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女は生垣のすぐ傍で座ったまま、じっと原田の顔を見つめている。原田も逸らせないまま、じっと彼女を見返してしまっていて。
「……はぁ」
諦めた。
自転車から降りるとそのままUターンをして、女の前に歩いていく。女は原田の姿をじっと見つめ続け、目の前に立った後にっこりと笑った。
「さすが高校生に見えない高校生でもやっぱり本当に高校生。若いな。私の見捨てないで光線に負けたね」
「ややこしいわ、その言葉。なんだよ、何の用だよ」
サスガコウコウセイニミエナイコウコウセイデモヤッパリホントウニコウコウセイ
カタカナで一気に書くと、何かの呪文にしか思えん。呪いでも掛けられそうだ。
眉を顰めて胡乱気な表情で女を見下ろすと、女は座ったままくすくすと笑った。
「ななしくんは元気だねぇ。ここから一番近い高校って、自転車で駅から二十分は掛かるでしょ? まだ授業あるの? もう八月なのに、もしかして補習?」
何かと思えば、世間話かよ。停まらなきゃよかった。でも停まっちゃったし面倒だし、とサドルに腰掛けてため息をついた。
「その高校に通ってっけどもう夏休み入ってる。自転車通なのは休みの間だけ」
「じゃ、なんで行くの? しかも自転車」
「部活があるから体力づくり。体育会系の部活なもんで、身体が資本なわけですよ」
「へぇ、体育会系。バレー辺りかな」
「……その可哀想な頭で、よく分かったな」
体育会系って言っただけで、他に何も言ってねぇのに。背、高ぇけど百八十近い位なら、他の部活にだっている。ほら、例えばバスケとか。
女は得意そうに、ふふっと笑って胸を反らした。
「実は頭いいのよ、爪隠してんの。ななしくんと違って」
「あーそー。つーかさ、とりあえずななしくん止めねぇ? てか、あんたの名前は?」
いい加減、頭の中で女って言ってんの面倒になってきた。女は意外そうな表情を浮かべて少し考えた後、右の人差し指を立てた。
「似合ってるから、君はななしくん続行!」
「んなもん、似合うか!」
「私は素敵だから、素敵な名前で呼んでくれていいよ!」
素敵だぁぁ?
なんか頭痛くなってきた。こいつ、大丈夫か?
「どの顔が素敵とかほざいてんだろな、昨日の行動を思い出せ! お前に素敵を名乗る資格はない!」
ぜーはーぜーはー
思わず素で言い合いしてしまった……、なんでこんな朝っぱらから疲れなきゃならん……
肩で息をしながら顔を下に向けた時、ふわりと首元に何かがかけられた。
「?」
少し驚いてそれを見ると
「……タオル?」
見慣れた、タオル。真っ青な色彩が、目に映った。
「そ。昨日貸してくれたでしょ? 洗っておいたよ、ありがとう」
忘れてた。
ふわりと、洗剤のいい香りが鼻をくすぐる。タオルの端を手で掴んだまま、女に視線を向けた。
「私の名前は、アオでいいよ。そのタオル、綺麗な色ね」
「アオ?」
でいいってことは、本名は違うってことか……?
何のために偽名を使うんだろうと首を傾げていたけれど、アオの次の言葉に盛大なツッコミを始めなければならなくなった。
「で、君はななしくんのままで!」
「だからどうして!」
「じゃぁ、ナナ?」
「女じゃねぇ!」
「じゃあ決まり~」
「……」
にこやかに笑う……アオ……の表情に、なんだか言い返すのも面倒になってきた。言ってもきかねぇな、こりゃ。
「ていうかさ、ななしくん、時間大丈夫なの?」
「へ?」
時間?
思わず腕時計に視線を移す。胸の前に持ってきた腕を、横からアオが覗き込んだ。
「九時三十分。あら、結構経ったわねぇ」
「……、やべぇっ!」
着替えとアップ考えたら、遅刻ぎりぎりだ!
慌ててサドルに座りなおすと、んじゃ、とアオに手を上げる。
「いってらっしゃい」
ニコニコ笑うアオをみて、ペダルを思いっきり踏み込んだ。
少し行ったところでちらりと後ろを見てみたら、まだこっちを向いて立っている。
変な女だなぁ……
偽名使うとか、おかしくね? ていうか、俺が警戒されてるってこと? それにしては、警戒心薄そうに見えるけど……
やっぱり、おかしな女だわ。
昨日の印象を濃くした原田は、とりあえず目先の遅刻回避だけを目標に自転車をこいでいった。
そして帰宅途中、同じ場所で呆けているアオを見つけて、とりあえず頭をはたいておいた。
「だから、女が夜遅くまで外でボケるんじゃねぇよ! ボケ!」
「あーれー、ななしくんてばもう帰り? 早いね?」
「お前の体内時計が、狂ってんだよ!」
……あー、疲れる。