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143. 贅沢なアシスタント

 夕方。昼間の撮影が一緒だった鷹緒と沙織は、一緒に会社へと戻っていった。

「早く終わってよかったね」

 沙織の言葉に、鷹緒が頷く。

「ああ。夜までかかると思ってたけど、昼返上だったからか案外早く片付いたな……夜、何食べたい?」

 会社に向かうエレベーターの中、鷹緒の言葉に、沙織はおなかと相談する。

「うーん。まだあんまり減ってないな」

「まあまだ夕方だもんな。俺は昼から何も食ってないから……」

「あ、そっか。ずっと撮影だったんだもんね。何か買ってこようか?」

「うん。それにしても、一度戻らないと」

 エレベーターが開き会社に戻ると、受付の牧や奥にいる社長が電話をしているため、社内はいつもより騒然として見えた。

「ただいま……」

 と言っても、各々忙しそうで返事する者はいない。モデル部署では理恵を含めた数人が立ったまま何やら話をしている。

「なんかあったのか……?」

 誰に問いかけるでもなく、鷹緒は自分の席へと向かっていく。

 その時、企画部の電話で電話をしていた広樹が、理恵に声をかけた。

「やっぱりこっちも駄目だ」

「じゃあやっぱり私たちがやりますよ。経験はないけど、足しにはなるでしょう」

「いや……じゃあ僕が打ち合わせ一つやめるよ。さすがに俊二一人じゃ大変だろうから」

「だから、何の話してるんだよ!」

 割って入った鷹緒の言葉に、その場にいた一同が一斉に鷹緒を見た。

「あれ、鷹緒。いつ帰ったの?」

「今だよ。なに、なんかトラブル?」

「社長! AGフォトのアシスタントなら貸してもらえそうです。あんまり経験ないっていうから不安ではありますけど……」

 遠くで牧の声がするが、広樹は待てと言うように片手で止める仕草をして、鷹緒を見つめる。

「鷹緒。おまえ、まさか……撮影終わったの?」

「ああ、終わったけど」

 そこで、その場が歓喜と安堵に包まれた。

「助かった――! 悪いけど、もう一個撮影こなしてくれ。頼んでたカメラアシスタントがインフルエンザで来られなくなっちゃって、俊二一人なんだ」

 そう言われ、鷹緒は軽く頷いた。

「ああ、そういうこと……いいよ。どこのスタジオ?」

「港Aスタで十九時から。俊二はもう行ってる」

「じゃあ、もう出なきゃ駄目だな」

 突然の仕事にも慣れたように返事をして、鷹緒は自分のデスクへ向かう。そこで、後ろにいた沙織に気付いて、鷹緒は振り向いた。

「悪い、沙織……ということで、今日は遅くなる」

「うん……」

 緊急の仕事なので理解はしているが、もう少しフォローはないのかと、沙織は寂しそうに頷いた。

 そんな沙織を、鷹緒はじっと見つめた。今日の沙織のファッションは珍しくカジュアルなパンツスタイルである。

「……動きやすそうな服装だな」

「え? うん……今日はマニッシュっていうか、ボーイッシュにしてみたんだけど」

「おまえ、手伝う気ある?」

 突然の申し出に、沙織は目を丸くした。

「え?」

「そういやおまえ、モデルの前には俺のスタッフしてたんだし、何かの足しにはなるだろう」

「失礼な言い草だなあ。そんなこと言うならやる気なくすんですけど」

「失礼しました。謝るから手伝ってくれる?」

 仕事とはいえ、まだ鷹緒と一緒にいられると思うと、沙織は大きく頷いた。

「うん!」

「じゃあ、ちょっと待ってて。すぐ支度するから」

 そう言うと、鷹緒は外出中にたまった伝言の束を片付け、壁に設置された棚から撮影に必要な小間物のバッグを取り出す。

「鷹緒。これが撮影の資料」

 広樹が資料を差し出しながら言った。

「キャンディス?」

 鷹緒の言葉に、沙織は顔を上げる。

「え、撮影ってキャンディスの? わあ、なんか嬉しい」

 キャンディスとはティーン向けの雑誌の名前で、高校時代は沙織も専属モデルをしていた雑誌である。

「沙織ちゃんも連れて行くの? 先輩モデルがアシってどうよ……」

 驚く広樹に、鷹緒は苦笑する。

「いいじゃん。逆に沙織のホームグラウンドでしょ。そんなにコキ使うつもりないし」

「おまえの場合、説得力ないな……」

「俺がアシってほうがよっぽど強烈だろ」

「ハハ。それは言えてるかな」

「俊二の正式なアシなんて、なかなかないからな」

 楽しそうに笑う鷹緒に、広樹は口を開いた。

「じゃあ俊二のやつ、緊張するだろうな……」

「あいつももうプロなんだし、いちいちそんなこと気にしないだろ」

「まあね……でも今日はただでさえスタッフ少ないんだ。大丈夫か? なんなら僕も打ち合わせキャンセルして行くけど」

 そう言った広樹に、鷹緒は首を振る。

「やめろよ、みっともない。俺が行くのでさえスタッフ不足ひけらかさなきゃならないんだから、社長のおまえまで来たら示しがつかない」

「まあそうか……」

「じゃあそういうことで。特に持って行く物ないんだよな?」

「ああ……にしても、結構な荷物持って行くつもりだな」

 鷹緒が背負った荷物は、いつもの倍以上である。

「まあ、他人の撮影だからな。念には念を入れて」

「よろしく」

「ああ。じゃあ行って来ます」

 社員たちに見送られ、鷹緒は沙織を連れてスタジオへと向かっていった。


 現場に行くと、難しい表情をした俊二がいた。まるでアシスタントのようにあくせく動いている俊二は、鷹緒の顔を見るなりほっとした表情を見せつつも、すぐに険しい顔で謝った。

「すみません。鷹緒さんに迷惑掛けて……」

「構わないよ。それにおまえのせいじゃないだろ……それより、プラン表もらってるけど、何か変更点ある? 沙織もアシで使えるから何でも言って」

 鷹緒がそう言うと、俊二は驚いて沙織を見つめた。

「沙織ちゃんも? 本当にごめんね……」

「全然。キャンディスって聞いてテンション上がってます。なんでも使ってください」

「ありがとう……」

 感動しているような俊二の頭を、鷹緒が小突いた。

「いいから打合せ」

「あ、はい。一人で準備すると思って、十五分押しで了承もらってます。修正点が少しあるので、これ見て確認してください。モデルやメイク等々は順調ですし、僕さえ頑張ればって感じなんですけど、アシがいるのといないのじゃ全然違うから助かります」

 修正された資料を見ながら、鷹緒は自分の資料に赤ペンで修正を加える。

「まあ、人手は多いほうがいいし、キャンディス規模だと一人じゃ難しいだろう。偶然俺のが早く終わっただけだし、気にするなって」

「気にしますって。スタッフさんだって驚くでしょうし」

 苦笑する俊二を見て、鷹緒は沙織に車の鍵を渡した。

「沙織。車にジャケットとキャップが入ってるから持ってきて」

「はい」

 言われるままに、沙織は走って車へと向かっていく。

 その間に、鷹緒は俊二が被っていた野球帽を取り、自分が被ってみせる。

「あんまり……似合わないっすね」

「うるせえ。おまえ、そんなどこぞのADみたいな格好してないで、メインカメラマンとしてどかっと構えてろよ」

 その時、沙織が鷹緒に言われた物を持ってきた。

「持ってきたよ」

「サンキュ」

 そう言うと、鷹緒はTシャツ姿の俊二に自らのジャケットを着せ、帽子を被せた。

「こんなお洒落帽子、似合わないっすよ」

「とりあえず、今日は俺より地味になるな」

 苦笑しながらそう言って、鷹緒は着ていたシャツを脱ぎ、下に着ていたTシャツだけになった。

「わあ。鷹緒さん、スタッフさんっぽい……」

 沙織の言葉に、鷹緒が笑う。

「スタッフなんで。俊二はチェックに入ってていいよ。準備は俺がやるから」

「私は?」

「じゃあお茶と軽食買ってきて。多めにな」

 金を渡しながら指示する鷹緒に、沙織は素直に頷いてスタジオを出ていった。

 鷹緒は俊二の帽子を目深に被ると、俊二を見つめた。

「まあ、メインスタッフが来たら挨拶しておくけど、モデルとかにはバレないに越したことないな」

「なるべく僕も動きますんで」

「いいよ。おまえは撮影に集中して」

 そう言いながら。鷹緒は俊二が途中までしていた機材の準備に取りかかった。


 やがて編集スタッフ到着とともに、鷹緒はすかさず挨拶をする。

「急遽アシスタントをやらせていただきます、諸星です。よろしくお願いします」

「あははは! まさか諸星さんが来られるとは、なんと贅沢な撮影なんですか」

 責任者に笑い飛ばされ、鷹緒は苦笑した。

「人手不足をひけらかして恥ずかしい限りですが、事務所に来ていた元キャンディスモデルの小澤も連れてきたので、どうぞ使ってやってください」

 鷹緒が沙織の背中を押したので、沙織もすかさず頭を下げた。

「お久しぶりです。キャンディスの撮影が手伝えるって聞いてついてきちゃいました。なんでも使ってください。よろしくお願いします!」

「懐かしいですねえ! こちらこそよろしくお願いします」

 一通り挨拶を終えると、鷹緒は腕時計を見つめる。

「ではそろそろ始めたいと思いますが、お食事まだでしたら軽食買ってあるんでどうぞ。モデルさんたちの準備はよろしいですか?」

「はい。呼んできます」

 スタッフが手を上げたので、鷹緒は頷く。

「では、モデルさんたちの出入りはそちらでお願いします。時間次第でこちらも調整しますので」

「お願いします」

 指示を終えると、鷹緒は沙織を見つめた。

「始まったら特にやることはないと思うけど、何があっても動けるように、全体を見ておいて」

「はい」

 すっかり仕事モードの鷹緒に、沙織もまた仕事モードで応える。

 鷹緒はずれた帽子を目深に被り直すと、カメラ前に立つ俊二を見つめた。

「そちらの準備は大丈夫ですか?」

「鷹緒さん。敬語気持ち悪いんでやめてくださいよ」

「悪かったな……気負わず自由にやってくれよ」

 笑いながらそう言って、鷹緒は俊二から一歩下がったところで撮影を見守る。

 やがて始まった撮影は、開始前のドタバタ感はまるでなく順調だった。

「レンズ交換します――」

 撮影開始からしばらくして、俊二がそう言いながらレンズを外すと、目の前にレンズが差し出された。

「え……」

 見ると、隣でしゃがんだ鷹緒が、新たなレンズを差し出している。

「あ、悪い。こっちだった?」

 驚いている俊二に、鷹緒がもう一方の手で持っていたレンズを差し出す。

 あまりに迅速な鷹緒に、俊二は苦笑した。

「いえ、こっちで大丈夫です。ありがとうございます……」

「うん」

 鷹緒は気にも留めずに、受け取ったレンズを拭いてケースに戻すと、真剣な眼差しでスタジオ全体を見つめている。

「俊二……このままだと十五分押しだったの解消されるペースだけど、大丈夫? 休憩挟む?」

「いえ。モデルも出ずっぱりじゃないので、このままいきましょう」

「了解」

 アシスタントに徹する鷹緒に戸惑いながらも、俊二は俊二で集中する。実際に鷹緒のアシスタントは動きやすく、撮影は円滑に進められた。


「では、本日の撮影は以上になります。各自支度をしてお帰りください。おつかれさまでした」

 鷹緒の言葉で撮影は終了し、一同は歓喜に包まれた。

「鷹緒さん。ありがとうございました」

 深々とおじぎをする俊二に、鷹緒は首を振る。

「お疲れ様。片付けはこっちでするから、先に出ていいよ」

 あくまでもアシスタントに徹する鷹緒に、今度は俊二が首を振った。

「いやいや、そこまで切羽詰まってないですから」

「じゃあ事務所寄るだろ? 送るから早いとこ片付けよう」

「はい。ありがとうございます」

 その後、鷹緒と俊二は機材を片付け、沙織は指示に従って車へと運んでいく。

「あとは重いからいいよ」

 しばらくして、一生懸命に荷物を運ぶ沙織から荷物を取って、鷹緒が歩き出した。

「いいよ。力はあるほうだし、何も役に立ってないし……」

「そんなことないよ、沙織ちゃん。いろいろ手伝ってくれて本当にありがとう。もう沙織ちゃんにも頭が上がらないよ」

 鷹緒より先に俊二がそう言って、大きめの荷物を運んでいく。

「そんな……少しでもお役に立てたなら嬉しいです」

 本当に嬉しそうに微笑む沙織に鷹緒はふっと笑うと、沙織の頭を軽く撫でた。

「おつかれさん」

 一同はスタッフに挨拶を済ませると、鷹緒の車へと乗り込んだ。

「僕、運転しますよ」

 そう言う俊二に、鷹緒は笑いながら俊二の野球帽を返した。

「いいっての。今日はメインなんだから楽にしとけって」

「めちゃめちゃラクさせてもらいましたよ……おかげさまで時間も巻き返せてありがとうございました。本当、勉強になりました」

 しみじみと言う俊二は、どこか申し訳なさそうに肩をすぼめている。

「こちらこそ……初心に返った感じするよ」

「いやあ……つくづくアシスタントのありがたみがわかりました。その善し悪しで仕事のやりやすさも違うってことを。もっと勉強しないと、下も育てられないですね……」

「俺とおまえの相性がいいってのは当たり前だろ。おまえは俺の下でずっとやってきたから、やり方だって似てるし。俺はおまえにはもう何も言うことはないよ。よくやってる」

 まるで励まされているかのような言葉に、俊二が噛みしめるように微笑んだ。

「なんですか、鷹緒さん。褒められるなんて逆にこわいっす」

「ハハ。じゃあビシバシいくか」

「それは嫌ですよ……」

 信頼関係が出来上がっているそんな二人のやりとりを、沙織は後部座席で見つめながら微笑んでいた。


「今日はありがとうございました」

 事務所の前に停まった車から降りて、俊二が言った。

「いや、お疲れ」

「荷物は僕が運んでおくので、このまま帰ってもらっていいですよ」

「そう? じゃあ俺のロッカーに入れといて」

「わかりました。沙織ちゃんも、本当にありがとう。お疲れ様」

 俊二は後部座席の沙織にそう言いながら、鷹緒の分の荷物も肩にかける。

「いいえ。俊二さんもお疲れ様でした」

「じゃあな、俊二」

 車を走らせる鷹緒を見送って、俊二は深々とお辞儀をしていた。

「俊二さん。ずっと恐縮してたね……」

 沙織の言葉に、鷹緒は苦笑する。

「まあ、一応俺が育てた後輩だからな……俺だって三崎さんに俺のアシスタントやられたら居たたまれないな」

「そうなんだ……」

「まあ、俊二には気の毒だったけど、俺は楽しかったよ」

「私も」

 二人は笑い合うと、やっと手に入れた休息を満喫しに家路へと帰っていった。

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