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90. 愛のかたち

 ある日のWIZM企画事務所。夕方を過ぎた頃、鷹緒が社長室を訪れた。

「ヒロいる?」

 そう言いながら入った鷹緒の目に、スーツ姿の広樹の姿が映る。仕事柄スーツを着る姿も見かけるが、普段はTシャツにGパンというラフな格好が多いため、鷹緒は口を曲げた。

「どっか出かけんの?」

「うん。社長会」

 その名は何度か聞いたことがある。社長ばかりが集まる会で、広樹が主催していた時期もある。人脈を広げたりと良い場ではあるが、最近の広樹は忙しすぎてなかなか参加出来ない状況だった。

「へえ。久々じゃん?」

「やっと繁忙期も抜けたし、若い子らがどうしてもって。そっちはどうかしたの?」

「いや、これもらったから」

 鷹緒が差し出したのは、他社モデル事務所の資料である。広樹が見たがるので、出先で手に入れた場合は持ってくるのが常だ。

「ありがとう。そこに置いておいて。同伴一名まで行けるけど、おまえも行く?」

「まさか。仕事溜まってきたからやる」

「そっか。じゃあこっちもそろそろ行くよ」

「ああ。仕事終わりに大変だな」

「まあ、どこの社長もみんなそうだよ。行ってきます」

 鷹緒が社長室を出て行くと同時に、広樹は会社を後にした。


「木村さん。お久しぶりです!」

 社長会の会場は、とあるレストランを貸し切ったところだった。店の前に着くなり、主催者である若手社長の小手川こてがわに出迎えられ、広樹はお辞儀をする。

「小手川くん。お久しぶりです」

「ご無沙汰してます。木村さんと全然会えないから、つまらなかったっすよ」

「うまいですね。会場ここですか? 洒落たレストランだなあ」

「知り合いの店で……どうぞ中へ。そろそろ始まります」

「ありがとうございます」

 営業スマイルでにっこりと微笑むと、広樹はレストランの中へと入っていった。

 まだ開始前だが、中はすでに賑わっており、名刺交換が方々で見受けられる。一方で顔見知りの社長もたくさんおり、広樹もまたそれぞれの輪に入って挨拶を始めた。


 一通りの人と挨拶を終えると、広樹の目に数人に囲まれた見知った顔が映った。綾也香である。

「綾也香ちゃん……?」

 思わずそう口にしたが、取り巻きが多く近づけそうもない。また大っぴらに近づく気にもなれず、広樹は別の輪へと入っていった。

 やがて会が始まり、広樹は主催の小手川と数人の青年に囲まれた。

「木村さん、お久しぶりっす。ちょっと顔触れ変わったでしょう? でも急成長してる社長ばっかっすよ」

「さすがですね。テレビや雑誌で見かける新顔もちらほら」

「そうなんですよ。今回、小手川が主催頑張ったんで」

 青年たちが、小手川を褒めるように叩く。

「いや、木村さんも来てくれるって言うし、手抜いたこと出来ないなと思って」

「そうそう。こいつ木村さんに会いたいって、無理言ったみたいで……」

 持ち上げてくれる若手たちに、広樹は苦笑した。

「なに言ってるんですか。僕が主催した時なんてひどいものだったでしょ」

「そんなことないっすよ。僕らが参加したの、木村さん主催の時だし。思い出深いです」

「主催って言っても、順番で回してただけだし……あんまり参考にしないほうがいいよ」

 謙遜するようにそう言って、広樹はその場から逃げるように席を外す。長年受け継がれている社長会だが、もうだいぶ年下も増えてきて、忙しさも相まって広樹は一線から遠のいているはずだが、慕ってくれる年下の社長たちも多い。

 その時、一人の男性を前に、困ったように微笑む綾也香が目に入った。誰かの紹介でないと入れない会の特性上、変な輩はいないはずだと言い聞かせる。また、もともと言い寄る男も多いだろうが、それをあしらうことには慣れているはずの綾也香に、広樹は目を逸らした。


 綾也香はドレスを身に纏い、ちらちらと広樹を見ていた。しかし、目が合いそうになると伏せるを繰り返し、広樹が綾也香に気づいているのかさえわからない。

「今後の仕事、ご一緒出来るといいなあ。よかったら連絡先教えていただけませんか」

 目の前の男は初対面だが、綾也香がモデルをしていることは知っており、ファンとまで言ってくれた。ビジネス用の名刺は持っているものの、なんだか繋がりたくない気もして、綾也香は硬い笑顔で返すしか出来ない。

「失礼します。おもちゃメーカーSHの社長さんですって? 僕、企画制作会社・WIZM企画プロダクションの代表をしております木村と申します。少しお話し出来ませんか?」

 やっと声をかけてくれたと綾也香が思ったのも束の間、広樹はその場にいる誰にも何も言わせる隙も与えず、自然な流れで男とともに綾也香のそばから離れていった。

 男は綾也香に後ろ髪引かれる思いの様子で振り返りながらも、ビジネスの部分を思い出したように、広樹についていった。


 それからしばらくして。テラス席で一人お茶を飲んでいる広樹に、綾也香が近付いていった。

「ヒロさん……」

「ああ……楽しんでる?」

「まあ。ヒロさんは一人でこんなところにいていいんですか?」

 綾也香に言われて、広樹は苦笑する。

「一通り挨拶はしたし……少し酔ったみたいだから休んでたところ」

「その割には、いつもよりしっかりしてるみたいですけど……」

「そりゃあ、こういう場ではセーブするよ」

 苦笑する広樹の前に、綾也香が座る。

「さっきはありがとうございました。ちょっとしつこくて困ってたんで……」

「べつに……あの人としゃべってみたかっただけだから。綾也香ちゃんのためじゃないよ」

 微妙な空気が流れて、綾也香は目を伏せた。

「それでも……ありがとうございました」

 広樹は一息つくと、おもむろに立ち上がる。すると、綾也香が慌てて口を開いた。

「ヒロさん。ちょっと……お話し出来ませんか? その……ビジネスのことで」

 そう言われて、広樹はバツが悪そうにしながらも、綾也香の前に座り直す。

「ビジネス? 綾也香ちゃんのブランドのこと?」

 綾也香が今日呼ばれたのは、自身が持つアパレルブランドがあったからである。何度か誘われていたのだが、今回は広樹が参加すると聞いてすかさず参加を決めた。

「あの……今後の経営方針とか」

 とっさに出た綾也香の言葉に、広樹はふっと笑った。

「なにそれ」

 久々に間近に見る広樹の笑顔に、綾也香は高鳴る胸を抑えるように手を胸にやる。

「け、経営戦略とか……」

 話を引き延ばしたいのが見え見えだが、酒の力も手伝って、広樹は笑うことをやめない。

「それは僕のほうも聞きたいね。綾也香ちゃんの経営戦略」

「え、私のですか?」

 逆に聞かれたので、綾也香は目を泳がせる。

「軌道には乗ってるでしょ。ちゃんと戦略があるから頑張ってるんでしょ」

「私は……経営とかはまだよくわからないんですけど、自分がデザインした服をたくさんの人に着てもらいたいと思ってます。でも他人と被るデザインは嫌だから、出来るだけ新作出してサイクル早めてます。お店出すとかいろいろお話しはあるんですけど、経営に関しては素人なので、期間限定で出させてもらってるお店とかネット上で売る方法を取ってます」

 ちゃんと答えた綾也香に、広樹は微笑んだ。

「うん……綾也香ちゃんは、ちゃんと頑張ってるよ」

「え……」

 思いがけない広樹の優しい言葉に、綾也香は顔を上げる。

 その時、会終了のアナウンスが流れ、広樹は立ち上がった。

「ヒロさん……!」

 続いて立ち上がる綾也香だが、そのまま腰が抜けるように座り直したので、広樹は慌てて綾也香の腕を掴む。

「綾也香ちゃん! 大丈夫?」

「なんかフラフラする……」

 広樹は小さく息を吐くと、終了の挨拶をしている店の中を見つめる。だが、誰も外にいる人間に気づいてはいない。

「お水持ってくるから……このまま座ってて」

 綾也香を置いて広樹が店の中に戻ると、会は終了し、参加者が帰り支度にざわついている。

「木村さん。二次会あるんですけど、来ませんか?」

 小手川にそう言われて、広樹は苦笑しながら首を振った。

「ごめん。島谷さんが酔って調子悪いみたいで……うちのモデルでもあるから、送りがてら帰るよ」

 正直に言った広樹に、小手川はなんの疑問も持たずに心配そうな顔を見せる。

「そっか……大丈夫ですか? タクシー呼びますよ」

「いや、ここなら大通りも近いし、すぐタクシーつかまるだろうから大丈夫だよ。今日はお疲れさま。良い会に参加させてもらってありがとうございます」

「こちらこそ……また社長会やりましょう」

「ぜひ」

 何人かに挨拶をして、広樹はテラス席へと戻っていく。綾也香は普段通りの素振りを見せているが、暑いのか手で顔を仰いでいる。

「大丈夫?」

 水を差し出しながら、広樹はそう尋ねた。

「はい……ごめんなさい。座ってると何でもないんですけど、立つとフラフラして……」

「飲み過ぎかな?」

「たぶん。今日は初めてだから緊張して、たくさん飲んじゃったから……」

「そう。会は終わったみたいだよ。立てる?」

「なんとか……」

「タクシー拾うから、表通りまで送っていくよ」

 軽く支えるように綾也香の身体に触れながら、広樹は店を出て行く。まだたむろしている社長たちに出くわしたものの、綾也香の様子から介抱しているのはすぐにわかるはずだ。

「お先に失礼します」

 社長たちの群れをかき分けて、広樹は綾也香と夜の街を歩き始める。

「ヒロさん、待って……」

 気にしながらも少し先を歩く広樹に、綾也香がそう言った。

「大丈夫? 少し休む?」

「……大丈夫です」

 強がるように言った綾也香に、広樹は苦笑する。

「そこは強がるとこじゃないでしょ。でもすぐそこが大通りだから。そこまで出たらタクシーつかまるはずだよ」

「待って……待って……」

 そう言いながら、綾也香は広樹の手を掴む。

「綾也香ちゃん?」

「私、やっぱり社長のことが……ヒロさんのことが好きです」

 涙を堪えながら、綾也香がそう言った。身長が小さい綾也香が、一層小さく見えるほどか細く見える。

 思わぬ告白に、広樹は目を泳がせると、綾也香の手を離した。

 しばらく見つめ合ったままだったが、やがて広樹は真剣な顔をして口を開く。

「……ごめん。何度言われても無理だ。綾也香ちゃんの気持ちは受け取れない」

 堪えていた涙が溢れ出し、綾也香は慌てて涙を手で拭った。

「ごめんなさい。泣くなんて卑怯だってわかってる……」

「綾也香ちゃん……」

 ため息のような長い息を吐くと、広樹は綾也香の背中を押して、近くの店裏の路地に入った。

「綾也香ちゃん……僕といるのが辛いなら、事務所を移ったっていいよ。良い事務所が見つかるよう努力する」

 そう言われて、綾也香は顔を伏せたまま、広樹の腕や腹を叩く。

「どうして……そんなひどいことが言えるの? どうして……!」

 通じない思い。苛立ちに広樹を叩いてみても、広樹が反撃する様子はない。

 やがて顔を上げた綾也香の目に、辛そうに顔を顰める広樹の顔が映った。

「ヒロさん……」

「ごめん……それ以上は何も言えない。取り繕うことも出来ない。何もしてあげられない。ごめん」

 何度ぶつかっても答えは同じようだ。かつて通じていた思いも、もう遠い昔のこと。それでも言わずにはいられないほど、綾也香の中で広樹の存在は大きかった。

「私も……ごめんなさい。何度も苦しめて……でも、諦められなくて……」

 一途な綾也香の思い。同じように思っていたとしても、広樹の愛情とそれは違う。

「……ごめん」

「もう、いいですから……一人で帰ります」

「……気をつけて」

 フラフラと路地から出ていく綾也香に、広樹は距離を保ちながらついて行く。やがて綾也香は自分でタクシーを拾い、そのまま去っていった。去り際に目が合ったものの、広樹は目を伏せることしか出来なかった。

「ごめん……何もしてあげられなくて……」

 綾也香と顔を合わせると、思い出されるのは若い頃のことばかりである。自分の浅はかさで、綾也香のモデルとしての才能も人生すらも潰すところだった。すでに大人と言われる年齢だった広樹にとっては、何度思い出しても恐ろしいまでの重圧である。

(もうあんな思いはお互いにしたくない……二度とさせない。離れることでしか守れなくてごめん……)

 心の中で呟いて、広樹もまた夜の街を去っていった。 

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