132-4. 見えない絆 (End)
その夜。鷹緒は自宅で仕事をしていたが、遅くなっても沙織からの連絡はない。仲間と食事でもして盛り上がっているのだろうと考えてみるが、珍しく気になって電話を取る。しかし連絡までは思いとどまったその時、沙織から着信が来た。
『もしもし……』
「ああ。待ってたよ」
『ごめんね、遅くなっちゃって……今、鷹緒さんのマンションの下まで来ちゃったんだけど……』
「なんだ。上がって来いよ」
『いいの? 急に来ちゃったのに……』
「今更だろ。いいからおいで」
そう言って電話を切ると、鷹緒は嬉しそうに微笑みながら、積み上げた仕事道具を片付ける。そうこうしているうちに部屋のインターフォンが鳴り、鷹緒は玄関へと向かっていった。
玄関のドアを開けると、涙を溜めた沙織が立っていた。それを見て、鷹緒は表情を変える。
「……入れよ」
ただならぬ緊張感が二人を包むが、やがて鷹緒は沙織の頬を撫でた。
「……どうした?」
「ごめんなさい……会いたかったの……そう思ったら、涙出てきて……」
やっとのことで沙織がそう言って、鷹緒は静かに沙織を抱きしめる。
「ごめん。我慢させたよな……俺だって会いたかったよ」
しばらく玄関で抱き合っていた二人。やがて鷹緒からキスをして、沙織は濡れた瞳で鷹緒を見上げた。
「もう我慢しないからね……?」
やがて言った沙織に、鷹緒が微笑む。
「うん。なんかあったら言っていいんだぞ?」
「言えないよ……理恵さんが入院しちゃったんだし、恵美ちゃんは年下だし、鷹緒さんの大切な子だってわかってるから……」
そうはいっても不満があるから涙が出たのだろうと、鷹緒は苦笑して沙織の髪を撫でる。
「とりあえず、上がれよ」
「うん……お邪魔します」
久々の鷹緒の部屋。沙織がソファに座ると、鷹緒はキッチンの冷蔵庫を覗く。
「何飲む?」
「あ……じゃあ、お茶で」
リクエストを受け、鷹緒はコップにお茶を汲んで沙織へと差し出すと、沙織の隣に座った。
「どうぞ」
「ありがとう。それで……理恵さん、本当に大丈夫?」
自ら触れたくないであろう話を振った沙織に、鷹緒は苦笑する。
「まあ、たぶん……何かあっても、俺はこれ以上踏み込める問題じゃないし、踏み込みたくもないし……」
最後の理恵の態度が気になったが、実際のところ鷹緒がこれ以上のことを何か出来るわけでもなく、また鷹緒自身にする意思はないのだが、沙織は不安げに鷹緒を見つめている。
「……鷹緒さん。私、怖いんだと思う……」
「ん?」
「変なこと言ってるってわかってる……でも私、理恵さんに鷹緒さんのこと取られちゃうんじゃないかって……」
そう言った沙織に、鷹緒は目を丸くすると同時に、吹き出すように笑った。
「ハハッ。何言ってんだよ……」
「冗談なんかじゃないよ。それだけ鷹緒さんは、理恵さんのこと大事にしてるってわかるから。理恵さんも、鷹緒さんには心許してると思うし……」
真剣な眼差しの沙織から目を逸らし、鷹緒は溜息をついた。
「……これか。俺の不安の原因は」
「え?」
「おまえが離れていくのかと、無意識に身構えてた……」
鷹緒は煙草に手をつけるが、我慢するように手を止める。
「鷹緒さん……」
「沙織。それは不毛な話だ……誰にどう見えていようと、俺とあいつは終わってる。もし俺があいつに未練でもあるなら、同じ職場にはいられない。俺はそんなに器用じゃない……って、何度言ったらわかってくれる?」
苦笑する鷹緒の腕に沙織は抱きついた。
「じゃあ……どうしてこんなに不安なのかな」
「俺のせいだとはわかってるよ。おまえをないがしろにして、あいつのこと優先させるようなことになったことも……でも余計なこと考えないで、俺のことだけ信じてくれないか?」
「信じてるよ! でも……じゃあ、理恵さんのほうに未練があったら? そうしたらどうするの?」
沙織の言葉に、鷹緒は不機嫌さを露わにする。
「それこそ不毛な議論だ……俺があいつを振ったわけじゃなく、俺があいつに振られたってことは、おまえだって知ってるだろ」
「そんなのわかんないじゃん……人の心なんて変わるんでしょ。一度嫌いになった人のことも、好きになったりするって言うじゃん。ましてや元々は好き同士で、二人は結婚までした仲なんだから……!」
「沙織……」
「不安なんだもん! 鷹緒さんが理恵さんと会う度に、心がぐちゃぐちゃになる……」
怯えるような目をする沙織を見て、鷹緒は強引なまでのキスをした。
「アホか。あいつが俺に未練があるなんて絶対にあり得ない。あったところで俺にはおまえがいるのに、俺が散々やられたあいつに戻るとでも思ってるのか? 俺はそこまで人間出来てねえよ」
振り返れば嫌な思い出すらある理恵に寄り添うことなどないと、沙織を目の前にしたらわかる。それすらわからない沙織に、鷹緒は苛立つように沙織を押し倒した。
「鷹緒さん……」
「沙織の気持ちがわからないでもないよ。放っておいた俺が悪い。でも、あいつだけはないから……変なところで不安にならないでくれよ」
「……本当に?」
「おまえ以外にこんなことしない」
真剣な眼差しながらも優しい笑顔を向ける鷹緒に、沙織は抱きついた。
「不安になんかならないくらい、つかまえてて……」
「うん。ごめんな……」
互いにしっかりと抱き合って、二人はキスを続けた。
「俺も……ずっと不安だった。無意識に離れてたのかもな。あいつのこと触れないようにして」
「……うん」
「今日はとことん、わからせてやるから」
急に不敵な笑みを見せた鷹緒に、沙織は目を丸くさせた。
「えっ……えっ?」
「俺の不安も埋めてよ」
力強い腕に包まれ、沙織はしがみつくように鷹緒の背中に手を回す。
二人は晴れた笑顔のまま、キスを重ねた。