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111. 久方ぶりのサシ呑み

 ある日の夜。鷹緒が事務所に戻ると、その日は何人もの社員が残っていた。今日は全体会議ではないものの、大規模な会議がある。

「おう。おかえり、鷹緒」

 企画部に戻ると、部長の彰良が出迎えた。

「おつかれさまです。この時間にこれだけ社員が揃うって珍しいですね」

「ビッグプロジェクト抱えてる会議だからな……まったく、こっちは駅前開発プロジェクトのほうで手一杯だっていうのに、モデル部さんが大規模オーディションなんて企画通すから……」

 ぼやく彰良に苦笑して、鷹緒は机の上の伝言メモを見つめる。

 その時、企画部の電話が鳴るが、少し離れたところですかさず取ったのは同じ企画部の万里である。しかし万里は、すぐに鷹緒を呼んだ。

「鷹緒さん。茜さんからお電話です」

「はあ? この忙しい時に……」

 そうは言いつつもゴネて万里の手を煩わせるわけにもいかず、鷹緒は目の前の電話に手を伸ばした。

「はい」

『聞こえてますよ。忙しい時にすみませんね。携帯にかけたんだけど、全然出ないんだもん』

「悪いけど、おまえからの電話なんて優先順位低いんだよ……どうした? 会社にまでかけてくるなんて」

『サシで飲みたいんですけど』

「どの口が言う……」

『この口。子供はママが見ててくれるっていうから、今日飲みません?』

「今日は会議だよ」

『知ってます。その後でいいから』

 そんな茜の言葉に、鷹緒は口を曲げる。

「……何時になるかわかんねえぞ?」

『わかってます。でも、会議の後だったらデスクワークもしないでしょ? ちょっとでいいんで、たまにはサシで飲みましょうよ』

 強引なまでの茜だが、そうでもしないと動かない自分もわかっている。また、いつまでも日本に居るわけでもない茜に、鷹緒は頷いた。

「わかったよ。会議終わったら連絡する」

『やった! 待ってます』

 鷹緒は溜息をつきながら電話を切ると、奥の会議室からモデル部の琴美が顔を出した。

「そろそろ会議を始めますので、ご参加の皆様は会議室にお越しください」

 そんなアナウンスに一同は立ち上がると、会議室へと向かっていった。


 それから数時間後。会議を終えた鷹緒が喫煙室へ駆け込むと、そこには茜がいた。

「茜……」

「えへへ……来ちゃった。逃がさないわよ」

「べつに逃げねえよ……」

「会議、終わりました?」

「ああ。一本吸ったら出るよ」

 言いながら煙草に火をつける鷹緒の横に、茜は簡易ベンチに腰を掛ける。

「今日、沙織ちゃんは……?」

「さあ……家にいるんじゃねえの?」

「いいんですか? 私と浮気」

「誰が浮気だ……さっきおまえと飲むとは言っておいたし」

 そんな鷹緒に、茜は口を曲げた。

「なんだ……私なんて、入る隙もないってことですか」

「人妻が馬鹿言ってんじゃねえ。支度するから待ってろ」

 鷹緒はうんざりしたように吐き捨てて事務所に向かうと、すぐに茜とともに外へと出ていった。


 近くの小料理屋に入った二人は、個室で向かい合って酒を交わした。

「こんなにゆっくりした夜は久しぶり。子連れだとなかなかこういう時間が持てないから」

 茜の言葉に、鷹緒は微笑む。

「ちゃんと母親やってて安心した」

「そりゃあ、誰だって我が子は可愛いものですよ。そんなことより……いつからなんですか? 沙織ちゃんと」

 早速振ってきた話題に、鷹緒は顔を顰めた。

「なんでおまえに、そんなこと話さなきゃならないんだよ」

「ずっと鷹緒さんを見てきた私には聞く権利があります」

「ねえっつの。ったく、毎度毎度……」

「あります!」

 苦笑しながら日本酒に口をつけ、鷹緒はいつか茜に詰め寄られたことを思い出した。その時も茜は、鷹緒が沙織を構い過ぎだと言っていたが、まだ付き合う前だいぶ前の話であり、自分自身の気持ちもわからなかった頃である。

「おまえは……すごいよな。いつもいつも、俺にもわからない感情がわかるんだもんな」

 そう言われて、茜は目を見開く。

「なんですか、それ……褒めてるんですか?」

「褒めてる、褒めてる」

 優しく笑う鷹緒に、茜は口を曲げた。

「もう。そういう表情がずるいの」

「は?」

「鼻血出そう」

「バーカ」

 鷹緒は茜にビールを注ぐと、料理をつまむ。そんな鷹緒を、茜はじっと見つめていた。

「なんだよ?」

「鷹緒さん、変わらないね。でも変わったね」

「どっちだよ……」

「どう? 沙織ちゃんは」

 そう言われて、鷹緒は苦笑する。

「どうって……どうかな」

「理恵さんと比べて」

「はあ?」

 茜の質問に顔を顰める鷹緒だが、茜は話しをやめない。

「どう?」

「……比べる要素ねえだろ。年も性格も全然違うんだから」

「そう。だからびっくりなんだよね! 鷹緒さんが、まさかあんな面倒臭いところと付き合うとは……」

「どういう意味だ……」

 口を曲げながらそう言う鷹緒の目の前で、茜は興奮気味に話を続ける。

「だってさ、ザ・面倒くさがりのWIZM企画メンズの中でも、ナンバーワンの鷹緒さんがだよ? 親戚で年下で同じ事務所のしかもモデルに手を出すなんて、うっかり以外の何ものでもないじゃん!」

 ハッキリ言った茜に、鷹緒は苦笑した。

「散々な言われようだな……」

「違います?」

 まんまと乗せられたかのように、鷹緒は苦笑しながら煙草に火をつける。

「……いつからあいつを恋愛対象として見られてたかなんて思い出せないけど……」

「けど?」

「……親心でもなんでも、気がつけば気になってて、相手も自分を好いていてくれた時に……もう泣かせたくないって思ったんだよ」

 淡々とそう言った鷹緒だが、明らかに本心だとわかって、茜の心はきつく締め付けられた。ずっと好きだった鷹緒だが、自分と沙織の差がなんだったのかはわからない。事実、沙織は自分よりももっと上の障害を飛び越えて鷹緒と付き合ったことになる。それを知らされて、もはや茜も笑うしかなかった。

「完敗か……悔しいな」

 そう言った茜に、鷹緒は静かに口を開く。

「……ありがとうな。おまえみたいに、ずっと追いかけてくれるやつなんていないよ」

「もう……お礼なんて言われたら、本当にここで終わりじゃない」

「ハハッ。終わりだろ? おまえだって、もう結婚してんだから」

「浮気歓迎」

「アホか」

 昔のように笑い合って、二人は酒を飲み交わす。

「こんな時じゃないと聞けないと思うから、もう一つ聞かせてください」

 静かにグラスを置いた茜がそう言った。

「……なに?」

 身構えるように返しながらも、真摯に受け止めようとする鷹緒がいる。

「私のこと、ずっとちょっとも、なびかなかった?」

 そんな質問に、鷹緒は微笑みながら煙草の火を消した。

「……そんなわけないだろ」

 鷹緒の答えに、茜が笑う。

「嘘つき!」

 答えの代わりに鷹緒も笑うと、脳裏に茜との日々が思い出された。日々騒がしいまでにくっつき回っていた茜が、疎ましく思えることもあれば救われたこともあった。

「おまえには幸せになってほしいと、心から思ってるよ。だから結婚したって聞いて安心したし、こうしてたまに会っても元気でいてくれてよかったと思ってる」

 そんな鷹緒の言葉で茜の心は躍ったが、すぐに思い直して口を開く。

「答えになってませんけど……なびいたの? なびかなかったの?」

「ったく……言わねえよ」

「なんでよ」

「それだけ俺のことがわかるなら、わかってるだろ」

「わかんないよ……自分のことは」

 口を尖らせる茜に笑いながら、鷹緒は茜の鼻をつまんだ。

「ひとつだけ言えるとすれば……賑やかなおまえに救われた時期があったよ」

 多くを語ろうとしない鷹緒だが、やっと自分に対しての本音も聞けた気がして、茜はそっと微笑んだ。

「……本当?」

「ああ」

「じゃあ……今日はこのくらいで許してあげる」

「そりゃどうも」

「もう、ほんと素直じゃないんだから。ほら、もっと飲んで」

 茜は鷹緒に日本酒を注いで、自分も日本酒を飲み始める。そんな茜を見つめながら、鷹緒はそっと微笑み、注がれた日本酒に口をつけた。

 ずっと妹のような存在だった茜。理恵と結婚した時も離婚した時も、変わらずそばにいてくれた茜の存在が、鷹緒にとって時に救いになったのは事実である。茜との未来を想像したこともあるが、踏み切れなかったのは自分の弱さなのだということは痛感している。そのため茜が自分で幸せを見つけたということは、素直に喜ばしいと思った。

「おい。飲み過ぎるなよ。ビールにしとけ」

「たまにはいいじゃん」

「駄目だよ。俺がいつも大変なんだから……」

 そうは言うものの、鷹緒の表情はリラックスして優しい。そして茜はすでに真っ赤になって酔っているようだ。

「鷹緒さん……」

「うん?」

「鷹緒さんも、幸せになってね」

「……サンキュ」

 二人はその日、遅くまで酒を酌み交わしていた。

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