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133. 大人の余裕

 とある撮影スタジオの楽屋で、懸命にスマホをいじっている麻衣子がいた。

 そこに、メイクから戻ってきた沙織が声を掛ける。

「麻衣子」

「あ、沙織。メイク終わったんだ?」

「うん。どうしたの? 険しい顔して」

「険しい顔なんてしてた?」

「してた、してた」

 沙織は苦笑しながら、麻衣子の隣へと座る。

 今日は二人揃っての撮影で、撮影待ちである。

「だって見てよ、これ」

 麻衣子はそう言いながら、スマホ画面を見せてきた。

 そこには、麻衣子の彼氏であるホセがビーチではしゃいでいる写真がある。

「ホセ君?」

「海外で撮影中なんだけど、ずいぶん楽しそうだなと思って」

 口を尖らせる麻衣子に、沙織が笑った。

「なんだ。うまくいってるんじゃない」

「どこが……最近会えてないし。相変わらず束縛はひどいけど、こいつだって女子と仲良くやってるじゃんね」

 写真には数名の男女が写っており、撮影合間のオフショットらしい。

「ホセ君にも、麻衣子はこういうふうに映ってるんだろうね。こんな楽しそうなところに自分もいなかったら、そりゃ嫉妬もしちゃうよね。私たちより若いんだし」

 にっこりと笑う沙織に、麻衣子は溜息をついた。

「なんか大人の余裕かましてない? 沙織」

「そんなことないよ。でもホセ君ってやきもち焼きだから、大変だろうなとは思ってるよ。それでも麻衣子が好きで大丈夫ならいいけど、外からなら冷静に見られるから、いつだって心配もしてるよ」

「実際大変よ。いいな、大人の彼がいる人は」

 そう言われて、沙織は苦笑する。

「だって私は……やきもちなんて焼いてたら、身が持たないもん」

 そんな沙織の言葉に、麻衣子も苦笑した。

「そっか……あのお方も、おモテになられるから」

「あはは。なんでそんな口調?」

「だってうちらとは次元が違うから。そういえば沙織は、新人の頃から大物と付き合ってるから、それだけどっしり余裕かましてられるんだろうなあ」

 麻衣子がそういったことで、沙織はユウのことを思い出した。

 国民的人気のあるボーカリストと恋人だった経験のある沙織は、麻衣子の言う通り余裕に見える我慢をしてきたのだろうが、ユウと鷹緒はまた違う付き合い方がある。

「そんなことは……」

「あ、ごめん! 過去のことなんて……」

 親友であっても言ってはいけないことのように思い、慌てて麻衣子は謝った。

 だが、沙織は静かに首を振る。

「ううん。確かにユウのこともあって今があるから……でも全然、余裕なんてないよ。でも自分のせいで好きな人のこと邪魔しちゃうことのほうが嫌だから」

「邪魔?」

「私、好きな人が仕事してる姿見るの好きだもん。私のせいでそれが滞ったりしちゃうの嫌じゃない? ないがしろにされるのは嫌だけど、少しくらい我慢したって、その分くらい嬉しいことあるから」

 そう言った沙織に、麻衣子は溜息をついた。

「私はそんなふうに思えないなあ。まあうちの場合は相手がまだ子供だし……わがままぶつけられるだけだから、私だってわがまま言いたいこともあるじゃない? でもあいつは、それを受け止めてくれることはしてくれないわけよ」

「なるほどね……」

「私ばっかり束縛されるのに、あいつは海外でこんなにはじけてるのを見ると、仕事してる姿がいいとかも言っていられないわけよ」

 麻衣子の本音の悩みに、沙織は頷いた。

「聞いてる限り、ホセ君のやきもちはびっくりするくらいの時あるから、麻衣子も大変だなって思う。私は麻衣子が傷付いたりストレス感じ続けるほうが嫌だから……でも好きなんでしょ?」

 最後にそう訪ねられ、麻衣子は苦笑した。

「そうなんだよね……」

「じゃあ、しょうがないね」

「顔がだけだけどね」

「まあ……それもしょうがないか。面食いだもんなあ、麻衣子は」

「あーあ。どっかに顔も性格も良い男いないかな」

 麻衣子の言葉に、沙織は吹き出すように笑った。

「もう、麻衣子ってば」

 その時、沙織の携帯が震えた。見ると鷹緒からのメールだった。

「あら? 沙織も急に険しい顔に」

「え、そう?」

 無意識だったが、明らかに沙織は口を尖らせている。

「何かあったの?」

「急な打合せで遅くなるって……今日こそはって約束してたのに」

「あはは。沙織もまだまだってことか」

「私だって毎日葛藤してるんだよ……余裕のある大人の女性になりたいとは思ってるけど……」

「お互いこれからだね。余裕のある大人の女性っていうのは」

 図星の言葉に、沙織はうなだれるように頷いた。

「余裕か……全然ないよ……」


 地下スタジオのアトリエで、鷹緒は煙草を咥えながらパソコンを見つめていた。

 たった今、沙織に送ったドタキャンメールに、自らが嫌になって溜息をつく。

「諸星さん。そろそろお願いします」

 半開きにしていたアコーディオンカーテンの向こうからそんな声が聞こえ、鷹緒は立ち上がる。

「すぐ行きます」

 今日は地下スタジオにて撮影で、合間に修正をしながら、夜は急ぎの打合せが入ってしまった。

 沙織とは、今日は会えそうだという話をしていたにも関わらず、仕事を優先せざるを得ない状況に嫌気が差しながらも、一度の我慢で周りのためになるかと思えば、沙織も頷いてくれると信じている。それでも罪悪感にかられた。

「お待たせ……始めようか」

 スタジオに入るなりそう言った鷹緒に、スタッフが笑った。

「間髪入れずに進めて大丈夫ですか?」

「うん。常に切羽詰まってるから」

「またまた。いつも余裕で終わらせるじゃないですか」

「余裕なんて全然ないよ」

 鷹緒は苦笑しながら、カメラのファインダーを覗いた。

 

 その後、撮影を終えた鷹緒が一番に連絡したのは、沙織に他ならない。

『鷹緒さん? 今日はもう連絡ないんだと思ってた』

 電話口の沙織の声に、鷹緒は苦笑する。

「え、なんで?」

『だって忙しいでしょ?』

「忙しいし、仕事も残ってるし、打合せはこれからだけど……」

『ええ? 無理して連絡くれなくて大丈夫だよ』

 沙織のほうがよほど余裕の発言をしているように思えて、鷹緒の心はずいぶん救われるようでいた。

「なに。嬉しくない?」

『そういう言い方はずるいなあ……嬉しいに決まってるじゃん』

 わざと言わせたように、鷹緒は静かに微笑む。

「ありがとう。沙織のおかげで、仕事に専念出来る」

『邪魔してないならよかった。でもこういう電話も嬉しいけど、無理してまでしてくれなくて大丈夫だよ。その分、会った時はうんと甘えさせてほしいけど……』

 照れるように言った沙織に、鷹緒は高鳴る胸を抑えた。

「次の休みは期待しておいて。一日空けられるようにするから」

『うん!』

 嬉しそうな沙織の声を聞いて、鷹緒もまた嬉しさを噛みしめる。

「今日は本当ごめんな」

『仕方ないよ。慣れてるし』

「……ごめん」

『いいよ。大人の余裕を身につけようと思ってるんだから』

 沙織の言葉に、幾度となく我慢させていることを重く受け止め、鷹緒は静かに口を開いた。

「そうさせないように、俺も頑張るから……」

『え? 大人の余裕、ダメ?』

「無理して身につける必要はないってこと。そうさせてるのが俺だから悪いとは思うけど……無理する必要はないよ」

『うん……』

「じゃあ、そろそろ行くよ」

『うん。ありがとう……本当に嬉しかったよ』

 いつもの素直な沙織のトーンに、鷹緒は微笑んだ。

「俺も声聞けてよかった。じゃあ、またな」

 電話を切った鷹緒は、胸を抑えたまま天井を見上げた。

「大人の余裕なんて……俺のが欲しいよ」

 声を聞いただけで高鳴る鼓動。我慢させていると思うと痛む胸。それらすべてが愛おしくも思えて、鷹緒は火照る身体を押さえ込むように立ち上がると、仕事へと向かっていった。

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― 新着の感想 ―
[一言] お互いが「大人の余裕」を身につけようと頑張っているのが微笑ましいですね。 でも、相手のことを想えば想うほど、余裕が無くなってくるような気がします。 お互いを想っているからこそ、相手の立場を思…
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