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ふっ……と、意識が浮上した。
目を微かに開ければ、濃いオレンジが視界を埋める。
幾度か瞬きを繰り返して、やっと自分の状況に気づいた。
縁側で眠りこけてたらしい。
「嫌な夢、見た」
ぽつりと呟いた声は、掠れていて。
思わず、掌で胸元を押さえる。
じっとりと汗ばんだ肌は、不快さを訴えて。
それはこの夏の暑さだけの所為じゃない事を、如実に表していた。
「いやな、ゆめ」
仰向けの身体を横にして庭を向くと、沈みかけた夕陽が西の空の端に見える。
東から侵食していく夜の色は南天までをゆっくりと覆い尽くしていて、すでに夜を迎え始めていることを私に知らしめた。
「くるしい、な」
考えるでもなく、口から零れる言葉。
ここに来るきっかけになった聖ちゃんの言葉が、まだ頭から離れない。
けれど聖ちゃんにしてしまった自分の行動を少しも正当化することが出来ずに、私自身を苦しめる。
聖ちゃんが私にしたことは、何度考えてもやっぱり酷いって思う。
でも、私が聖ちゃんにしてきた事の方が何倍も酷い。
そして――
「自分の絵に対しても、酷い事をしたんだよね」
大好きだった、絵を描く事。
いつしかそれを、聖ちゃんを縛り付けるための道具にしてた。
聖ちゃんに好かれたくて、聖ちゃんの為の絵を描いてた。
数日前に携帯に連絡してきた聖ちゃん。
その声は、とても沈んでいた。
理由を言わず、前期試験が終わった途端この家に来てしまったから。
私がいなくなった理由を心を込めて描いてみてと、そう言ってしまった事にあると思っている。
確かにきっかけではあるけれど、本当はそれだけじゃない。
なのにそう思わせている自分が、本当に酷い女だなって思う。
でもね?
「聖ちゃん、あのね。少しきづけたよ」
あの時、聖ちゃんが言いたかったことは……
「聖ちゃんの為に描いた絵に、私自身の心が込もっているわけがない。そういいたいんだよね?」
気付いた。気付いたけれど。
それでも、心の中で聖ちゃんの事を想い続けていた部分が、素直に理由を話す気にはなれなくて。
何も考えないでこの場所にいた数日間。
心は色を捕えてくれなくて。
本当の自分なんか、少しも思い出せなくて。
縋る様に、この風景を見続けていた私の前に。
“こんな所で泣きながら呆けてる女の方に、俺は聞きたいね。もし動いた記憶がないなら、半日はそこにいると思うんだけど。あんた、気付いてるわけ?”
おせっかいで世話焼きな、高校生に見えない高校生のななしくんが現れて、消えた色を引き寄せてくれた。
なくした私の世界に、色を、落としてくれた。
なくした本来の私を、ほんの少し、気づかせてくれた。
ななしくんと話してる時、何も考えずに口を開けば、今までの自分じゃない自分が頭をもたげた。
それはきっと、昔の自分で。
聖ちゃんに好かれたくて、聖ちゃんに似合う大人の女を演じてた事に気づかせてくれた。
“自分”でいられることの穏やかさに、気づかせてくれた。
無理してた。それでも聖ちゃんが好きだった。
ずっとずっと、聖ちゃんに拘ってきたけれど。
今はそれが恋愛感情なんだか、小っちゃい頃からの憧れなのかよく分からなくなってるんだ。
だってさ。
「聖ちゃんの事以上に、私は描くことの方が好きだったみたいだよ」
あれだけ色を見つけることが出来ないと、絶望したのに。
色を見つけられた途端――
描くことが、こんなにも楽しい。
風にあおられて、ひらりと紙が庭に落ちる。
オレンジの光に照らされた、青の色。
届かない事が分かっていながら、それに手を伸ばす。
青の色に思い浮かぶのは、私を見てくれて私を心配してくれる、ぶっきらぼうな怒鳴り声。
「それに、気づかせてくれたのは――」
――ななしくんだ。




