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93. 小さな相談事

 ある日の夕方。鷹緒が会社に戻ると、珍しい人物がいることにすぐ気がついた。

「あれ? 恵美じゃん」

 そう言われて、入口の待合ソファに座っていた恵美が、嬉しそうに立ち上がる。

「諸星さん」

 表では他人行儀をするということを幼い頃から躾けられていた恵美は、元家族ということを隠したまま、嬉しそうに微笑んだ。

「おう。なに、母待ち?」

「うん。夕飯、一緒に食べようってことになってて……」

 そうは言うものの、もう定時を過ぎている。

 そこに、受付にいた牧が口を開いた。

「理恵さん、もう少し時間がかかるって連絡が」

「今日、打ち合わせだっけ。俺とメシ行く?」

 迷う様子もなく言った鷹緒に、恵美は残念そうに俯く。

「行きたいけど、ママと約束してるから……」

「ああ……じゃあ茶でも行く? まだ時間かかんだろ」

「いいの?」

「いいよ。たまに会えたんだしな」

 微笑む鷹緒を見て、牧はからかうように笑う。

「もう鷹緒さんってば、相変わらず恵美ちゃんには甘々ですね」

「俺だけじゃねえだろ。ヒロも彰良さんも、うちの男性陣はみんな恵美には甘々だからな」

 他の社員の手前もあるが事実を言って、鷹緒は自分のデスクに持っていたカバンを置くと、入口へと戻っていった。

「牧。副社長が帰ってきたら、俺に連絡するように言って」

「わかりました」

「じゃ、行こう」

 そう言い残して、鷹緒は恵美とともに会社を出ていった。


「恵美も話したかったの」

 真剣な顔をして恵美が言ったので、鷹緒は首を傾げる。

「なんかあったのか?」

 そう尋ねると恵美は立ち止まって押し黙るので、会社の前で鷹緒もまた立ち止まる。

「恵美? そこの喫茶店行こう」

「……二人だけでお話ししたい」

「ああ……人のいないところのがいい?」

 急に甘えたように頷く恵美に、鷹緒は優しく頭を撫でる。

「地下スタ行くか。今日は撮影終わって誰もいないし。おまえも久々だろ?」

「うん!」

 微笑む恵美にほっとして、二人は地下スタジオへと向かっていった。


 誰もいない地下スタジオで、鷹緒は手際よくお湯を沸かすと、恵美を見つめる。

「何飲む? コーヒー、紅茶、緑茶、ココア……氷あるからアイスも出来るぞ」

「喫茶店みたい! じゃあ紅茶。ホットミルクティー」

「オーケー」

 恵美はソファベッドに座り、部屋の中を見回している。

 鷹緒は恵美の紅茶と自分のコーヒーを手に、いつも座っている椅子を移動して恵美の前に座った。

「さて、話を聞きましょうか? お嬢さん」

 優しく尋ねる鷹緒に、恵美はゆっくり口を開く。

「うん……聞いた? 豪さんのこと」

 その名を聞いて、鷹緒は小さく息を吐くと、コーヒーに口をつけて恵美を見つめた。

「……なにを?」

「ママ、豪さんと別れたって……」

 薄々感づいてはいたものの、ハッキリと聞いたことはなかったので、鷹緒は少し驚きながらも、思い詰めた様子の恵美を心配して口を開く。

「それは……理恵が言ったの?」

「うん……」

「本当に? 別れたって?」

 確認する鷹緒に、恵美は頷いた。

「ハッキリそう聞いたよ」

 そこで鷹緒は、理恵が豪と本当に終わったのだと知った。しかし、それによって恵美がどう感じているのかはわからずに、探るように恵美を見つめる。

「そう……それで?」

「恵美、豪さんのことあんまり好きじゃなかった……でも、恵美のためにママが豪さんと別れたんだとしたら、それは嫌だなと思って……」

 小さいながらに心を痛めている恵美を見て、鷹緒は拳を強く握りしめた。

「それはないよ……」

「でも……」

「万が一そうだとしても、それは恵美が気にすることじゃない。理恵が考え抜いて決めたことなら、恵美はそれを受け入れるか、気になるなら直接聞けばいいんじゃないかな」

「……なんか、ママがかわいそう」

 急に涙を溜めた恵美に、鷹緒は驚いた。

「恵美……」

「恵美がいるから、ママは豪さんと喧嘩しちゃうのかもしれない。ママだって好きな人と結ばれたいのに、恵美が豪さんと全然仲良くならないから……」

 堪えきれない涙が恵美の頬を伝う。

 鷹緒は移動式の椅子を転がせると、恵美のそばに寄ってその頭を撫でた。

「恵美のせいじゃないよ……だからそんなこと考えなくていい」

「でも……ママまた一人になっちゃうよ……」

 止まらない涙を拭うように、鷹緒は恵美を抱きしめる。恵美は安心するように、鷹緒の腕の中で声を出して泣いた。

「理恵にはおまえがいるだろ」

「恵美はママの好きな人とは違うもん」

「アホか。おまえは理恵や俺にとって、誰とも比べものにならないくらい大切だってこと、おまえは絶対忘れるな」

 目を合わせて言った鷹緒に、恵美は涙目で見つめ返す。

「パパも?」

「当たり前だろ」

「パパ……お願いがあるの」

「うん?」


 それから少しして、地下スタジオに理恵が迎えに来た。

「恵美。ごめんね、待たせちゃって……」

 いつもの変わった様子もなく、理恵は息を切らせてそう言った。

「ううん。おなかペコペコ」

「そうだよね。早く行こう。鷹緒もよかったら……」

 自然に誘う理恵だが、鷹緒は首を振る。

「いや、俺はいいよ……」

「そう? 相手してくれてありがとうね」

「いいから、早く行け」

「うん。じゃあ恵美、行こうか」

 そう言われて、恵美は立ち上がると鷹緒を見つめる。

「うん。パパ、ありがとう……よろしくね」

「おう」

 意味深な会話をして、恵美は理恵とともに去っていく。

 鷹緒は煙草を一本吸うと、静かにスタジオを出ていった。


 その夜。家に帰った鷹緒の携帯電話が鳴る。電話の相手は理恵のようだ。予感はしていたので、鷹緒はテレビの音量を下げてから電話に出た。

「はい」

『私。理恵ですけど……今、大丈夫?』

「ああ、うん」

『恵美から聞いたんだけど……恵美が、鷹緒のところでしばらく暮らしたいって』

 先ほど恵美からお願いされた件について、鷹緒もまた再認識する。

「うん……」

『鷹緒はいいと思ってるの?』

「俺は構わないよ。恵美がそうしたくて、おまえが賛成なら」

 小さいなりに考えて出した恵美の願いに、鷹緒が乗らないはずがない。

 しかし、すぐに荒々しい理恵の声が聞こえた。

『私は反対! 絶対反対』

「……なんで?」

『逆になんで? なんでそんなに恵美に構うのよ。あなたには沙織ちゃんだっているでしょ』

「今、沙織は関係ないだろ」

『関係あるわよ。彼女の気持ち考えないわけ?』

 そう言われて、鷹緒は顔を顰めながら、煙草に火をつけた。

「沙織は関係ない。今は恵美の話をしてるんだろ」

『まだ父親面するつもり? 鷹緒には感謝してる。血も繋がってない恵美に、父親としてよくしてくれたと思う。でも、あの子が鷹緒離れしないのは、鷹緒がそれだけ構うからでしょ?』

 煙とともに大きく息を吐きながら、鷹緒は目を伏せる。

「恵美にも言ってあるけど……今回の話は、おまえが許さないならそれ以上の話はないよ」

『……そうして私を悪者にするつもり?』

 本心でもあるが、きつく聞こえる理恵の言葉は、鷹緒には虚勢のように弱々しく聞こえる。それは理恵の性格をよく知っているからに他ならないが、強い当たりの時ほど理恵の心は大きく揺れているだろう。

「恵美は……良い子だよな」

『え?』

 改めて思うように、鷹緒は優しく微笑んで、恵美のことを思い出す。

「あいつは、おまえのことが心配なんだよ。豪と別れて大丈夫なのか、自分がいるから別れたんじゃないかって言ってた……」

『そんなこと……あるわけないじゃない!』

「それ言ってやれよ。ちゃんと本音で話してやらないと、恵美は納得しないよ。あいつは頭良いし、優しい子だから」

『そんなこと思ってたなんて……』

 理恵もショックだったのか、そのまま押し黙ってしまった。

「恵美は俺と同志なんだなって、時々思うよ」

『同志……?』

「俺、あいつの気持ちわかるんだ。俺も今の母親とは血が繋がってないし……実の母親が死んだ時も、俺なりに親父のことは心配だったから……境遇は違うかもしれないけど、恵美がおまえを心配する気持ちとか、恵美の中の葛藤とか、なんかわかる気がするんだよな」

 煙草を揉み消すと、鷹緒はソファに寄りかかり、天井を見つめる。

『でも……それと恵美があなたのところに住むとは、話が繋がらないわ』

「そう? あいつはおまえに冷静になる時間を与えたいのと、あいつ自身にも考える時間が欲しいんだろ」

『私は冷静よ。豪と向き合う気はもうないし』

「それでも、あいつは自分のせいだとも思ってるんだぞ? 少し一人の時間を得て、それでもおまえが選ぶ答えなら納得するだろうし……それに住むって言っても、長くてせいぜい数週間だろ」

『はあ……子育てって難しいね』

 理恵の言葉に、鷹緒は苦笑する。

「だろうな。でも……恵美は良い子だよ。おまえ、よく育ててるよ」

 そう言われて、理恵は少し涙ぐんだ。それを鷹緒に悟られまいと息を吐くと、静かに口を開く。

『わかった。もう少し考えてみる。もしもの時はよろしくね……』

「うん……あと理恵。前から言ってるけど、恵美のことで遠慮しなくていいよ……たまには父親面くらいさせろよ」

 その言葉に安心するように、理恵はそっと微笑んだ。

『ありがとう、鷹緒』

「沙織にも、最初に言ってあるから……恵美が成人するまでは、俺は恵美のことも大事だって……」

『……わかった。じゃあ、また明日』

「おう。じゃあな……」

 電話を切ると、鷹緒はもう一本、煙草に火をつける。

 しばらく理恵のもとを離れて、自分と暮らしたいと言った恵美。沙織が聞いたら嫌な顔をするかと勘ぐるが、不思議と沙織がそんなふうに思うとは思わなかった。ただ心配や不満は思わせると思うと気が重いものの、恵美のことを放っておくことなど出来ず、また出来る限り恵美のしたいようにやらせてやりたいと思っていた。

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