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92. 光と影

 沙織はその日、雑誌の撮影を終えて、ロッカールームで着替えをしていた。同じく着替えをしている後輩モデルたちが、今日はなんだかちらちらと沙織を見ている気がしたが、近しい後輩でもないため声をかけるまでにはいかない。

 その時、同じく撮影を終えた麻衣子がロッカールームに入ってきた。

「おつかれ、沙織」

「麻衣子。おつかれさま」

「喉渇いちゃった」

「私も。事務所寄るでしょ? 飲み物買ってから向かおうよ」

「賛成」

 二人は着替えを終えると、早々にスタジオを後にした。そして近くのカフェでテイクアウトをし、事務所へと向かっていく。

「沙織、聞いた? BBの新曲の話」

 歩きながら、おもむろに麻衣子が尋ねた。

 BBとは人気男性歌手グループで、そのリーダー・ユウは、かつて沙織と付き合っていた男性だ。

「ああ、うん。CMで見た程度だけど……」

 別れてからというものほとんど会ってはいないが、たまに連絡を取り合う程度の仲ではある。それでもその記事は誰でも知っているくらい、メディアに多く流れているほど話題である。

「じゃあこれも知ってる? 今度の新曲、ユウさんが初めて作詞作曲した曲で、沙織のこと歌詞にしたんじゃないかって……」

 それを聞いて、沙織は目を丸くさせた。

「えっ?」

「あれ、知らない? 今日記事になったらしくて、ネットでも話題になってたよ」

「し、知らないし……そんなわけないよ」

「まあ、どんな曲かまだ誰も知らないから憶測だろうけど……今度の新曲は失恋の歌らしくて、ユウさんの実体験に基づくとかなんとか……」

 沙織はユウのことを思い出しながら、そっと目を伏せる。

「そんなこと……」


 WIZM企画事務所の社長室では、奥の席で広樹が書類に向かっている。手前の打ち合わせスペースには鷹緒の姿があり、読んでいたスポーツ紙をテーブルに投げやりに置いた。

「……どうする? やっぱり一応付けておこうか。沙織ちゃんの護衛」

 広樹の言葉に、鷹緒は押し黙る。目の前のスポーツ紙には、人気歌手グループ・BBのリーダー、ユウが作詞作曲した新曲の記事がある。記事には沙織の名前までは出ていないものの、ユウのかつての恋人がモデルだったことや、その人との実体験の歌詞や失恋の歌ではないかと書かれていた。

「……いや……」

 鷹緒は少し口籠もり、やがてもう一度口を開いた。

「下手に誰も付けないほうがいいと思う」

「そうかな」

「沙織も十分大人だし、このくらい一人で対処できないと……それに、記事の信憑性も薄い。ユウが沙織を……人を傷つけるようなことをするとは考えにくいし、曲自体もまだ発表前だろ。憶測の噂でしかないからこうして懸念しているだけで、ユウは早々に事を収束させようとすると思うよ」

 そんな鷹緒の言葉に、広樹は微笑んだ。

「そうだな……こちらも敏感になりすぎてたね」

「いや、ありがたいよ……沙織もまだタレントとしては未熟だからな。でも、ここで専属マネージャーでもつけたら、忘れかけてる周りのモデルにも影響が出かねない」

「ああ。少し様子を見よう。BBの新曲お披露目は今週末らしいからね。まずはそれまで気は抜けないと思うから、沙織ちゃんにはおまえから気をつけるよう言ってくれ」

「俺から?」

「今、彼女の騎士ナイトはおまえでしょ」

騎士ナイトね……」


 沙織と麻衣子が事務所に着くと、喫煙室には鷹緒がいた。その姿を見つけ、麻衣子が行くように促してくれたので、沙織は喫煙室へと入っていく。

「鷹緒さん……」

「おう……おつかれ。撮影終わったのか?」

 いつもと同じくリラックスした様子で、鷹緒が尋ねた。

「うん」

「じゃあ帰るか」

「えっ?」

 沙織が驚いている前で、鷹緒は吸っていた煙草の火を消して歩き始める。

「うん?」

「いいの? 仕事は?」 

「ああ、今日はもう終わらせた」

 その言葉にあからさまに喜びながら、沙織は社内へ入っていく鷹緒に続いた。

「あ、沙織。一緒に帰る?」

「俺も行く」

 麻衣子にそう言われて、沙織が返事をする前に鷹緒が言った。

「え、諸星さんも?」

「邪魔か?」

「邪魔ではないですけど……じゃあ私、遠慮しようかな」

「アホか。おごってやるから、行くぞ」

「わーい、じゃあ行く」

 こうして鷹緒は沙織と麻衣子を連れて、近くのレストランへと向かっていった。


 レストランでは、沙織と麻衣子が隣同士で鷹緒と対面する形で座った。

「珍しいですね。諸星さんが私込みで誘ってくれるなんて」

 麻衣子の言葉に、鷹緒は伏せていた目線を上げる。

「そうか? まあ……おまえたちも忙しそうだしな。なかなか時間合わないよな」

「でも本当、珍しく今日は早いんだね」

 今度は沙織がそう言ったので、鷹緒は微笑んだ。

「たまにはな……」

 一通り食事を終えた一同は、そのまま何事もなく店を出ていく。

 その時、店の前で鷹緒が重い口を開いた。

「二人とも、BBの新曲の話は知ってるか?」

 人通りが少ない通りといえど、車の走行音がうるさい表通り。鷹緒の言葉が辛うじて聞こえる程度の雑踏の中、突然の話題に沙織と麻衣子は驚いた。

「い、一応……」

 二人同時にそう言ったので、鷹緒は頷いた。

「そうか。まあ……終わった話だから何を言うわけでもないだろうけど、すでにあることないこと話題になってると思う。しばらくの間、二人とも気をつけて行動して」

 突然の鷹緒の言葉に、沙織は何も言えないでいる。その横で、麻衣子が頷いた。

「わかりました。沙織のことは任せて。出来る限りそばにいるし」

 麻衣子がそう言ったことで、鷹緒は静かに微笑む。

「頼むな」

「任せて」

「じゃあ、気をつけて……二人とも、おやすみ」

 そう言うと、鷹緒は一人去っていった。

 あっけにとられたような沙織と、決意を固めた様子の麻衣子。二人は互いの顔を見合わせて頷いた。

「気をつけてね。私も沙織を守るから」

 麻衣子の言葉に、沙織は微笑む。

「ありがとう。心強いよ……気をつけるけど、でもきっと大丈夫。ユウのことは昔の話だし、私もユウを応援してるから……」

 それを聞いて、麻衣子は心配そうな顔を見せた。

「自分のことネタにされてもいいの?」

「ユウはそんなことしないと思うけど……でももしそうされても構わないよ。だって私、BBのファンだもん」

 心配など感じさせないように、沙織は明るく笑った。実際のところ不安がないわけではなかったが、ユウのことを信頼もしていたし、鷹緒の存在が大きかった。


 実際、BB新曲の話は日に日に高まっていったが、マスコミが沙織のところに来ることはなかった。しかし、モデル仲間からはいろいろからかわれたり、何かを言ってくる人間もいたが、常に麻衣子がそばにいてくれたおかげで、それも最小限に留められていたのだった。


 ある日の夜。鷹緒は静まり返った会社の喫煙室で、着信に震える携帯を手に取った。

「はい。諸星です」

『ユウです。ご無沙汰しています』

 若々しい溌剌とした男性の声が聞こえ、鷹緒は微笑む。

「こちらこそ、ご無沙汰してます。新曲発表おめでとうございます」

 鷹緒に先手を打たれたように、ユウの笑う声が聞こえる。

『ありがとうございます。その件でお電話したこと、お見通しですね』

「そう? どうしたの?」

『その……沙織のことです』

 変わらずストレートに言ってくるユウに、鷹緒は俯いた。

「……うん?」

『自惚れですが聞いてください。僕が新曲発表するにあたって、沙織に迷惑がかかってないかと心配で……』

 そう言われて、鷹緒は苦笑する。

「だったら、本人に連絡すればいいんじゃない?」

『メールならしました。でも、大丈夫だって返事書きました。でも諸星さんにも言っておかないと、フェアじゃないと思って……』

「……最初にスポーツ紙で書き囃された時すでに、うちの社長が動いてるよ。モデル仲間にも気を付けるよう言ってあるし、あいつ自身ももう大人だから、過度な反応はしないようにしてる」

『そうですか。僕も出来るだけインタビューには答えて誤解は解きつつあるので、大丈夫かと思ってたんですが、やっぱり気になってしまって……連絡が遅くなりました。すみません』

 変わらず礼儀正しいユウに、鷹緒は微笑みながら吸っていた煙草を揉み消した。

「大丈夫だよ。マスコミも来てないし……」

『そうですか。よかった……じゃあ、また連絡します。ビジネスの件でも、またお会いしたいです』

「ありがとう。こちらこそ……」

 鷹緒は電話を切ると、真っ暗な社内へと戻っていく。社長室だけが煌々と明かりがついており、中には広樹が小さなテレビをつけてくつろいでいる。

「仕事終わったのか?」

 そう言った鷹緒に、広樹は苦笑した。

「終わんない。長期戦になりそうだから、腹ごしらえと休憩を」

 広樹の前にはカップラーメンがあり、すぐさまそれに口をつけている。

「俺も食おうかな……」

「給湯室にいくつか置いてあるよ」

「サンキュー」

 そう言って、鷹緒もカップラーメンにお湯を注ぎ、社長室へと戻っていく。今日は社員全員帰ったようで、ここには二人しかいない。

「おまえも仕事終わんないの?」

 広樹の問いかけに、鷹緒は首を振った。

「今日は終わり」

「じゃあさっさと帰れよ。こんなところでカップ麺なんて食ってないで……」

「べつにいいだろ。どこでメシ食おうが」

 そう言いながら、鷹緒は壁面の棚に置かれたテレビのチャンネルを音楽番組変えた。そこにはユウの姿がある。

「あ、ユウさん」

 広樹のつぶやきに、鷹緒は無言のまま目を伏せ、耳だけを傾ける。

「今日発売なんだっけね。朝からテレビ出ずっぱりみたいだよ」

「へえ……」

 そんな忙しい合間を縫って鷹緒に電話をかけてきたという事実に、鷹緒の胸は苦しくなった。嫌でも沙織との釣り合いを気にしてしまう自分がいる。

「心配してたけど、マスコミとかも来なくてよかったよ。まあ随分前の話だし、麻衣子ちゃんはじめモデル仲間もずっとそばにいてくれたみたいだしね」

 上機嫌な広樹とは対照的に、鷹緒の顔色は冴えない。それを察して、広樹は口を曲げた。

「なんだ? なんか落ち込んでる?」

「うるせえな。落ち込んでねえよ」

「まあ、鷹緒は辛い立場だよね……ここしばらく、沙織ちゃんと距離置いてるだろ? 引くことでしか守れない愛って辛いよね」

「黙れっての」

 どんどん機嫌が悪くなっていく鷹緒をよそに、広樹はテレビに向かって話しかける。

「ユウさん、男らしくなったんじゃないの。役者もやってるし、作詞作曲も出来ちゃうなんて、マルチだな」

「……ああ」

 その時、ユウが作詞作曲したというBBの新曲が放送された。ユウのギターソロから始まるその曲は、見る者を惹きつける。

 曲はユウが作詞作曲した完全オリジナル曲で、アップテンポながら男の失恋ソングとなっていた。あらぬ記事が出ていたせいもあるであろうが、要所要所の歌詞が鷹緒にも沙織を連想させる。

「……いい曲だね」

「……ああ」

 広樹にそう返事をして、鷹緒はテレビに耳を傾けながら、黙々とカップラーメンを口にしていた。


 自宅で同じ音楽番組を見ていた沙織も、胸の高鳴りを覚えていた。

 自分のことと錯覚するような歌詞もあれば、そうでないものもある。それは全国のBBファンが思っているだろうことで、沙織は周りから言われていることを気にしないようにと改めて決意する。それでも、もし自分と付き合ったことが糧となりこの曲が生まれ、ユウが前へ上へと進めるならば、どれだけ利用されてもいいとも思った。

 沙織は携帯電話を見つめる。そこには少し前にユウから届いた一通のメールがある。

<元気ですか? BBの新曲が出来ました。今度の曲は僕が作詞作曲させてもらった特別な歌です。今に始まったことではないけど、また好き勝手な記事が出回っているようです。すでに沙織にも迷惑かけていませんか? 何かあったら、すぐに連絡をください>

 心配してくれている素振りのユウに、沙織は大丈夫だと返信していたが、新曲を聴いた今、もう一度返信ボタンを押す。

<おつかれさまです。新曲聴きました。とても素敵な曲でした。これからも私はBBファンです>

 いろいろ長文になったが、最終的にはこれだけ短い文章まで縮めた。

 送信してすぐに、手の平の中で電話が鳴った。鷹緒である。

「もしもし!」

 ユウのことを考えていた直後だったが、一気に脳内は鷹緒でいっぱいになる。

『おう……何してる?』

「テレビ見てたところ……」

『そうか。あれからそっち、大丈夫か?』

「うん、全然……仲間内からからかわれるくらいで……」

『そうか。よかったな』

 心なしか元気のない鷹緒に、沙織は電話を持ち直す。

「鷹緒さんは……大丈夫?」

『俺はべつに……』

「最近なかなか会えないね」

『……ごめんな』

「ううん。忙しいのはお互いさまだし……」

『ん……』

 事務所がユウのことで警戒している今、鷹緒が自分を避けているということを、沙織自身も気付いていた。いつどこで好奇の目に晒されるかわからない時に、親戚であろうと異性である鷹緒が、沙織の周りをうろつくことなどしない。

「鷹緒さん。会いたいよ……」

 様々な経験を経て、沙織自身もそんな鷹緒の優しさにはとうに気付いている。それでも言わずにはいられなかった。


 真っ暗な会社の喫煙室で、ガラス張りの街明かりを背に、鷹緒はうなだれるように地べたに座った。手持ち無沙汰の片手は、強く握りしめることしか出来ない。

「……ごめんな」

 不甲斐ない自分には、沙織にそう言うしかなかった。

『そんな! 謝らないで……』

「……」

『BBの新曲聴いたよ。すごく良い歌だった……でもね、記事に書いてあったような、私を思って書いた歌じゃないとも思ったよ』

「……そうか」

『アーティストだもん。自分の体験談そのまま書くことなんてしないって、前にどこかで聞いたことがある。それに、もし私とのことで何かインスピレーションとか生まれるんだったら、BBファンとしては嬉しくもあるし……なんか、なんて言っていいかわからないんだけど……どんどん利用していいと思うし、傷つけたり、それだけのことを私はしたと思うし……』

 言いながら悲しくなったように、沙織は涙を浮かべる。

 それと同時に、鷹緒が深いため息をついた。

「……強くなったな、おまえ」

『え?』

「いや、知らない間に、ちゃんと大人になってたんだなって思った」

 それを聞いて、沙織はふっと笑った。

『なにそれ……そうかな?』

「自分のこと利用していいなんて、なかなか言えるもんじゃねえよ……人のこと傷つけたってわかってるなら、同じだけ自分も傷ついたんだろ。お互い乗り越えて今があるんだから、胸張ってればいい」

『うん……』

「って、偉そうなこと言っても、俺が一番成長してないよな。ごめん……今すぐ会いに行きたいけど、もうしばらくはやめておくよ」

 鷹緒の言葉に、沙織は優しく微笑む。

「うん……大丈夫。わかってる。こうして電話くれただけで嬉しいよ」

『ああ……もうしばらくの辛抱だから』

「うん」

『でも、なにかあったら我慢せずにすぐに言えよ』

「うん!」

『じゃあな』

 鷹緒は電話を切ると、そのままその場にうずくまった。

 過去の男と比べるつもりは更々ないが、沙織の将来を考えるとどうしても自分を問いたくなる。そんな時は必ず、沙織が一歩上から引き上げてくれる気がした。

「はあ……」

 大きく息を吐くと、鷹緒は気を取り直したように立ち上がり、煙草に火をつけて窓ガラスの向こうを見下ろす。

 その時、広樹が喫煙室のドアを開けた。

「なんだ、鷹緒。まだ帰ってなかったのか」

「ああ……もう帰るよ」

「なに黄昏れちゃってんだよ」

「黄昏時はとっくに過ぎてるよ」

 煙草の火を消して、鷹緒は広樹とともに会社を後にした。

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