113. ダブルデート
ある日、沙織と麻衣子は同じ撮影で、地下スタジオへと向かっていった。
先に通りがかった地下スタジオの裏手は喫煙所になっているため、沙織はそこを通る度に見る癖がついている。今日も案の定、鷹緒が煙草を吸っていた。中はアトリエ部分で鷹緒が吸う以外は禁煙だが、スタッフがいる時は外の喫煙所で一緒に吸っていることも多々あるからだ。
「鷹緒さん」
思わず沙織が声を掛けると、鷹緒も気付いて手を上げた。
「おう。来たか」
「今日もよろしくお願いします」
麻衣子もそう言うと、鷹緒は頷く。
「こちらこそ。みんなもう来てるから、おまえらも早く準備しな」
「はーい」
そんな会話を交わして、沙織と麻衣子は表玄関と向かっていった。
今日は久々に鷹緒との撮影だ。スタッフも身内同然の慣れているスタッフのため、二人もすでにリラックスしている。
表から地下スタジオに入り、楽屋へ向かうところで、裏手から鷹緒が戻ってきた。
「おつかれさまです」
一緒にスタッフも戻ってきていたので、他人行儀に沙織が言う。
「ああ、おつかれ。今日も巻きでいくから早く準備しとけよ」
「じゃあ早く終わったら、お茶でも連れてってくださいよ」
麻衣子の言葉に、鷹緒は頷いた。
「いいよ。今日は比較的、余裕あるからな」
「じゃあ頑張っちゃう」
「ハハッ。よろしく」
そんな会話のおかげか、その日の撮影はいつもよりもスピーディーに終わった。
「最短記録じゃないですか? こんな早くに終わったの」
スタッフの言葉に、鷹緒は笑う。
「慣れてるスタッフとモデルのおかげだな……明日も同じような撮影あるから、適当に片付けたら終わりでいいよ」
「ありがとうございます!」
「こちらこそ……まあ、たまにはいいね」
そこに、モデルたちがぞろぞろと楽屋から出てきた。
「モデル班、全員着替え終了です」
麻衣子がそう言ったので、鷹緒とスタッフたちは頷いた。
「おつかれさまでした。このまま解散でいいです」
スタッフの言葉を受けてモデルたちが去っていく中で、鷹緒もジャケットを羽織る。
「じゃあ俺もちょっと出るから、片付けたら鍵はいつものとこでいいよ。おつかれさま」
「了解です。おつかれさまです」
スタッフと会話をして、鷹緒は沙織と麻衣子を連れて地下スタジオを出ていった。
地下スタジオの階段を上がっていくと、まだモデルたちがたむろしている。
「どうしたの?」
麻衣子が尋ねると、一同は一斉に振り向いた。みんな後輩モデルである。
「あ、話が止まらなくて……」
「じゃあ、どっか店でも入りな? この人数がたむろしてたら邪魔になるから」
「はーい……」
不満そうに俯く新人モデルたちを見て、鷹緒は腕時計を見つめた。
「……そんなに話し足りないなら、三十分だけならスタジオ使っていいよ」
「本当ですか!」
「今日だけ特別な」
鷹緒の言葉に目を輝かせて、新人モデルたちは地下スタジオへと戻っていく。
「諸星さん……優しすぎ。甘やかしすぎ。八方美人すぎ」
そう言った麻衣子に、鷹緒は苦笑した。
「なんでだよ。早く終わりすぎてあんなになってんだろ。たまにはいいよ……それより手伝って」
歩き出しながらそう言う鷹緒に、沙織と麻衣子は首を傾げながらついていった。
それから十数分後、三人は近所のカフェで買ったテイクアウトのコーヒーとドーナツを大量に持って、地下スタジオへと戻っていった。
地下スタジオのフロアでは、モデルたちが各々座り込んで話しており、それとは別にスタッフが立ち話をしている。
「諸星さん。なんかモデルさんたちが、諸星さんに戻っていいって言われたって……」
スタッフに言われて、鷹緒は持っていた袋を差し出した。
「ああ、ごめん。外でたむろしてたから、とりあえず戻したんだ……これ差し入れ。よかったら帰る前に飲んで」
「おお。ありがとうございます!」
そんな鷹緒とスタッフのやり取りとは別に、沙織と麻衣子は後輩モデルたちの輪へと入っていく。
「これ、諸星さんから差し入れだよ」
「ええ! ありがとうございます!」
それから小一時間後。スタジオを閉めると同時に出た鷹緒と沙織と麻衣子は、駅前のカフェへと腰を落ち着かせた。
「もう。あんなことして、またモテちゃうじゃないですか」
麻衣子の言葉に、鷹緒は苦笑しながらコーヒーに口をつける。
「あんなことで?」
「十分ですよ。ねえ? 沙織」
そう聞かれて、沙織も苦笑した。
「うん……いい人だなとは思うだろうな」
「だよね。みんな目がハートになってたよ。まあ、あの子たちが今まで諸星さんとしゃべる機会がなかったからかもだけど」
「人気があるのはいいけど……破産しないか心配」
沙織の突然の言葉に、鷹緒が笑った。
「アホか。何百人にポケットマネーで払ったわけでもなし、そのくらいの収入はあるわ」
「そうなの? 私があんなことしたら破産しちゃう」
「私もちょっとイタイかなあ」
トップモデルの二人といえど、他人に構うお金はないらしい。
「女子は自分に掛ける金もあるから大変だろうな」
「まあ、服とか髪とかネイルとか、いろいろ使っちゃうのは事実だよね」
「今日は長いこと世話になってるスタッフだし、モデルも若手ばっかだろ。今後円滑に進めるためにも、投資として大したことじゃないから気にしなくていいよ」
鷹緒の言葉に、二人は頷いた。
「さすが!」
「まあそれに……あの子ら置いて三人で出たら、おまえらの立場も悪くなるだろうと思ったからな」
「え?」
「少なからずの妬み嫉みはあるだろ」
そう言われて、沙織と麻衣子は顔を見合わせる。
「まあ……蹴落とし合いの世界ではあるよね」
「うちらが贔屓されてるとは言われたことあるけど……」
そんな二人を見つめながら、鷹緒は苦笑した。
「贔屓されてるのは事実だろ」
「そうなんですか?」
「事務所だってトップモデルで推してるんだし、俺だっておまえらじゃなかったら、わざわざこうして一緒にお茶なんて飲まないよ……」
それを聞いて、沙織と麻衣子は嬉しそうに笑う。
「うちら、特別だって」
「だね」
笑い合う二人に、鷹緒も笑った。
「まあ、特に下の子たちは野心ある子だっているだろうから、行動には気をつけな。会社サイドも、おまえらは許して後輩は許さないなんて道理は通らないから」
「わかりました。気をつけます!」
そんな会話をしていると、麻衣子の携帯電話が鳴った。
「あ、ごめん。ちょっと電話出てくるね」
そう言ってカフェを出る麻衣子を横目で見送って、沙織は鷹緒を見つめた。
「でも、鷹緒さんも気をつけてね」
沙織の言葉に、鷹緒は首を傾げる。
「なにを?」
「みんなの目がハートになってたのは確かだから……」
「アホか。俺がしっかりしてればいいことだろ」
それを聞いて、沙織は嬉しさに微笑んだ。
その時、電話を終えた麻衣子が戻ってくる。
「ごめんね」
「ううん。電話、大丈夫?」
「ホセから。今から来るとか言うんだけど……」
ちらりと鷹緒を見て言った麻衣子に、鷹緒は頷いた。
「いいじゃん、呼びなよ。そちらがお邪魔じゃなければ」
「じゃあ、すみません……でも諸星さんや社長はうちらの交際知ってるっていうけど、いざ会わせるとなるとなんか緊張するなあ」
「なに言ってんだよ。まあ、まだ付き合いたてだろうけど、うまくいってるなら良かったじゃん」
「うまくいってるかはわからないけど……夢だったんだ。沙織とダブルデート」
そう言われて、沙織は麻衣子に微笑む。
「私も嬉しい。でも、うまくいってるんでしょ」
「どうだろ。あいつ、時間やお金にルーズだし、無礼だしすぐ怒るし束縛してくるし……顔はいいんだけどね」
苦笑する麻衣子に、鷹緒は口を曲げた。
「どっかで聞いた性格だな……」
「とにかく私のほうが年上だから、どうしても我慢しちゃう」
「おいおい、大丈夫か?」
「今のところはね」
そこに、ホセがやって来た。沙織と麻衣子が隣り合わせで座っているので、何も言わずに鷹緒の隣に座ったホセに、麻衣子が慌ててホセを見つめる。
「ちょっと。挨拶は?」
「こんにちは……」
「もう。こんな感じです」
「こんな感じって?」
「マナーがなってないってこと」
「どうせ……」
掛け合う麻衣子とホセの間に、鷹緒が手をかざした。
「まあまあ。飲み物買ってきな」
「俺、金ない……」
「しょうがねえな……」
鷹緒から小銭を受け取って、ホセは立ち上がる。
「麻衣子。ついてきてよ」
「なんで……」
「一緒にいたいの」
そう言いながらレジへ向かう二人を見て、鷹緒は苦笑した。
「大丈夫かな、あの二人……」
沙織の言葉に、鷹緒は視線を落としてコーヒーに口をつける。
「麻衣子が振り回されてるとはね……でも、なんだかんだでうまくいってそうじゃん」
「そうなのかな」
レジに並ぶ二人は、言い合いながらも笑い合っている。遠目で見ればお似合いのカップルだ。
少しして戻ってきた二人は、鷹緒にお辞儀をした。
「ごちそうさまです」
「べつにいいけど……うちのトップモデルを困らせるなよ、ホセ」
ホセはそう言われて、鷹緒を見つめる。
「じゃあ、俺の麻衣子に手を出さないでくださいね」
「出すかよ……」
「麻衣子も、俺以外の男とお茶しちゃダメって言ったでしょ」
続けて麻衣子がそう言われ、麻衣子は呆れたように沙織を指差した。
「あんたには沙織が見えてないわけ?」
「男が同席してるってだけでイライラする」
そんなやり取りが止まらない二人に、鷹緒は麻衣子を見て苦笑した。
「大変そうだな……」
「でしょ? 私もなんでオーケーしたのかって思うんですけど……でも間違いなく今、私のことを世界一好きなのはこいつって思っちゃうと、なんか憎めなくて」
「ほお……ごちそうさま」
なんだかんだとのろける麻衣子に、鷹緒と沙織は顔を見合わせて微笑む。
「まあ、仲良くね」
沙織の言葉に、麻衣子は照れながら頷いた。