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19. 未知数のカレシ

 鷹緒はその日、沙織の部屋に来ていた。最近、沙織がこたつを買ったというので、今日は二人きりの鍋パーティーである。

「あったけえー。俺もこたつ買おうかな」

 こたつに入りながら鷹緒が言った。沙織はこたつの上に電気コンロを置くと、鍋をセットして自らもこたつに入る。

「ええ? 鷹緒さんの部屋には似合わないよ」

「そうか? 確かに床座生活ではないけど……おまえもソファあんのによく買ったな」

「うちはラブソファだから、あんまり邪魔にはならないし。はい、そろそろ食べられるよ」

「おう。いただきます」

 東京のど真ん中に居ながらにして、鷹緒は久々に日本の冬というものを実感するような沙織の暮らしぶりに、嬉しそうに鍋をつついた。

「鍋なんて何年振りだろう」

「そっか……鷹緒さん、アメリカにいたから食べてないんだ? かなり痩せて帰って来たってみんな言ってたけど、向こうでちゃんとごはん食べてたの?」

 まるで母親のような口調の沙織に、鷹緒は苦笑する。

「食べてたけど……向こうの料理だからな。日本食レストランもあるけど、やっぱりこっちとは味違うし。でも言うほど体重落ちてないよ」

「へえ。いいなあ、アメリカ。私も外国行ってみたい」

「行ったことないのか?」

 そう聞かれて、沙織は天井を見上げる。

「うーん。あるよ? 子供の頃、ハワイに一回だけ。あとモデルになってからグアムとサイパンにも行ったけど」

「南の島ばっかりだな……」

「鷹緒さんは、海外いっぱい行ってそうだよね」

「まあ行くところは限られてるけどな……大人になってからは仕事ばっかりで、プライベートで行ったことはないし」

「じゃあ、鷹緒さんと一緒に行きたいところリストに加えておくね」

 突然、携帯電話をいじりだした沙織を見て、鷹緒は怪訝な顔をして首を傾げる。

「なんだよ、そのなんとかリストって……」

「その名の通り、鷹緒さんと一緒に行きたいところリスト。二人きりで温泉でしょ、カラオケでしょ、今度は海外も加わったし……」

「そりゃあ早いとこ達成しないと、溜まっていく一方だな……」

「そうだよ。早く叶えてね」

 調子よく笑う沙織に、鷹緒は軽く頷きながら鍋をつついた。

「わかったよ。それにはまず、さっさと仕事を片付けることだな」

「うん。だけど鷹緒さん、仕事減らしてくれるって言ったのに、一向に減ってない気がするんだけど」

「これでも減らしてるんだけど……」

「じゃあ、今までどれだけ入れてたの?」

「……少なくともこんな鍋してる時間はないから、勘弁してくれよ」

 苦笑する鷹緒も愛しくて、沙織は不満を押し込めて笑った。多少の不満があっても、こうして一緒にいられるだけで幸せを感じるのは、付き合い初めから変わっていない。


「そうだ。あれ見せてよ」

 食事が終わって落ち着いた頃、おもむろに鷹緒がそう言った。

「あれって?」

「アルバム」

 不敵な笑みで鷹緒が言うのは、前に沙織がそう望んだからである。これは仕返しだと思って、沙織は顔を赤らめて俯いた。

「恥ずかしい……」

「俺だけ羞恥プレイやらせるつもりかよ」

 そう言われて、沙織は渋々本棚を覗く。

「小中高と、どれがいい?」

「へえ。全部あんのか」

 気が付くと、鷹緒も同じ本棚を覗いている。そして真ん中にある中学校のアルバムを手に取った。

「あ、もう。勝手に……」

「高校時代は少し知ってるから、中学な」

 アルバムというもの自体、鷹緒が開けるのは久しぶりのことだった。よくある分厚い表紙に自分の頃と重ね合わせたりして、鷹緒は沙織の中学時代を覗く。

「何組?」

「四組……ああもう、恥ずかしい」

「それをおまえは俺にやったんだからな?」

「鷹緒さんはアルバムじゃないもん」

「恥ずかしさは同じことだろ」

 そう言いながら、鷹緒は四組のページを開ける。そこにはよくある中学生の顔が並んでおり、沙織の顔もすぐに見つけられた。

「おお、さすがにまだ子供だな」

「会った頃とそんなに変わらないと思うけど……でも当たり前でしょ。鷹緒さんだってそういう時代があったんだからね。いつか絶対見せてよ?」

「やだよ。子供の頃の写真なんか……」

 苦笑しながらページをめくり、鷹緒はクラスの自由ページを開く。そこには「夢」と題された手書きの文字が並んでいる。

「そんなページあったっけ……私、何書いたんだろう」

「お嫁さんじゃねえの?」

「そんなこと書かないよ」

 そうは言うものの、自分が何を書いたのかまったく思い出せず、沙織は鷹緒と一緒になって自分の字を探した。すると、ひとつの吹き出しが見つかる。

「芸能人……ベタだな」

 鷹緒の言葉に、沙織の顔は真っ赤になる。

「やだ。全然覚えてない! 恥ずかしい……」

「ある意味叶ってんじゃん。覚えてないのに叶えるなんてすごいな」

「そっか。仲の良い友達も同じこと書いてるから、便乗したんだ……」

 恥ずかしがる沙織の真っ赤な頬に、鷹緒の手が触れた。

「真っ赤」

「……鍋食べて熱いのもあるの」

「ったく、意地っ張りが」

 笑う鷹緒を見つめて、沙織は口を尖らせる。

「じゃあ、鷹緒さんの子供の頃の夢は?」

 そう聞かれて、鷹緒は眉を顰めた。

「覚えてねえよ」

「嘘だ。鷹緒さん、結構物覚えいいよね?」

 鷹緒は苦笑しながら、沙織の頬を軽くつねる。柔らかくて気持ちがよく、最近の鷹緒はよくそこに触れることが多い。

「どうかな……」

「じゃあ頬っぺた触っててもいいから、教えて?」

 そんな沙織の言葉に、鷹緒は両手で沙織の頬をつまむ。

「……その時々で違ったと思うよ。小学校の頃はサッカー選手とかだったかな」

「じゃあ中学は?」

「中学の時は確か……教師」

 それを聞いて、沙織は目を丸くした。

「ええ! 鷹緒さん、学校の先生になりたかったの?」

 あまりの沙織の驚きように、鷹緒もまた顔を赤らめる。

「似合わねえだろ。だから言いたくなかったんだよ……」

「ううん。似合わなくなんかないけど、鷹緒さんみたいな先生がいたら、女生徒が騒ぐだろうね」

 しみじみ言った沙織に、鷹緒はまたも苦笑する。

「もしそうなら、ぞっとするな」

「でも私、鷹緒さんの生徒ならなりたかったな」

 そんな沙織を見て、鷹緒は部屋の隅に積まれていた沙織の学校の参考書を手に取って、ページをめくった。

「じゃあ特別授業しようか? 俺たぶん、おまえの学力以上はまだあるよ」

 不敵な笑みを見せながらやる気を滲ませる鷹緒に、沙織は顔を引きつらせて笑った。それは沙織にとって嬉しさはあるのだが、今はまだ勉強のことは考えたくなくて、甘い時間を過ごしたい。

「いやえっと……今はちょっと……」

「おまえ、学校の勉強嫌いだろ。俺は昔バイトで家庭教師やってたし、なんなら冗談じゃなくて見るぞ?」

 以前、鷹緒に軽く教科書を見られた時も、かなり低いレベルだと言われたので、沙織は恥ずかしそうに身を縮める。

「え、遠慮します……だって鷹緒さん、アメとムチじゃなくて、きっとムチばっかでしょ?」

「頑張ったら、ご褒美もあげるけど?」

 耳元で囁くようにそう言うと、沙織は案の定、真っ赤になって照れる反応を見せる。予想通りの反応がおかしくて、鷹緒はからかうのをやめられないようだ。

「も、もうバカ。ちょっと洗い物してくる」

 沙織は逃げるように立ち上がる。そんな沙織の腕を掴んで、鷹緒は引き戻すように沙織を抱きしめた。

「ごめん。洗い物は後にして、もう少しそばにいて」

 さっきまでからかわれていたはずなのに、目の前にいる今の鷹緒はずるいくらい可愛らしく思う。だがそんなギャップが、沙織にはたまらなく愛しい。さまざまな面を見せる鷹緒はまるで未知数である。

 沙織は鷹緒に抱きしめられながら、無理な体勢を整えるようにこたつに足を入れ、鷹緒を見つめた。

「鷹緒さんってば、ずるい」

「おまえが俺に正直でいろって言ったんだろ。俺は正直に生きてるだけだけど?」

「それは隠し事とかないようにっていう意味で……」

 と言いかけたが、同じことだと思って、沙織は鷹緒の背中に手を回す。

「じゃあ今度、ちゃんと勉強教えてください……」

「……面倒くさい」

 急に突き返した鷹緒に、沙織は振り回されている自分が馬鹿馬鹿しくも嬉しくも感じた。

「もう!」

 思わず冗談で手を振り上げたが、改めて目が合った鷹緒の瞳は優しく、自分だけにその視線を注いでいる。嬉しさや悔しさなどのすべての感情を置き去りにして、沙織は鷹緒に抱きついた。

「イジワル」

 そう言った沙織の髪を、鷹緒は静かに撫でる。

「ごめん」

「でも、嫌じゃないよ」

「うん」

 鷹緒の額が、沙織の額にコツンと当たった。

「なんか……こたつから出られないね」

 沙織の言葉に、鷹緒も笑って頷く。

「しばらくこのままでいよう」

「うん……」

 二人の間に、今日も静かな時間が流れる。

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