんだもん」
「いいよ。また三人でな」
「うん」
車を走らせる鷹緒は、ふと後部座席に目をやった。さすがに沙織も疲れているようで、静かに外を眺めている。
その時、恵美が足下に置いていた紙袋を手に取った。
「……大荷物だな。後ろに置いておけばいいのに」
「でも家までもうちょっとだから。いろいろ買ってくれてありがとう」
「いいよ。でも理恵には内緒な」
「玄関で見られちゃうよ……でも大丈夫。ヒロさんと彰良さんからのプレゼントもあるし」
「え、彰良さんもくれたのか」
それを聞いて、鷹緒は軽く前髪をかき上げる。いくら自分の子供ではないといっても、先輩からそんなことをされるのは気が引ける部分もある。かといって後日、鷹緒から礼を言ったところで、彰良はそれを受け入れはしないだろう。
「うん。いつもくれるよ」
「……まあいっか。ヒロからは何もらったんだ?」
「ヘアアイロン。ママが欲しがってるって言ったみたい」
「理恵のやつ……俺にはヒントすらくれなかったくせに」
口を曲げる鷹緒の横顔を、恵美が慌てるように見つめた。
「パパはいいの。その場で買ってくれるし」
「そうか。でも甘やかすのは小学校までだからな」
「ええ? そんなのやだ……」
「じゃあ、いい子にしてな」
「恵美はいつもいい子ですぅ」
「ハハ。そうだよな」
やがて理恵と恵美のマンション下に着き、鷹緒は恵美の荷物を半分持って車から降りる。
「沙織。助手席乗ってな。すぐ戻るから」
そう言い残して、鷹緒はマンションへと入っていく。寂しさはあっても、そんなさりげない優しさで吹き飛んでしまうように、沙織は微笑んで助手席へと乗り直した。
マンションの玄関では、理恵が出迎える。
「わあ、すごい荷物ねえ」
「言っとくけど、俺からだけじゃないからな」
すかさず言った鷹緒に、理恵は苦笑した。
「ありがとう。疲れたでしょう。お茶でも飲んでいって」
「いや、下で沙織待たせてるから」
「え、沙織ちゃんも一緒に行ってくれたの? 明日早いはずなのに……悪いなあ」
「誕生日なんだから気にするな。じゃあな、恵美」
理恵から目をそらして、中へ入っていく恵美に、鷹緒が声をかける。
「うん。ありがとう、パパ」
「ああ。じゃあまたな」
軽くそう言うと、鷹緒は急いで車へと戻っていった。
車の中では、沙織が携帯電話をいじりながら鷹緒を待っていた。
「お待たせ。今日はありがとうな」
「ううん。私も本当、楽しかったよ」
「だったらいいけど……理恵が心配してた。おまえ、明日早いんだって?」
「早いって言っても、六時集合だけど」
「じゃあ、今日はこのまま帰ったほうがいいな」
「うん……」
やっと二人きりになれたにも関わらず、二人は寂しさを抑えながら沙織のマンションへと向かっていく。
すぐに訪れた沈黙の中で、沙織が口を開いた。
「……今日はいろいろ回れたね。恵美ちゃんより私のほうが楽しんじゃってたかも。そのくらい嬉しかったよ」
それを聞いて、鷹緒は前を見つめながら微笑み、片手で沙織の頭を軽く撫でる。
「俺も……嬉しいよ。三人でこうして会えるなんて思ってもいなかった」
沙織にしても恵美にしても、お互いに気を遣うだけだと思ったが、今日は結果的に終始いい関係でいられたと感じた。それを素直に嬉しく思いながらも、内に秘める寂しさなども察して、ただ沙織に感謝していた。
そのまま鷹緒は、沙織のマンションの前へと車を停める。
「おやすみ」
そう言う鷹緒を、沙織は熱っぽい目で見つめた。そんな沙織に、鷹緒は苦笑する。
「なんだよ……早く帰って寝ないとヤバイんだろ」
「うん……」
わかってはいるのだが、いざ離れると寂しい。だが沙織は振り払うように一瞬頭を振って、ドアに手をかけた。
「じゃあ、また……」
言いかけた沙織の肩を抱いて、鷹緒はほんの少しの間、沙織を抱きしめる。
本当はお互いに離れたくはないのだが、明日の仕事のことも考えれば、これ以上長くはいられない。
鷹緒もまた吹っ切るように、一瞬の抱擁にとどめて沙織から離れた。そして目の前のハンドルにもたれるようにすると、静かに微笑む。
「俺も明日は早くから撮影あるけど、夕方には空くから電話して」
「うん……おやすみなさい」
「おやすみ」
車を降りた沙織は、火照る顔を隠すように俯きながら、去っていく鷹緒の車を見つめていた。
寂しさはあっても心は温かい。恵美の誕生日によって、また少し二人の距離が縮まったと、互いに実感していた。