18-2. つながる心 (後編)
それでも少し早めに現場入りしたので、沙織は一番乗りでメイクルームへと向かっていった。理恵もまた早いので、資料を見つめながらスケジュールを確認する。
「あれ? 諸星さん」
そうこうしていると、そんな声がして理恵は顔を上げた。するとそこには鷹緒がいて、スタッフたちと話している。
理恵は驚いて鷹緒に近付いた。
「……どうしたんですか?」
今日の撮影スタッフは身内ではない。他社のスタッフでも今日の撮影は気心が知れている人ばかりなので、鷹緒がいても違和感はないのだが、来るはずのない鷹緒に一番驚いているのは、同じ会社の理恵である。
「打ち合わせが早く終わったから寄っただけ。制作の西内さんに会えたら、話したいこともあったんだけど……沙織は来てる?」
最後の言葉で、鷹緒の本当の目的が沙織と悟って、理恵は苦笑した。
「あなたが公私混同する人だなんて知らなかった」
「人聞きが悪いこと言うなよ。ついでに聞いただけだろ」
そう言いながらも、鷹緒の目は沙織を探している。
「メイクルームに行ったわよ。さっきお茶して、一緒に来たの」
「そう……なんか言ってた?」
見え見えの探りがおかしくて、理恵は笑うしかない。
「ねえ。そういう態度って、私と付き合ってた時もどこかでしてくれてたことある?」
二人きりの会話になっているが、理恵の言葉に鷹緒は眉を顰める。
「はあ?」
「ないよねえ。そんな一面があるなら、もうちょっと長く続いてたかもしれないのに」
誰のせいでうまくいかなかったのだと思いながら、鷹緒は軽く頭を掻いた。
「……こういう一面を、きっと沙織は知らないんだろ。おまえとおんなじ」
「え?」
「離れてるからこそ見えるってな。じゃあ俺、時間ないからもう行くわ」
「え、沙織ちゃんは……」
「いるなら会えたらいいなと思っただけだよ」
「呼べばいいじゃない」
「そこまでの間柄じゃないだろ。世間的には」
それを聞いて、理恵は小さく息を吐く。
「……あんまり気にはしてないんだけど、言葉使いには気を付けなさいよ。彼女、まだ若いんだから」
「……やっぱりなんか言ってた?」
「べつに……直接聞いてあげたらいいんじゃない?」
今度は鷹緒が息を吐いた。
「そうだな。おまえを介すことでもねえし。じゃあ……」
その時、沙織がメイクを終えてスタジオに入ってきた。すぐに鷹緒がいるのに気付いて、沙織は駆け寄ってくる。
「鷹緒さん?!」
「ああ……」
「どうしたの?」
さっきまでもやもやしていた気持ちを忘れて、沙織はそう尋ねた。
鷹緒もまた、いざ沙織と会うとなると照れもあり、取り繕うように苦笑する。
「ちょっと近くまで来たから、打ち合わせ兼ねて……でももう行かなきゃ」
「そっか……」
「でも顔見れて良かったよ。じゃあ、こっちも終わったら連絡するから。頑張れよ」
そう言って、鷹緒は足早にその場を後にした。
「通じてるね。想い」
その時、理恵がそう言ったので、沙織は首を傾げる。
「え?」
「本当、離れてるとよく見える……二人はちゃんと想い合ってる気がするよ。だから大丈夫」
理恵の言葉に後押しされるように、沙織もまた前向きな気持ちになった。だが同時に、心の隅で同じように鷹緒と理恵を見ている自分がいた。二人は想い合っている……そう思わずにはいられない時がある。
しかしそれを抑えるように、沙織は笑った。
「はい。なんか元気出てきました。撮影頑張ります」
気持ちを切り替えるようにして、沙織はそう言った。
WIZM企画の会議室では、企画部の緊急会議が行われていた。そこには広樹も同席しており、緊急ながらも正式な会議と化している。
鷹緒は企画書のコピーを全員に回すと、口を開いた。
「緊急ですみません。これは俺がバレンタインチョコの代わりに女性陣から勝ち取った企画書で――」
そんな言葉で、一同に笑いが起こる。
「忙しい時期なので、緊急を要するものだけピックアップしました。俺が一人で出来るものは同時進行で進めますが、それはもう少しまとまったら出します。とりあえず今の時期ならではの企画が資料にある通りです。なかなか面白いので、何人か手伝ってくれれば今抱えているのも同時進行でいけると思うので、検討お願いします」
鷹緒の説明を機に会議が始まる。すでに本格的な会議のメンツということもあり、会議はかなり長引いた。
それから数時間後――やっと会議を終えて、鷹緒はノートパソコンを片手に喫煙室へと駆け込んだ。そこですかさず携帯電話に手を伸ばす。かけた先はもちろん沙織である。
『もしもし』
すぐに出てくれた沙織の声に、鷹緒は少しほっとした。
「俺……遅くなってごめん」
『ううん。終わったの?』
「うん。まだ書類作らなきゃいけないけど……寄っていい?」
『今日はもういいよ。遅いし、私も疲れてるし』
沙織が怒っている様子はないが、諦めたようにも聞こえる。しかし疲れているということを聞けば、無理に訪ねるのは酷だろう。
「……そう。ごめんな」
『いいよ。今に始まったことじゃないもん。それより、さっき撮影帰りに事務所寄ったんだよ』
「え、そうなんだ?」
『うん。会議、ヒートアップしてたの見えた。それで思ったんだけどね……私は鷹緒さんに、仕事と私どっちが大事かなんて聞かないよ。だって仕事してる鷹緒さん、カッコイイもん。それに私のこと疎かにするわけじゃなくて、こういうふうに電話もしてくれるし、そういうことちゃんとしてくれる人に対して、寂しくても寂しがってちゃ駄目だなって思ったの』
それを聞いて、鷹緒は沙織の大人の部分に救われもし、また遠くも感じた。
「沙織……?」
『しょうがないよね。仕事人間の人を好きになっちゃったんだもん。でもだから、会えた時は私のこと大事にしてほしいんだ……』
「してるよ……大事だよ。だからそんなこと言うな」
窓際の椅子に座り、鷹緒はガラス張りの窓にうなだれるように寄りかかると、ネオン輝く街を見下ろした。真面目な話は、別れ話と勘ぐって身を竦ませる。
『私、物わかり良いわけでもないし、不満もあるよ。でも今言ったこと、悪い意味に取ってほしくないんだけど……』
「うん……」
『諦めてるわけじゃないけど、私ももっと大人になるから……鷹緒さんも突き放さずに、優しくしてね』
どれだけ優しくしたら、沙織に伝わるだろう――いや、伝わっているだろうが、鷹緒は自分に出来ることを見失っていた。
「沙織……会いたい」
鷹緒が出した答えはそれだった。言葉よりも、会って抱きしめたいと思う。
「駄目か……?」
何も言わない沙織に、鷹緒は続けてそう言った。すると沙織は静かに口を開く。
『鷹緒さんの机の上に……マフラー忘れちゃったんだ。届けに来てくれる?』
沙織の言葉に、鷹緒はそっと微笑んだ。会う口実をくれた沙織に、気持ちは繋がっていると感じさせてくれる。
「速攻仕事片付けて行く。もうすでに遅いけど、待ってて」
『うん』
そう言って鷹緒は電話を切ると、大急ぎで書類を作って印刷にかけ、自分の席へと戻っていく。すると机の上には、本当に沙織のマフラーが置かれていた。そしてその下にはメッセージが添えられている。
“今夜は冷えるそうなので、マフラー置いていきます。早く終わってこれがいらないようなら、お手数ですが届けてください”
まるで早く終わるなら会いに来てと言っているような沙織のメッセージに微笑むと、鷹緒は会社を飛び出していった。
なぜこんなにも、鷹緒の気持ちは沙織に向かっているのか。恋愛は面倒だと思っていた鷹緒が、走ってまで向かうその気持ちのすべてを、沙織はまだわかっていない。心を見せられたらどれだけ楽だろうと馬鹿げたことも考えながら、鷹緒は会社から一度も立ち止まることなく、沙織のマンションへと向かっていった。
「思ったより早かったね」
驚いている沙織を、鷹緒は玄関先で抱きしめた。走ったことがまた気持ちを高ぶらせているのかもしれないが、そんなことは二人にとってどうでもいい話である。
「こんなところにいたら風邪引いちゃうよ。上がって」
「うん……おじゃまします」
二人は手を繋いで部屋の中へと進む。冬の間、ラブソファは隅へと追いやられ、部屋の真ん中にはこたつがある。鷹緒はそこに入ると、沙織はお茶を入れて差し出した。
「……こっち来て」
鷹緒に言われ、沙織は鷹緒と同じ場所からこたつの中に足を入れる。だが狭いこたつに二人並んではきついので、鷹緒は沙織を抱えるようにして後ろから抱きついた。
「あったかいね……」
「ああ……」
「なんか……怒ってる?」
沙織の言葉に、鷹緒は瞬きをした。
「え?」
「だってなんか……無理して来なくていいって言ったのに」
昼間は少なからず不満もあったが、それは本音であったため、鷹緒が息を荒げて走ってまでここに来たことに、沙織は違和感を覚えている。
「……言葉を並べるより、少しでも会えてこうして抱きしめたほうが、簡単に伝えられると思ったんだよ」
そんな鷹緒に抱きしめられながら、沙織は嬉しそうに微笑んだ。
「本当だね。なんでこんなに簡単に、不安も不満も飛んでっちゃうのかな……なんか進歩ないね、私……」
振り向きながら見上げる沙織の額に、鷹緒はキスをする。
その時、鷹緒の腹が鳴った。
「悪い……そういや腹減った」
「あはは。今思い出したって感じ?」
「そういえば、昼から何も食ってない……」
「ええ? やだなあ。何か作るね」
「じゃあ鍋」
「まあ、材料はあるけど……」
「鍋パーティーするんだろ?」
「うん」
予定よりかなり時間が遅れたものの、二人は同じ鍋をつついた。
「結局、予定通りだね」
沙織の言葉に、鷹緒も微笑む。
「初志貫徹」
「なにそれ?」
「……俺は沙織を大事にしてるってこと」
「絶対嘘だ。もっと違う意味でしょ」
「ハハ。自分で調べろよ」
間にある不安はその日に解決し、二人だけの夜は今日もこうして更けてゆく――。