100. 恋の交差
とあるファッションイベントの楽屋から、メイクを終えた沙織と麻衣子が出てきた。
「相変わらず、イベントの楽屋はゴッタゴタだよね。人多すぎて息詰まっちゃう」
麻衣子はそう言いながら、楽屋ロビーの自動販売機を見つめた。そこは休憩所も兼ねていて、ソファがいくつか並んでいる。
「そうだね。私も喉渇いちゃった」
「いつも飲んでる水がない……」
自動販売機のラインナップを見つめる二人の横に、大きな影が現れた。
「ケータリングの飲み物は飲まないの?」
その声に二人して振り返ると、そこには同事務所所属の男性モデル・玲央がいる。
「玲央じゃん。久しぶり」
「ほんと。沙織に共演NGくらってんのかと思ったくらい」
麻衣子の言葉に、玲央が苦笑して言った。玲央がそう言ったのは、以前、沙織に告白まがいのことをしたからである。(※54話「日帰りバーベキュー親睦会」より)
そう言われて、沙織は困ったように笑った。
「まさか。そんな……」
「ほんと? まあ、俺もしばらくホームステイとか行っちゃってたから、言えた義理じゃないけどね。何飲む? おごるよ」
言ってるそばから小銭を自動販売機に入れている玲央に、沙織と麻衣子は顔を見合わせる。
「いいよ。おごってもらうことないし……」
「大した金額じゃないだろ。俺も本格的にモデル復帰ってことで、お近づきのしるしってことで」
「じゃあ……お水」
玲央はニッコリと微笑むと、水を二本買って沙織と麻衣子に差し出した。
「ありがとう。ホームステイに行ってるとは聞いてたんだけど、どこ行ってたの?」
「オーストラリア。何度か行ってるんだけどね。今回はどっぷりと」
「そうだったんだ。帰って来たって聞いても、なかなか一緒にならなかったね」
沙織がそう言うと、玲央はまた大きく笑った。
「沙織と麻衣子が出世しちゃったからだろ。テレビに出始めたら、なかなかかち合わないもんな」
年齢が少々違う上に、雑誌も女性ファッション誌に載ることが多いので、玲央と会う機会はもともと少なかったのだが、テレビの露出も増えてきて、それはどんどん少なくなっている。
「でも、こうしてイベントでは会うもんね」
「まあね。イベントだったら、いろんな事務所のモデルとも会えるけど、しばらくいないうちに知らないモデル増えてる気がする」
玲央の言葉に、沙織は頷いた。
「そうだよね。新人も増えれば、辞めちゃった子もいるし……」
「私は今一押しの子に会えないかと楽しみにしてるんだけど」
突然、麻衣子がおどけるようにそう言った。
「一押しの子?」
「最近やたらメンズ雑誌に出てる子知らない? 外国人らしいんだけど」
「ああ。最近、麻衣子がよく言ってる……」
沙織は何度か聞かされているようだが、玲央は首を傾げる。
「外国人モデル? メンズ雑誌なら俺もかち合ってるかな」
「うん。この間のメンズノースに玲央と一緒に出てた子!」
「それってホセのことかな……今日もいるよ」
「え、ほんと?」
「うん。待ってて」
行動力が早いようで、玲央は言いながらその場からいなくなっている。
「もう、麻衣子ったらミーハーみたい」
「だって超カッコいいんだもん。沙織にも見せたでしょ? この間のメンズノースって雑誌」
「まあ、確かに……」
一人で盛り上がっている麻衣子の元に、すぐに玲央が戻ってきた。傍らには彫りの深い顔をした少年がいる。
「こいつのこと? 麻衣子」
「うわ! そ、そう!」
思わず圧倒されたように、麻衣子は目の前の少年に目を奪われている。沙織もまた、素直にカッコいいと思っていた。
「こいつ、ホセ。イランのハーフらしいよ」
簡単に紹介する玲央に、少年は口を曲げる。
「ハーフって言われるの好きじゃない」
「ああ……今はダブルのが一般的か。悪い、悪い」
「べつに……俺、日本生まれの日本育ちだし。ハーフとかダブルとかいう概念もないんだけど」
「悪かったって。うちの事務所の麻衣子と沙織を紹介するよ。仲良くしてやって」
フォローする玲央だが、ホセは目を逸らして近くにあったソファに座ってしまった。
沙織と麻衣子は目を見合わせると、玲央に手を振った。
「じゃ、じゃあ、私たち楽屋に戻るね。水ありがとう」
足早に楽屋に戻りながら、麻衣子は口を曲げる。
「なんなの、あいつ。後輩のくせに態度悪くない?」
「ま、まあね……」
「外国人って優しいイメージあったけど、あいつは礼儀もなってないわ」
「生まれも育ちも日本みたいだけどね……」
「そっか。顔が良くてもダメね。一目惚れじゃなくてよかった」
「ははは……きっともう少し知れば良いところも……」
「べつにもう知りたくないし」
先ほどとは打って変わって機嫌が悪くなる麻衣子を宥めながら、沙織は苦笑した。
それからしばらくして、沙織が先ほどの楽屋ロビー前を歩いていると、男性たちの明るい笑い声が聞こえた。ふと目をやると、鷹緒の姿がある。
「おつかれさまです……」
人目もあって他人行儀に挨拶をすると、鷹緒もまた会釈した。
「おつかれ」
鷹緒の他には、玲央と先ほどのホセという少年の他に、数人の男性モデルがいることがわかる。
すると、玲央が沙織に声を掛けた。
「沙織。さっきはホセのやつがごめんな。麻衣子、怒ってたよな……」
そう言われて、沙織は首を振る。
「べつに玲央君が謝ることじゃ……」
「なに? なんかあったの?」
横から鷹緒が入ってきて、すぐに玲央が頷いた。
「ホセの人見知りが出たんですよ。可愛い女子には本当ツンツンしちゃうばっかりだから、いつもうまくいかないんだよな」
「俺は女の子にツンツンしてたんじゃなくて、あんたにだよ、玲央。会う度にベタベタしやがって」
「だってまだ十七だろ。可愛い後輩じゃんか」
「事務所は違うだろ」
先程とは違い、玲央とじゃれあうように打ち解けているホセを見て、沙織は呆気にとられた。
「え、ホセくん、十七歳なの? 若っ……」
そこに、通りがかった麻衣子が思わずそう言った。
「麻衣子」
「だろ。若いし許してやってよ。期待の新人だからさ。別事務所でもついつい面倒見ちゃうっしょ」
「若いけど、この世界、礼儀は必要だと思いますけど」
玲央の言葉にもそう返し、未だ怒っている様子の麻衣子の前に、ホセが立ち上がった。その背はとても高いが、小さく彫りの深い顔はすぐに下へ向けられる。
「さっきはすいませんでした。浜口ホセインです。よろしくお願いします」
深々と頭を下げたホセに、麻衣子は思わず笑う。素直で可愛いところもあるのだと思った。
「原田麻衣子です。よろしく」
そんな二人に、周りの人間が笑った。
「なんだ? 二人、付き合うのか?」
「ちょっと、馬鹿言わないの」
周りの野次に、すかさず麻衣子がそう言ったが、そんな麻衣子の肩がホセによって掴まれた。
「なんで? 俺と付き合ってよ、麻衣子」
ホセの言葉に、麻衣子の目が大きく見開かれる。
「はっ?」
「大胆だなあ、ホセ……」
周りの人間も、あまりに突然で大胆な行動に驚いて固まっている。
そんな中で、鷹緒がホセから麻衣子を引き離した。
「はい。今日のところはここまで」
鷹緒の言葉に、一同ははっと意識を取り戻す。
「そ、そうですよね。びっくりした……」
しかし、ホセだけは眉を顰めて鷹緒の前に立った。その背は鷹緒よりも高く、鷹緒は少し見上げる形で真剣にホセを見つめ返す。
「なんの権利があって、俺の告白をなかったことにするんですか」
「なかったことになんかしてない。それに俺は麻衣子の事務所の人間だ。君こそTPOってものを考えたらどうなんだ。言われた本人が困ってるのがわからないのか? これだからガキは……」
鷹緒の言葉に、ホセは明らかに苛立った様子だが、麻衣子の顔を見て顔を背けた。
「それは……ごめんなさい」
微妙な空気が流れる中で、鷹緒が大きく手を叩いた。
「はい。じゃあ本当に今日のところはここまで。これから本番なんだ。みんな気を取り直してよろしく頼むよ」
「は、はーい」
複雑な表情をしたままの麻衣子に寄り添うように沙織が駆け寄ると、そこにいた全員が立ち上がり、各々去っていった。
鷹緒はそれを見送ると、最後まで残っていた玲央を見つめた。
「玲央は行かないのか?」
「いや……なんか圧倒されちゃって。確かに考えなしな行動だけど、俺にもあんな大胆さがあったらなって……」
それを聞いて、鷹緒は吹き出すように笑う。
「おまえだって、沙織に同じようなことしたろ」
「えっ、あ、あれは同じ会社の人同士で……いや、同じことか……俺、沙織にあんな困らせた顔させてたのかな……」
以前、沙織に告白をした玲央。ホセの行動が格好良いと思いながらも、自分に重なる部分もあって今反省をしたようである。
そんな玲央を尻目に、鷹緒もまた立ち上がった。
「まあ……大人になったらなかなか出来ないことでもあるし、挽回はいくらでも出来るんじゃないか?」
「諸星さん……」
「でも、自分のこと押しつけるのは、ほどほどにしろよ。沙織も麻衣子も……大事な子たちだからな。もちろんおまえもな」
鷹緒はそう言って、その場から去っていった。
それを見送って、玲央は静かに笑みを零した。