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135. 女の決断

 夕方。WIZM企画プロダクションでは、まだ社員たちが忙しなく動いている。

 そんな中で、麻衣子が駆け込んできた。

「麻衣子ちゃん?」

 あまりの勢いに、受付の牧が驚いて声を掛ける。

「えっと、あの……ちょっと失礼します!」

 そう言って、麻衣子はモデル部署のほうへと歩いていくが、各々仕事をしており、声を掛けられそうにない。

 そんな時、社長室から広樹が出てきた。

「あれ、麻衣子ちゃん。どうしたの? 事務所に来るなんて珍しいね」

 そう言いながら、広樹は空のコーヒーカップを持って給湯室へと向かいつつも、麻衣子の返事を待って振り向く。

「社長……私……」

 その時、入口からホセが顔を出し、物凄い形相で麻衣子に近付いて来た。

「ちょ、ちょ、ちょっと何?」

 その勢いに、慌てて広樹が麻衣子の前に立ちはだかると、ホセが口を曲げて麻衣子の腕を掴んだ。

「あんたは関係ない。これは俺たちの問題だから」

 そういうホセだが、麻衣子は首を振って俯いた。

「あー、わかった。二人とも、ちょっと来て」

 事態を察して、広樹は手を上げてホセを宥める。

「あんたは関係ないって言ってんだろ!」

「関係あるに決まってるでしょ。ここは会社。僕は社長。所属タレントの麻衣子ちゃんがここに来た以上、この場の権限は僕にある。それが嫌なら君が帰りなさい」

 きつくそう言うとホセが黙ったので、広樹は二人を連れて奥の会議室へと向かいながら、事務所に振り向いた。

「牧ちゃん、お茶出してくれる?」

「あ、はい。すぐに……」

「みんなは仕事に戻って」

 社内は少し騒然としたが、広樹の声かけで各々仕事に戻っていった。


 牧がお茶を運んでくると、広い会議室にはホセに対面する形で広樹と麻衣子が隣同士に座っていた。

「ありがとう、牧ちゃん。副社長は外回りだっけ?」

「はい。でもそろそろ戻ると思います」

「じゃあすぐ戻るよう電話して、戻ったら声かけるよう言って」

「承知しました」

 去っていく牧を見送って、広樹は麻衣子を見つめる。

「それで、何があったの?」

「俺は悪くねえよ。麻衣子が急に走って逃げたから追いかけただけだし」

 麻衣子が答える前に、ホセがそう言った。

「逃げたなら、相応なことがあったんじゃないの?」

「……もう限界だったんです。がんじがらめに縛られるの」

 麻衣子の言葉に、広樹は首を傾げる。

「どういうこと?」

「嫉妬が過ぎるんですよ。待ち合わせ場所で先に待ってただけなのに、スマホでSNS見てただけで誰と連絡取ってるんだとか、ファンだって言って声かけてくれた人に応じただけで浮気だとか……いつも口ばっかり達者で、言いくるめられる前に逃げただけです」

 ただの痴話喧嘩だと思ったが、麻衣子の表情は思いの外暗い。

「ホセ君のそういうとこは少し聞いたことがあるけど……それは麻衣子ちゃんを思ってるからじゃないの?」

「度が過ぎると思いませんか? 同性の沙織と話してるだけで小言言われたり、親と電話してるだけで嫌味言われたり、私の精神だって参ってきます。だから……」

「だから別れようって言われて、納得出来るわけないじゃないっすか」

 最後にホセがそう言ったところで、外回りから帰って来た理恵が顔を出した。

「ただいま戻りました……」

「ああ。悪いけど、そこ座っててくれる?」

 理恵は重い空気を察しながらその場に座ると、ホセは口を曲げながら開いた。

「ちょっと卑怯じゃないですか? そっちは三人、こっちは一人」

「副社長はちゃんと真ん中に座ったでしょ。後から来たし、中立の立場で聞いてもらうだけだよ。それに僕も当事者じゃないから、麻衣子ちゃんの隣に座ってはいても弁護人ではないし、卑怯だと言うならホセ君の事務所の人を呼んでも構わないよ?」

「……面倒くさいからいいです」

 拗ねて体勢を崩すホセを見て、広樹は麻衣子を見つめる。

「麻衣子ちゃんの意思は、本当に固まったの?」

「……はい。新しくドラマの仕事も決まったのに、ドラマやっちゃ嫌だとかいう彼氏とは付き合えません。そこまで……今は恋愛を取ることは出来ません」

 真剣な眼差しの麻衣子を見て、広樹は理恵を見つめる。

「じゃあ簡単な話だね。ホセ君、うちの原田麻衣子とは別れてもらいます」

 そう言われて、ホセの切なげな表情が印象的に映った。

「……嫌です」

「でも、聞いている以上、君のやっていることはモラルハラスメントだ。麻衣子ちゃんにも人権がある。それは君が彼女を大切にしていることにはならないんだよ」

「そんなの納得出来ない!」

「じゃあ反論してくれて構わないよ。もちろん君の言い分も聞くから」

「なんであんたに話さなきゃいけないんだよ! これは俺と麻衣子の問題だろ。部外者は引っ込んでろ!」

 険しい顔で今にも手が出そうなホセを横目に、理恵が立ち上がった。

「社長。このままだと警察沙汰です。ホセ君の事務所の人呼びますね」

「うん……そうだね。そうして」

「面倒くさいからいいって! 別れればいいんだろ!」

 逆上したように立ち上がるホセを見て、広樹は口を曲げる。

「納得したの?」

「納得はしてない。脅されたんだ!」

「馬鹿言っちゃいけない。それにどっちが脅してるの? それだけ声を荒らげて、麻衣子ちゃんが怯えているのがわからないの?」

 ホセの目の前で、悲しそうに見つめる麻衣子が口を結ぶ。それでも、ホセの逆上は止まらなかった。

「俺ばっかり悪者にして、それで満足かよ! いいよ。別れればいいんだろ!」

「待って。それなら誓約書書いてもらうから」

「誓約書?」

 言いながら、広樹はテーブルに出してあったノートパソコンを開く。これ以上、歩み寄るつもりもなくなったように、事務的に進めていくことにしたようだ。

「今後、原田麻衣子と君との共演をNGにします。このままだと危険が及ぶと判断して、プライベートでの接触も禁止させてもらいます」

 やけに丁寧に言った広樹の言葉が、冷たく響く。

「はあ? なんでそこまで言われなきゃならないんだよ!」

「落ち着いて。その態度では、女の子は怯えてしまうでしょう? 書類作成の時間もあるし、今書けないなら後日お宅の事務所に伺いますけど……」

「勝手にすれば」

 そう吐き捨てて部屋から去ろうと立ち上がるホセを見て、広樹が口を開いた。

「麻衣子ちゃん、携帯貸して! ホセ君の連絡先消すから」

 わざと大きな声で言った広樹の言葉を確かに聞きながら、ホセは事務所の壁を派手に蹴り上げた後、去っていった。

 静まり返った会議室で、麻衣子は沈んだ表情のままスマートフォンを広樹に差し出す。

「ああ……これは彼に聞こえるように言っただけ。実際は麻衣子ちゃんの好きなようにすればいいよ。まあ、しばらく着信拒否やブロックくらいはしたほうがいいと思うけどね……」

「本当に……すみません!」

 頭を下げた麻衣子の肩が震えているのがわかり、広樹は苦笑して麻衣子の頭を撫でた。

「大変だったね……大丈夫?」

「優しくしないでください……私が馬鹿だったんです。顔につられて舞い上がって、年下だからって許してたら、どんどん度を超していって……ここまでになってしまいました」

「モデル同士のイザコザなら、事務所も介入せざるを得ないから大丈夫。それより、よくここに来てくれたね。自分たちだけで解決とか、もしものことがあったらと思うと焦ったよ」

 そう微笑む広樹に、泣き出しそうな麻衣子の顔が映る。十代の頃から知っている彼女は、頑張り屋であることはわかっていても、こんな顔は見たことがない。

「よしよし。大丈夫だから……あとは任せて」

 尚も広樹は麻衣子の頭を撫で、理恵に振り向いた。

「理恵ちゃん。あちらの事務所へは僕から連絡するから。少し彼女についてやって」

「はい。お願いします」

「しかし、誰かさんとダブっちゃったよ」

 誰かさんというのが豪だということがわかって、理恵は苦笑する。

「確かに……同じ系統ですよね」

「なんでああいうややこしい男のほうがモテるかなあ……」

 そう言いながら去っていく広樹を尻目に、理恵は麻衣子の隣に座った。

「社長もああ言ってるし、この件はもう任せて、ホセ君とは連絡取らないほうがいいわよ」

「はい。すみません……」

「まあ、ホセ君は子供っぽいなあとは見ていて思ってたのよ。実際まだ未成年だけど……それが良いと思える時もあるし、顔がいいから余計よね」

 苦笑する理恵に、麻衣子は出てきそうな涙を拭きながら口を開いた。

「副社長も……ああいう人と付き合ったことあるんですか? さっき、誰かさんって……」

「あはは。もう社長ったら、なに暴露してくれちゃってるのよね……」

「あ……もしかして、恵美ちゃんの……?」

 恵美が理恵の娘だということは周知の事実だが、その父親については麻衣子の周りでは誰も知らず、謎めいたことでもある。

 社長の広樹が知っている理恵の恋人事情ともなれば、恵美の父親についてではないかと女の勘が働いたようだ。

「麻衣子ちゃん、鋭いなあ……そう。まあ彼もそういう束縛が多くて、自信過剰の捻くれ屋で、それでいて自分は自由なのにね……だからうまくいかなかったのよ。愛想尽かすために、時間もかなりかかったけどね……」

「そうなんですか……」

「理屈じゃどうとでも言えるんだけどね。どうしてあんな人好きになったんだろうとか、どこがいいんだろうとか自問自答しても、なんか気になっちゃったり、たった一言で許せちゃったりするよね」

 理恵の言葉に共感出来るように、麻衣子の目が輝く。

「そうなんです! 時に謝られたり、怒鳴られたり、これに耐えたら良くなるのかなとかいろいろ考えて、ずるずる付き合っちゃったり……今も気になってはいます……」

 複雑な感情を持っている様子の麻衣子の背中を、理恵が優しく撫でた。

「本当に嫌いになっていないなら、すぐに切り替えるなんて難しいと思うわよ。でも、社長が手を打ってくれるなら会う機会も減ると思うし、少し距離を置いてみたら? それでも好きなら、また話し合えばいいだろうし……」

「はい。そうします……」

 その時、開きっぱなしだった出入口から、沙織が顔を覗かせた。

「沙織……?」

「麻衣子! 大丈夫?」

 沙織の顔を見て、落ち着いていた麻衣子の目から涙が流れる。

 それを見て、沙織は麻衣子に駆け寄って抱きしめた。

「どうしたの……?」

「沙織は? なんでここに……」

「事務所寄ったら、麻衣子が大変だったって聞いて……」

「沙織……私、ホセと別れたよ……」

「あ……そう、なんだ」

 ほっとしたように息を吐いた沙織に、麻衣子が顔を上げる。

「ちょっと! なによ、その軽さは」

「ううん。だって今まで、麻衣子が辛そうだったから……よかったと思って」

 苦笑する沙織の顔を見て、麻衣子はまたも涙を流した。

「ごめんね……沙織にまで心配かけてたんだね」

「ちょっと大変そうだったからね……私も昔、彼氏から変な嫉妬されたりしてたけど、ホセ君は度を超してるなって……」

「沙織もそんな彼氏がいたの……?」

「高校生の頃だけどね」

 沙織が麻衣子を宥めているのを見て、理恵は静かに立ち上がる。

「じゃあ、もう大丈夫そうかな?」

「はい。本当にすみませんでした……」

「ううん。でも、しばらくは気をつけて。用心で出来るだけマネージャーつけるようにするけど、プライベートでもなるべく一人にならないようにね」

「わかりました」

「じゃあ、このままこの部屋使ってくれて構わないし、落ち着くまでゆっくりしていってね」

 言い残して去っていく理恵にお辞儀をすると、沙織と麻衣子は互いの顔を見合わせて笑った。

「もう。心配させて……」

「ごめんね。でも、沙織が来てくれて一気に心が軽くなっちゃったよ」

「ならいいけどさ……」

 その時、麻衣子の携帯電話が震えて、麻衣子の身体が一瞬にして硬くなる。

「あ、まだ着信拒否してない……」

 そう言いながら手に取ると、モデル仲間の玲央の名前が表示されていた。

「玲央……?」

『あ、麻衣子? 大丈夫?』

「うん……どうしたの?」

『ホセから聞いたよ。事務所に別れさせられたって……』

「違うよ! 私が事務所に逃げ込んで、事務所が対処してくれただけで……別れることを望んだのは私の意思だから」

 一瞬の沈黙があって、玲央の溜息が聞こえた。

『やっぱりそういうことか……ホセから連絡があって、今から会うことにしてるんだ。ホセは僕が慰めておくから心配しなくていいよ。麻衣子は大丈夫?』

「私は……沙織がいるから」

『そっか。まああいつ、ガキすぎたよね……そんな大それたこと出来る度量もないだろうし、気にしなくていいよ。じゃあ今日のところはこっちに任せて、今度飲みに行こうぜ』

「うん。ありがとう……」

 電話を切った麻衣子の前で、沙織が首を傾げる。

「玲央君?」

「うん。ホセが連絡したみたいで、今から会うみたい。気にしないで今日は任せろって。なんなんだろうね」

「玲央君、ホセ君のこと可愛がってるもんね」

 沙織が笑ったので、麻衣子もつられて笑った。

「確かに。別の事務所なのに、弟みたいに面倒見てるもんね」

「責任感じてるんじゃない? 麻衣子にホセ君を勧めたのは、玲央君でもあるわけだし」

「そんな、玲央は関係ないんだけどなあ……でも確かにあいつ可愛いとこあるから、いろんな人に可愛がられてはいるのが不思議なんだよね」

「でも、彼氏としてはちょっと……なんでしょ? こればっかりは、付き合ってみないとわからないし……」

 そう言った沙織に、麻衣子は不敵に微笑む。

「恋愛上級者みたいなこと言うね、沙織は」

「馬鹿言わないでよ。どこが……」

「私よりは長続きしてるでしょ? あーあ。短い恋だったなあ」

 すっかり立ち直ったように伸びをする麻衣子に、沙織は笑いながら立ち上がった。

「もう、次の恋探そう? 麻衣子はモテるんだから」

「いつどこで?」

「気付いてないだけだよ。ねえ、元気取り戻すためにも、とりあえずなにか食べに行こうよ」

「え、あの方と待ち合わせじゃないの?」

「ううん。いるかなって顔出しに来ただけ。いなかったし……」

 その時、開いたドアをノックする鷹緒が顔を見せた。

「お嬢さん方。派手に立ち回ったみたいだな」

「鷹緒さん!」

「麻衣子。大丈夫か?」

 そう言われて、麻衣子も立ち上がると、沙織を抱きしめた。

「この通り! 沙織のおかげで立ち直りました」

「さすが……」

 言いながら二人に近付くと、鷹緒は抱き合っている二人を引き離して、二人の頭に手を乗せた。

「まあ、二人ともおつかれさん」

「ふふ。沙織のこと抱きしめていいのは俺だけだって?」

 おどける麻衣子の頬を突っついて、鷹緒は笑った。

「アホか。それだけ元気が出たならとりあえずは大丈夫だな。でも、なんかあったら必ず誰かに相談しろよ。絶対に一人で解決しようとするな」

「はい。ご心配おかけしてすみません!」

「本当だよ……じゃあ、俺も仕事戻るから」

 背を見せた鷹緒に、沙織が口を開く。

「あ……麻衣子とごはん行ってくるね」

「おう。ごゆっくり」

 それを聞いて、今日は鷹緒の時間はないことが窺える。

「なんか淡泊だね……あんたたち」

 鷹緒が部屋から出ていったのを見計らって、麻衣子が言った。

「そうかな? でもきっと、今日は時間があっても、麻衣子と二人でゆっくりしろって言うんじゃないかな」

「そうなの?」

「きっとね。それだけ麻衣子も大事なんだよ」

「それは嬉しいな……」

 すっかり顔色も良くなったのを見て、沙織は笑って麻衣子の手を取った。

「ほら、ごはん行こ。何か食べたらもっと元気出るから!」

「うん! 今日はいっぱい食べてやる」

 来た時とは別人のように元気になった麻衣子は、事務所のいろいろな人に支えられ、人生最悪の日を乗り越えていった。

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