101. 照れ隠し
その日は前もって約束していた日で、沙織は久々に鷹緒の家へ訪れていた。
このところお互いに忙しく、急に予定が空いた鷹緒が沙織のマンションを訪れることがたまにあるくらいで、ゆっくり会えたためしがない。
しかし今日は半月前から約束しており、沙織が一足先に鷹緒の家で料理を作る算段となっている。鷹緒は午後からオフの日で、さっき仕事を終えた沙織がこちらに向かうと連絡してから、すぐに帰ると返事をもらっていた。
「結構散らかってる」
仕事の資料と思しきものがテーブルの上に積み上がっているのを見て、沙織はクスリと笑うと、そのまま台所へと向かっていく。
「とりあえず、ごはん炊かなきゃ」
独り言を言いながら、久々の手料理に頭を悩ませる。しかしメニューを決めて買い物を決めこんで来たので、あとは腕を振るうだけだ。
沙織はスマートフォンでレシピを探すと、下ごしらえを始める。
その時、玄関から物音が聞こえ、ほどなくして鷹緒が現れた。
「おかえりなさい!」
「おう。ただいま……」
「ごはん、もうちょっと待ってて」
「ああ、大丈夫……ちょっとシャワー浴びてきていい?」
「うん、どうぞ」
言葉少なめにそう交わして、沙織は風呂場へ向かう鷹緒を見送った。
それからしばらくして、鷹緒は風呂場から出るなり、定位置のソファへと座った。
「鷹緒さん。そろそろ出来るよ」
「ああ、ちょっと待って」
沙織からの声掛けに、鷹緒は目の前のテーブルに広げられた書類を片付ける。するとすかさず、沙織が料理を運んできた。
「お、ハンバーグか」
「チーズインだよ」
「なんか手伝う?」
「大丈夫。でも飲み物は自分で取ってきて」
「了解」
鷹緒は台所へ行くと、ふと思い出して戸棚を開けた。
「沙織。ワイン飲まない? この間、得意先の人にもらったんだった」
「いいけど……あんまり飲めないよ? ワイン飲むとすぐ酔っ払っちゃうんだもん」
「じゃあ少しだけな」
そう言いながら、ワインとグラスを持って鷹緒は戻っていく。その間に、テーブルいっぱいの料理が並べられていた。
「また豪勢な……」
「久しぶりだからね。食べて食べて」
「いただきます」
久しぶりの穏やかな夕飯。沙織は内心ドキドキしていて、隣の鷹緒を見つめる。
「なに?」
視線に気付いた鷹緒が、横目で見ながらそう言った。
「え、う、ううん。なんでも……」
「美味いよ?」
「よかった……」
そう言いながら頬を染める沙織。手持ち無沙汰で、注いでもらったワインを飲む。付き合ってから随分経つはずだが、二人きりはまだ緊張さえした。
もじもじしている沙織に、鷹緒は首を傾げる。
「どうかしたのか?」
「ううん。なんか……久しぶりだから、直視出来ないっていうか……」
それを聞いて、鷹緒は苦笑した。
「なんだそれ」
「鷹緒さんは私に緊張するわけないから、わかんないだろうけどさ」
口を尖らせる沙織に、鷹緒は沙織を見つめてから目を逸らす。
「そりゃあおまえ……緊張はしないけど……」
「え? けど?」
少し様子の変わった鷹緒の顔を、沙織が覗き込む。鷹緒は心なしか顔を赤らめていた。
「変なこと言うなよ。そんなの意識したことなかったし……」
「え? 意識したら緊張しちゃう?」
今度は攻めの姿勢を見せる沙織だが、すぐに鷹緒が沙織の鼻をつまむ。
「アホか。でもまあ、久々だし……なんかおまえがいるの不思議な感じはするかもな」
それを聞いて、沙織は嬉しそうに微笑んだ。
「私も。時々、付き合ってることも忘れちゃいそうだもん」
「おまえなあ……」
「ウソウソ。でもしょうがないよ。私も忙しかったしさ……目の前の仕事で必死だし」
少ししんみりした状態のまま、二人は食事を続ける。
それから少しして、鷹緒は手を合わせた。
「ごちそうさま」
「足りた?」
「ああ」
そう言いながら、ワインのボトルに手を掛ける鷹緒を見て、沙織は慌てて手を伸ばす。
「注ぐよ」
「いいよ、そんなの」
苦笑しながら手酌状態の鷹緒は、沙織の少なくなったグラスの中身も見る。
「おまえもワインもう少し飲む?」
「あ、じゃあもうちょっとだけ……結構飲みやすいワインだね」
「そうだな」
再び沈黙になった瞬間、鷹緒の顔が沙織に近付いた。沙織が驚きから我に返った時には、すでに二人の唇は触れていた。
「なんか言えよ……」
照れるようにして笑う鷹緒に、沙織はむせるように咳き込んだ。
「た、鷹緒さん! いつもずるい!」
「沈黙になるからだろ」
「ああもう、熱い……」
火照った自分の頬を触りながら、沙織はテレビの音量を上げる。
「沈黙が嫌ならボリューム上げればいいじゃない……」
照れ隠しで怒った素振りを見せる沙織に、鷹緒は苦笑した。
「悪い悪い。つい、ね」
イタズラ心に火がつきながらも、鷹緒はそれを隠すようにまたワインを飲みながら、そっと沙織の髪を撫でる。沙織は心地良さを感じる反面、未だ高鳴る胸を抑えきれずに、赤くなった顔を押さえ続けていた。