130. 盟友
ある日の夜。沙織がとある交差点で待っていると、一台のタクシーが止まった。
「沙織。こっち」
中から顔を出したのは鷹緒である。沙織は驚きながらも駆け寄って、タクシーの後部座席へと乗り込んだ。
後部座席の鷹緒の隣には、鷹緒の同級生である五城も乗っている。
「どうも、こんばんは。ごめんね、突然誘っちゃって」
五城の挨拶に、沙織はぺこりとお辞儀をした。
「こんばんは。いえ、でもいいんですか? 私も一緒に……」
「もちろん! むしろ女子の参加は大歓迎」
そう言った五城に、鷹緒が苦笑してたしなめる。
「その軽いノリやめろって」
「だってこんな可愛い若い子とそうそう飲めないじゃん」
「やめろっての」
その日、急な五城からの誘いに応じた鷹緒だが、その後に仕事を終えて連絡が来た沙織を、五城が沙織も一緒にと誘ったのである。
「しかし、今日は良いタイミングだったな」
五城がしみじみとそう言うと、鷹緒は頷いた。
「本当に。ちょうど撮影終わったとこだったし、溜まった仕事もなかったし」
「沙織ちゃんも、ちょうど諸星に電話掛けてくれて、空いてるとこだったし」
そう言われて、沙織も笑った。
「まさかタクシーでお迎えが来るとは思ってなかったですけど……」
「だってこれから飲むのに車もないでしょ?」
五城が答える中、タクシーが止まった。
「着いた、着いた」
三人がタクシーから降りると、五城が指を差す。
「こっちだよ」
少し歩いた路地裏に“宮路”と書かれた小さな店が見えた。
「へえ。いい店構えだな」
「だよな。創作料理なんだ。入ろう」
五城がドアを開けてくれたので、先に鷹緒が入ると、店の中が見えた。テーブル席は満席だが、カウンター席は空いているようだ。
「諸星先輩!」
カウンターの中から元気の良い女性の声が聞こえて、鷹緒は微笑む。
「よっちゃん。久しぶり」
「お久しぶりです! カウンター席でいいですか? 奥に個室もありますけど」
「いいよ。よっちゃんとも話したいし。お邪魔します」
そう言って、鷹緒はカウンター席の奥に沙織を通し、その隣に座った。またその隣には五城が座る。
「久しぶりだな、諸星。よっちゃんに押されて声かけ損なったよ」
カウンターの中からそう言ったのは、鷹緒の高校時代の同級生である男性だ。
「悪い。でも前の店も良かったけど、またいいとこ構えたじゃん。今日は急だったから何も持ってこられなくて悪いけど、今度ちゃんとお祝い持ってくるから」
「そんなのいいよ。何飲む?」
「じゃあ、ビール」
「そちらのお嬢さんは?」
鷹緒と男性の会話の途中で振られて、沙織はドリンクメニューを見つめる。
「じゃあ、カシスオレンジで……」
「かしこまりました」
男性はそう言うと、すぐにドリンクを作り始める。
そんな中で、鷹緒が沙織を見つめた。
「沙織。こいつがミヤジ。本名は宮本正路。高校時代の同級生だよ」
鷹緒がそう説明すると、沙織は男性にお辞儀をする。
「はじめまして……小澤沙織と申します。お名前は聞いたことがあったんですけど、ミヤジさんって、お名前だと思ってました」
「あだ名だよ。宮本の宮と、正路の路でミヤジ。はじめまして、ミヤジって呼んでね……しかしまた可愛い女性連れてんなあ、諸星」
お辞儀をした沙織に、ミヤジは目を細めて優しく笑った。
「親戚の子なんだ。うちの事務所でモデルやってるんだよ」
あくまで親戚を貫く鷹緒に、商売柄もあってかミヤジは突っ込まずに頷く。
「おまえの親戚か。なんかテレビで見たことあるかも」
「かもな。以後よろしく」
「こちらこそ」
「で、奥さんのよっちゃん」
次にミヤジの隣にいた女性を差して、鷹緒は沙織に紹介した。
「良美です。よっちゃんって呼んでください」
「はい。よろしくお願いします」
そんな挨拶もそこそこに、ミヤジは三人の前にドリンクと小鉢を置く。
「じゃあ、久々の再会に乾杯」
五城の音頭で乾杯をすると、ミヤジがメニューを差し出した。
「何食べる?」
そう言われて、鷹緒は沙織とメニューを覗く。創作料理屋ということで、いろいろな料理がある。
「沙織はなんか食べたいものある?」
「えっと……このシラスピザが気になる」
沙織が指差すのを見て、鷹緒は顔を上げる。
「じゃあ、ピザとサラダと魚盛り。あとはミヤジに任せるよ」
「はいよ」
「ミヤジ。パーティー、来られなくてごめん」
鷹緒がそう言うと、ミヤジは大きく首を振る。
「いつの話だ……いいって。おまえが忙しいのはみんな知ってるから。それよりこうしてわざわざ来てくれたのが嬉しいよ」
「本当に。会えて嬉しいです、先輩」
良美もそう言ったので、沙織が鷹緒の肘をつついた。
「ん?」
「先輩って、よっちゃんさんは高校の後輩なの?」
「うん。一個下……だったよね?」
鷹緒が尋ねると、良美が大きく頷く。
「そうです。一学年下になります」
「沙織ちゃん。ミヤジとよっちゃんは大恋愛だったんだよ」
五城がそう言うと、沙織は目を輝かせた。
「そうなんですか?」
「学校じゃ有名なカップルだったもんな? いつも一緒にいてさ」
「五城ほどじゃないよ」
ミヤジの反撃に、五城は口を曲げる。
「俺はくっついたり離れたりだし」
「でも中等部時代からだろ?」
「違う。小等部からだよ」
最後に鷹緒がそう言ったことで、五城は苦笑した。
「そんな前からなの? 五城たちって」
「だから、くっついたり離れたりって言ったでしょ」
昔話に花を咲かせる三人を横目に、良美が沙織にサラダを差し出す。
「高校時代の同級生が集まるといつもこんな感じなの。サラダどうぞ」
気を遣って話しかけてくれたのだと、沙織はペコリとお辞儀をした。
「ありがとうございます。でもすごいですね。学生時代からのお付き合いなんて」
「やっぱり、あの頃はみんな輝いてたから……」
「よっちゃん、過去形?」
そう言った鷹緒に、良美は首を振る。
「諸星先輩は、今も輝いていらっしゃいますよ!」
「商売上手だねえ……」
「いえいえ。諸星先輩だけは別格ですから。彼と付き合ってなかったら、こうして話すことすらおこがましいっていうか、私ごときが……」
「なに言ってんだよ。相変わらず面白いな」
鷹緒が笑うと、ミヤジは面白くなさそうに口を尖らせた。
「よっちゃん口説くのやめろよ、諸星。俺、出会った当初はおまえのこと嫌いだったもん」
ミヤジの言葉に、鷹緒と五城は笑った。
「ハハッ。人妻口説くか」
「でもわかる。輝かしい青春時代、全部諸星に持っていかれたもんな」
「なにがだよ」
鷹緒を尻目に、今度はミヤジが沙織を見つめる。
「俺ね、高等部からの外部入学なんだけど、高校デビューしようと思ってたのに、入ってみたらこいつがいたわけ。こいつは中等部からの持ち上がりだし、すでに学校でも人気あったから、教室の中ももうこいつと五城のペースでさ。出鼻挫かれてグレかかったもん。だから俺、諸星のこと超嫌いだったんだよね」
ズケズケというミヤジに、鷹緒と五城は笑い合っている。
「なに。今も胸の内は穏やかでないわけ?」
「まさか。そこまで心狭くないですよ」
五城の質問にそう答えたミヤジの前で、鷹緒は天井を見上げた。
「確かに最初は話さなかったよな……席は前後だったのに」
「宮本と諸星で、名前の順でな?」
「いつから話すようになったんだっけ」
「それはあれだろ」
「ああ……あれか」
「球技大会!」
三人同時にそう言うと、懐かしそうに笑い合う。その横で、沙織と良美が首を傾げた。
「球技大会?」
「だよな。あの時……テニスだっけ?」
「そうそう。俺と諸星、テニスでペアやることになっちゃってさ。でもあれから話すようになったよな」
三人だけがわかる話に、良美が飛び跳ねた。
「もっとちゃんと説明してくれなきゃ。すごい興味ある!」
そう言われて、ミヤジは苦笑する。
「そんな大した話じゃないって……」
「聞きたいよ。ねえ?」
良美が沙織に振ったので、沙織も頷いた。
「はい。私もぜひ聞きたいです」
急に沙織も入ってきたので、鷹緒も苦笑した。
「合わせなくていいよ……昔話なんて面白くないだろ」
「ええ? 鷹緒さんの昔話が聞けるなんて、そうそうない機会じゃない。面白そう」
「おまえな……」
「可愛い子に言われちゃしょうがないな。ミヤジ、話してやんなよ」
一番関係のない五城がそう言ったので、ミヤジと鷹緒は五城を小突く。
「おい」
「じゃあ俺が軽く前置きを……」
五城が話し始めたので、鷹緒は頬杖をつきながら五城を見つめる。
「おまえ、そんなにその話知らないだろ」
「そう思うならおまえから話せよ、諸星」
「うーん……」
何から話せば良いのかわからない様子の鷹緒の前に、目を輝かせた沙織と良美がおり、鷹緒は苦笑した。
「うちの学校の球技大会って春にあるんだけど、九人制のやつは三年間で競技が変わるんだよ。一年生がバレーと……」
「バレーボールとフットサル。二年の時はドッジボールと男子が野球、女子がソフトボール、三年はバレーとバスケ。うちらの時はね」
「あとはテニス、卓球、バドミントンがペアで組んで、ゴルフがペアか端数のやつだったんだよな」
五城の補足もあって、沙織は頷いた。
「すごい多種だね。うちはバスケとバレーしかなかったと思う」
「まあ、うちの学校はそんな感じでね……」
その時、ミヤジが料理を差し出しながら口を開いた。
「で、大人数の競技は、ほぼほぼ中等部からの持ち上がりのやつらが仲良いやつと組んで決めちゃうんだけど、俺は中学からテニスやってたし、テニス部だったからテニスになったんだ」
「それで、そのペアが鷹緒さん?」
沙織の質問に、ミヤジが頷く。
「びっくりしたよ。テニスやってるやつ少なかったらしくて誰も手上げなかったら、こいつが手上げるんだもん」
「俺も驚いたよ。一緒にバレーやろうと思ってたのにさ」
ミヤジと五城が続けて言ったので、鷹緒は苦笑しながら口を開いた。
「なに言ってんの? 俺、バレーもやらされたんだけど……」
「あー、当日欠席出たからな」
「まあとにかく、誰もいなかったみたいだし、ミヤジが俺のこと避けてるの当時はわかってたけど、子供の頃にテニスやってたから手上げただけ。あのままじゃ決まらなかったしな」
そう言う鷹緒に、ミヤジが沙織を見つめる。
「な? 嫌味なやつだろ。何でも出来ちゃうんだよ」
「さすが諸星先輩!」
「おだてないでよ……こっちだって必死だったよ。ミヤジは中学からテニスやってて、どうしたって足引っ張ることになるのはわかってたから……」
楽観的な良美に首を振った鷹緒に、ミヤジはしんみりと笑った。
「俺が諸星を認めたのはさ、俺の知らないところでちゃんとテニスの練習してたって知っちゃったからかな」
「え?」
鷹緒を含めて全員が驚き、ミヤジを見つめる。
「こいつがカッコいいのはさあ、持ち前の運動神経はあるだろうけど、ちゃんと努力してて、それをひけらかさないとこなんだよな……部活帰りに市民コートで練習してるの見ちゃって。それバレたらもちろん俺にも練習誘ってきたけど、驚いたもん」
ミヤジの言葉に、五城も笑った。
「それ、俺もわかる。ガキの頃の少年サッカーも、部活のバスケも、人一倍練習してたからな……悔しいけど、だからしょうがねえって思う」
そう言われて、尊敬の眼差しで見つめる沙織を前に、鷹緒は居たたまれないように首を振った。
「男二人にそんなこと言われてもな……」
「照れるな、照れるな。それがあってミヤジとも打ち解けたからいいじゃん」
五城に肩を抱かれ、鷹緒は微笑む。
「まあな……俺らも青春してたってことだよ」
「へえ。見たかったなあ、鷹緒さんの青春時代」
「見てはいるだろ」
「覚えてないもん」
鷹緒と沙織のやり取りに、五城は身を乗り出して沙織を見つめる。
「沙織ちゃん。諸星のことならいくらでも教えてあげるよ。ミヤジと違って、俺は小学生の少年サッカー時代から知ってるからね」
「ありがとうございます。めっちゃ興味あります」
「やめろっての……」
それから数時間後。行きと同じくタクシーに乗り込んだ鷹緒と沙織そして五城は、三人ともに真っ赤になっていた。
「飲んだな、久々に」
「五城おまえ、いつも調子乗りすぎ」
「だって久々だからさ」
あの後、延々と続いた高校時代の話だが、沙織も喜んでいたようだ。
「面白かったですよ。鷹緒さんが伝説になってるって」
「だから、こいつらが勝手に言ってるだけだから、本気にすんなって」
沙織をたしなめる鷹緒に、横で五城が笑う。
「伝説は伝説だろ。よっちゃんも言ってたじゃん。一個下の後輩も、諸星の話で持ちきりだったって」
「そうそう。アイドル歌手のお子さんも後輩にいたって驚きました。その人も鷹緒さんのこと好きだったって……」
「うちの学校、二世や三世が多かったからね。うちらの代にはそんなにいなかったけど」
そんな話を聞きながら、鷹緒は運転手に口を開いた。
「あ、そこの交差点越えたところで止まってもらえますか」
そう言った鷹緒に、五城は残念そうに俯いた。
「もうこんなとこか……今日は楽しかったなあ」
「また飲もうぜ。ミヤジの店も覚えたから、もういつでも行けるし」
「おうよ。沙織ちゃんも降りるの?」
「あとは俺が送るから。じゃあ、ありがとうな」
沙織とともにタクシーを降り、鷹緒は去っていく五城を見送った。
「ああ……飲み過ぎたな」
「本当……ちょっと気持ち悪い」
そう言って、沙織はその場にしゃがみこむ。
「大丈夫かよ? おまえも調子乗りすぎ。バンバン俺の話題振りやがって……」
「だって、鷹緒さんの学生時代知ってる人なんて、そうそういないじゃん。ヒロさんだって学校での鷹緒さんは知らないし、すごく新鮮だったよ」
「おまえな……」
言いながら同じくしゃがみこみ、鷹緒は沙織の顔を覗いた。
「あんなデカくなった噂、鵜呑みにすんなよ」
「噂や嘘だったとしても、私は嬉しかったんだけどな……」
「それならいいけど……大丈夫か? 歩ける?」
「うん……」
沙織はゆっくりと立ち上がると、鷹緒も立ち上がり、その肩を抱いた。
「俺んちでいい?」
「うん……」
「じゃあ、とっとと帰るぞ」
「はーい」
二人はそのまま鷹緒の家へと向かっていった。
そして家に着くなり眠ってしまった沙織をベッドに寝かせながら、鷹緒は無理にこじあけられた昔話があふれ出したように、一人、青春時代を思い出していた。