119. キュン死に
茜の言葉はいつも耳に残り、俺はふと過去を振り返る。
瞼を閉じれば、沙織の顔。それがいつからかなんて思い出せない。
「鷹緒さん?」
目を開けると、心配そうに俺の顔を覗き込む沙織の顔があって、俺は少し驚いた。
「おう……」
「大丈夫? 駄目だよ、煙草持ったまま寝ちゃ……」
そこは地下スタジオで、ソファで休憩を取っていた俺は、煙草を吸ったまま物思いに耽っていただけだが、沙織の気配にはまったく気がつかなかった。
「いや、寝てねえよ」
「そう? ぼうっとしちゃって」
笑う沙織に、俺は煙草を軽く吸い、そして揉み消した。
「ちょっと考え事してて」
「また仕事のことでしょ」
その内容が自分だということにまったく気がついていない様子の沙織に、俺は手を伸ばした。
「おいで」
沙織は素直に俺の手を握ると、隣に座った。
じっと沙織を見てみると、やがて沙織はもじもじと上目遣いで俺を見てくる。
「……なあに?」
「なにって……おまえもよく俺のこと見てるじゃん」
「そんなにまじまじ見ませんよ……」
恥ずかしそうに顔を赤らめる沙織に笑いながら、俺はその髪を撫でた。
沙織は気を紛らわせるように、目の前に置いていた俺のカメラを手に持つ。
「重たっ……」
「レンズついてるしな」
沙織の手からカメラを取り上げると、間髪入れずに構えて沙織を撮ってみる。
「やだ、恥ずかしいよ」
「プロだろ。プロはいかなる時もポーズ撮らないと」
「ええ? ハードル高いなあ……でも鷹緒さんもプロなんだから、私がどんな変顔してても可愛く撮ってよ」
「ハハッ。無茶言うなよ」
数枚写真を撮ったところで、じゃれるように引き寄せてキスをしてみる。沙織の目はいつも潤んでいて、時に胸が締めつけられるようだ。
そのままソファに二人して倒れ込むが、横になって今撮った写真を小さな液晶画面で再生した。
「わあ。なんか可愛くない?」
思わず言った自分の言葉に、沙織は真っ赤になった。
「い、いや、やっぱカメラマンがいいからだよね」
言い訳するように続けた沙織に、俺は笑みが止まらなくなる。
「……いつも可愛いけど?」
狙って言ったわけでもないが、沙織は更に赤くなった。
「キザ……」
そう言われて、俺もまた少し赤くなる。
「そうかな……可愛いもんは可愛いけど」
「もう、いいから……キュン死にする」
「なんだそれ」
俺はカメラを置くと、そっと沙織を抱きしめる。
ふと、出会った頃の沙織を思い出した。まだ無邪気で無敵な高校生。仕事柄、同じ年代の子と話すのは慣れていたから、沙織もごく普通の女子高生に見えていたはずだ。それなのに、いつの頃からか親戚だからとかそういう繋がりではなく、沙織の存在を常に感じ、そこにいれば目で追っている自分に気がついた。
『鷹緒さん、沙織ちゃんのことが好きなんでしょう』
俺に対してエスパーみたいな茜が言い放ったいつかの言葉は、その時の俺にグサリと突き刺さったのをよく覚えている。同時に「ああ、そうだったのか」と、すとんとしっくり認めた自分もいた。
「鷹緒さん?」
急に黙り込んだ俺を心配するような目で、沙織は俺をじっと見つめた。
「ん?」
「本当に大丈夫? 疲れてるみたいだね」
「ああ……今日はここでちょっと詰める予定だからな」
俺は我に返って起き上がる。
「忙しいんだ……」
「ちょっとな。でも、先に腹ごしらえ。一緒に行くか?」
「うん!」
俺たちは立ち上がると支度をして外へ出て行くが、スタジオの出入口で靴を履くのに手間取っている沙織の腕を、俺は不意に支えるようにして掴んだ。
驚くように振り向いた沙織にそっとキスをしてみると、途端に耳まで赤くした沙織が目に入る。
いつまでたっても初心な反応を見せる沙織が、可愛いとか愛しいとか、そんな素直な気持ちにさせる。
「たっ、鷹緒さん!」
キュン死に……? 一瞬、潤んだ瞳に吸い寄せられるように、すべてを投げ売り二人きりの時間を作りたいとさえ思ったが、俺は振り切るように視線を逸らして、先にスタジオから出た。
「行くぞ」
「待ってよ……こんな顔のまま外出れないよ……」
「じゃあ早く戻して」
茶化すように笑う俺に、膨れっ面の沙織が駆け寄る。
ガキの恋愛じゃあるまいし……と自嘲して、俺は沙織を連れて外へと出て行った。