12-2. 続・未知数のカノジョ (2)
理恵から恵美がナーバスになっていると聞いていたため、鷹緒も沙織も気が重くなる。だが鷹緒は少し慣れた様子で、恵美の頭をもう一度撫でた。
「腹は減ってる?」
鷹緒の質問に、恵美はそっと頷く。
「減ってる……」
「あ、じゃあ私、なにかごはん作るよ」
すかさず沙織が言ったので、鷹緒は沙織を見つめる。
「いいの?」
「うん。パスタでいいかな、恵美ちゃん。この間買ったから、そんなものしか作れないけど……」
沙織の言葉に、恵美は無言のまま頷いた。
「じゃあすぐ作るからね」
「俺、ちょっと着替えてくる……」
鷹緒はそう言いながら、沙織を横切ると同時に、恵美にわからないように電話する仕草を見せたので、沙織も頷いた。
リビングから鷹緒が出て行ったので、沙織はキッチンの冷蔵庫を覗く。料理をしない鷹緒だけあって食材はないに等しいのだが、先日カレーを作った際に残っていた玉ねぎが残ってるほか、非常食用にパスタのルーも買っておいたので、それを取り出してガスレンジにセットする。
するとそこに恵美が顔を出した。
「恵美ちゃん。すぐ出来るから待っててね」
「……」
口をつぐんで俯く恵美に、沙織は手を止めて、その顔を覗き込んだ。
「どうかした?」
「……沙織ちゃん、本当にパパと付き合ってるの?」
その言葉に、沙織は目を泳がせる。鷹緒は否定しなかったが、目の前にいる恵美は明らかに不安気な表情をしている。
「恵美ちゃん……」
「お願い。パパをとらないで」
恵美自身も無茶なことを言っていると思っているのか、身を縮めてそう言った。
衝撃を受けながらも、沙織は恵美を見つめた。だが恵美は涙をためて沙織を見つめる。
「こんなこと言ってごめんなさい……でも恵美、パパのことが好きだから……」
それを聞いて、沙織は恵美の頭を撫でた。ショックもあるが、可愛らしいとも思う。
「大丈夫だよ……何か鷹緒さんに話があって来たんだよね? ごはん作ったら私は帰るから、鷹緒さんとゆっくりお話してね」
それを聞いて静かに頷くと、恵美はリビングのソファへと戻っていった。
恵美の言う好きがどれほどのものなのかはわからないが、恵美が自分と別れることを望んだら、鷹緒はそれを叶えてしまうような気がして、沙織の心は沈む。だが今、鷹緒と付き合っている自信もあり、恵美がナーバスな時期だと知ってもいたので、今出来ることをしようと沙織は料理を続けた。
鷹緒は寝室で、理恵に電話をかけていた。
『もしもし』
まだ事態を察していないのか、いつも通りのトーンで理恵の声がする。
「諸星ですけど」
『うん、どうしたの?』
「おまえ、まだ会社?」
『ううん、お店。これから接待に付き合わなくちゃいけなくて……』
副社長である理恵は、思うよりも忙しいらしい。
「今、恵美がうちに来てる」
『えっ!』
突然、理恵の大きな声が響いた。
『ど、どうして……?』
「帰ったら部屋の前にいたんだ。まだ何も話してないけど、様子を見て連絡する」
『もうどうして……ごめんね、鷹緒。やっぱりあの子、この間から変だわ……今日も私が遅くなるって知ってて出たのね……』
「とにかくこっちで話しするから、接待続けて家に帰れよ。あとで連絡するから」
『うん……迎えに行くから、すぐ呼んでね』
「いや、俺が送るよ。とにかく心配するな」
そう言って鷹緒は電話を切り、軽く溜息をつくと、リビングへと戻っていった。
鷹緒がリビングに戻ると、ソファに恵美が座り、沙織はキッチンで料理を続けていた。鷹緒は沙織を尻目に、恵美の隣に座る。
「ここに来るの久しぶりだな」
普通の会話から入った鷹緒に、恵美は一気に打ち解けるように明るい笑顔で頷いた。
「うん」
そこに沙織が料理を運んでくる。
「はい、出来ました。簡単なものだから口に合うかわからないけど……」
「ありがとう、沙織ちゃん……」
少しはにかみながらも素直に恵美がそう言ったので、沙織は首を振る。
「ううん。じゃあ私、帰るね……」
沙織の言葉に、鷹緒は沙織を見上げる。だが恵美のことを思えば、今日は帰ってもらったほうがいいと思い、静かに立ち上がった。
食事中の恵美を残して、鷹緒は沙織とともに玄関へと向かっていく。
「悪い……」
そう言った鷹緒に、沙織は優しく微笑んで首を振った。
「いいの。それより早く戻ってあげて? それでちゃんと話聞いてあげてね」
鷹緒は頷くと、沙織にキスをした。
「タクシーで帰れよ」
ズボンのポケットから財布を取り出す鷹緒の手を、沙織が止める。
「ううん、大丈夫。まだ早いし、電車もあるし」
「……じゃあ気を付けて。家に着いたらメールして」
「わかった。じゃあまたね」
「ああ。おやすみ……」
沙織を見送って、鷹緒はリビングへと戻っていく。恵美は黙々と、沙織が作ったスパゲティを食べていた。
「うまい?」
そう尋ねると、恵美は横を向く。
「ちょっとしょっぱい」
わざとそう言う恵美に、鷹緒は苦笑した。そのスパゲティは前に鷹緒も食べている沙織の自信作の一つなので、味は保証済みだ。
鷹緒は恵美の頭を撫でると、小さな音量でテレビをつける。静かな部屋では話しづらいと思ったのである。
「ごちそうさまでした」
やがて恵美はそう言って、自らキッチンへ行き、食器を洗う。母子家庭のためということもあり、躾としてそれが当たり前に出来るのは、仮の父親としても嬉しく感じた。
戻ってきた恵美は、本題に入るのに気が重いのか、ソファに座らずに立ち尽くす。
そんな恵美に、鷹緒は優しく微笑んだ。
「風呂入る? ゲームでもやる?」
「……聞かないの?」
俯く恵美を、鷹緒は微笑んだまま見つめる。
「言いたくなった?」
「……」
「昔からおまえは、ちゃんと話したいことがあったら自分から話してくれるから……さっきは沙織がいたからかもしれないけど、何も言わなかっただろう? 言う気になったんならちゃんと聞くから話して」
そう言われ、恵美は途端に暗い表情を見せて、鷹緒の隣へと座る。
「何から話せばいいのかわかんない……」
恵美の言葉に、鷹緒は頷いた。
「……昨日、理恵から電話が来たよ。おまえ、現場から一人で帰ったんだって?」
「……だってママ、恵美のことどうでもよくなっちゃったんだもん……」
そう言いながら、恵美の瞳から涙が溢れる。鷹緒は小さく溜息をつくと、恵美の頭を撫でて抱きしめた。
「なんでそんなこと……」
「だってママ、今日も遅くて……仕事って言ってるけど、きっと豪さんのところに行ってるんだよ……」
恵美を抱きしめながら、鷹緒は目を見開いた。実の父親である豪より鷹緒といた時間のほうが長いのだが、時として自分をパパと呼び、実の父親である豪をさん付けで呼ぶ恵美にも、少なからず戸惑いを感じる。
鷹緒は恵美から離れて、その顔を見つめた。
「どうしてそう思うんだ?」
「……だっていつも、恵美が寝てから会いに行ったりするから……ママは恵美が寝てるって思ってるかもしれないけど、起きてママがいないと不安になる。恵美、捨てられちゃうのかな……」
絶望的な表情を見せる恵美に、鷹緒は何度もその頭を撫でた。
「馬鹿だな……あいつが恵美にそんなことするわけないだろ。おまえがいなくなっただけで、血相変えて俺に電話してくるんだぞ? おまえが本当にいなくなったら、あいつは生きていけないよ」
「……パパは?」
「俺だって心配だよ」
「嘘……パパだって、恵美より沙織ちゃんが大事でしょう?」
まるで小さな彼女でも出来たようで、鷹緒は苦笑する。
「そんなことない……って言いたいけど、比べられないよ。それに誰かと付き合うからって、おまえのことをないがしろにしたりしない。それがわかってるから、沙織だってわざわざここに来たのに帰ったんだろ。おまえはみんなに大事にされてるのがわからない?」
鷹緒が恵美に対して、丁寧ながらも大人に話すように接するのは昔からのことで、恵美はそれをすんなりと受け入れて頷く。
「わかる……」
その言葉に、鷹緒は微笑んだ。
「前にも言ったろ? 俺も恵美が大事だし大切。それは離れてても変わらないよ。だから、何かあったらいつでもおいで。それからこんなふうに、ちゃんと正直に話せよ。理恵に言えないなら、俺が聞くから」
念を押すように、鷹緒はそう言い聞かせる。
「うん……」
「それから、もっと理恵を信じてあげて。今日も仕事っていうのは事実だから。それに夜出るのが嫌だっていうなら、こんなふうに直接話してやれよ。あいつは今、おまえがどう思って何に悩んでるのかわかってないんだから。困らせたいっていうのもわかるけど、馬鹿な親に合わせるくらいのこと、おまえには出来るだろ? こうして俺なんかのところに来てくれるくらいなんだから」
「パパ……大好き」
「俺も大好き」
恵美が抱きついてくるので、鷹緒は恵美の髪を撫でながらぎゅっと抱きしめた。