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何の返答もない事に、通話の相手が窺うような声を上げて私の名前を口にした。
{聞いてる?}
どくりと鼓動がおかしなリズムを刻んで、思わず携帯を握る手に力を込めた。
聞こえないように息を緩く吐き出す。
すぐさま切りたい衝動に駆られたけれど、なんとかそれをおさめて口を開いた。
「聞いて、ます」
出た言葉は、なんともシンプルで抑揚のない声。
こんな声、こんな言葉、彼に伝えた事は一度もない。
彼も驚いているのか、微かに息をのむ音が響く。
{皆、君がどこに行ったのか心配してる。今、何処にいるの?}
穏やかで落ち着いたその声が、今まで本当に好きだった彼の声が、まるで異質なものに聞こえる。
「お休みだもの、何処にいてもいいでしょう?」
努めていつも通りの声を出したつもりだったけれど、彼には伝わってしまったらしい。
微かな、震えを。
{俺の所為、だよね}
その言葉に、フラッシュバックする記憶。
それを追い出す様に、ぎゅっと目を瞑った。
「違います」
ほとんど、反射で答える。
「ただ単に、のんびりとしたかっただけです」
{そのきっかけが……}
「違います。あなたの所為ではありません」
彼の声を遮って、きっぱりと断言した。
携帯の向こうも、私も、ただずっと黙ったまま。
どんどん翳っていく部屋の中が、重苦しい空気に包まれる。
辛い。
苦しい。
……もう、嫌だ。
自分の馬鹿さ加減を反芻するのは、嫌……!
このまま切ってしまおうと、ボタンに乗せた指先に力を入れようとしたその時。
「アオ?」
「……っ」
体から、力が抜けた。
くたりと縁側に座り込む。
伏せている視界には私の膝しか映っていないのに、声だけで心配そうな表情が思い浮かべられて思わず目を閉じた。
「おっ、おい?」
少し遠かった声が、駆ける足音と共に近づいてくる。
あぁ、なんでこんなにホッとするんだろう。
なんでこんなに、ななしくんの声は温かいんだろう。
「時期になれば帰ります。大丈夫ですから」
{ちょっ、ちょっと待って! あ……っ}
言いたい事だけを伝えると、呼び止める彼の声を無視して通話を切った。
途端、肩に置かれる掌。
「アオ? どうした?」
微かにこめられた力に従って、ゆるりと顔を上げる。
そこには心配そうに私を見ている、ななしくんの姿。
自然に笑みを浮かべる。
「おかえりなさい、ななしくん」
あぁ、やっぱりななしくんは凄い。
ななしくん効果は、絶大だ。
ななしくんは戸惑う様に視線うろつかせた後、私の手元にある携帯を一瞥して目を細めた。
「ただいま」
……初めて、言われた気がする。