3
聖ちゃんは美大に進むことを熱心に勧めてくれたけれど、私は断った。
それは親も同じ意見だったらしく、家族総出で拒否をする私達に聖ちゃんは諦めたらしい。
両親と私の拒否する理由は、天と地ほどの差があったけれど。
ただ。
いくつか候補のあった大学の中で私が決めたのは、聖ちゃんがアルバイトで絵を教えている美術部のある学校だった。
そうすれば。
聖ちゃんは自分を見てくれるから。
美大に進んでその他大勢の一人になってしまうのだけは嫌だった。
今思えばくだらない理由だ。
でも、あの時は本当に真剣だった。
楽しかった。
元々描くことが好きだった私にとって、聖ちゃんとの繋がりを与えてくれた絵を何倍も好きになった。
絵を描くことに専念したくて、両親を説得して大学の近くで一人暮らしを始めた。
バイトもして、講義も受けて、絵も描いて。
部活に行けば常に傍にいてくれる聖ちゃんの存在に、心は浮かれていた。
周囲にからかわれたときだって、聖ちゃんは動じる事もなく笑って言ってくれた。
”僕の大切な子だからね”
嬉しくて嬉しくて。
走り出したい位だった。
だから、頑張って。
たくさんたくさん、絵を描いた。
聖ちゃんへの想いをこめて。
だというのに。
――言われた。
“心を込めて”
意味が分からない……。
しばらく考え込んだ私は、気持ちを切り替えようと椅子から立ち上がった。
用具を片付けて、顔を洗う。
水彩絵の具とはいえ、うっすらと残る頬の色に思わず指を添わせる。
聖ちゃんが好きだから、聖ちゃんの言ってる事、理解したいけど……。
一つ息を吐き出して、顔を上げる。
もう一度、聞いてみよう。
もう一度、言ってみよう。
聖ちゃんなら、答えはくれなくてもヒントぐらいはくれるはず。
心がこもってないなんて、聖ちゃんにだけは言われたくないもの。
荷物を手に歩き出す。
用事があると言っていた聖ちゃん、たぶん美術部の担当教授の手伝いのはず。
古典文学専攻の教授だけれど、趣味で絵を描いていて。
その繋がりで、美術部を見てくれている初老の教授。
温かいその雰囲気を思い浮かべながら、教授棟のその先生の部屋へと向かう。
案の定、階段を上がって廊下に出ると、教授と聖ちゃんの声が聞こえてきた。
「心がこもってない、ねぇ。また、厳しい事言ったもんだ」
その言葉に、足を止めた。
今聞きたい話を、そこでしてる。
耳をそばたてて、廊下の壁にはりついた。
「えぇ、そうですね。でも、本人の心のこもっていない絵は、その先に向かえません」
本人の、心?
「こもってるように見えるけど」
不思議そうな教授の声に、苦笑する聖ちゃんの声。
「……気が付いてますよね、教授。彼女の描く絵に、こもってる心の意味」
私の絵にこもってる心の意味?
それは――
「君への想いに溢れかえってるって? 嬉しいでしょ」
一瞬にして、顔に血が上る。
恥ずかしさに、頬に両手を押し当てた。
聖ちゃんに伝えた事のない言葉。
それが伝わっていたことに、恥ずかしさがこみ上げる。
けれど、次の言葉で頭が真っ白になった。
「……嬉しいと……思いますか?」
……え?
気持ちを否定される言葉に、足元が揺らぐ。
「大切な子じゃないの?」
けれどなんの動揺も見せない教授は、不思議そうに聖ちゃんに問いかけた。
「大切な従妹で、大切な生徒、ですよ」
「あれ、そうなの? 凄く彼女を大切にしてるから、周りは二人が付き合うものだと邪推してたんだけど。だって君、否定してないだろう? 彼女の気持ち」
少し、間があったと思う。
その後聞こえてきた、聖ちゃんの言葉は今まで言われた事のないものだった。
「否定することで、僕から離れてしまうのを止めたかったというか……。卑怯だとは思いますが、僕は彼女の絵を傍で見ていたくて」
足元が崩れ去る感覚に、思わず壁に手をつく。
抱いていた期待が崩れ去る以上の衝撃が、襲う。
好意を持っていてくれるどころか、聖ちゃんが見ていたのは私ではなくて私の絵だけ……?
「……それは、まぁ。気持ちは分からないでもないが。でも、彼女には酷だね」
「否めません。でも僕は、彼女の才能に惚れてます。あの才能は伸ばすべきだ。だというのに……」
ため息交じりの声。
「今、彼女が描いているのは僕に褒められるための、絵です」




