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126-1. 社長を巡る想い (前編)

 ある夜。WIZM企画プロダクションでは、モデル部の明かりだけが灯っており、その中にモデル部員の吉田琴美が一人で残っていた。先日行われたオーディション担当の琴美は、このところ残業が続いている。

 静けさだけが支配する事務所内で集中している琴美の耳に、時間外で作動した出入口のドアがピッという音と共に開けられたのがわかり、驚いて顔を上げる。

「あれ、琴美ちゃん……まだ残ってたの?」

 そこにいたのは、社長の広樹である。

「社長……どうしたんですか?」

 琴美は少々バツが悪そうにそう尋ねた。以前、勇気を振り絞って告白した相手である広樹には、仕事を理由に断られた過去があり、今でも気まずい思いがないわけではない。

「ちょっと急ぎの仕事を思い出してね……琴美ちゃんは? このところ残業続きみたいだけど、大変なら僕も手伝うよ」

「いえ! すみません、私が仕事遅いから……もう少しで終わりますから」

「いや、そんなこと思ってないけど……この間終わったオーディション関係でしょう? そんな根を詰めなくても大丈夫だよ」

「いえ。こっちの仕事にかかりきりで、日常業務をみんなで分担してもらっているんで……早く片付けたいんです」

「でも、量も量でそんなにすぐに終わる仕事でもないでしょう……まあ、ほどほどにね」

 これ以上言っても折れないであろう琴美に苦笑し、広樹は社長室へと入っていく。

 琴美は自分の仕事に戻ったが、時折聞こえる電話をしているらしい広樹の声に、気持ちが高まっていく。

(社長と二人きりなんて……)

 忘れようとしても、気になってしまう存在。最初は仕事のモチベーションアップのためとも考えていた部分もあるが、広樹は琴美にとって頼れる社長である。

 それからしばらくして、社長室から広樹が出てきた。

「琴美ちゃん。僕は仕事終わったよ。琴美ちゃんも今日は帰ろう」

 そう言われて、琴美は残念そうな顔を向ける。

「でも……」

「これ以上はもう終わり。いいね?」

 有無も言わさない様子の広樹に、琴美は諦めて頷いた。

「はい。わかりました……」

 そう言うのを見届けて、広樹は事務所の火の元や戸締まりを確認する。

「社長。あとは私がやるので大丈夫ですよ」

「このくらいいいよ。戸締まりはやっておくから、琴美ちゃんは支度して」

 優しい笑顔に、琴美の心が弾む。同時にお互い気まずい部分もあった。


「おなかすいてない? ごはん食べない?」

 会社を出たところで、広樹が言った。

「えっ!」

 あまりの琴美の驚きように、広樹は苦笑する。

「あはは……二人きりじゃ気まずい、かな?」

「いえ……社長さえよければ……お願いします」

「もちろん。じゃあ行こうか」

 歩き出す広樹の一歩後ろで、琴美は隠しきれない嬉しさで顔を赤らめた。

(うそ……残業頑張っておいてよかった。いや、社長は邪魔だったかもしれないけど、二人きりで食事なんて、こんなチャンスが来るなんて……) 

「何か食べたいものある?」

 広樹が振り向くと、琴美は静かに首を振った。

「いえ、特には……」

「じゃあ、こっち」

 そう言って広樹が連れて行ったのは、近くの小料理屋だ。モダンな雰囲気の店で、落ち着いた半個室に通された。

「な、なんか高そうじゃないですか?」

 少し敷居が高めと察知し、琴美は身を竦める。

「そんなことないよ。今日は大規模オーディションを一手に引き受けた琴美ちゃんに、ご馳走するからお好きなものどうぞ」

「そ、そんな……」

 言われている琴美が何を頼んだら良いのかわからずにいると、広樹が笑いながらメニューを見つめた。

「じゃあ、僕が頼んでいい?」

「はい。お願いします……」

「何か苦手なものはある?」

「特には」

「じゃあ……」

 広樹は店員を呼ぶと、慣れたように注文をする。やがて持ってこられた瓶ビールを、広樹が琴美に注いだ。

「すみません! 社長自ら……」

 慌てて瓶を奪う琴美に、広樹が吹き出すように笑った。

「あはは。僕がそんなかしこまった社長に見える?」

「いえいえ、それとこれとは……実際問題、社長なんですし」

「ありがとう。じゃあ乾杯」

 二人はグラスを合わせると、広樹が口を開く。

「ほんと、琴美ちゃんたち世代からだよね、僕のことちゃんと社長扱いしてくれるの」

「そうですか?」

「そうだよ。彰良さんや鷹緒はともかく、牧ちゃんや俊二も平気で僕のことからかってくるからね」

 アットホームな職場なのは、琴美が入る前からである。新人の頃は疎外感もあったが、それもすぐになくなった。

「でもそれが、この会社のいいところです。みなさん仲が良くて素敵です」

「そう言っていただけるならいいけどね……」

 そこに料理が次々と運ばれてきて、琴美は目を輝かせる。

「美味しそう……和食なんて久しぶりです」

「僕もそうかも。いただきま……」

 その時、広樹の電話が鳴った。

「ああ、ごめんね。気にせず先食べてて……」

 そう言いながら、広樹は横を向いて電話に出る。

「もしもし」

『鷹緒だけど。電話くれた?』

 電話の相手は鷹緒である。先ほど電話したことも忘れていた。

「あ、忘れてた」

『なんだ。緊急じゃなければ切るぞ』

「ちょっと待てよ、思い出すから……ええと、なんだっけな」

 相手が鷹緒で気が緩んだのか、広樹は目の前の料理に手をつける。

『おまえ……なんか食ってる?』

「ああ、うん。今、琴美ちゃんと食事してて……」

『珍しいサシ飲みだな……相手待たせてるなら、思い出したら電話くれ。あ、酔った勢いでなんとか……ってのはやめろよ。相手が相手だからな。酔ってもちゃんと分別つけろよ』

「なに言って……」

 一方的に電話を切られ、広樹は目の前にいる琴美を見つめた。鷹緒に言われて、琴美に告白されたことを思い出す。今現在で自分への気持ちがどうなっているのかわからないが、気まずいかもしれないと思うと、何の気なしに誘った自分の無神経さに今更ながら反省する。

「ご、ごめんね……」

「いえ。諸星さんですか? ほんと仲が良いですね」

「仲……ねえ。仕事仲間だからね」

「それ以上のものがお二人にはあると思いますよ」

「ええ? 琴美ちゃんまで、僕と鷹緒がデキてるとか、くだらない噂信じてる?」

 過去に何度も出てきた話題にうんざりしながら、広樹は苦笑する。

「違いますよ。そんな野暮なことじゃないくらい、お二人は強い絆で結ばれてると思います」

「ハハハ……あんまり嬉しくないねえ」

「だって、私と一緒のこともすぐ言っちゃうし……」

「え、駄目だった?」

「駄目じゃないですけど……社長と二人きりで食事だなんて、羨ましがる人もいるだろうなって」

 琴美の言葉に、広樹は笑った。

「ないない。琴美ちゃんは、買いかぶりすぎだよ」

「わかってないのは社長ですよ。現場でも、社長人気があるのをご存じないんですか?」

「ご存じないですね。僕のモテ期は中学時代で終わってるから」

 おちゃらけるようにそう言った広樹は、追加で烏龍茶を頼んだ。

「あれ、もうアルコールは飲まないんですか?」

「ハハ……琴美ちゃんに迷惑かけるわけにはいかないからね」

「べつにいいのに……私、一人暮らしですよ?」

 勢い余って言った様子の琴美に、広樹は笑いが止まらなくなっている。

「琴美ちゃん、面白いなあ……」

「だ、駄目ですよね。私なんか……」

 そう言いかけた琴美の言葉で、広樹の表情が変わった。

「なに言ってるの。“なんか”じゃない。琴美ちゃんは魅力的な人だよ」

 間髪入れずに否定した広樹の言葉を受けて、琴美は驚いて固まる。

「で、でも……社長は私を振ったじゃないですか!」

 酒が入っていることもあるが、琴美の勢いは止まらないらしい。

 広樹は沈黙すると、残っていたビールを一気飲みした。そしていつものように笑顔を見せる。

「駄目なのは僕だけだ。琴美ちゃんが自信無くすことは一切ないよ」

「でも……」

「ごめんね。もっとちゃんと言えてたらよかったね。でも、琴美ちゃんに悪いところなんて何もないから、自信持っていてほしいんだ」

 言い聞かせるように微笑みながらも真剣な目つきの広樹に、琴美はもう何も言えなくなっていた。

「社長……?」

「……やっぱり、もう一杯ビール飲もうかな」

 広樹はそう言って、通りがかった店員を呼んだ。

「瓶ビールもう一本」

 すぐに運ばれたビールを手酌して、静かに広樹が口を開く。

「僕ね……大昔だけど、僕なりの大恋愛をして、その人の人生を駄目にしちゃいそうになったことがあるんだよね……」

 突然の告白に、琴美は目を見開いた。

「それは……どんな人ですか?」

 そう言われて、広樹の脳裏に綾也香が浮かぶ。

「とても……綺麗で輝いてる子だった。そう思えるほど特別に見えた。でも内ではすごく思い悩んでいて、助けたいとも守りたいとも思ってたし、僕には出来ると思ってた」

 ビール越しに、広樹の過去がゆらゆらと揺れる。

「でも、結局は相手の親御さんに大反対されて、彼女を守ることも出来なかったし、彼女が輝ける場所すらも奪いそうになって逃げたんだ。相手を潰したくないってことはあったけど、それ以外の選択肢がなくて情けなかったって今でも思う。そしてたぶん、今でも同じことを繰り返すと思う」

 初めて聞く広樹の過去に、琴美は息を呑む。

「それからも何度か彼女も出来たけど、なかなか長続きしなくてね……一方で仕事を頑張ることでしか、当時の彼女にも申し訳が立たないと思ってたけど、僕も鷹緒みたいに仕事人間になってたってだけの話で、本当に大事にしたい人には、もう踏み込みたくないんだよね……って、言葉にすると滅茶苦茶に格好悪いね。結局相手のためとか言いながら、自分が傷付きたくないだけなんだろうね」

 苦笑する広樹に、琴美は俯いた。自分を大切に思ってくれることはわかったが、このままでは広樹は恋愛をする気にはならないようにも思えてしまう。

「私だったら……自分の輝ける場所は社長のそばにいることって思うかもなあ……」

 琴美の言葉に、広樹は目を見開いた。前に同じようなことを綾也香に言われた気がする。仕事も何もかも捨てると言ってくれた元の彼女に対して、自分の不甲斐なさだけが滲んだ。

「ハハ……琴美ちゃんは? どんな男性が好きで、元彼はどんな人?」

 はぐらかすように話題を変えた広樹に、琴美は過去を思い出す。

「私は……そんなに恋愛経験ないんですけど、やっぱり学生時代に付き合った人が一番忘れられないかな……初恋だったし、すごく優しくて。あ、社長は彼に似てるのかもしれません」

 遠回しな告白にも取れて、二人は一瞬固まった。

「へえ……」

 琴美の目に、どこか寂しそうな広樹の顔が映る。普段明るく振る舞っている広樹だが、その年の分そして社長であることの苦労から、恋愛で苦しんだこともあっただろう。

 ふっと笑いながら、琴美は吹っ切るように口を開いた。

「やだなあ、私ったら! 社長を困らせるつもりはないんです。社長も忘れてくださいね。今日のことも……」

 そう言われて反論する心を持ちながらも、広樹は口をつぐんだ。変に期待を持たせたくはないと思う余裕のようなものだけは、いつからか持ち合わせている。

「……琴美ちゃんも忘れてね。情けない社長だってこと」

「えへへ……それはどうかなあ」

 笑い合う二人の耳に、甲高い笑い声が廊下から聞こえた。

「この声って……」

 二人とも覚えがあるようで、広樹は半個室となった部屋ののれんから、顔だけ廊下に出した。

「綾也香ちゃん?」

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