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86. とある日常

 とある夜。仕事が終わるなり、鷹緒は会社を出ていった。

 特に代わり映えのある日ではなく、急いでもいない。このまま帰って食事をして寝るだけ……そんないつもの日常である。

「温めますか?」

 いつものように夕食をコンビニで買うが、そんないつも聞かれることにも驚くくらい、鷹緒は仕事を終えた疲れと一人の時間からぼうっとしていた。

「あ……いいです」

 そのままコンビニを出ると、マンションへと帰っていく。

 ぼうっとしていても日常である。電気とテレビをつけるとソファに座り、煙草に火を点けながら買ってきたばかりの弁当を開けた。

 すると、家の呼び鈴が鳴った。

「誰だよ。人がやっと落ち着くって時に……」

 ぼやきながらも脳裏に浮かぶのは、この時間に自宅まで訪ねて来そうな人物である。しかし、広樹は今も会議中のはずで、理恵は鷹緒より早く会社を出たのを見ている。仕事関係の人間ならば先に電話があるだろう。そして沙織は地方ロケで、そのため今日の鷹緒は一人きりのはずだった。

「沙織……?」

 受話器を上げるなり映った姿は、鷹緒の声を聞いて一瞬にして微笑んだ沙織である。

「よかった。いた!」

「あ、ああ……どうした?」

「ロケ、早く終わったから」

「そうか。どうぞ」

 鷹緒にも笑みが零れ、取り急ぎオートロックを解除した。

 お互いに忙しいが、沙織に至ってはこのところ地方を走り回っている。そのため、鷹緒にとっても久しぶりの感じがした。

 ふと振り向くと、沙織が来なかった時間を物語るように、部屋の中は散乱して見えた。テーブルの上には書類や弁当が無造作に置かれ、ソファには出しっ放しの洗濯物が積まれている。

「やべ……」

 慌てて片付けている間に、部屋の呼び鈴が鳴った。

 鷹緒は持ち上げた洗濯物を抱えたまま、玄関へ急ぐ。

「おかえり」

「ただいま……どうしたの? その洗濯物」

「いや、部屋片付けようと……」

「そんなのいいのに」

 笑う沙織に救われるように、鷹緒も苦笑した。

「すぐ片付けるから」

「移動するだけでしょ。そんなの気にしないし」

「まあ上がれよ」

 そう言って、鷹緒は空いている片手で沙織が肩から掛けていたバッグを掴み、奥へと入っていく。さりげない優しさに頬を染めながら、沙織はそれについていった。

「びっくりした?」

 鷹緒の背中に、沙織が悪戯な口調で声をかける。

「うん。びっくりした」

「早く終わったからさ。呼び鈴鳴らして出なかったら、そのまま帰ろうかと」

「そんなイチかバチかだったら、連絡くれればいいのに」

「驚かせたかったんだもん」

「なるほど」

 背中越しに会話をしながら、鷹緒は洗濯物を寝室のベッドに置くと、すぐに戻ってテーブルの上を片付け始める。

「ごはん食べてるとこだった?」

「食べようとしてたとこ。おまえは食ったの?」

「ううん。でもあんまりおなか空いてないから。鷹緒さんは食べて……」

 そう言っていると、沙織のおなかが鳴ったので、沙織の顔が真っ赤になった。

「ハハ。空いてんじゃねえの?」

「おかしいな……さっきおやつ食べたのに」

「半分食べる?」

「半分もいらない。ちょっとだけ……」

 そんな会話をしながら二人はソファに座る。そしてすかさず、鷹緒が一口分のおかずとご飯を差し出してきた。無意識に口を開ける沙織は、食べながら笑った。

「餌付けされてるみたい」

「もう一口いく?」

「ううん。ちゃんと食べて」

 クスクス笑う沙織につられるように、鷹緒も笑った。

「じゃあ、いただきます」

「どうぞ。ねえ、今日泊まっていっていい?」

「いいよ。明日の予定は?」

「オフだよ」

「じゃあ、ゆっくり出来るんだな」

「鷹緒さんは仕事でしょ?」

「そりゃあな」

 弁当を食べている鷹緒に、沙織がそっと抱きついた。

「数日ぶりなのに、なんか久しぶりな感じ」

「おまえも忙しそうだもんな」

「移動距離がね……」

「まあ、明日はゆっくりしろよ。風呂入ってくれば?」

「そうだね。パジャマに着替えちゃおうっと」

 沙織はパッと鷹緒から離れると、支度をして風呂場へと入っていった。

 ベタベタもせず離れすぎず……いつの間に得た慣れという絶妙な距離感がたまらなく心地良く感じ、鷹緒は一人微笑む。さっきまでの一人の時間が、あっという間に華やぐのがわかった。

 その後、入れ替わりで風呂に入った鷹緒だが、出るとリビングに沙織の姿はない。寝室を覗くと、投げ出してあったはずの洗濯物が綺麗に畳まれ、代わりにベッドには沙織の寝息が聞こえた。

 起こすつもりはないが、鷹緒はそっと沙織の髪を撫でた。しかし沙織は起きる様子もなく、無防備な寝顔を晒している。相当疲れているのだと心配する反面、その顔に癒やされるように笑みが零れてしまう。

 声をかけることもなく、鷹緒はそっと沙織の髪にキスをすると、リビングへと戻っていった。そして日常の中に溶け込んだ沙織を感じながら、しばらく一人の時間を過ごすのであった。

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