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131. 素直な感情

 ある日、鷹緒と沙織は喫茶店にいた。鷹緒は撮影後のパソコン仕事をしており、沙織は別の撮影前で待機中の時間である。

 ガシャン――! と、大きな音が聞こえて沙織が振り向くと、遠くの席で高校生カップルが水を零して騒いでいる。だがそれは恥ずかしそうでもあり楽しそうで、キラキラと輝いて見えた。

「初々しいなあ」

 ふと沙織がそう言って、鷹緒はパソコンを叩きながらふっと笑った。

「なんだよ。俺たちは熟年夫婦か?」

「そんなんじゃないけどさ。やっぱり学生時代って特別だよね」

「まあな……」

「それに、私の彼氏は束の間のデート中も仕事だし」

 チクリと言った沙織だが、鷹緒は苦笑しつつもその手を止めない。

「今のうちに終わらせたら、おまえの撮影後にはもう一回会えるよ?」

「じゃあ早くやっちゃってください」

「ハハ。現金なやつ」

 仕事中の鷹緒を尻目に、沙織は先ほどの高校生カップルを見つめた。もうすっかり落ち着いており、二人でスナックをつまんでいる。

「ねえ、鷹緒さん。以前、私に“十代の恋愛なんて、くっついたり離れたりで本当の恋愛なんてしてないだろ”って言ったの覚えてる?」

 突然そんな話を振ったのは、沙織自身も突然思い出したからだ。

 鷹緒は顔を上げると、そのまま思い出すように天井を見上げる。

「いや……覚えてないけど、言ったかもな。そう思うし」

「それって鷹緒さん自身も、十代の頃は本当の恋なんてしてなかったってこと?」

 そう言われて、鷹緒は苦笑しながらコーヒーを飲んだ。

「どうかな……それ言ったら、結婚自体も嘘になるか?」

 十代で結婚をした鷹緒。今度は沙織の心がチクリと痛んで、口をつぐんだ。

「ごめんなさい……」

「それに、おまえが俺と付き合い始めたのは十代からだけど、これは嘘ですか?」

「もう、ごめんってば! でも、そう言ったのは鷹緒さんじゃん」

「実際そっちのが多いからな……責任だって何もないし、あいつらだって明日には別れてるかもしれないし」

 鷹緒も横目で高校生カップルを見てそう言った。そんな危うい時代を、二人は互いに通り過ぎたはずだ。

「なんか鷹緒さんって……学生時代からモテてたんだろうね」

「は?」

「うちの学校にいたら、もみくちゃにされてたと思う……」

 沙織の言葉が可笑しくて、鷹緒は吹き出すように笑った。

「自分の男捕まえて何言ってんだ、おまえは。色眼鏡っていう言葉を知らないのか?」

「だってそれ以上に、ヒロさんや五城さんたちから聞く鷹緒さんの昔の話って、本当に芸能人みたいなんだもん」

 このところ、鷹緒の同級生の五城やミヤジと話したせいか、沙織は鷹緒の過去が気になって仕方がない様子である。

 鷹緒はパソコンの手を緩めると、コーヒーを飲んで頬杖をつき、沙織を見つめた。

「……なに。今目の前にいる男より、本人が消し去りたい過去を掘り返したいって意地悪すんの?」

 まるで妖艶な眼差しに、沙織は照れるように俯いた。

「ち、違うよ。でも、こういうの聞けるのも、私の特権だもん」

「まあ、確かに……でもそうやって神話化するのやめてくれよ。そんなんじゃなくて、普通の男子学生だったよ」

 過去にも沙織の望むことならばすべて話すとは言ったものの、こう過去の話ばかりでは居たたまれない思いもあり、鷹緒は電子煙草の電源を入れた。

「あれ? 電子煙草だ」

「喫煙者には肩身が狭い時代なので」

「そっか。この店、電子煙草ならいいんだね」

「あんまり吸ってる気はしないけどな……」

 その時、沙織の携帯が震えた。

「え、ウソ!」

「ん?」

「撮影中止だって……」

 落胆する沙織だが、珍しいことでもない。

「バラシ? 理由は?」

「書いてない」

 鷹緒は胸元の携帯を取り出すと、電話をかけ始める。その電話は、WIZM企画のモデル部に直接繋がった。

『はい。WIZM企画プロダクション、モデル部・吉田です』

「おつかれさま。諸星ですけど。今日この後ある予定のJFの撮影がバラシになったって本当?」

『はい。直前になってスタジオがダブルブッキングしてたことが発覚みたいですよ』

 凡ミス中の凡ミスだが、鷹緒の会社が関わっていることではない。

「そんな理由かよ……こんな直前にそんな凡ミス発覚なんて、クレーム入れといて」

『もうしてます。でも諸星さん、今日の撮影関わってないですよね?』

「耳に入ったらほっとけない。特にあそこの会社はずさんすぎるから気を付けて」

『了解です』

「じゃ、忙しいところごめんな」

 電話を切る鷹緒を、沙織が見つめている。

「行動が早いなあ」

「この業界、スピード感は大事だよ。スタジオがブッキングしてたんだとさ。移動先も手配出来ないなんて、今後は付き合い考えないといけないかもな……」

 あまりにずさんな対応らしく、鷹緒は気が立っている様子だ。自分が関わっていない仕事とはいえ、周りが見えている鷹緒を、尊敬の眼差しで沙織が見つめた。

「鷹緒さん、かっこいい」

 思わず言った沙織に、鷹緒は顔を顰める。

「突然やめろっての……ちょっと移動するか」

「どこ行くの?」

「地下スタジオ。もう今日は予定なくなったんだろ? とっとと仕事終わらせるから、スタジオ籠もる。どっか買い物とか行っててもいいぞ」

「ううん。行く!」

 沙織の勢いに笑いながら、鷹緒は振り向いた。

「じゃあ行こう」

 二人はそのまま地下スタジオへと向かっていく。

 鷹緒は先ほどまでここで撮影をしていたが、今は撤収して誰もいない。

「なんか地下スタジオ来るの、久しぶりかも」

 沙織の言葉に、鷹緒は首を傾げる。

「そうだっけ?」

「うん。最近、鷹緒さんのいる現場でも、外のスタジオのほうが多かったし」

「そっか」

 鷹緒はアトリエ部分に入ると、空気清浄機のボタンを押しつつ、パソコンの電源を入れて座り、煙草に火をつけた。それが一連のルーティンのようで、沙織は思わず笑う。

「慣れてるなあ」

「俺以外は使わないスペースだからな……お湯沸かしてくれる?」

「了解です」

 沙織は言われるままにお湯を沸かして振り返る。

「なに飲む?」

「コーヒー。ブラックで」

「はーい」

 手際よくコーヒーを入れる沙織をよそに、鷹緒はパソコンに向かっている。

「沙織……本当にいいのか? せっかくオフになったんだから、こんなところにいなくても、終わったら連絡するぞ?」

「いいの!」

 沙織はそう言うと、パソコンに向かう鷹緒の背中にそっと抱きついた。

「そうか……こっちが仕事にならないのか」

 鷹緒はぼそっと言うと、立ち上がって沙織を見つめる。

「鷹緒さん?」

 首を傾げる沙織の顔を、鷹緒が両手で掴んだ。そしてそのまま顔を近付ける。

 突然のことに驚きながらも、沙織はとろけるように鷹緒に身を預けた。

「はっ……」

 息をするのを忘れたように、沙織が大きな息を吸う。

 鷹緒は何度も沙織の唇を塞ぐと、そのまま近くのソファに沙織を押し倒した。

「鷹緒さん……」

「呼ぶなよ。止めるつもりなのに」

 苦笑する鷹緒は、沙織の髪を撫でて離れた。

「行かないで……」

 珍しくわがままを言う沙織に、鷹緒は沙織を抱きしめる。それは何かを押し込めるようで、二人はしばらく無言のまま抱き合っていた。

 やがて離れた鷹緒は、じっと沙織を見つめた。

 先ほどの沙織の言葉を思い出し、十代の頃が重なる。もし今が十代なら、もっと余裕などはなく、目の前の沙織が自分を好きになってくれることも、付き合うこともなかったかもしれない。そう思うと、今ですら余裕などないことにも気が付いた。

「はあ……」

 鷹緒は溜息をつくと、沙織の横に座った。

 沙織も起き上がると、横に座る鷹緒の顔を見つめる。

「鷹緒さん?」

「うん……」

「なんか怒ってる?」

「は? 怒ってねえよ」

「ならいいけど……」

 急に不安になった様子の沙織に、鷹緒は優しく微笑んだ。

「おまえが変なこと言うから……」

「変なこと?」

「いや、俺が勝手に思い出しただけか」

 意味がわからずに首を傾げる沙織をよそに鷹緒は立ち上がり、コーヒーカップを持ってきて、もう一度沙織の横に座った。

「……ごめんね? 邪魔しちゃって……」

「いいよ。ちょっと休憩してから集中する」

 鷹緒がそう言ったので、沙織も鷹緒の腕につかまった。二人だけの時間が流れる。

「なんか、こうして二人きりっていうのも久しぶりな気がする。地下スタジオに来るのも久々だからそう思うのかな」

「まあ実際、おまえも忙しそうだったじゃん」

「地方ロケが多かったからね」

「もう一端のタレントだな」

「麻衣子なんて、もう女優だよ。連ドラ出たし」

「ハハッ。そうだな」

 ゆったり座った鷹緒に、沙織が抱きついた。

「今日は積極的じゃん」

「充電だもん」

「俺もさせて」

 その時、テーブルの上で鷹緒の携帯が震えた。

「……ヤベ。仕事中なの忘れてた」

 そう言った鷹緒に、沙織は苦笑する。

「ごめんね。出て出て」

 鷹緒が電話に出ると、広樹の声が聞こえた。

『鷹緒。今どこ? 撮影終わったんじゃないの?』

「終わって地下スタで仕事してるけど」

『どおりで帰ってこないと思った。ところで明日、企画会議って覚えてる?』

「夜だろ? 覚えてるよ」

『じゃあ企画書閉め切りが今日って覚えてる?』

 そう言われて、鷹緒は慌てて立ち上がると、パソコン画面を見つめる。

「……ああ……」

『忘れてたな?』

「今送った」

『ったく……出来てるなら、とっとと送れよ』

「手直し出来たらと思ったんだよ。用件は済んだろ。これ以上なければ切るぞ」

 鷹緒は煙草に火を付けると、そのままパソコンをいじり出す。沙織との甘い時間から引き離されたのは残念な部分もあれば、自分自身で切りがつけられなくなりそうだったため、今回ばかりは広樹に感謝する部分もあった。

『こっちが掛けたんだけど……まあいいや。今日はこっち戻るのか』

「うーん。とりあえず直帰で」

『了解。じゃあな』

 電話を切るなり、鷹緒はリフレッシュするかのように肩を回すと、パソコンへと向かった。

「ごめん、沙織。ソッコー片付けるから、ちょっと待ってて」

 沙織の仕事がなくなったことで、まるで何かに追い立てられるかのように仕事に戻る鷹緒の後ろで、沙織は笑顔で頷いた。


 それから小一時間後。鷹緒は仕事の目処をつけて振り向いた。

 すると、雑誌を眺めている手を止めて、沙織が鷹緒を見つめている。

「もう終わったの?」

「もう、かな……終わったよ」

「本当に? 無理してない?」

 心配そうにそういう沙織に、鷹緒は疑問の表情を浮かべる。

「なんで?」

「雑誌全部読めなかったくらい、思ったより早く終わったもん」

「ならいいけど……」

 返事をする鷹緒を前に、沙織が両手を広げた。

「充電の続きは?」

「ここで?」

「じゃあもういいもん」

 恥ずかしそうにふてくされる沙織に、鷹緒は笑う。

「だからおまえさ……それ、計算じゃないよね? いや、計算だったら引く」

「えっ?」

「毎度毎度……かわいすぎでしょ」

 その一言で一気に真っ赤になり、沙織は珍しく大胆だった自分の行動を恥じた。

「もうやだ! 忘れて。鷹緒さんだって色眼鏡で見すぎなんだよ」

「なんでだよ。せっかく仕事も片付いて、これからじゃん」

 鷹緒の唇が沙織の口を塞ぎ、そのまま沙織の身体を撫でる。たったひと撫でされただけで、沙織の身体に電気が走るように、力が抜けていった。

 そんな沙織を見て、鷹緒はぎゅっと抱きしめると、小さく息を吐く。

「……帰ろう。ここじゃあ落ち着かない」

 そう言われて、沙織は笑顔を見せた。確かにこのままここで落ち着くよりは、どちらかの家でゆっくりしたい。

「うん」

 笑顔の沙織に、鷹緒はもう一度キスをした。

「かわいいな」

 自然と出た鷹緒の言葉を聞いて、沙織は耳まで赤くなる。

「もういいってば……恥ずかしいよ」

 それがまるで煽られているようで、鷹緒は沙織の頭に額をつけた。

「俺の素直な感情なんだから、べつにいいだろ。それに、俺だって我慢してるからな? 今だって……止めるの必死。情けねえな、ガキじゃねえのに」

 そう言って苦笑する鷹緒を前に、沙織は鷹緒の胸に顔を埋める。

「鷹緒さん、かわいい……」

「てめえ……かわいいはないだろ」

「えへへ。かわいいものは、かわいいもん」

 噛みつくような鷹緒のキスが続き、沙織もそれに応えていく。二人がその場を後にするには、もう少し時間がかかりそうだった。

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