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87. それぞれが願う幸せ

 都内のとあるマンション。嵐が、部屋でくつろいでいる豪の足を叩いた。

「ちょっと。いつまでもゴロゴロしてないでよ」

 嵐は苛立っている様子で、テーブルの上を拭き始める。

「うるさいなあ……休みの日くらいゆっくりさせてくれない?」

「このところ連日休みじゃない。塞ぎ込んでないで、なんとかしなさいよ」

「なんとかって……僕は今、人生に絶望してるの」

「自業自得じゃない」

 嵐の言葉に、豪は珍しく押し黙った。

 その時、豪の携帯電話が鳴る。

「ほら。またフランスからじゃないの?」

 既婚者だったと打ち明けた豪。図星だった電話の相手に、豪は深いため息をついた。

「豪ちゃん!」

 すると突然、嵐が豪の胸ぐらを掴んだ。

「しっかりしなさいよ! あんたには理恵と恵美ちゃんもいるのよ。あんた何年、理恵のこと騙してきたと思ってんの? 私のこともなんだと思ってんのよ。みんな傷もつかない人間だと? 黙って居心地いい場所提供するって? バッカじゃないの!」

 女性言葉ながら男らしい力強さの嵐は、必死にそう訴えかけた。

 そんな真剣な嵐の目の前で、豪は笑った。

「ふふっ。駄目だ……こんな時こそ笑いが出ちゃうんだよな、僕」

「あんたね!」

「嵐こそ、ずっと僕を騙してきたじゃないか。僕だけじゃない、理恵や先輩も」

「は? なんで私が……」

「いや、先輩だって気付いてるんじゃないかな……嵐の本心にくらい」

「……は?」

「ゲイやオネエと見せかけて、理恵のことはいつから本気なのさ」

 思いがけない豪の言葉に、嵐は顔を顰める。

「論点をすり替えるのが本当に得意ね、豪……」

 怒りに震える嵐。そんな嵐は豪も見たことがない。それでも豪は、態度を変えることはなかった。

「はあ……嵐に構ってる余裕ないんだよね。もう帰国してから何年も経っててさ……僕も理恵も大人になったはずなのに……僕だけ置いてけぼりだよ」

「それはあんたが、いつまでも大人になれないからでしょ」

「わかってるけど……」

「理恵を不幸にしたら許さないから」

 真剣な嵐の言葉に、豪はくすりと笑って立ち上がった。

「嵐こそ素直になったら? ちょっと頭冷やしてくるよ……」

 そう言って、嵐は足早に嵐の部屋を出ていった。

 残された嵐は、棚の上に置かれた理恵や恵美の写真を見つめる。

「馬鹿ばっかり言って……そりゃあ好きよ。親友だもん」


 部屋を出た豪は、その足でWIZMプロダクションへと向かっていった。しかしそのまま理恵を訪ねることはさすがに出来ず、すぐそばのコンビニ前で様子を窺う。ここならば、事務所に出入りする人もすぐにわかる。ここで理恵を待とうと思った。

 それから数十分後。一点を見つめていた豪の視界に、突然、鷹緒の姿が飛び込んできた。

「先輩……」

「なにやってんだよ。何十分もずっと」

「……見てたんですか」

「気付かないのはそっちだろ。用事済ませて戻ってきても動いてねえし……ストーカーか?」

 そう言われて、豪は苦笑した。

「ひどいな。違いますよ……」

「あいつなら……まだ社内にいると思うけど」

「いいんです。ここで出てくるの待ってますから……」

「訪ねないのか?」

 鷹緒はそう言いながら、豪の横のガードレールに寄りかかり、煙草に火をつける。コンビニ前の喫煙スペースにもなっている場所だ。

「さすがに……合わせる顔がないんですよ」

 珍しくしおらしい豪の様子に、鷹緒は無言のまま煙草の煙を吐いた。

「出てくるのが見えても……声かけられないかも」

「……ふうん」

「僕だって繊細なとこあるんですよ?」

「べつに何も言ってねえし」

「フランスから帰国した時も……ここで少し待ってたんです。意を決して先輩を訪ねたんですよ」

 かつての話を出されて、鷹緒は目を伏せた。数年ぶりに会った豪を殴った、あの夜のことである。

「おまえ、これからどうすんの?」

「……今、一番聞かれたくない言葉かも」

「じゃあいつだよ。俺が何年アメリカにいたと思ってんだよ。戻ってきたら、当然結婚してるもんだと思ってたよ。一緒に住んでると思ってたよ」

 今までの疑問をぶつけるように、鷹緒はそう言った。

「……先輩。まだ理恵のこと好きですか?」

 真っ直ぐにそう言われて、鷹緒もまた真っ直ぐに見つめ返した。

「好きだよ」

「……意外だ。そう答えられるの」

「おまえ相手に回りくどいこと言わねえよ。ライクだけど……好きか嫌いかだったら好き。ただそれだけ」

「……ふうん」

「でも……いつまでも思ってる。あいつには幸せになってほしい。恵美のことも……不憫なことさせるな」

 真っ直ぐな言葉が突き刺さるように、豪は自分の胸を押さえた。

「みんな……理恵の幸せを願ってるんですよね」

 その言葉に、鷹緒は二本目の煙草に火をつける。

「まあ……あいつは苦労人だしな。女手ひとつで子供育てるなんて、今じゃ珍しくもないだろうけど……簡単なことじゃないよ」

「わかってます。僕だって理恵が大事なんですよ。理恵のこと幸せにしたい。そう思えば思うほど……僕じゃ駄目だって思うんです。先輩だって僕に任せられますか?」

 豪が言い終わる前に、鷹緒は豪の頭を軽く小突いた。

「おまえな。普段は勢いで動くくせに、理屈で物言ってんじゃねえよ。女一人に重圧受けるようなタマかよ……いつまでもフラフラしてんじゃねえ。仕事も順調なんだろ? ちゃんと腰据えろっての」

「……先輩がそれ言う?」

「ったく、口ばっかりだな」

「それ、一番むかつく」

 その時、二人の前に広樹が立ち止まった。

「……なにしてるの?」

 心配そうな顔をしている広樹に、鷹緒は煙草の火を消す。

「説教」

「説教?」

「べつにこんなとこで喧嘩してねえだろ。そんな心配そうな顔すんなよ」

「……じゃあ、こんなところ油売ってないで行こう」

「……そうだな」

 連れ出そうとする広樹を察して、鷹緒は豪を見る。

「説教ありがとうございました」

 悲しげに微笑む豪に、鷹緒はもう一度頭を小突いた。

「豪。どっちみち、選ぶ道は一つだぞ。そろそろケリつけろよ」

 答えられない豪を尻目に、鷹緒は広樹とともに会社へと向かっていった。


「……本当に大丈夫なの?」

 広樹の言葉に、鷹緒は苦笑する。

「これでも大人の対応したつもりだけど?」

「ならいいけど……やっぱり豪とは合わないよ。極力関わるな」

「交友関係まで口出すのかよ、社長は」

「心配することがいけないことか?」

「……わかったよ。どのみち、俺が口出すこともないし……」

 

 一人に戻った豪は、ぼんやりと二人の後ろ姿を見つめていた。その向こうにあるビルの中には、理恵もいるはずだ。理恵を裏切った豪だが、やはり求めている自分がいる。

「前に……進まなきゃ」

 何かを決意したような豪は、その足でWIZMプロダクションが入っているビルの前へと向かった。しかし、やはり中に入るまではいかない。

 すると、中から理恵が出てきた。

「豪……」

「……理恵。あの」

 何かを言いかける前に、理恵は顔を逸らしてため息をついた。

「ストーカー?」

「……先輩と同じことを……」

「鷹緒が早く帰れって言ったのは、まさかこれ? 二人して嵌めたわけ?」

「は?」

「もう、あんたとは会わないから」

 そう言って歩き出す理恵の後ろ姿を見つめながら、豪は声を絞り出した。

「ま、待って……」

 理恵は立ち止まるが、豪はその先の言葉が出てこない。

「なに?」

 何も言わない豪に、理恵はそう尋ねる。

「……」

「なんなのよ? 最後に言いたいことがあれば言えば?」

「……ごめん」

「それだけ?」

「……ごめん。言葉が見つからない……でも……終わりたくないんだ」

 やっとの言葉に、理恵は深いため息をついた。

「うん……悔しいけど私もそう思ってた。それで今日までずるずるきちゃったんだよね。帰国してしばらくして落ち着いてから、仕事が軌道に乗ってから……そう考えてたら、あっという間に時間が過ぎてた」

「……ごめん」

「私、べつにあなたとやり直したいわけじゃない。ただ恵美のことは……ちゃんとしてほしい」

 理恵もまた本心をさらけ出すように、真っ直ぐに豪を見つめてそう言った。

 数年ぶりに再会した当初は、自分にも舞い上がっていた節がある。だが今、突きつけられている現状に、恋人気分ではなく、ただ恵美のことを憂う。

「……もう少しだけ、待ってほしいんだ……」

 何度言われた言葉だろう。もうそれを信用出来るほどの信頼は豪にはない。

「……もう楽になりなさいよ。私は、恵美のことちゃんとしてくれるだけで十分」

「理恵……」

「私、情けない。あんたを好きだった自分が……」

「……過去形なの?」

「……さよなら」

「理恵!」

 もう理恵は振り返らない。豪はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 その光景を、鷹緒は事務所からぼうっと見つめていた。ため息しか出ない。

「鷹緒」

 そんな鷹緒の背中に、広樹が声をかける。

「うん?」

「いや……あとでちょっと時間空けられる?」

「なに。今じゃ駄目なの?」

「構わないよ。社長からの連絡事項」

 そう言って、広樹は一枚のコピー用紙を渡す。

 鷹緒はそれに目を通すと、広樹を見つめた。

「マジ?」

「マジ」

「へえ……」

「あれ。意外と反応薄いね」

「先の話だろ」

 そう言いながら、鷹緒は自分の席に向かっていく。

 机の上に置かれたメモを整理していると、いろいろなことが思い出される。やがて理恵の顔がよぎったので、鷹緒はそれを断ち切るように振り向いた。

「ヒロ。今日飲みに行かない?」

「え? いいけど……珍しいな。おまえから誘ってくるなんて。沙織ちゃんは?」

「地方ロケ」

「そっか。珍しく放っておかれてるのか」

「全然珍しくねえよ。また勢い出てきたからな。あいつ……」

「じゃあ、一時間で仕事片付けよう」

「オーケー」

 いろいろな邪念を振り切るように、鷹緒はパソコン画面を見つめた。

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