91. 趣味
一人暮らしのマンションで、沙織はパチンとハサミを閉じた。
「出来た!」
テーブルの上には、カメラを持った人形がある。最近始めた羊毛フェルトのマスコットだ。
「喜ばないだろうけど……」
諦めに似た笑みを零しつつも、達成感もあって嬉しさがあふれ出す。
するとその時、電話が鳴った。
『俺だけど』
鷹緒の声が聞こえて、沙織はクスッと笑った。
「オレオレ詐欺ですか?」
『馬鹿言ってんな。今仕事終わった』
時計を見ると、夜の十時を過ぎたところだ。
「ずいぶん遅いんだね」
『夕方からの撮影だったからな。おまえは家? どっか出て来る?』
「今日はもう遅いし、出るのはちょっと……」
『そっか。そうだよな』
「……うち来る?」
何度も来ているはずだが、いつも誘うのはドキドキする。また断られるのも悲しいので、沙織は恐る恐るそう聞いた。
『うーん、行ってもいいけど……腹減った』
「あ……ごめん、今日は何もないや」
しまったと思う沙織は、瞬時に今日は会えないだろうことを予測する。
『そう。じゃあ、何か買って行くよ』
勝手に落胆していた沙織は、鷹緒の言葉に驚いた。
「え、来るの?」
『嫌なのか?』
「う、ううん。全然!」
相変わらず可愛いまでにわかりやすい沙織の様子は、声だけでもわかる。鷹緒の笑う息が聞こえて、沙織は頬を染めた。
『じゃあ、三十分くらいで行くから。何か欲しいものある?』
「大丈夫」
『おう。あとでな』
そこで電話が切れて、沙織は火照る頬に触れた。
「あ、片付けないと……」
そう言って、沙織は散らかったテーブルの上をすぐに片付けた。
それから一時間後。そわそわして待つ沙織だったが、鷹緒が来る気配が一向もないため、携帯電話を握りしめたまま、不安な思いをしていた。
「何かあったのかな……来られなくなったのかな……」
相変わらず仕事漬けの鷹緒のことだ。また仕事を見つけてしまったのかもしれない。そうなれば容易に電話などかけられない。
その時、部屋のインターホンが鳴り、沙織は玄関へと走っていった。
ドアを開けるなり、鷹緒の疲れた笑顔が見える。鷹緒は鷹緒で、不安げな沙織の顔を見て驚いた。
「……どうした?」
中に入りながら、鷹緒は沙織の顔を覗く。沙織は軽く鷹緒の腕に抱きついた。
「だって遅いから……」
「ああ、悪い悪い。伝言片付けてたら遅くなった」
「じゃあ連絡くらい……」
そう言いかけたものの、会えた嬉しさのが勝り、沙織は首を振る。
「なんでもない。入って、入って」
部屋へ向かう沙織に、鷹緒は苦笑しながらついていき、テーブルの上にコンビニ弁当を置く。
「これでも急いで来たんだぞ?」
そう言って、鷹緒は大きなカメラケースをポンと叩いた。仕事以外では身軽な鷹緒がこの状態なのは、車にも寄らずに直接来たことを物語っている。
「うん……何か飲む?」
「いや、ビール買ってきた。メシ食っていい?」
「どうぞ」
少しだけ距離を感じながら、沙織は鷹緒を見つめる。鷹緒は何も気にしていないように、テレビを見ながら弁当をかき込んでいる。
「おまえは何やってたの?」
やがて食事が落ち着いたように、鷹緒がそう尋ねた。
「今日はオフだから……家にいたよ。そうだ、これ……」
そう言って、沙織はさっき出来上がったばかりのマスコットを差し出した。ボールチェーンもつけたキーホルダーのチャームである。
「なにこれ?」
「作ってみたの……もらってくれる?」
「へえ。こんな趣味あったのか」
揺れるチャームを不思議そうに見つめながら、鷹緒はそう呟いた。
「なんか嫌な感じ……」
「感心してんだよ。なかなか味があってうまいじゃん」
「味があるっていうのは、褒め言葉じゃないような……」
「ハハ。そうなのか? まあ、沙織が一生懸命作ってくれたならもらうよ」
「……鷹緒さんのせいなんだからね。彼女ほったらかしにするから……」
今日初めて小言を言った沙織の肩を、突然鷹緒が抱き寄せる。
「暇だから作ったって? それにしてはちゃんとしてるじゃん。いい趣味になるんじゃないの?」
突然のことに、沙織は驚いて鷹緒から離れた。
「そ、そういうところずるいの!」
「ずるい?」
「そう。落としといて上げるみたいな……」
「落とした覚えはないんだけど……」
そう言って、鷹緒はマスコットをまじまじと見つめる。
「もう。そんなまじまじ見ないでよ……」
「いや、意外と器用だなと思って」
「意外なんだ……」
「まあ、おまえのばあちゃんも和裁とかやってたしな」
「そう。お母さんは洋裁とかやってたし」
「へえ」
返事をしながら、鷹緒はマスコットをカメラケースの中に入れた。さすがに実用品につけるキャラクターではないと自分でわかっているが、沙織が作ったものをもらうのは素直に嬉しいと思う。
「鷹緒さん。明日も仕事目一杯?」
そう聞かれて、鷹緒は苦笑する。
「うん……明日は会議があるから、今日より遅くなるだろうな」
「そっか」
「悪い」
「ううん。今マスコット作りにハマってるし、べつにいいんだ」
沙織は残念そうにしながらも、ハマる趣味が出来て嬉しそうにしている。鷹緒はつられるように微笑むと、リラックスするように体勢を変えた。
「今日は泊まっていい?」
鷹緒の言葉に、沙織は途端に赤くなり、しかし嬉しそうに微笑んだ。
「う、うん。もちろん!」
「じゃあゆっくりしよ」
そう言いながら、鷹緒は沙織に寄り添うようにもたれかかった。