139. ペンディング
とある夕方。WIZM企画プロダクションの会議室では、恵美が宿題に向かっている。
「あれ? 恵美ちゃんじゃん」
そこに入ってきたのは、麻衣子である。
「麻衣子ちゃん」
「宿題? 私も課題あるんだよなあ」
「麻衣子ちゃんもここでやったら?」
「ええ? ここでやっていいのは恵美ちゃんだけでしょ」
「そんなことないよ」
そこに入ってきたのは、社長の広樹である。
「社長」
「会議室が空いてる時は、学生さんはいつでも使っていいよ」
「本当? じゃあ課題やっちゃおうかな」
そう言いながら、麻衣子は会議室の棚を開け、撮影で借りていたものをしまう。
「大学生も大変だね」
「でも楽しいですから」
「そっか。学生時代楽しんでね」
「はい」
その時、沙織が顔を出した。
「あ、恵美ちゃん。宿題やってるの?」
「沙織ちゃん。うん、難しくてなかなか進まなくて……」
「麻衣子も課題あるって言ってなかったっけ」
沙織の問いかけに、麻衣子は苦笑する。
「忘れたいけどやらなきゃね」
「会議室、使うなら本当に使っていいからね」
そう言って、広樹は去っていった。
「喫茶店とかでやるよりは、ここで集中してやっていったら?」
「でも、沙織は?」
「どのみちごはん食べながら課題するって言ってたでしょ? 私も企画の課題で本読まなきゃいけないし、待つのは構わないよ?」
「じゃあ……お邪魔していいかな? 恵美ちゃん」
二人が恵美を見ると、恵美は満面の笑みで微笑んだ。
「もちろんどうぞ! 広くて寂しかったの」
「相変わらず良い子だなあ、恵美ちゃん。じゃあお邪魔します!」
広い会議室に、沙織と麻衣子も座ると、各々やるべきことを始める。
それから数十分後。開いたままの会議室のドアがノックされた。そこには鷹緒が立っている。
「鷹緒さん!」
三人が一斉にそう言うと、鷹緒が紙袋を沙織に差し出した。中にはコーヒーが入っている。
「勉強してるって聞いたから。二人にはコーヒー」
「わあ。ありがとう!」
「おまえにはこれな」
反対側にいる恵美に、鷹緒は紅茶を差し出す。
「ありがとう!」
「宿題終わらないのか?」
「苦手な教科が進まないの……」
恵美の言葉に、鷹緒は恵美の隣に座る。
「へえ。これって小学校で習うやつだっけ」
「わかる?」
「まあ、このあたりなら」
教えてくれと言わんばかりの目の輝きを見せる恵美に、鷹緒は苦笑した。
「いいなあ。私も諸星さんに教えてもらいたい」
麻衣子がそう言ったが、鷹緒は瞬時に首を振った。
「大学生の課題なんてわかるわけないだろ」
「でも鷹緒さん、百点ばっかりのテストとかあったんでしょ?」
すかさず言った沙織に、鷹緒は呆れるように息を吐く。
「いつの時代だ……それに、学校のテストで百点取るのはそんなに難しいことじゃないよ」
「本当? 恵美も百点取れる?」
「保証は出来ないけど、高得点は取れるよ。教科書をちゃんと理解すればな」
「諸星さん……それが出来たら誰でも百点じゃん」
突っ込むように言う麻衣子だが、鷹緒は真顔で見つめ返した。
「あのなあ。義務教育の領域なんて、逆に教科書以上のこと大して求められないんだから、基礎さえちゃんと覚えちゃえば高得点は出せるんだよ。ただわからないまま年を過ごして、戻ってまで勉強しないから点が取れないんだ」
正論のようだが、それが出来ている生徒はなかなかいないのではと、沙織と麻衣子はお互いの顔を見合わせた。
「じゃあ、鷹緒さんが頭良かったのって、ちゃんと教科書読んだから?」
首を傾げながら言う沙織に、鷹緒は苦笑する。
「頭が良いほうじゃなかったけど……点が取りたい時はちゃんと努力はしたよ。学校のテストなんて範囲決まってるし、勉強出来るやつに教えてもらったりもしたし、先生に点取りたいって売り込んだり」
「なにそれ。ワイロ?」
「根回しは大事だよ。まあとにかく基礎の部分しっかりしてれば、あとは応用だろ」
「なんか……論文のテーマそれにしようかな。“人はどうしたらテストで百点を取れるのか”」
真面目に言った麻衣子に、一同は笑った。
するとそこに、理恵が入ってくる。
「恵美、お待たせ……え、諸星さんが勉強教えてくれてたの?」
「教えるほどまだやってないよ」
「ヒロさんといい、恵美の勉強見てくれるから本当助かっちゃう」
微笑む理恵に、恵美も笑う。
「ママは全然教えてくれないもんね」
「教えられることないんだもん……辞書やネットで調べたほうが効率的じゃない」
学に対して負い目のある理恵は、悲しそうに微笑んだ。
「そうやって根拠のない自信なくしてないで、一緒に勉強すればいいんじゃん?」
鷹緒はそう言いながら恵美の頭を撫でるように軽く叩くと、教科書を置いた。
「恵美。わかんないところあったら、メールとかでもいいからしろよ」
「いいの?」
「受験、するんだろ?」
「ありがとう!」
目を輝かせたまま、恵美は理恵とともに去っていった。
「さて、おまえらはまだ残る?」
「鷹緒さんは?」
「俺はもう仕事終わり」
「珍しい……」
会話を続ける鷹緒と沙織に、麻衣子はふっと笑う。
「沙織。私はここで課題やっちゃうから、今日は先に帰って」
「え? そんなこと言ったら、私も本読まなきゃ……」
話が始まった沙織と麻衣子を尻目に、鷹緒は会議室を出ていった。
二人きりになり、麻衣子は沙織の肩を叩く。
「いいから。全然二人きりで会えてないんでしょ。諸星さんのが先に終わるなんて珍しいし、いいから帰りなさい」
気を利かせる麻衣子に、沙織は揺れる心を抱えながら、やがて麻衣子を見つめた。
「ダメ」
「え?」
「今日は麻衣子との約束が先だもん。本読まなきゃいけないのもそうだし、このまま鷹緒さんと一緒に帰ったら、約束も破っちゃう上に本も読めない……」
本音を吐露する沙織に、麻衣子が笑う。
「本も読めないって、沙織ってば……」
「と、とにかく、今日の鷹緒さんはイレギュラーだからいいの」
「じゃあ、私もう帰ろうっと」
「ええ?」
じゃれるように言い合う二人のもとに、鷹緒が戻ってきた。
「おい。ヒロも終わりらしいからメシ行くけど、おまえらも行かない?」
「行く!」
同時に言った二人に、鷹緒も笑う。
「相変わらず、仲がよろしいことで」
「妬かない、妬かない」
そうして一同は、近所の居酒屋へと流れていった。
「あーあ。こうして楽しい飲みはいいけど、帰ってからの罪悪感やら喪失感やらが毎度辛いんですよね」
飲みながら言った麻衣子に、広樹が笑った。
「アハハ。それわかる。楽しい時間の後はいつもそうだなあ」
「え、社長も?」
「僕だって課題やら宿題はあるんだよ? それも大量に」
「おまえ、夏休みの宿題、最終日にやるタイプだろ。NKの原稿とか企画会議の進捗とかどうなってんだよ」
突然、鷹緒が広樹に鋭く言ったので、広樹は口を尖らせた。
「あのねえ。僕は夏休みの宿題は最初の一週間でやるタイプでした。進捗は……ペンディング。でも大丈夫だよ。間に合わせるから」
「ったく……」
「そういう鷹緒は、本当に今日帰ってよかったの? 明後日締め切りじゃなかったっけ」
「俺はペース配分決めてるから大丈夫だよ。最悪は徹夜するだけだし」
「全然ペース配分出来てないじゃん」
そんな鷹緒と広樹のやり取りに、沙織が笑う。
「本当、お二人仲いいですよね。私も麻衣子とそうでありたいな」
「沙織ってば。私もそう思ってるよ」
「うちら両思い?」
「もちろん」
笑い合う二人に、鷹緒も微笑む。
「まあ、二人が仲良くやってるのを見るのは、俺も嬉しいよ」
「僕も。じゃあこれからもみんなで仲良くやっていきましょう、ということで、カンパイ!」
「あはは。カンパーイ」
そうして一同はそれぞれの課題を後回しに抱えたまま、楽しい夜は更けていった。