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116. シンデレラコンテストの夜

→ FLASH本編 No.87「絶望」より リンク

「鷹緒さん、本当に行っちゃうの? どうして……私の気持ちに、気付いてるくせに!」

 俺が三崎さんに呼ばれてアメリカに行くというのを沙織が知った夜、沙織からのそんな言葉を、俺は静かに聞いていた。いや、内心はざわざわと、うるさいまでの雑音が心の中を駆け巡っている。

 いつか沙織にこんな顔をさせるのだろうとわかっていた。わかっていたから身構えていたのに、やっぱり目の前で起きると逃げ出したくなる。

 眠った広樹がいるだけで二人だけの空間。そこは社内ということもわからないくらい、まるで時が止まっているようだった。

「……じゃあ、おまえは俺にどうしてほしいの?」

 答えのない問いを、意地悪気に言ってみる。俺のほうが大人だから、ここで冷静さを見失ってはいけないと思った。

「俺は日本を離れる。それは変えられないし、決めたことだ」

 戸惑う沙織に、俺は畳みかけるように続けた。

 それで悟ったように、また怒ったように、諦めたように、沙織は軽く息を吐いた。

「わかった……もういい」

 そう言わせた悪い大人ということに、自分自身も気付いている。

「……送るよ」

 この話はもう終わりだと、駄目押しで立ち上がると、沙織は強く首を振った。

「いい」

 強い拒否に、俺も少しムキになって沙織に手を差し出す。

「送る。こんな夜に、一人じゃ危ない」

「いいってば!」

 しかし沙織は俺の手を振り払うと、事務所を飛び出していった。

 このまま追いかけなければ、沙織も諦めるだろうと立ち止まったが、今日は沙織が注目されるコンテスト受賞の夜。少し自暴自棄になっている様子の沙織が何をしでかすかわからない部分もあり、一瞬遅れて俺も会社を飛び出していった。

 会社から出たところで、沙織を抱きしめた茜と目が合った。根は優しい茜。沙織が事実を知って取り乱すことはわかっていた一人だろうし、俺のことを未だ慕ってくれている部分もあり、きっと気になって待っていたのだろうと容易に想像がついた。

「沙織ちゃん。ごめんね……」

 雑踏にかき消されながら、そんな茜の声が聞こえた。沙織は俺に背を向ける形で、茜に宥められるように抱きついている。きっと泣いているのだろうということも、震える身体に顔を見ないでもわかった。

 茜と目が合って、俺は軽く頷いて背を向けた。茜がいるなら安心だと思った。きっと沙織をうまく宥めて送り届けてくれるだろう。

 一人事務所に戻るが、その前に喫煙室で何本か煙草を吸った。

『鷹緒。アメリカに来て、俺の仕事を手伝ってくれよ』

 師匠である三崎さんからそんな電話が来た時、なぜか真っ先に浮かんだ顔は沙織だった。素人の女子高生が大きなコンテストを目指し始めたところだったからかもしれない。従兄弟である沙織の母親から頼まれている部分もあったからかもしれない。そうでなければ、たぶん俺はすぐにでもアメリカに飛んでいた気がする。もちろん抱えている仕事をどう処理するかの問題はあるけれど……。

『二年か……』

 後に話したヒロが、少し落胆して言った。

『まあ、行きたいんだろ? こっちはなんとかするから、三崎さんのところでまた腕を磨いて来いよ』

 そう言ったヒロに俺は静かに頷いた。そんな俺に、ヒロは首を傾げる。

『なんだ? 未練でもあるのか? 珍しい』

 なぜ、浮かんでくるのは沙織の顔ばかりなのだろう。そのあとで、恵美や理恵、仕事の仲間の顔が浮かんだ。

「いや、行くよ。後を頼むな」

 そう言うと、ヒロは苦しそうに笑った。

『任せとけ。でも……本当に、誰にも言わなくていいのか? 理恵ちゃんは副社長だし、その辺には……』

「いや、言わないでくれ。仕事は完璧に終わらせるから、誰にも言わないで欲しい。シンコンに向けて一丸となっている中、誰のことも揺るがせたくない……俺も最後の大仕事として、シンコンは成功させたいんだ」

 ヒロは理解してくれて、今日まで黙っておいてくれた。その分、明日からは同僚からも責められそうだ。

 鳴り止まない携帯電話の電源を切って、俺は煙草を揉み消すと、事務所へと戻っていった。


 事務所に入ると、未だ大いびきで眠ったヒロの姿があった。パーティー用に広げられたスペースには、酒や食べ物が散乱している。このまま朝を迎えて部外者にでも見られれば、事務所の信用にも関わる。

「ヒロ、社長室行け」

 寝かせてやりたい気持ちもあるが、これでは片付けもままならないし、中途半端に開いた飲料が寝相で零れてもおかしくない。

「うーん……」

「起きろって。数歩歩けばいいから……」

 なんでいつもこんな泥酔状態なんだと思いながら、俺はヒロを無理に起こして、社長室へと連れて行く。社長室のソファに寝かせて毛布をかけると、途端に大いびきが始まったので、俺は苦笑しながら社長室のドアを閉めて、散々な惨状の社内に溜息をつきながらもゴミをまとめ始める。やっと片付け終わった頃には、疲れて帰る気にもならなかった。

「ふう……」

 ぐったりと一人で居ると、嫌でも何かを考えなければならない。シンデレラコンテストという大仕事を終えて興奮しているはずの今日も、最後に泣かせた沙織の顔で台無しにしてしまったと胸が痛んだが、言うのは今日しかないと思っていた。

 その時、出入口に気配がして顔を上げると、そこには茜がいた。

「なんだ……戻ってきたの?」

「電話、繋がらなかったから……」

 茜の言葉に、静かになった携帯電話を見つめる。

「ああ、電源切ってんだ……事務所のやつらが、真相聞きに電話が殺到……あいつは?」

 なにより気になっていたことを尋ねてみた。

「……沙織ちゃん、実家に戻るっていうんで、送り届けました。これ、車のキーです」

「おう、サンキュー」

 無事に帰ったと聞いて安心し、俺は茜から車の鍵を受け取ると、ポケットへとねじ込んだ。

「……ヒロさんは?」

「社長室で寝てるよ。あのいびきじゃ、俺も参るからな」

 茜の言葉に、俺は苦笑して口を開く。茜は立ったままで何か言葉を探しているようだった。

「……ビール飲むか?」

「いえ、今日はこのまま帰ります」

 俺の言葉で我に戻ったのか、茜は首を振る。いつになく真顔の茜に、いつもの勢いはない。

 俺は返してもらったばかりの車の鍵を探る。

「電車ないだろ。車使えよ」

「いいです。タクシー拾うから……」

「そうか。どうした? いつもの勢いは」

 何か言いた気な茜だが、その話は俺にとって聞きたいような聞きたくないような雰囲気だ。

 やがて茜は意を決したように、真面目な表情で俺を見つめた。

「……ひとつ、聞いてもいいですか?」

 やっと口を開いた茜を、俺は見つめる。

「なに?」

「沙織ちゃんのこと、どうするつもりですか?」

 ざっくりした質問に、俺は顔を顰めた。

「……どうって?」

「なにも今日言うことはなかったんじゃないですか? いつみんなに言うのかと思ってたけど、今日じゃなくたって……沙織ちゃんの晴れ舞台なのに……」

 堰を切ったように、興奮気味に言う茜。俺は少しの間を空けて、静かに口を開いた。なにより、茜にはだいぶ前から話してある話である。

「……さっき言った通りだよ。今日しか全員集まる時はないと思ったし……もうすぐ日本を離れるんだ。前から決めてたことだよ」

「でも、もっと早くでもよかったんじゃないですか? こんなギリギリまで待たなくても……いくらなんでも今日言うなんて、沙織ちゃんが可哀想……」

 何か沙織に言われて同調しているのか、茜は苛立ちを隠せないまま俺を責め立てる。それはまるで、沙織の代弁であるとも思った。

 沙織の顔が浮かぶ。何度シミュレーションしても、俺のアメリカ行きを聞いた沙織は泣くだろう。あいつの俺への気持ちは、少なからず俺自身も気付いていた。周りで言っているやつがいたこともあるが、それが恋心などではなくても、俺がいなくなれば動揺するだろうことは誰にでも想像がつくはずだ。

「……いつ言ったって同じことだろ。それに、あいつはすぐ態度に表れるからな。シンコン前に言ってたら、あいつはシンコンどころじゃなかっただろうし……」

 そう言うと、間髪入れずに茜が口を開いた。

「本音が出ましたね。鷹緒さんも、沙織ちゃんのこと好きなんでしょう?」

 そんな茜の言葉に、俺は大きく瞬きをした。何を見当違いなことを言っているんだ……と思うと、笑えてくる。

「あははは。なんで俺が沙織を……」

 だが、茜はそれに同調してくれはせず、真剣な表情のまま俺を見つめている。

 そこで俺は笑いながらも、この胸の痛みの原因を知ることとなった。

「とぼけないでください。私がどれだけ鷹緒さんを見てきたと思ってるんですか? いくら親戚だからって、鷹緒さんは沙織ちゃんを構い過ぎです!」

「……そう?」

 認めてしまえば負けのように、俺の心臓は異常なまでにバクバクと音を立てていて、それを隠すようにビールに口をつけた。

 一人になって冷静になりたい。そう思っても、茜の言葉は止まらない。

「それに、みんなからいろいろ聞きました。沙織ちゃんのために、好きなアーティストのコンサートチケットを取ってあげたり、そのために好きでもない仕事引き受けたって……」

 黙っていてくれないかと、俺は冷静さを見失って、眉間にしわを寄せた。

 沙織と再会するきっかけの話まで、なぜ茜が知っているのかと思ったが、久々に連絡が来た親戚の願いを叶えるために、少しくらい嫌な仕事を引き受けてもお釣りが来るくらい、沙織の家族には世話になっているはずだ。そこを知らない茜には、どうやら違うように見えているらしい。

「BBのコンサートのこと言ってんの? 誰から聞いたか知らないけど、そんなことはないよ……」

「それだけじゃない。撮影現場に連れていったり、隣の部屋に住まわせたり、送ってあげたり……そんなの鷹緒さんじゃない!」

 続けてそう言われて、まるで走馬燈のようにここ数ヶ月の沙織とのやりとりが思い出された。確かに沙織でなければ、そこまでやってあげる義理はない。でもそれはきっと、沙織が俺の親戚だからだと言い聞かせる。

「私の知ってる鷹緒さんは、いつも人を寄せつけなくて、笑ってても遠くて……それなのに、どうして沙織ちゃんには……!」

 尚も止まらない茜の口に、俺はカッとなって立ち上がると、その口を手で塞いだ。まるで洗脳でもされるように、自分の気持ちを認めざるを得なくなりそうだった。それは俺自身にとっても、理解しがたい行動もあっただろう。それがすべて沙織に対する愛情ならば、その愛情の名前がなんなのか、今の俺は知りたくもない。

「……それ以上言うなよ」

 やっとのことでそう言って、言い聞かせるように茜を見つめた。

 そんな俺に、茜は信じられないといった様子で見つめ返してくる。

「鷹緒さん?」

「俺だって、一歩も前進してないわけじゃない……おまえが知ってる、数年前の俺とは違うんだろ」

 たった今、気付いた気がした。沙織の存在が、どれだけ俺にとって大きくなっていたのかを。

 悟ると空しすぎて笑うしか出来なくて、俺は茜に背を向けた。

「じゃあ、どうして私の口を塞ぐの? 図星だからじゃないんですか!」

 まだ続けるのかと、俺はぐっと拳を握る。

「それ以上言うなって言ってるだろ!」

 思わず強い口調になったが、もう俺はここから逃げ出したい思いでいっぱいだ。

 俺の勢いに黙り込んだ茜は、やがて静かに口を開いた。

「どうして? 理恵さんのことが過去に出来たら、私、鷹緒さんの一番近くにいけると思ったのに……」

 茜が泣いていることに気付いて、俺は静かにソファへ座った。

 思えば茜のことは傷つけてばかりだ。なぜこれほどまでに情熱をぶつけてくれる子を受け入れてやれないのかと思い上がって、目を伏せる。

「……馬鹿だな。俺なんて、過去を引きずってばかりの、情けない男なのに……」

「そこが、格好良かった……」

 茜の思いは理解しがたいが、茜のことも真剣に考えなかったわけじゃない。

 互いに押し黙ったが、やはり沈黙を破ったのは茜だった。

「……教えてください。どうして沙織ちゃんのこと……?」

 もう本当に勘弁して欲しかった。認めたら許してくれるのかと、何処かの取り調べ官かと錯覚して完敗しそうだったが、これを認めて良いことは何もない。俺は近く日本を発つのだから。

「だから、なんでもないって……」

「嘘つかないでください。私には聞く権利があります」

「ねえよ」

「教えてください!」

 一歩も引き下がらない茜は、座り込んで俺の視界に入ってきた。まるで見透かされるような目だ。

 追い詰められた俺は、前髪をかき上げて息を吐く。たぶん茜はもう、何もかもを悟っている。きっと俺よりも深く。

「……べつに。ただ放っておけなかっただけだよ……」

 深い溜息で息継ぎをして、俺は言い訳のように言葉を続けた。

「茜。あいつは俺の親戚なんだぞ? あいつの親含めて、俺の子供の頃まで知ってる。いわば弱みを握られてるも同然なんだ。あいつに何かあったら、俺はあいつの母親に何をされるかわからないし、下手なこと出来るかっての」

 これ以上言わせるなと言わんばかりに、俺はソファに寝そべった。

「親戚か。微妙ですよね……」

 やっと静かになった茜に、俺は天井を見つめたまま口を開く。

「……茜。俺さ、今はこれからのことしか考えらんないんだ。日本に後悔は残したくない。おまえも、気持ち切り替えてくれ」

 それが今の俺の本音だ。何も気付きたくない。気付いたとしても消さなければならない思いだと思う。

 茜もわかってくれたのか、今までの空気を断ち切って立ち上がった。

「わかりました……これからは、ニューヨークへ向けての、仕事モードでいきます」

 解放されて、俺は手を上げた。

「ああ。じゃあ俺、寝るから。おやすみ」

「ここでですか? 風邪引いちゃいますよ」

「夏だから平気だよ、じゃあな。おまえも気を付けて帰れよ」

「はい……」

 追い立てるようにして、やっと茜は事務所を出ていった。

 俺の態度に茜が納得しているとは思わないが、これからアメリカで一緒にする仕事仲間でもあるため、これ以上は追求してはこないだろう。

 そのまま目を閉じると、茜の言葉が頭の中でこだまする。

『鷹緒さんも、沙織ちゃんのこと好きなんでしょう?』

 ハッとして目を開けた。馬鹿なことを言うな……押し込めるように、もう一度きつく目を閉じる。

『いくら親戚だからって、鷹緒さんは沙織ちゃんを構い過ぎです!』

『撮影現場に連れていったり、隣の部屋に住まわせたり、送ってあげたり……そんなの鷹緒さんじゃない!』

『私の知ってる鷹緒さんは、いつも人を寄せつけなくて、笑ってても遠くて……それなのに、どうして沙織ちゃんには……!』

 うるさい……これ以上、俺をそこに連れて行かないでくれ。沙織と向き合わせないでくれ。

 異常なまでに早い鼓動に、身体が火照る。

『鷹緒さん……』

 沙織の泣いている顔が浮かんだ。同時に、笑っている沙織の顔も浮かんだ。

 どうしてこんなに沙織の顔が浮かぶのか……そう思うと同時に、どれだけ俺にとって沙織の存在が大きくなっているのかを思い知らされる。でも、それをすべて解決するには、あまりにもリスクが大きい。だってあいつの芸能人生は今日始まって、あいつの人生はこれから輝くのだから。

 日本を発つ俺があいつに出来ることは、もう限られているだろう。このまま俺のことを嫌いになってくれればいいと、本音を隠して思う。

 もしこれが愛ならば……沙織の将来を潰すことだけはしたくない。そのために、たとえ沙織を傷つけたとしても。

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