5 原田視点・2
まだ暑い九月のはじめ、誰もいなかった部室の机は、体温よりは微かにひんやりとしていて。
けれど直接頬をつければ、すぐに原田の体温を吸収して温んでいく。
遠くに帰宅していく人たちの声が、聞こえる。
何もしゃべらずじっとその音を聞いていた原田の耳に、まだ元気な蝉の声が大きく響いた。
驚くわけでもなくぴくりと肩を動かした原田は、閉じていた目をゆっくりと開けた。
そこに見えるのは、所々剥げた長机の天板。
自分の腕。自分の手。
いつもと変わらない、もの。
部室の近くにとまっているのか、蝉の声は間断なく響いて。
鋭い羽音の後、いきなりの静寂が訪れた。
煩かったからか、余計、静けさが際立つ。
だから――
麦わら帽子を被って、いつもベンチに座っていたアオ。
蝉の声をバックに、いつもスケッチブックを抱えてた。
「なんで」
いきなり帰ったんだろう
「どうして」
何も言わなかったんだろう
「もしも」
俺が体調を崩さなかったら
「もしかして」
アオは何か、俺に伝えた?
「なんで」
あの場所に、アオはいないんだろう
「どうして」
いつまでも、あの場所にいるものだと決めつけていたんだろう
「もしも」
名前を聞いていたら
「もしかしたら」
本当の名前を教えてくれていた?
「なんで」
アオは泣いていたんだろう
「どうして」
アオは泣かなくなったんだろう
「もしも」
その理由を問えていれば
「もしかしたら」
アオの本音を聞けていた?
朝、要と別れてから、どれだけ同じ疑問符を並べたて、どれだけ異なる言葉をそこに続けたか。
原田の脳内は、考えられる小さなことまでもその思考に組み込まれ果てしなく続きそうな問いかけを繰り返していた。
「……女々しいってか」
つい口にしたその言葉に、地味に痛手を受ける。
向こうが「また来る」って言ってんだから、こんなに落ち込むほうがおかしいのか?
「そっか、分かった」とか言って、どんと構えて待ってるのが男ってか?
ワザと大きく息を吐き出して、顔の向きを変えた。
視線の先には、さっき佐々木が開けた窓。
その向こうには、ほとんど誰もいないグラウンド。
そして――
「青い……」
青い、空。
思い出すのは、とりの竜田揚げを重箱にもらって言った翌日、母親が昼飯をそれに詰めて持たせてくれた日の事。
はじめてアオがいつも座っているベンチにから、その風景を眺めた。
いつもアオが見ている風景を。
真っ青な青空。
風に揺れる、木立ち。
光る水面。
――ありがとう、ななしくん
そう、泣きそうに笑ったアオ。
きっかけは、泣いていたアオに声を掛けた事。
俺の持つタオルの青を、綺麗だといった事。
最初はその色一つだったのが、いつの間にか色々な”あお”を描くようになって。
泣きそうだった笑顔が消えて。
泣いていたアオが、泣かなくなったのは何時からだったのか――
「アオ……」
青色に染められた、真っ白な紙。
色の塗られた紙の真ん中で、青に染まっていた。
「アオ」
たった一か月の間の事なのに。
名前も知らないのに。
アオに、会いたい。




