127. 彼が欲しいもの
ある日、沙織が街を歩いていると、電話が掛かってきた。
「もしもし」
『あ、俺……今、大丈夫?』
鷹緒の声が聞こえ、途端に沙織の顔が緩む。
「うん!」
『今日休みなんだろ? 仕事早く終わらせるつもりだから、あとで夕飯でも食いに行かない?』
「やった! もちろん行く!」
沙織の声がいつも以上に弾み、電話口で鷹緒の笑う息が聞こえた。
『今どこ?』
「渋谷だよ。これから美容院なの……二時間くらいかな」
『じゃあちょうどいいよ。こっちもそのくらいかかるから。終わったら連絡して』
「了解です!」
満面の笑みで電話を切ると、沙織は美容院へと出掛けていった。
美容院が終わって、すぐさま沙織は鷹緒へと電話を掛けた。しかし、留守番電話に繋がってしまう。
「うわあ……嫌な予感」
仕事に熱中しているか、新たな仕事が出来たのか、鷹緒がデートに遅刻することはよくある。電話に出られないのもそういうことだと諦めて、沙織は近くの雑貨屋へと入っていった。
それから数分した頃、沙織の電話が鳴った。鷹緒の名前が表示されており、沙織はほっとして電話に出る。
「はい」
『悪い。今、会社出た……そっち終わったんだろ?』
「えっ? う、うん……」
『なんでそんな驚いた声出してんの?』
少し驚いた様子の沙織に、電話口の鷹緒は首を傾げているようだ。
「だって、もっと待たされると思ったから……」
『いや、そろそろ出ようとバタバタしてたら、電話に気付かなかっただけだよ。悪い』
「なんだ、よかった。今、駅ビルの雑貨屋さんにいるよ」
『じゃあ、着いたら連絡するからそこで待ってて。十分ぐらいで行くよ』
「はーい」
沙織はそわそわしながら雑貨屋の中を一周する。
やがて掛かってきた電話に、外へと飛び出していった。
店の外へ飛び出すと、鷹緒が立っていた。
「鷹緒さん!」
「おう。待たせてごめん」
「ううん。車じゃないの?」
「駐車場停めてきたよ。メシ食うのに邪魔だろ。行こ」
鷹緒のリードでついていく沙織。二人はそのまま近くのレストランへと入っていった。
「イタリアンでよかった?」
鷹緒の問いかけに、沙織は頬を染めて頷く。
「なんでもいいよ」
「そう?」
「鷹緒さんと一緒なら……」
照れて小声で言った沙織の言葉は届かず、鷹緒は首を傾げる。
「なに?」
「ううん」
「変なやつ」
笑ってそう言いながら、鷹緒はメニューを沙織に差し出した。
「もう決まったの?」
「食べたいものがあるからここに来たんだよ。ここのピザ、めちゃくちゃ美味いから」
「じゃあ、私もピザ食べたいな」
「シェアしたらいいよ」
注文を終えた二人は、今日初めてじっくりと互いの顔を見合わせる。
「髪切ったの?」
鷹緒の問いかけに、沙織は自分の髪を撫でる。
「うん、ちょっとだけ……今日はトリートメントとかメンテナンスがメインだったから」
「いいんじゃない。俺もそろそろ切りに行かないとかな」
「ああ、ちょっと伸びてきた?」
「ちょっとどころじゃねえよ。全然行けてないもん」
自然体で話す鷹緒に見惚れるように、沙織は鷹緒を見つめた。
そんな沙織に、鷹緒は口を曲げる。
「なに? なんかついてる?」
「ううん。なんか見とれちゃって……」
「またおかしなことを……」
「だって少し久々じゃない」
毎日会えるわけではない二人。しかし付き合って間もないわけでもないのに、沙織はいつもそんな新鮮な反応を見せる。
「久々でも、そんな反応しないでも……」
「あ、照れてる」
「アホか」
苦笑する鷹緒だが、沙織はずっと見続けてしまう。
「鷹緒さん、今日はこんなに早く帰れるなんて珍しいね」
「ああ、ちょっと特例で……」
「特例?」
不思議そうに首を傾げる沙織に、鷹緒は持っていた手紙を沙織に差し出した。
「実は時間があった時に昔の写真加工してフォトコンテストに応募したんだけど、それが二作品とも別の賞で通ってさ……祝福するなら帰らせろって言ったら、ヒロが珍しくオーケーしてくれたってわけ」
「え、え! すごい! すごいよ、鷹緒さん!」
「まあ、運が良かっただけだよ」
「わ、私も何かお祝いしたい!」
「いいよ、そんなの……」
「じゃあ、今日のごはんおごるとか」
「いらないっての」
そうこうしているうちに料理が運ばれてきて、二人は食事を始める。
「わあ、美味しそう」
素直に目の前の話題に変える沙織に、鷹緒はふっと笑った。
「じゃんじゃん食えよ」
「うん。いただきます……でも、知らなかったよ。鷹緒さんが賞に応募してるなんて」
「まあ、ヒロから勧められたこともあったし、今回のは本当、趣味の域みたいな感じだった割には良く出来たから……って、自画自賛だな」
「いいんだよ。目一杯に自慢して」
まるで自分のことのように喜ぶ沙織に、鷹緒も思わず顔が緩むようだった。
「でも、本当にすごいなあ。私なんて賞とか呼ばれるもの獲ったことないもん」
「なんで? シンコン準優勝者なのに?」
「あれだけだよ。子供の頃とかも何かで褒められたこともないし」
そう言う沙織を見て、鷹緒は微笑む。
「そんなもんだろ。俺だってたまたまだよ。現役で活動してて、海外の写真も撮れてたし」
「それで、何がほしい?」
「話聞いてる?」
笑う鷹緒の目の前で、沙織が目を輝かせながら見つめる。
「だって、何かしたいじゃない」
そう言われて、鷹緒は沙織を見つめ返す。
「じゃあ……今日は俺の家に泊まって、労ってくれる?」
急に悪戯な目で見つめる鷹緒に、沙織は頬を赤く染めた。
「そっ、そんなの……!」
「なに赤くなってんだよ」
不敵な笑みで畳みかける鷹緒を前に、沙織は首を振った。
「ち、違うよ! でも、そんなの……いつでもやるよ……」
小さく言った沙織の言葉を聞いて、鷹緒は驚いて口を曲げる。急に照れが襲ってきたようで、溜息のような長い息を吐いた。
「おまえ、そういうずるい返しする時あるよね」
「え? ずるい?」
「いや。かわいい、かわいい」
半ば諦めたようにそう言った鷹緒に、沙織は口を尖らせた。
「なにそれ……馬鹿にされてる?」
「してねえよ。でももう勘弁して。俺が悪いけど、もうおなかいっぱい」
「もう? おなかいっぱい?」
「続きは家でしてくれるんでしょ?」
沙織はまたも頬を赤く染めるとコクリと頷き、鷹緒も笑った。