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80. ぬくもりを感じるところ

 とある冬の夜。鷹緒が事務所に帰ると、事務所は奥のスペースだけに明かりが灯り、理恵だけがいた。

「おかえりなさい」

「ああ……」

 生返事をしながら、鷹緒は自分のデスクへ向かっていく。途端にクシャミが出た。

「大丈夫? コーヒー飲む?」

「ああ、悪い」

「ううん。そっちの電気も点けるわね」

 理恵は社内の電気を少し多く点けると、給湯室で二人分のコーヒーを入れ、鷹緒に持っていく。

「え……そんな薄着でいたの?」  

 鷹緒の服を見て理恵が言った。冬だというのにシャツと薄手のパーカーだけのようだ。

 コーヒーを受け取り温まるように飲みながら、鷹緒は苦笑する。

「今日はあんまり外出ないと思ったけど失敗した」

「そりゃそうよ。こんな寒い夜に……風邪引いても知らないわよ」

「いや、何処行っても屋内は暑いからさ……移動も車だし、今日は外仕事もないからと思ってたんだけど、駐車場からここまでも寒いな」

「当たり前よ」

 理恵は呆れたようにしながら自分の席へと戻っていくと、椅子の背もたれにかけてあったカーディガンを鷹緒に差し出す。

「え、いいよ」

「羽織ってて。見てるこっちが寒いの」

「はあ……」

 半ば強制的に羽織りながら、鷹緒はパソコンを見つめる。すぐに煙草が吸いたくなるが、空調が切られた喫煙室に行くには億劫だ。

 ふと事務所を見回すと、改めて誰も居ないことに気付いた。

「……もうみんな帰ったのか?」

「そうみたいね」

「ヒロは?」

「今日は外回りから直帰って聞いてるわよ」

「へえ……おまえは?」

「仕事たまっちゃって」

 苦笑する理恵の声を聞きながら、鷹緒の脳裏に恵美の顔が浮かぶ。しかしそれを突っ込むのは野暮である。

「あなたは?」

 そう聞き返されて、鷹緒はパソコンから目を逸らせた。メールチェックは終わったし、仕事があるといえばあるが、今でなくても大丈夫である。ふと沙織の顔がよぎったが、今朝から地方ロケで出かけており、今日の鷹緒はフリーだった。

 はあ……と、鷹緒はため息をついた。すぐに帰れば良いのだが、理恵でなくとも女性一人が事務所に残っているのは気になるところである。自分の駄目な部分を知りながらも、それでも放っておけなかった。

「……俺も仕事たまってる」

「そう。お互い大変ね」

 笑う理恵を一瞬見てから、鷹緒はパソコンを見つめた。

「……手伝おうか?」

「そっちも仕事あるんでしょ」

「俺は仕事早いし……家に帰っても出来るし」

「じゃあ早く帰りなさいよ」

「ここのが捗るんだよ」

 沈黙になって、鷹緒は本当に仕事を始めた。やろうと思えばいくらでも仕事はある。

 その時、デスクの上で鷹緒の電話が盛大にバイブで揺れた。電話である。

「はい」

『あ、沙織です……今、大丈夫ですか?』

 可愛らしい声が聞こえて、鷹緒の顔が自然と緩んだ。

「ああ。今、事務所で仕事中。そっちは?」

『こっちは終わってホテルに戻ったところ』

「そうか」

『いろいろ回って明後日の夜帰るんだ。鷹緒さんの予定は?』

「予定? 撮影もあるけど、今週は編集作業に重きを置こうと思ってる。まあ、帰ってきたら連絡して」

『うん。わかった。じゃあ……』

「ああ、じゃあな」

 電話を切って胸元にしまいながらちらりと理恵を見ると、理恵はパソコンに向かって仕事をしている。

 鷹緒もパソコンに目をやると、理恵が口を開いた。

「もっと彼女には優しくしなきゃダメよ」

 そう言われて、鷹緒は顔を上げる。

「はあ?」

「まあ、彼女の前じゃ、態度も声も違うみたいだけど?」

「なんだそれ」

「よし、終ーわり」

 話の途中で理恵はそう言って立ち上がった。

「……おつかれさん」

「鷹緒はまだ?」

「うん」

 それは本当のことで、手を付け始めてしまったものは、まだ区切りがつかない。

 理恵は鷹緒のコーヒーカップを取ると、給湯室へと向かった。

「ああ、いいよ。そのままで……早く帰れよ」

「いいわよ。このくらい苦じゃないから」

 沈黙が訪れるが、それは心地の悪いものではない。

 やがて理恵は給湯室から出てくると、コートを着て振り向いた。

「帰るわよ?」

「どうぞ」

 パソコンから目を離さない鷹緒に、理恵はそっと微笑んだ。

「ありがとう」

 それはすべてがわかっているかのようで、鷹緒もまた笑う。

「……おつかれ」

「うん。じゃあ、お先に」

 そのまま理恵はそれ以上何も言うことなく会社を出て行った。

 もはや好き嫌いなどという感情では言い表せない相手。だが互いのことがよくわかってしまう微妙な間柄。それが心地悪いものでもなくなっているのが不思議だったが、互いのことがわかっていながら言わない関係には気楽さを感じる。

 それから程なくして鷹緒は仕事を終わらせると、静かにのびをした。

 すると、鷹緒の肩にかけてあった理恵のカーディガンが床に落ちる。

「おっと……」

 途端に寒気を感じて、鷹緒は立ち上がった。

 薄暗い社内から逃れるように窓際へ向かうと、眼下は街の明かりが煌々と輝いている。ふと孤独を感じていると、胸元で携帯電話が震えた。見ると仕事のメールであるが、鷹緒はそのままリダイヤルボタンを押した。

『はい』

「……俺」

 優しい顔に戻りながら、鷹緒は窓枠に腰掛ける。

『オレオレ詐欺ですか――』

「ハハッ。諸星ですけど」

『ふふっ。よかった』

 鷹緒は沙織の声に癒やされるように微笑みながら理恵の席に向かうと、羽織っていたカーディガンを元に戻す。そして自分の席を綺麗にしてコートを羽織った。

「何してる?」

『今、シャワー浴びてゆっくりしてたところ。鷹緒さんはどうしたの? さっき電話したのに……』

「うん。仕事終わったところ……ごめん。急に声聞きたくなった」

 一瞬の沈黙に、鷹緒は首を傾げる。

『……謝らないで。すごく嬉しいんだから』

 その声にほっとすると、鷹緒は社内を一通り回ってから会社を出ていく。

「今から帰るとこ。おまえも早く寝ろよ」

『うん。おやすみなさい。気をつけて帰ってね』

「おう。おまえは……明後日だっけ。こっち戻るの」

『そうだよ』

「そっか。待ってるよ」

『うん!』

「おやすみ。じゃあな」

 鷹緒は電話を切ると、照れるようにはにかみながらも、寒空を感じさせぬ暖かさを身に纏って家へと帰っていくのだった。

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