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8. カウントダウン

「鷹緒さんは、いつからお休み?」

 年末に差し掛かったある日、地下スタジオで仕事中の鷹緒に、差し入れをしに来た沙織がそう言った。

「いつからって……来年?」

「え? 今年は休みなしってこと?」

 鷹緒の答えに驚いた沙織は、目を丸くして鷹緒を見つめる。

 沙織に背を向けて仕事をしていた鷹緒は、その手を止めて振り返る。

「うん……いつも年末年始関係ないけど」

「そうなんだ……」

 あからさまに落ち込む沙織に、鷹緒は首を傾げる。

「おまえもどうせ実家に戻るんじゃねえの?」

「どうせってなによ。いるなら一緒に年越したかったのに……」

「うーん……年越しの瞬間なら一緒にいられるけど、元旦は初日の出撮りに行かなきゃいけないし、その後は普通の撮影仕事だし……あんま構ってやれないから、実家に帰ったほうがいいと思うけど?」

 鷹緒は良かれと思って言ったものの、沙織は不満げに俯く。

「私は……一言もしゃべらなくてもいいから、一緒に年を越したいな」

 沙織の言葉を聞いて、鷹緒は微笑みながら頷き、照れ隠しで煙草に火を点ける。

「じゃあそうしよう。でも本当、バタバタするからな?」

「うん……」

 再び背を向けてパソコンに向かう鷹緒に、沙織はソファに座ったまま、置いてあったクッションを抱きしめた。

 付き合い始めて数ヶ月。付き合い始めの時よりは、明らかに不満も生まれてきている。今日も仕事中の鷹緒に差し入れの名目でやって来たし、年末年始の予定もたった今まで知らず、また自分から言うことで予定が決まることにも悲しさを感じる。

 しかし、当の鷹緒は年末の忙しさに追われ、沙織に構っている暇もないようだ。いつもよりゆったりめの年末と聞いていたが、まるでいつもと変わらない忙しさがそこにある。

「……帰るね」

 しばらくして、沙織はそう言いながら立ち上がった。

「そう? 気を付けてな」

 振り向きもせずそう言った鷹緒に、沙織は口を曲げながら地下スタジオを出ていった。

 寂しさを募らせながら歩き出すが、鷹緒が追ってくる気配はない。確かに年末の追い込みで大変そうなのはわかるが、それでも沙織は悲しかった。

 その時、沙織の携帯電話が震えた。一緒に鳴った音楽から、鷹緒からのメールだということがわかる。

“今日は構ってやれなくてごめん。送ることも出来ないけど、気を付けて帰れよ。この仕事が終わったら少し落ち着きます。カウントダウンは家でしよう。食べたい物、考えておいて”

 少しぶっきらぼうだが優しい文面から、鷹緒らしさが窺える。それを見るだけで、沙織の顔が綻んだ。

「忙しいくせに……なんだかんだ言って優しいなあ」


 大晦日。その日も鷹緒は遅くまで仕事というので、沙織は食材を買い込んで、一足先に鷹緒の部屋を訪れた。合鍵を渡されているが、予告なしで部屋に上がったことはまだない。

 誰もいないキッチンで、沙織は料理を始める。しかしそれが終わっても、鷹緒からの連絡はなかった。

「まだかな……もうすぐ十時になっちゃうよ。それ以上遅かったら……」

 一緒に年を越せないのかと、最悪の事態が沙織の頭をよぎる。

 しかしその時、玄関から物音がして、やがてリビングに鷹緒の顔が見えた。

「鷹緒さん!」

「おう。ただいまー」

 疲れた様子の鷹緒に、沙織は責める気にもなれずに微笑む。

「おかえりなさい……疲れた?」

「超疲れた……ごめんな、遅くなって」

「ううん。何か飲む?」

「じゃあワイン。昨日、買っておいたんだけど」

 鷹緒はそう言いながらソファに座って、キッチンを指差した。確かにカウンターテーブルには、開けていないワインがある。

 沙織はワインとグラスを持ってテーブルに置くと、すぐにキッチンに戻っていく。鷹緒は早速ワインを開けて、二つのグラスに注いだ。その間に、沙織が料理を並べ始める。

「豪華じゃん」

「出来合いのもの並べただけだけどね……でも、少しだけ手作りだよ。おそばもあるし」

「おお、嬉しい。早速飲むか」

「お風呂もあるよ? 私はさっき入ったし」

「じゃあ先に一杯だけ」

 やっと会えた二人は、グラスを鳴らす。

「乾杯」

 やっと恋人らしい雰囲気に、自然と互いに笑みが零れた。

 その時、鷹緒の携帯電話が鳴った。

「ハイハイ……」

 罪悪感を覚えながらも、鷹緒は携帯電話に出る。電話の相手は、カメラマン弟分の俊二だ。

『遅くにすいません。明日って、自分のカメラ持って行けばいいんですよね?』

「ああ、そうだよ。俺は自分の持って行くし」

『よかった。鷹緒さんの忘れたかと思って……』

「大丈夫。じゃあ、四時に現地集合な」

『了解です。失礼しました』

 鷹緒は電話を切って、目の前のオードブルに手をつける。チーズやローストビーフなど、出来合いのものだが綺麗に並べられているのが嬉しくも感じた。

「四時に現地集合? 早いね」

 沙織の言葉に、鷹緒は苦笑する。

「ああ。細かい撮影場所とか、現地決めだしな。本当におまえも来る? 寒いぞ」

「行くもん。私、初日の出って見たことないんだ」

「へえ。俺は毎年恒例になってるな……事務所のサイトとかカレンダーとかに使う用に駆り出されるから」

「でも鷹緒さん、ロケって好きでしょ」

「まあな。気分転換にもなるし……じゃあ、風呂入ってきていい?」

「うん。行ってらっしゃい」

 そのまま鷹緒は風呂場へと入っていく。沙織はソファに座り直して、テレビを見つめた。

 しばらくして鷹緒が風呂から上がると、テレビの音だけでリビングは静かである。見ると、ソファに座りながら、沙織は眠り込んでいた。

 その寝顔を見つめて、鷹緒はそっと微笑む。一年の終わりに、こうして沙織と一緒にいられることが信じられない思いもある。

「このまま二人で眠り込んだら、怒るだろうな……」

 ぼそっと呟いて、鷹緒は冷蔵庫の中を覗いた。ビールに手をつけようとしたが、あまり酒を飲んだら明日起きられないと思い、キッチンに置かれていた蒲鉾をつまむ。

 そして、鷹緒は沙織に近付くと、その肩をそっと叩いた。

 沙織の目に鷹緒の顔が映る。

「わっ。びっくりした……」

「このまま寝顔見ててもいいけど、年越しに起こさなかったら怒るだろ?」

「う、うん……」

「そばの準備してたんだ? 食べたい」

「わかった。すぐ作るね」

 突然、鷹緒の顔が目に飛び込んできた驚きを落ち着かせるように、沙織はキッチンへと小走りで向かう。それがまた可愛く見えて、鷹緒は一人笑ってソファに座った。

「あ、鷹緒さん。蒲鉾つまんだでしょ?」

「バレた?」

「いいんだけどね」

 沙織も笑って、そばを茹で始める。鷹緒はその姿をじっと見つめていた。

「前から思ってたけど、おまえ結構、料理出来んだな。その天ぷらも手作りだろ?」

「このくらいは出来るよ」

「十分だよ。いい奥さんになるな」

 鷹緒は特に深い意味もなく言ったのだが、沙織はそう言われて嬉しさに頬を赤く染める。

「……頑張る」

 そんな沙織の様子に、鷹緒も意識して苦笑した。

「……俺は料理しないし、出来ないからな?」

「わかってるし、いいもん。私が頑張るから」

 そう言いながら、沙織がそばを持ってきてテーブルに置いた。

「すごいな。ちゃんとした年越しって感じ」

 鷹緒の言葉に、今度は沙織が苦笑する。

「なにそれ。普通じゃない」

「普通でも、一人暮らしだとなかなかやらないぞ? それに俺、去年まではアメリカだったし」

「あ、そっか。じゃあこっちで年越しも久しぶりなんだね」

 今年の春まで鷹緒が出張でニューヨークに行っていたこともすっかり忘れ、沙織は苦笑した。もうずっとそばにいてくれている感覚もあれば、ずっと忙しくて離れている感覚もある。

「……去年の今頃、今年こんなふうに年を越すなんて思ってなかったな……」

 しみじみと言った鷹緒は、いろいろ考えているふうに見える。

「それは私もだよ」

 隣に座る沙織がそう言ったので、鷹緒はその肩を抱き寄せて額にキスをした。

「さ、食べようか」

「うん。早く食べないと、おそばのびちゃう」

 二人はそばを食べながらテレビを見つめる。そろそろ年越しのカウントダウンが始まる頃だ。

「来年の大晦日も……こうして一緒にいられるといいな」

 鷹緒からの嬉しい言葉に、沙織は静かに頷く。

「絶対一緒にいよう? だから仕事入れちゃ駄目だよ」

「わかった。でも、おまえもだぞ?」

「私は大丈夫だよ」

「そうか? 普通の人が休みの時こそ忙しいのが、俺たちの商売だからな。おまえだって、明日の昼はファッションショーがあるんだろ」

「そうかもしれないけど、年越しみたいな夜中に仕事はないもん」

「じゃあ、約束な?」

 長い鷹緒の小指が目の前に来て、沙織は自分の小指を絡めた。

「好き」

 そう言いながら、沙織は鷹緒に抱きついてみた。その行為が恥ずかしいとも思ったが、そうせずにはいられない愛しさがあったのだ。

 沙織を抱き止めながら、鷹緒はソファに身を横たえる。

「俺も」

 そう鷹緒が言った瞬間、二人の耳にテレビのカウントダウンが聞こえた。

「あ、カウントダウン始まっちゃった! 7、6、5、4……」

 自分の上でテレビを見つめながら、一緒にカウントダウンを始めた沙織の頬を撫でると、鷹緒はその口を塞ぐようにキスをした。

 華やかなテレビ番組と対照的に、そのまま二人は静かなキスの中で新しい年を迎える。

「今年もよろしく」

 やがて鷹緒が言ったので、沙織もこくんと頷く。

「こちらこそ、今年もよろしくお願いします……」

「んじゃ、そろそろ寝ようか」

「もう?」

「明日早いじゃん。俺は徹夜慣れしてるけど、おまえは明日ファッションショーだし、少し寝といたほうがいいよ」

「うん。でももうちょっと、あの……ムードが欲しいっていうか……」

 赤くなりながら言う沙織に、鷹緒は苦笑する。

「悪かったな。俺はおまえがいてくれるだけで満足だから……ごめん。今年はちゃんとおまえのこともっと考えられるようにするから」

 沙織は嬉しくなって、返事の代わりに鷹緒にもう一度抱きついた。

 そのまま二人はその場で眠り込んでしまい、新年早々に軽く風邪を引いてしまったのは言うまでもない。しかし二人にとって、幸せで新しい幕開けの夜であった。

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