12-3. 続・未知数のカノジョ (END)
「恵美、パパと一緒に暮らしたかったな……そしたらママ、豪さんと結婚出来るでしょ。あ、でもパパも沙織ちゃんと……」
急に沈んだ様子の恵美を見て、鷹緒は微笑む。
「恵美が本当にそうしたいって言うなら、俺はいつでも恵美と暮らしてもいいと思ってるし、理恵もそれを知ってるよ。だからおまえが遠慮することは何もない。それにおまえの本当の父親は豪なんだから、おまえがいても結婚出来るよ」
「……」
「理恵をとられるのが嫌?」
率直な鷹緒の言葉に、恵美は静かに頷く。そんな素直に恵美に、鷹緒は笑った。
「そうか……そうだよな」
いつか自分も経験した同じような気持ちで、恵美とは繋がれている気がした。親の再婚というものは、子供にとっては少なからず衝撃であり、理恵と恵美のように仲の良い親子なら尚更だろう。
「ねえ、パパはもうママと結婚出来ないの?」
それを聞いて、鷹緒は苦笑した。
「うーん。それは無理だなあ」
「どうして? 恵美が豪さんの子供だから?」
「いや、恵美がどうこういう話じゃないけど……俺は今、好きな人いるしね」
「沙織ちゃん……?」
「うん。でも何度も言うように、おまえのことも沙織と同じくらい大事。おまえはまだ子供なんだし、今まで通り呼べばいつでも駆けつけるよ」
恵美は口を尖らせて、鷹緒を見上げる。
「なに。なんか不満?」
「だって子供扱いした……」
いつかの沙織と重なるような恵美の言葉に、鷹緒は笑った。
「おまえはまだ子供でしょ?」
「恵美、大きくなったらパパと結婚するんだからね?」
小さい頃からそう言ってくれるのは嬉しいが、そろそろ父親離れすると思っていたので、鷹緒は微笑む。考えてみれば、あと数年で結婚出来る年になるんだなと思うと、それはそれで切ない気もした。
もう一度、鷹緒は恵美を抱きしめる。
「恵美……大丈夫だよ。俺はどこへも行かないから」
記憶にないにしても、恵美は豪に捨てられたという概念を持っている。そのため鷹緒に執着するのだと、鷹緒自身はそう思っていた。事実、離婚する時も、恵美は鷹緒から離れようとはしなかった。
恵美は安心するように、やっと緊張を解いて落ち着いた呼吸を見せる。
「……そろそろ帰ろうか」
落ち着いた様子の恵美を見てそう言った鷹緒に、恵美は大きく首を振った。
「ここに泊まる」
「それはいいけど、じゃあ理恵に電話してちゃんと伝えろよ」
「……」
「それが出来ないなら駄目。死ぬほど心配してるぞ」
それを聞いて、恵美は俯いた。
「一緒についてってやるから。帰ろう?」
続けて鷹緒がそう言うと、恵美は静かに頷いた。鷹緒は恵美の頭を撫でて立ち上がる。
「パパ……最後にもう一回、だっこして?」
恵美が生まれて約十年。もう大きくなっているのだが、忙しい理恵と二人暮らしで、小さい頃から寂しい思いをしてきたのは事実である。それを自分が埋められなかったことも悔いて、鷹緒は恵美を抱き上げた。
「お、結構重くなってるじゃん」
「女の子に向かってひどいよ」
「ハハ。なんで? 大きくなってるのは嬉しいよ」
「チューして?」
恵美に催促され、鷹緒は恵美の額にキスをする。
「恵美。理恵のこと好き?」
「うん」
「じゃあ豪のことも好き?」
「……うん」
その言葉に、鷹緒は優しく微笑む。
「やっと戻ってきたあいつを父親として見るなんて大変かもしれないけど、あいつだってちゃんと考えて帰って来たんだ。あいつのことを恵美がどう思おうが、あいつの努力次第だけど、俺だってフォローしてやれるし、無理しなくていいから、ちゃんと距離を縮めていけよ。本当の父親なんだから」
「パパは……恵美が豪さんの子供だっていうこと、悲しかった?」
直球なまでの質問に、鷹緒は一瞬押し黙るものの、恵美を見ていると笑顔しか出て来ない。
「いや、嬉しかったよ……おまえが生まれた時のこと、よく覚えてる。血の繋がりなんて関係ないほど、愛しくて大事。それは今も変わってないよ」
「よかった。大好きだよ」
「ありがと。じゃあ行こう」
「うん……」
鷹緒は恵美と手を繋いで、車で理恵のマンションへと向かっていった。
「恵美! もう、心配かけて……」
そう言って顔を顰めながらも、理恵は恵美を抱きしめる。
「ごめんなさい、ママ……」
恵美は謝りながら涙を流していた。きっと理恵の顔を見て気が緩んだのだろう。
「ありがとう、鷹緒……」
「いいよ。恵美、もう大丈夫だな?」
理恵の言葉を遮って、鷹緒は恵美の頭を撫でながらそう尋ねる。
「うん。ありがとう……」
いつもの恵美に戻った様子に、鷹緒は微笑みながら首を振った。
「ああ。じゃあまたな。ちゃんと思ったこと言えよ」
「うん」
互いに頷き合い、鷹緒は理恵のマンションを後にした。
沙織は一人部屋に戻ると、シャワーを浴びてラブソファに身を投げ出した。
「パパをとらないで」と言った恵美の言葉が思い出され、沙織の心は沈む。恵美を大事にしている鷹緒ならば、恵美のことを一番に考えるだろう。それが自分と別れることかもしれないと、不安に苛まれる。
その時、携帯電話が鳴った。
「鷹緒さん!」
液晶画面の文字を見ると同時に、沙織は電話に出てそう言った。
『さっきはごめん。寝てた?』
「ううん、シャワー浴びて出たところ。そっちはどう?」
『うん。今、恵美送ったところ』
「そう。泊まるのかと思ったけど、ちゃんと帰ったんだね」
『ああ。それで今、おまえのマンションの近くまで来てるんだけど……行っていい?』
「う、うん!」
胸が高鳴り、沙織は叫ぶようにそう答える。
『じゃあ事務所の駐車場停めて行くから』
「わかった。待ってるね……」
高まった胸の鼓動を抑えようと、沙織は深呼吸した。鷹緒が家へ来てくれるのは嬉しい反面、何か良くないことを言われるのかと勘ぐってしまう。それでも沙織は、笑顔で迎えようと思った。
それからしばらくして、鷹緒がやってきた。車を置いてきたのはゆっくり出来るからだろうと、沙織は鷹緒用に買っておいたビールをテーブルに置く。
「いらっしゃい。どうぞ座って」
「ああ……」
いろいろあった後で互いに少し緊張しているものの、鷹緒はソファに座って沙織を見つめる。
「さっきはごめん。あと、ありがとう」
優しく微笑む鷹緒に、沙織も少し安心したように微笑んだ。
「ううん。来てくれて嬉しい」
鷹緒は頷き、沙織を抱きしめる。
「……大丈夫?」
沙織を見つめながら鷹緒が言った。そんな鷹緒に、沙織は大きく頷く。鷹緒が自分の不安や不満を察してくれている。そう思うだけで、今まで感じていた不安はどこかへ消えてしまっていた。
「うん、大丈夫」
笑顔でそう言った沙織は、鷹緒にとって大げさでなく輝いて見えた。
鷹緒にもう一度抱きしめられ、沙織はその胸に身体を預ける。
「鷹緒さんは大丈夫?」
「ああ。恵美の家出は初めてじゃないし……」
「そうなの?」
「まあでも、気を付けてやらないとな。ナーバスになってるのは確かだし」
浮かない表情の鷹緒を見て、沙織も顔を曇らせた。
「鷹緒さん……もし恵美ちゃんが望んだら、私と別れる……?」
それを聞いて、鷹緒は沙織を見つめた。
「……恵美に何か言われた?」
「そうじゃないけど……」
「別れないよ。恵美にも言ったけど、比べようがない。どっちも大事。まああいつのが子供の分、何かあった時はおまえのほうに我慢させちゃうことになるかもしれないけど……恵美がどうこう言ったからって、別れたりしないよ。おまえが望むなら考えちゃうけど……」
それを聞いて、沙織は思い切り首を振った。
「違う。そういうことじゃないの……」
沙織の不安を知り、鷹緒は沙織を抱きしめてキスをする。
「これも独占欲かな……」
ぼそっと呟く鷹緒に、沙織は首を傾げた。
「え?」
「いや……誰だって、親しい人が離れたら寂しいものだと思ってさ……」
「……恵美ちゃんのこと?」
「それもそうだし、俺が昔、再婚する親父に感じたことも、今おまえを離したくないっていうのも、そうなのかと思って……」
沙織は考え込むように俯くと、やがて口を開いた。
「独占欲って悪いことだけじゃないと思うし、ある意味仕方のないことじゃないのかな。特に子供の頃はそうだよ。でも私のことは独占欲じゃなくて、ただ愛情って言ってほしいな」
照れながら笑う沙織に、鷹緒も微笑む。
「そうだな。それだけじゃ収まらないくらいだよ」
「鷹緒さん……別れたりこじれたりするのは嫌だけど、恵美ちゃんのこと、これからも大切にしてね」
内心、沙織にも独占欲というものがあって、恵美にも誰にも鷹緒をとられたくないという気持ちはあるのだが、先程の必死な形相の恵美を思い出せば、可哀想だとも思い、大人を装うように沙織はそう言った。
鷹緒は静かに頷くと、沙織に顔を近付ける。沙織もそれを受けるようにして、二人はキスをした。
「あ、そうだ。これも渡しそびれてたんだけどさ」
おもむろに鷹緒はそう言って、投げ出していたバッグの中から、小さめのカメラケースを差し出す。それは一見、カメラケースにも見えないほどのジュエリーが散りばめられた女性用のケースである。
「わあ。可愛い!」
「誕生日にやったカメラ、壊しそうで持ち歩くの怖いとか言ってただろ?」
「じゃあ、私をほったらかした罪滅ぼしじゃないの?」
「なんだよそれ。たった今買ったものじゃなくて、ちゃんと昼間に買ったんだよ」
沙織は嬉しそうにケースを開けて、家宝のようにしまっていた鷹緒からの誕生日プレゼントであるカメラを入れた。
「ぴったり」
「ああ」
「それにしても、こんな可愛いの選んじゃうセンスがあるんだ。なんか意外」
「残念だけど、店員一押しのものだよ。若い女性用って言ったら、勧められたんだ」
「なーんだ。でも嬉しい」
はしゃぐように一気に明るい笑顔になった沙織は、そっと鷹緒にキスをした。それがあまりにも唐突で、鷹緒は驚いて頬を赤く染める。
「おまえ、急になんだよ……」
「だって……お礼?」
「まったく、いつも唐突なやつだな……」
鷹緒は照れ笑いを隠すように、沙織の肩を抱く。
「ありがとう。大切にするね」
「そんな高いもんじゃないんだけどな」
「でも嬉しいから」
そっと頷きながら、鷹緒は真剣な顔で沙織を見つめ、そのままソファに押し倒した。
頬を赤く染めながら、沙織は鷹緒から目を逸らすことが出来ずに身を預ける。プレゼントは嬉しかったが、それがなくても鷹緒にこうして触れられるだけで嬉しいと思える。
幸せを噛みしめるように微笑む沙織に、鷹緒は癒されていた。